聖書の一言=創世記50:19-20 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
何と言う高貴で高尚なことば!許しません。死んで幽霊になって、化けて出てもという日本的怪談もあります.
恨み骨髄、江戸の仇を長崎でと、親や不都合なことをした人が死んでいるのに、恨みに思い憎しみで今の不運を嘆くこともあります。許しなさい。ヨセフのように!
すべては益とされ、どんなこともプラスに変えられ、良いことのための計らいとなさってくださる真の神、愛の神がおられます。
新世界で遊び、堕落の淵にいたものが、イエス・キリストを信じて今は、立派な牧師となり、教誨師として全国的に活躍している生駒聖書学院卒業生もいます。
「それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした」きょう、恵みによりいのち生かされ、生きているのは、人を裁き恨みを晴らすためではなく、多くの人の幸せに仕えるためです。そのように、恨みも憎しみも消え去り、ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
ヨセフのことを創世記37章(38章はユダ)から50章まで、毎日、聖書の一言で明日までかきます。
波乱万丈、ハリウッド映画にしたら大ヒット(もし映画になっていたら教えてください)だと思います。
最後の章では、兄たちが父ヤコブが復讐はするなとい残したと、ヨセフに許しを求める変わりに、まだ自分たちをかばおうとしています。
創世記
50:15 ヨセフの兄弟たちが、彼らの父が死んだのを見たとき、彼らは、「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない。」と言った。
50:16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った。「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました。
50:17 『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪いことをしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい、と。』今、どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください。」ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。
50:18 彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「私たちはあなたの奴隷です。」
すなおにごめんなさい。すみません。と言えない人間の姿がここにあります。4000年の前の出来事ですが、現代もいたるところで繰り返されている、自己正当化、責任逃れのすがたです。
それに対してヨセフは(私たちもそうでありたい)答えました。
創世記50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。
50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
受けるよりも与えるほうが幸いです。フランチェスコの祈りを思います。
ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
アーメン。
ありがとうございます。今日もまた、ゆるしと愛と平和の天国の一日です!感謝します。
何と言う高貴で高尚なことば!許しません。死んで幽霊になって、化けて出てもという日本的怪談もあります.
恨み骨髄、江戸の仇を長崎でと、親や不都合なことをした人が死んでいるのに、恨みに思い憎しみで今の不運を嘆くこともあります。許しなさい。ヨセフのように!
すべては益とされ、どんなこともプラスに変えられ、良いことのための計らいとなさってくださる真の神、愛の神がおられます。
新世界で遊び、堕落の淵にいたものが、イエス・キリストを信じて今は、立派な牧師となり、教誨師として全国的に活躍している生駒聖書学院卒業生もいます。
「それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした」きょう、恵みによりいのち生かされ、生きているのは、人を裁き恨みを晴らすためではなく、多くの人の幸せに仕えるためです。そのように、恨みも憎しみも消え去り、ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
ヨセフのことを創世記37章(38章はユダ)から50章まで、毎日、聖書の一言で明日までかきます。
波乱万丈、ハリウッド映画にしたら大ヒット(もし映画になっていたら教えてください)だと思います。
最後の章では、兄たちが父ヤコブが復讐はするなとい残したと、ヨセフに許しを求める変わりに、まだ自分たちをかばおうとしています。
創世記
50:15 ヨセフの兄弟たちが、彼らの父が死んだのを見たとき、彼らは、「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない。」と言った。
50:16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った。「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました。
50:17 『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪いことをしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい、と。』今、どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください。」ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。
50:18 彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「私たちはあなたの奴隷です。」
すなおにごめんなさい。すみません。と言えない人間の姿がここにあります。4000年の前の出来事ですが、現代もいたるところで繰り返されている、自己正当化、責任逃れのすがたです。
それに対してヨセフは(私たちもそうでありたい)答えました。
創世記50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。
50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
受けるよりも与えるほうが幸いです。フランチェスコの祈りを思います。
ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
アーメン。
ありがとうございます。今日もまた、ゆるしと愛と平和の天国の一日です!感謝します。