牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

アフリカの子らとともに

2005-08-09 15:41:22 | Weblog
 穀物市場で会った子どもたち。人なつっこく可愛い。学校へ行きたい!孤児でもなく、ストリート・チルドレンでもない。親は朝から市場で働いている。子どもたちはその周りで遊んでいる。

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。
 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
 また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
 つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。
 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。
 〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕
 あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。
 そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
 このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。マタイ18:1-14

残暑お見舞い

2005-08-09 06:46:15 | Weblog
残暑お見舞い申し上げます。

  【主】は絶えず、あなたを導いて、
  焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、
  あなたの骨を強くする。
  あなたは、潤された園のようになり、
  水のかれない源のようになる。イザヤ58:11

 暑中見舞いから残暑見舞いへと季節が移って行きます。四季折々の恵みを体験できるのはすばらしいことです。地球上には常夏の国や厳寒の続く地域もあります。
 地球がエデンの園のように回復され、天国が実現することを期待しながらの日々です。
 種子島で神の愛を知りました。イエス・キリスト様が十字架の上で死なれたのは、全人類の罪や呪い、病気や貧乏、死と滅びに向かう人間を救うためだったことも聞きました。
 母は死ぬまで愛してくれました。自分の病に勝てずに37歳の死でした。どんなに愛してくれていても死には勝つことができませんでした。最後のことばは、「ごめんね」でした。
 父も愛してくれました。その愛は厳しく幼い子どもには理解できない愛でした。
 好きだといってくれるガールフレンドもいました。けれども父も母も友達も、いのちを捨ててまで愛してくれる人はいませんでした。
 しかし、イエス・キリスト様は、罪の中にいた自分のためにいのちを捨てて十字架上に死んでくださいました。
 その大きな愛と赦しを、「アーメン。信じます」とすなおに受け入れてクリスチャンになりました。
 その日以来48年、救われた人生を歩む恵みが与えられています。天国に向かって輝きながら生きる恵みに感謝しています。
 十字架上に死んだだけではなく、3日目に死を打ち破り復活されたイエス様は、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを見捨てない」と約束しています。
 「この奥義はあなたの心の中におられるキリスト、栄光の望みである」と、コロサイ人への手紙1章27節)

 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。
  「主は私の助け手です。私は恐れません。
  人間が、私に対して何ができましょう。」ヘブル13:5-6