牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

退院2年目の朝、泉のそばの若えだのように

2013-08-24 05:51:36 | Weblog
聖書の一言=創世記49:22 ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。(新共同訳49:22 ヨセフは実を結ぶ若木/泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は石垣を越えて伸びる)

創世記49章は、ヤコブが死の床で12人の将来を預言した遺言の箇所です。12人それぞれ特徴があります。その中で11番目のヨセフが財産相続の第一人者となります。霊的資産(救い主の祖先)は、最も高尚な責任と犠牲をした四男ユダに与えられました。

クリスチャンンはイエス・キリストの十字架の救いを受けているので、神の子(、相続人)として、物心両面の祝福が約束されています。

問題や悩みがやって来ても、どんなときでもイエス・キリストの約束の平安があります。

平安があればどんなときにも実(繁栄し栄え成功)を結ぶ若枝が、泉のほとりにあるように、その枝は垣を越えます。

隣人を愛するゴールデンルール(受けるよりも与えるほうが幸い)の日々を生きることができ、今日もまた天国の一日です!



昨年8月23日、救急病院主治医がCT検査をパソコンで示しつつ、明日退院です。すっかり治っています。良かったですね。

そして、迎えに来た息子家族とともに、馬場記念病院から生駒に昼過ぎに帰りました。

救急病棟で、医者は家内に、早くても10日くらいは救急室で、退院まで3ヶ月くらいですと、宣言しました。

イエス様の十字架の癒しと、愛する皆様のとりなしの祈りで、3日目に一般病棟で、2週間でペガサス(リハビリ)病院へ転院。ラジオ放送希望の声41周年感謝礼拝には、外泊許可も出て、清水昭三牧師のメッセージに励まされました。

その後、ムリをして小冊子のために、現場の写真を写そうと、16000歩も歩いたこともあり、小脳梗塞を発病し、再び馬場記念病院に6日間入院しました。

榮さん、二度と会いたくなかったですよ!と、素敵な看護師たちの歓迎され、幸い短期間で退院でした。つきしろキリスト教会献堂式には行けなく、今週、つきしろキリスト教会礼拝説教で沖縄へ行き、5連泊で恵まれて帰宅しました。

明日は学院教会インターネット礼拝、午後は大阪エリムキリスト教会礼拝説教です。

フェイスブックで沖縄を紹介しようと、ドコモへスマートフォンを買いに行きました。3月にも断られ、今回も牧師様は電話が多いから、今までの携帯の方がよいと、ちゃんと理由を言ってくれました。

結果的には新しいシニア用(字面が大きい)もムリとのこと。DOKOMOXを購入し、使い方を練習し沖縄へ。ところが使えない。電話で聞くと、スイッチを入れてないでしょう。スイッチを入れるとOK.国際通りにあるドコモでも聞き、同じホテル5連泊で、車もなくフェイスブックで遊んだような、集会以外ゆっくりの沖縄でした。


聖書の一言は明日25日で、ちょうど2カ月。ブログとともに書き続けています。

退院一年を一人記念する、早い目覚めの朝です。

今日もまた天国の一日です。感謝します。お祈りありがとうございます。

詩篇

49:22 ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。

49:23 弓を射る者は彼を激しく攻め、彼を射て、悩ました。

49:24 しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルの岩なる牧者による。

49:25 あなたを助けようとされるあなたの父の神により、また、あなたを祝福しようとされる全能者によって。その祝福は上よりの天の祝福、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福。

49:26 あなたの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘のきわみにまで及ぶ。これらがヨセフのかしらの上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭上にあるように。



犯人(犯鳥)!?が分かる

2013-08-23 18:40:35 | Weblog
院長室の窓際にブドウがあり、手入れもしないのに毎年実を結びます。もう年年もなりますが熟して食べごろになるとなくなり、朝学院の玄関に外皮が捨てられています。

 誰だろう?と、副院長も不思議がり、毎年犯人は分からないまま、もう罪つくりになるからブドウを止めようと言いながら、そのままです。

 今朝、分かりました。捕まらないはずです。羽のある何とカラスでした。院長宅のビワも今年は全部食べられました。ゴミ捨て場もしっかり網で覆われ、餌が少なくなっているのだなあと思います。



 誰が食べているんだろうと人を疑うのではなく、捕え(られなかったけれども)て見ればカラスだったとは!

そんな沖縄帰りの今日でした。

今日もまた天国の一日でした!雨が降り出しそうで、まだ降りそうもない、雨雲が広がる生駒の夕暮れです。

詩篇

147:7 感謝をもって主に歌え。立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。

147:8 神は雲で天をおおい、地のために雨を備え、また、山々に草を生えさせ、

147:9 獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方。

147:10 神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。

147:11 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

生駒より沖縄がしのぎやすい!

2013-08-23 08:34:27 | Weblog
聖書の一言=創世記49:9 ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。

49:10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。

自分を犠牲にし、高潔な責任を果たし、親や兄弟たちを大飢饉から救い出し、ユダヤ民族の祖となりました。

人類の救いい主イエス・キリストは、ユダ(獅子)の子孫と、ユダ族から出た獅子(黙示録5:5)として、聖書は紹介しています。

高貴な人は、高貴なことを考え、高貴に語り、高貴に実行します。高貴な人生を生きたいと願う、今日もまた天国の一日です。

昨日夕方沖縄より帰宅。今回も、心優しい沖縄での握手をした方々が、飛行機やホテル、レストランや土産物店、どこででもアーメン信じます、との祈りに38名も応答してくれました。

 小冊子(天国から追い返されて牧師)を、タクシーの運転手が皆さん受け取ってくれ、余り沢山はポスティンできなかったが、ホテルの周囲に配りました。

福音を伝えれば、アーメンと信じる祈りをし、受け取ってくれるという楽しい日々でした。

生駒聖書学院も9月2日から二学期が始まります。また神学生たちといっしょに、福音を伝える喜びの日々です。あなたも学院で、楽しい福音伝道の喜びを体験しませんか。

今日もまた天国の一日です。祝福を祈ります。


ローマ人への手紙

10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。

10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。

10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。






実に神の愛の御手が

2013-08-22 08:22:31 | Weblog
土曜日から今朝まで、きれいなホテルに5連泊で、送迎付きの豪華な沖縄でした。いつもだと歩き回るのですが。今回はホテルの庭をゆっくり歩くくらいでした。国際通りや平和市場も散歩せずでした。ホテルが閑静なところにあり、タクシーで国際通りまで1000円くらいでした。
夕方には関空で、往復とも送迎があり、24日で入院後丸一年がすぎ、イエス様のいやしと多くの方のお祈りに支えられての一年でした。
今日もまた天国の一日です。

創世記 45:7-8 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。

いのちを救うため

2013-08-20 07:17:30 | Weblog
昨年から自動車の運転をしていないので、今回の沖縄もレンタカーを使わず、送迎かタクシーです。午後からうるま市なので、迎えに来てもらいます。バスでは長時間かかり、うるま市石川山城での家庭集会。それが終わるとサレム宮里教会で夜の集会です。沖縄へ来るたびに招いてもらう教会です。今日もまた天国の一日です。
コロサイ人への手紙3:12-18
3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
3:18 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。

恐れから解放され

2013-08-19 07:45:58 | Weblog
今夜は、在沖縄の生駒聖書学院同窓会が、首里のイタリアン・レストラン(ラ・フォンテ)で開かれます。学院出身者たちが沖縄全土で、それぞれ活躍しています。会えるのが楽しみで、ひとり一人を思いながらの、恵みの朝の目覚めです。
聖書;ピリピ人への手紙1:5-12
1:5 あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。
1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
1:7 私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。
1:8 私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。
1:9 私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
1:10 あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現わされますように。
1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。

