牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ゴーヤを育ててみた夏

2005-08-19 06:15:58 | Weblog
今年はゴーヤを育てようと思い立ち種を蒔いてみた。なかなか芽が出ずやっと1本だけ目を出した。
 苗木を買って植えて見た。毎朝夕、水を注いだり水生の肥料をやったり、そのうちに黄色い花が咲き出した。なかなか実が見えない。やっと1本実がついた。ぐんぐん大きくなりとても美味しかった。
 子どもの頃は種子島の田舎にいたので、時期がくると毎日のように苦瓜(ゴーヤ)だった。その名のように苦かった。嫌いだった。ほとんど食べなかった。
 沖縄でゴーヤチャンプルをご馳走してもらい、美味しかった。ゴーヤが苦瓜と知り子どもの頃は、毎日食べてさせられていたのに、こんなに美味しいとは思わなかった。
 朝、農作業していたご夫婦に挨拶すると、たくさんのゴーヤをいただいた。
 家内もゴーヤチャンプルを作るのが、だんだん上手になってきた。教会員の主婦も今年はじめて、ゴーヤを植えたら実がなること、でも彼女の家族は誰もゴーヤを食べない。
 集会のたびごとに見事なゴーヤを持ってきてくださる。今年もゴーヤづいている夏だ。でもゴーヤチャンプルは沖縄で食べるのが一番だ。

マタイの福音書
13:1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
13:2 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
13:3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。
 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
13:4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
13:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
13:6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
13:9 耳のある者は聞きなさい。」
  13:10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
13:11 イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
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13:18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
13:19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
13:20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
13:21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」