牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

苦しみを喜びとしつつ

2005-08-23 06:43:34 | Weblog
 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
 苦しみや悩みを経験しながら人生は進みます。苦難を乗り越え、立ちはだかった壁を乗り越えようとする、そのことによって私たちは育ちます。
 苦難も何もない楽チンな人生などと言うものは、決していいものではありません。
 「日照り続きは砂漠になる」ということわざが、アラビアにあるそうです。今年の夏雨が少なく日照りが続きました。香川県はダムの水量が減り、電力用の水を放出しながら雨の降るのを待っているとニュースが報じていました。
 信じる心が与えられ、心の深みに平安が与えられ、恵みと愛を感じながら、ことばに表せない喜びと感謝があふれる人生を体験することができます。
 イエス・キリストを信じる人生は、苦しみや悩みが一切なくなるのではなく、どんなときにも平安と喜び、感謝と希望にあふれる人生を力強く生きることです。
 
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5:3-5

 私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。
 忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。
 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。(リビングバイブル)

 さまざまな問題に直面したときも喜ぶことができるのは、苦難の中でこそ忍耐を学ぶことができるからです。
 現実に苦難の只中に投げ込まれ傷つき、もだえ、嘆き苦しみ、悲鳴を上げながらも忍び耐える。人にバカにされ笑われあざけられながらも忍耐の限りを尽くしていくうちに、やがて強く、たくましく、大きくなった自分を感じるようになります。
 そのような人生を生きた方々の話を聞くとき、涙しながらもその真実に心打たれ勇気が与えられます。
 忍耐する力を蓄えることによって、どんなことが起ころうとも、あらゆる事態に対処することができるようになります。練達が生まれ、もはや失望の中に座り込むことがなくなります。必ず道が開かれることを信じ、太陽はいつも雲の上に!と、雨の日も曇りの日もハレルヤと心晴れ晴れ生きてゆきます。

ローマ人への手紙より
8:28 そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることを知っているのです。
8:29 というのは、神様はあらかじめ、だれが自分のもとに来るかご存じで、そのような人々がご自分の息子と同じになるようにと、最初から定めておられたからです。 それは、ひとり息子を大ぜいのクリスチャンの中で長子とするためでした。
8:30 神様は私たちを選び、招いてくださいました。 そして、私たちがおそばに行くと、私たちに「無罪」を宣言し、キリスト様の良い性質を下さり、神様との正しい関係を結ばせ、さらに、栄光を与えると約束してくださいました。
8:31 こんなにすばらしい恵みに対して、いったい何と言ったらよいでしょう。 神様が味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。
8:32 神様は私たちのために、たった一人の息子をさえ惜しまずに、死に渡してしまわれたほどのお方ですから、ほかのすべてのものをも下さらないわけがあるでしょうか。
8:33 神様がご自分のものとして選ばれた私たちを、あえて訴えるのはだれですか。 神様ですか。 とんでもない。 神様は、私たちを赦し、ご自分と正しく関係づけてくださった方ではありませんか。
8:34 では、私たちに有罪を宣告するのはだれですか。 キリスト様ですか。 とんでもない。 キリスト様は、私たちのために死に、そして復活し、今は天で、神の右の最も名誉ある座で、私たちのために祈っていてくださるお方ではありませんか。
8:35 では、いったいだれが、私たちをキリスト様の愛から引き離せるでしょうか。 私たちは困難や災難に会い、また迫害され、殺されるかもしれません。 しかしそれは、神様が、もう私たちを愛しておられないからでしょうか。 また、もし私たちが飢え、文なしになり、危険にさらされ、死に脅かされるなら、神様に見捨てられたことになるのでしょうか。
8:36 違います。 旧約聖書にこう書いてあるからです。
「神様のためには、いつでも
死ねる心がまえでいなければならない。
私たちは殺されるのを待つ羊のようだ。」
8:37 しかし、こうした中にあっても、私たちは、いのちを投げ出してまで愛してくださったキリスト様によって、圧倒的な勝利を得るのです。
8:38 神様の愛から私たちを引き離せるものは何一つない、と確信しています。 死にもいのちにも、そんなことはできません。 御使いにもできません。 地獄の全勢力を結集しても、神様の愛から遠ざけることはできません。 今日の恐れも、明日の不安も同様です。
8:39 あるいは、私たちがどこにいようと――空高くのぼっても、海の底深くもぐっても――私たちの主キリスト・イエスの死によってはっきり示された神様の愛から、私たちを引き離せるものは、何一つありません。