聖書の一言=創世記43:9 私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。
12人兄弟4男ユダのことばです。責任を自ら背負うと言う、いのちがけの高尚な、ノブレスオブりージュのことばです。
全人類の救い主イエス・キリストは、このユダの子孫として誕生しました。そして、すべての人類の罪を自らの責任として、十字架に引き受け、いのちを捨てて贖ってくださいました。
2000年の歴史を通して、イエス・キリストを信じる多くのクリスチャンンたちも、ノブレスオブリージュの人生を歩きました。
責任転嫁で逃げないで、イエス・キリストの御足の跡を踏みゆく、受けるよりも与える祝福の、今日もまた天国の人生です。
りバイバル=日本の福音化=について、いろいろな考え方があります。生駒聖書学院が責任をという強い自覚と、福音宣教にいのちを掛けるすばらしい神学生たちがいます。
院長もリバイバルは、福音を伝えることからと、握手をした方の幸せと救いを祈り、アーメンと言えば救われると、イエス様を信じ受け入れてもらいながらの日々です。
特に今年は、不思議にどこでも行く先々で、イエス様を受け入れる方々との多くの出会いがあります。
今日から22日まで、沖縄行きです。その出会いが続くことを期待し、今日もまた天国の一日です!感謝します。
ヨハネの福音書
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。
10:16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。
10:17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」