牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

もっと、なにかが・・・

2005-08-04 08:11:18 | Weblog
水曜日は富雄キリスト教会で水曜礼拝をしている。昨日は、小学2年生の孫と東京から来たいとこの3年生も参加した。大人が少なかったので、もっとなにかが・・・」という絵本を読むことにした。
絵と文:トリーナ・パウルス 訳:片山厚・宮沢邦子。1983年、篠崎書林刊(絶版・重版未定)

 これは
    生きていることと
 新しい世界と
    さらに多くの希望について
 おとなにも だれにでも(字が分かる毛虫たちにも)
    読んでもらう物語です

 表紙のとびらにあることばです。

 一匹の毛虫、しまくんは今の生き方に満足できない。なにかがあるに違いないと求め始める。自分と同じような毛虫たちが急いでいる。どこへ行くのか誰も教えてくれない。遅れないように着いていくと、天にも届くような大きな柱が立っている。その柱に虫たちがよじ上る柱に、しまくんも上りはじめる。
 上に何があるの?と聞いても、教えてくれないし、誰も知らない。なにかがあるに違いない。押し合いへし合い上るうちに、しまくんはキーちゃんと言う毛虫に出会う。
 上るのをやめて二人は仲良く暮らし始める。とっても優しく愛らしいキーちゃんといるとほっとする。
 けれども、しまくんはその生活にも満足できなくなり、やはりあの柱の上に上りたいと切望し、キーちゃんの制止を振り切って上り始める・・・。押し合い、へし合い、踏みつけられ踏みつけ、上へ上へと何かを求めて・・・。
 その頃、残されたキーちゃんはまゆを作り古い自分に死んで、新しいいのち、蝶に生まれ変わる!
 頂上を目ざすしまくん、誰に聞いても上に何があるか教えてくれない。そんなことを考える暇があったら、上を目ざして上れ、上れ。やがてすべての障害を乗り越え柱のてっぺんに登りきった???。ところが何もない・・・。頂上も毛虫だらけ・・・しかも同じような毛虫の柱が、見渡し限り無数うに立っている。
 そこへ蝶に変身したキーちゃんが飛んできて、やさしくしまくんにささやきかける・・・そして、しまくんも蝶に変身し、キーちゃんと幸せの飛行を・・・。

 20数年も前に感動をこめて呼んだ絵本。もう一度朗読しながら感動した。

 しまくんは、「ちょうになうんだ!」と気づいたときから、考えが変わってしまった。押し合いへし合いの毛虫に憎しみと敵意しかなかったのに。

 「どの毛虫の体にも、ちょうが隠れているんだ。そう思うとすっかり嬉しくなって、仲間たちの姿に見とれてしまうのだった」
 「シマ君は、仲間たちが皆様々に、美しいのの驚いた。どうして、今まで気づかなかったんだろう」

 人は新しく生まれ変わることができるという聖書のメッセージを、キリスト教の絵本ではないけれども如実に教えてくれる。子どもたちどう伝わったか分からないが、新しい幸せな人生は、欲望や肉欲を満足させるだけにはないことは、誰でも知っている。働いて食べて寝て遊んですき放題をして幸せだと思っても、本当の満足はない。もっと何かが・・・と心はうめいている。

  イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」ヨハネ4:13-14

 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。
 さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
 なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。
 わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
 耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
 わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。イザヤ55:1-3

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。第二コリント5:17