水曜日は富雄キリスト教会で水曜礼拝をしている。昨日は、小学2年生の孫と東京から来たいとこの3年生も参加した。大人が少なかったので、もっとなにかが・・・」という絵本を読むことにした。
絵と文:トリーナ・パウルス 訳:片山厚・宮沢邦子。1983年、篠崎書林刊(絶版・重版未定)
これは
生きていることと
新しい世界と
さらに多くの希望について
おとなにも だれにでも(字が分かる毛虫たちにも)
読んでもらう物語です
表紙のとびらにあることばです。
一匹の毛虫、しまくんは今の生き方に満足できない。なにかがあるに違いないと求め始める。自分と同じような毛虫たちが急いでいる。どこへ行くのか誰も教えてくれない。遅れないように着いていくと、天にも届くような大きな柱が立っている。その柱に虫たちがよじ上る柱に、しまくんも上りはじめる。
上に何があるの?と聞いても、教えてくれないし、誰も知らない。なにかがあるに違いない。押し合いへし合い上るうちに、しまくんはキーちゃんと言う毛虫に出会う。
上るのをやめて二人は仲良く暮らし始める。とっても優しく愛らしいキーちゃんといるとほっとする。
けれども、しまくんはその生活にも満足できなくなり、やはりあの柱の上に上りたいと切望し、キーちゃんの制止を振り切って上り始める・・・。押し合い、へし合い、踏みつけられ踏みつけ、上へ上へと何かを求めて・・・。
その頃、残されたキーちゃんはまゆを作り古い自分に死んで、新しいいのち、蝶に生まれ変わる!
頂上を目ざすしまくん、誰に聞いても上に何があるか教えてくれない。そんなことを考える暇があったら、上を目ざして上れ、上れ。やがてすべての障害を乗り越え柱のてっぺんに登りきった???。ところが何もない・・・。頂上も毛虫だらけ・・・しかも同じような毛虫の柱が、見渡し限り無数うに立っている。
そこへ蝶に変身したキーちゃんが飛んできて、やさしくしまくんにささやきかける・・・そして、しまくんも蝶に変身し、キーちゃんと幸せの飛行を・・・。
20数年も前に感動をこめて呼んだ絵本。もう一度朗読しながら感動した。
しまくんは、「ちょうになうんだ!」と気づいたときから、考えが変わってしまった。押し合いへし合いの毛虫に憎しみと敵意しかなかったのに。
「どの毛虫の体にも、ちょうが隠れているんだ。そう思うとすっかり嬉しくなって、仲間たちの姿に見とれてしまうのだった」
「シマ君は、仲間たちが皆様々に、美しいのの驚いた。どうして、今まで気づかなかったんだろう」
人は新しく生まれ変わることができるという聖書のメッセージを、キリスト教の絵本ではないけれども如実に教えてくれる。子どもたちどう伝わったか分からないが、新しい幸せな人生は、欲望や肉欲を満足させるだけにはないことは、誰でも知っている。働いて食べて寝て遊んですき放題をして幸せだと思っても、本当の満足はない。もっと何かが・・・と心はうめいている。
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」ヨハネ4:13-14
ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。イザヤ55:1-3
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。第二コリント5:17
絵と文:トリーナ・パウルス 訳:片山厚・宮沢邦子。1983年、篠崎書林刊(絶版・重版未定)
これは
生きていることと
新しい世界と
さらに多くの希望について
おとなにも だれにでも(字が分かる毛虫たちにも)
読んでもらう物語です
表紙のとびらにあることばです。
一匹の毛虫、しまくんは今の生き方に満足できない。なにかがあるに違いないと求め始める。自分と同じような毛虫たちが急いでいる。どこへ行くのか誰も教えてくれない。遅れないように着いていくと、天にも届くような大きな柱が立っている。その柱に虫たちがよじ上る柱に、しまくんも上りはじめる。
上に何があるの?と聞いても、教えてくれないし、誰も知らない。なにかがあるに違いない。押し合いへし合い上るうちに、しまくんはキーちゃんと言う毛虫に出会う。
上るのをやめて二人は仲良く暮らし始める。とっても優しく愛らしいキーちゃんといるとほっとする。
けれども、しまくんはその生活にも満足できなくなり、やはりあの柱の上に上りたいと切望し、キーちゃんの制止を振り切って上り始める・・・。押し合い、へし合い、踏みつけられ踏みつけ、上へ上へと何かを求めて・・・。
その頃、残されたキーちゃんはまゆを作り古い自分に死んで、新しいいのち、蝶に生まれ変わる!
頂上を目ざすしまくん、誰に聞いても上に何があるか教えてくれない。そんなことを考える暇があったら、上を目ざして上れ、上れ。やがてすべての障害を乗り越え柱のてっぺんに登りきった???。ところが何もない・・・。頂上も毛虫だらけ・・・しかも同じような毛虫の柱が、見渡し限り無数うに立っている。
そこへ蝶に変身したキーちゃんが飛んできて、やさしくしまくんにささやきかける・・・そして、しまくんも蝶に変身し、キーちゃんと幸せの飛行を・・・。
20数年も前に感動をこめて呼んだ絵本。もう一度朗読しながら感動した。
しまくんは、「ちょうになうんだ!」と気づいたときから、考えが変わってしまった。押し合いへし合いの毛虫に憎しみと敵意しかなかったのに。
「どの毛虫の体にも、ちょうが隠れているんだ。そう思うとすっかり嬉しくなって、仲間たちの姿に見とれてしまうのだった」
「シマ君は、仲間たちが皆様々に、美しいのの驚いた。どうして、今まで気づかなかったんだろう」
人は新しく生まれ変わることができるという聖書のメッセージを、キリスト教の絵本ではないけれども如実に教えてくれる。子どもたちどう伝わったか分からないが、新しい幸せな人生は、欲望や肉欲を満足させるだけにはないことは、誰でも知っている。働いて食べて寝て遊んですき放題をして幸せだと思っても、本当の満足はない。もっと何かが・・・と心はうめいている。
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」ヨハネ4:13-14
ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。イザヤ55:1-3
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。第二コリント5:17
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます