牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

赤道直下の国・ケニア

2005-08-10 13:07:48 | Weblog
ケニアは赤道直下の国。孤児院から30分ほど車で走ると赤道直下になる。赤道と言ってもなにかしるしがあるわけでもない。小さな看板が山道に立っているだけだ。そこまでレンタカーの運転手を案内してやってきた。
 赤道を越えても越えたという実感はない。しかし、事実は赤道を越えたのだ。
 聖書のことばを信じてアーメンと言えば救われる!信じますと言っても、特別な感動があるかと言うとそうでもない。自ら決意したことがイエス・キリストの十字架の救いを受けたことになる。罪が赦され神の子となり永遠のいのちが与えられたのでだる。信じるということは考えが変わることだ。聖書のことばをしっかり信じてアーメン。その事実は永遠に変わらない。ただ信じて救われる恵みは、赤道を越えることと同じだ。

 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
 
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。ローマ10:8-10
 


天国って本当はどんなところだろう?

2005-08-10 08:04:46 | Weblog
 先月、沖縄へ行きました。日中の暑さに那覇のダイナハ7階書店に涼を求めた。本を眺めながら歩いていたら、「天国に行く前に読むと楽しくなる 不思議なフシギな天国ガイド」(定価1,900円+税)が目に飛び込んできた。
 天国を見てきたとか、地獄に言ったという類の本は、キリスト教書でも余り興味がなく、ほとんど読まない。
 イエス・キリストを信じれば罪が赦され神の子となり永遠のいのちを与えられる。死後は永遠のいのちを持っているから天国に行く。それだけで十分だと信じている。だからああだ、こうだという論議は必要ない。聖書に書かれている天国の約束だけで十分だと確信し、クリスチャン生活を楽しんで知る。
 本を手に取り裏を見ると、主婦の友社とある。
もう一度題名を見る。英語で「A Travel Guide to Heaven」日本語では長い題名。フシギに心がイヤだと騒がない。
 帯に書かれている文章は、
 想像してみてください。亡くしてしまった愛しい人、大切な人がいる天国ってどんなところか。
 想像してみてむださい。これから行く天国が人気のテーマパークや南の楽園よりも楽しいところかもしれないと。
 ニューヨーク・タイムズのベストセラー作家が贈る、究極も「天国ガイド」ブック。天国の存在を信じないあなたも読めばきっと行きたくなる!

 訳者からのコメントは、
 大切な人を失う悲しみは、人生の中で誰もが経験するものです。そんな時、この本を読めばきっと希望の光が見つかるでしょう。
 愛する家族、若くして往った友、かわいがっていたペット・・・いつの日かみんな天国で再開し、ともに幸せに暮らせるのです。
 その日がくるまで強く生きる勇気を与えてくれる、夢いっぱいの天国ガイドをお楽しみください!

 ぜひ一度お読みください。どんなガイドブックよりもおもしろい!と思った。

 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。(ヨハネ3:15-21)

 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。ヨハネ10:28