決断するとき

2013-08-18 15:21:10 | Weblog
今日は、沖縄県南城市のつきしろゴスペル教会で礼拝説教です。昨年10月に、太平洋を臨む丘の上に建てられた立派な教会です。昨年献堂式説教でしたが、小脳梗塞で行けずに、今日来ることができました。お祈りありがとうございます。
ローマ1:10-13
1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。

喜びあふれて十字架信じ

2013-08-17 05:31:09 | Weblog
よろこびあふれて  十字架信じ
信仰 希望と  愛に満たされ
こころは洗われ 楽しさあふれ
ここはマハナイム 天国の家

みことば信じて 日々口ずさみ
流れのほとりの  植木のように
へいあん喜び   まいにち続き
ここはマハナイム 天国の家

信じるだけで 新しくなり
聖霊そそがれ 能力(ちから)を受けて
豊かな喜び  福音伝え 
ここはマハナイム 天国の家
アーメン

マハナイム=天使の二つの陣営(詩篇34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される)

自ら責任を負う

2013-08-17 05:09:49 | Weblog
聖書の一言=創世記43:9 私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。

12人兄弟4男ユダのことばです。責任を自ら背負うと言う、いのちがけの高尚な、ノブレスオブりージュのことばです。

全人類の救い主イエス・キリストは、このユダの子孫として誕生しました。そして、すべての人類の罪を自らの責任として、十字架に引き受け、いのちを捨てて贖ってくださいました。

2000年の歴史を通して、イエス・キリストを信じる多くのクリスチャンンたちも、ノブレスオブリージュの人生を歩きました。

責任転嫁で逃げないで、イエス・キリストの御足の跡を踏みゆく、受けるよりも与える祝福の、今日もまた天国の人生です。

りバイバル=日本の福音化=について、いろいろな考え方があります。生駒聖書学院が責任をという強い自覚と、福音宣教にいのちを掛けるすばらしい神学生たちがいます。

院長もリバイバルは、福音を伝えることからと、握手をした方の幸せと救いを祈り、アーメンと言えば救われると、イエス様を信じ受け入れてもらいながらの日々です。

特に今年は、不思議にどこでも行く先々で、イエス様を受け入れる方々との多くの出会いがあります。

今日から22日まで、沖縄行きです。その出会いが続くことを期待し、今日もまた天国の一日です!感謝します。

ヨハネの福音書



10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。

10:16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。

10:17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。

10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」



不思議がいっぱい、余命一年

2013-08-16 05:53:41 | Weblog
聖書の一言=創世記42:28「神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろう。

不思議なことがいっぱいの日々です。人生をどういう気持ちでとらえるかで、天と地の違いがあります。起こる出来事は同じでも、前向きに受け止め、神様の方を向き感謝すると、すべては平安でプラスとなります。

反対に悲観的になり、なんでこんなことが,起こるのかと、悪魔や悪霊、環境、人のせいにし、不平、不満、文句、泣き言、つぶやくだけなら、不安に支配され、マイナスだらけになります。

家内は、2011年8月、余命一年を宣言され、私も昨年、脳内出血で生死の境をさ迷い、来週で退院一年。

でも二人とも、ありがとうございます、神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろうと、今日もまた天国の一日です!感謝しますと、生かされています。アーメン。

我が家は、マハナイム(天使の二つの陣営)です。

主の使いは、主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助けだされる(詩篇34:7)の、約束は真実です。

イエス様の愛と恵み、聖霊の臨在、神の守りだけでなく、天使は仕える霊、そして祈りの友のとりなしの中で、すべての恵みに取り囲まれています。

生きても天国、死んでも天国。まだ地上での使命も終わっていない。すべては順調、逆境もまた恵みです。

すべては神の愛の御手の中にあり、神の栄光のために!ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

ローマ人への手紙

8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

8:36 「わたしたちは、あなたのために、一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

8:37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、

8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです