牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

いのち生かされ恵みで生きる

2013-08-05 17:27:17 | Weblog
恵みに守られ 愛とやさしさ
主のイエスのいのちに 生かされ生きて
患難試練も 数々あれど
平安よろこび 絶えることなし

主イエスの十字架 試練の道で
仰げば輝く 栄光の道
主イエスは共なり 守られ進む
聖霊そそがれ 乗り越えて行く

ハレルヤ歌いて 賛美とともに
変わらぬ愛こそ 豊かにありて
涙もぬぐわれ 笑顔かがやき
ありがとう!感謝で 天国の日々
アーメン


旗色を鮮明に

2013-08-05 06:38:08 | Weblog
聖書の一言=創世記31:48-49そしてラバンは言った。「この石塚は、きょう私とあなたとの間の証拠である。」それゆえ、その名はガルエデと呼ばれた。
またそれはミツパとも呼ばれた。彼がこう言ったからである。「われわれが互いに目が届かない所にいるとき、主が私とあなたとの間の見張りをされるように。

 ガルエデとは、証拠の石塚。ミズパは、主が見張りをされる、どちらも同じ意味です。ヤコブはラバンの二人の娘と結婚し、12人の男の子(イスラエル12部族)と、一人の娘の大家族になり、20年間義父のもとでただ働きのようでした。
神様の恵みで、ヤコブは大いに富み、財産も増え続けました。そこで義父の元を離れる決心をします。その二人の証拠として石塚を築きました。

私は洗礼を受けた翌日、学校で同級生男子生徒に囲まれ、ア―メン・・・・・と冷やかされました。でもそのとき、そうだ。ぼくはアーメンになった。みんなもイエス様を信じて教会に行こうと、蚊の泣くような声で答えました。私のガルエデの経験です。旗色を鮮明にすると、物事はかえって良くなることが多いと思います。

 その日からクリスチャンであることが知られ、月曜日になると、老い、昨日教会に行ったかと、言われ続けました。みんなはクリスチャンは、日曜日は礼拝に行くものだと思っているのです。教会からは礼拝に出るように、誘われたことはありませんが、クリスチャンでない友人の声に送られての信仰生活でした。

 ちょうど洗礼を受けたころ、学校に寮が完成死、入寮も許可されました。ある日寮監(柔剣道五段)に呼ばれ、お前アーメンかと言われ、彼は大きな声で、主、われを愛す、主は強いければ、われ曰くとも恐れはあらじ。わが主イエス、わが主イエス、われを愛すと歌いました。この歌知っているかと言われたが、まだ知りませんでした。これくらい知っていなさい。わたしもこどものころ教会に行っていたんだよ。良い教師や先輩にも恵まれて、クリスチャン生活をスタートできました。

 それはアルエデ、蚊の鳴くような声でも、自分の旗色を鮮明にしたことだったと、今でも感謝しています。今日も出会う方々に、アーメンと言えば、救われます。十字架の恵みの福音を語り続けたいと願う朝です。

 イエス・キリストの救いを日本に世界に伝えるために、生涯をかけてみませんか。生駒聖書学院はそのような思いを持つ、老若男女のすべて皆様に、門戸を開いています。9月2日入学式です。どうぞお出でください。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


コリント人への第一の手紙

2:1 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。

2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

2:3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。

2:4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。

2:5 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。

2:6 しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。

2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

2:9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」