指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

鳥越信、死去

2013年02月15日 | その他

児童文学者の鳥越信が亡くなられた、83歳。

彼には、大学1年の時、同じ児童文学者の神宮輝夫先生との交代で、毎週児童文学を教えてもらったことがある。

神宮さんは、英文学の翻訳でも知られている方で、きわめて正統的な授業だった。

それに対して、鳥越信は、明らかに日本共産党員で、だが語り口はべらんめえ調の結構面白いもので、共産党にしては珍しいと思ったものである。

そして、彼が一番すごいと思ったのは、

「私は、実は漫画週刊誌を全部蒐集していて、これはいずれすごいコレクションになる」と言ったことだ。

「所謂良書の類は、どこでも誰でも収集し、持っている。だが、週刊の漫画雑誌のようなものは、皆くだらないと思っているので、数十年経ったらどこにもなくなる」だろう。

「だから、私は毎週収集しているのだ」と言っていた。

これは大変立派ですごいことである。

彼は、大阪の大学を辞めたあと、全部のコレクションを大阪府の国際児童文学館に寄付した。

そして、その児童文学館が、かの文化音痴の橋下徹府知事で廃止されたとき、自分が寄付したコレクションの返還請求を申しでた。

当然のことであり、一時は訴訟することも決意されていたようだ。

だが結局、大阪府図書館に移管されたのは、喜ばしいことだが、橋下の芸術文化音痴は、本当にひどい。

そんな男が、現在は市長であることを大阪市民は恥じていないのだろうか。


二人の教え

2013年02月15日 | 映画

元大映のスターだった本郷功次郎が亡くなった。

74歳とは今では非常に若いが、それも寿命というべきだろう。

彼は、それほどの名作に出ているわけではないが、不思議なことに大映の二大スター、市川雷蔵と勝新太郎の二人に大変可愛がられたそうだ。

この二人は、本人同士は仲が悪かったわけではないが、大スターには自然と周囲に取り巻きができるもので、それが対抗意識を盛り上げるのである。

 

あるとき、大阪新歌舞伎座で萬屋錦之助の公演が行われたが、錦之助が急病休演になり、開演数日前に代役を本郷功次郎がすることになった。

舞台は初めてだったので、本郷は、演劇公演の先輩の二人に聞きに行った。

 

すると雷蔵は、「脚本の台詞を全部憶えろ、台詞を憶えておけば演技は自然にできる」と言ったそうだ。

次に勝新太郎に聞くと

「台本の台詞なんか憶える必要はない。役の心をつかめば台詞は自然に出てくる」と教えてくれたそうだ。

 

二人の演技への考えの違いがよく表れていて面白いが、実は二人共同じことを言っているのである。

そして、これは演技は、型か心か、という問題でもある。

日本映画の一つの時代を飾った好漢のご冥福をお祈りする。

 


『しとやかな獣』のモデルとの関係は

2013年02月13日 | 映画

昔買って一度読み、それ以来ほっておいた脚本家山崎厳の自伝的な本『夢のぬかるみ』を読んだ。

山崎は、小林旭の「渡り鳥シリーズ」等を多作したシナリオライターで、日活がポルノに移行した後は、テレビの時代劇やアニメの脚本家だった。

そこには、先日もCSで見た『黒い傷跡のブルース』が、ポール・ニューマン主演の『片目のジャック』で、企画部長と一緒に新宿で見てシナリオを書いたことが書かれている。

そうした日活アクション映画の裏話も貴重だが、なかでパーティーでであった女とトラブルになり、最後はかなりの金をふんだくられる件がある。

その女のみならず、両親もぐるのすごい一家の話で、これは新藤兼人作、川島雄三監督、若尾文子主演の『しとやかな獣』によく似ている。

当時、売れっ子のシナリオライターのところに出没し、トラブルを起こしては、多額の金を取って行った一味がいて、それが新藤兼人では『しとやかな獣』になり、ここでは山崎厳の本になったのではないだろうか。

川島の作品では、こうした連中が生まれたのは、日本が戦争に負けたためで仕方がないという風に描かれていた。

古川ロッパは、戦後の喜劇人の特徴を「卑怯な行為をして笑いを取る」として軽蔑し、典型として森繁久彌を挙げている。

確かに、戦後の日本は、そうした社会、時代になったのだと思う。

 


『流れる星は生きている』

2013年02月11日 | 映画

戦争の末期、現地で召集される夫の伊沢一郎と別れ満州から引き上げてきた妻三益愛子の3人の幼い子供を抱えた苦労を描く作品。

引き上げの列車の中で、泣く子に向かってうるさいと叱る植村謙二郎を「キチガイだからしかたない」と三益が言うと。

植村は、「召集を逃れるためにニセキチガイを装っていたのさ」とうそぶく。

大陸の大河を歩いて横切り、泥濘に足を取られながら、三益は子供たちを叱咤激励して無事本土につく。

だが、そこからが本当の苦労の始まりで、引揚者寮に入居したが、三益は製本所で働き、長男は靴磨きで小銭を稼ぐ。

同様に引き上げてきた若い女性は三条美紀で、この三益愛子・三条美紀コンビは、大映の「母物の」のコンビであり、これも母ものとして充分に泣ける。

監督は小石栄一で、表現は古臭いが、大映、東映で小石天皇と言われたほどの監督で、泣きのツボを心得た演出でもある。

撮影は、後に日活で大活躍する姫田真佐久、音楽は斎藤一郎。

戦後の荒廃した町で、植村謙二郎は巧妙に生きて、キャバレーを持ち、そこで歌う三條美紀やホステスとして働く羽鳥敏子らにまで手を出そうとしている。

最後、火事でキャバレーは燃えてしまう因果応報になり、品川駅に伊沢一郎が戻ってくるところで、エンドマーク。

作家藤原ていの満州からの引き上げの悲劇実話であり、その夫は言うまでもなく作家の新田次郎、次男は藤原正彦先生である。

横浜市図書館AVコーナー

 


ヒューマックスシネマについて

2013年02月11日 | 映画

銀座三原橋のシネパトスは、ヒューマックスシネマの運営であり、ヒューマックスの前身は、恵通企業・ジョイパックで、その前は地球座チェーンだった。

地球座は、台湾人の林氏が始めた映画館チェーンで、新宿の他、渋谷、銀座、恵比寿等にあり、早稲田にもあったが、私が入学する頃は廃屋になっていた。

数年前までは、ストリップ劇場になったいたらしいが。

この林氏は、薬の販売で大成功し、その金で戦後、新宿のムーランルージュも買収した他、地球座チェーンを作り、噂では個々の映画館は、愛人の女性にやらせていたとのことだった。

そして、1970年代に映画が不振となり、地球座もジョイパックグループとして映画館経営の他、洋ピンをはじめ一般の洋画の輸入も始めたが、これはあまり成功しなかったようだ。

そして、映画館を飲食店等が同居する複合ビルに変えて行った。

だが、先代の林社長は、創業者として「映画館経営だけは絶対にやめるな」と言い残したそうである。

それを守って、ヒューマックスシネマとして多くの映画館が今だに経営されているのは、大変嬉しいことである。

映画館はそれ自体は、今どきそう儲かるものではないようだ。しかし、繁華街の中心に映像産業があるというのは、町の賑わいとして相応しいものだと思う。

三原橋のシネパトスは、地下街を全部埋め立てることになっための閉館とのことだが、あの急階段といえ、時代的に見れば仕方ないことであろう。


満足した2本

2013年02月11日 | 映画

午後、東京に出て、まずシネパトスで中村登監督の『河口』を見る。

井上靖原作で、財界の大物だった滝沢修の葬式に訪れた岡田茉莉子の喪服姿から始まる。

家が貧しかった岡田は、滝沢の世話を受けていたが、3年後に別れ、滝沢の世話で銀座に画廊を出す。

岡田は、絵のことは不案内だったが、専門家の山村聡の仕切りで画廊は上手く経営され、岡田の興味はもっぱら男に向かう。

まずは、大阪の無教養でケチな製薬社長の東野英治郎で、これがストーカーまがいなのだが、東野が上手いので、最高。

次は青年社長の杉浦直樹で、彼とは肉欲の喜びにひたる。

この杉浦との恋の駆け引きが面白く、それに一喜一憂する山村の演技が上手い。

山村聡というと、総理大臣等が多く、でんと座っているだけの芝居が多いが、ここでは驕慢で気まぐれな岡田に振り回される下僕を嬉々として演じている。

元々文化座の出なのだから、芝居がうまいのは当然だが。

最後、岡田はインテリの建築家田村高廣にプラトニックな思いを抱く。

しかし、長年病床に伏していた田村の妻は病が癒えて、二人で無事渡米することになる。

失恋のなかで、岡田は本格的に絵を勉強しようという気になる。

監督の中村登は東大の出だが、西河克己によれば、インテリで教養をひけらかす松竹大船のスタッフの中では、そうした志向のない人だったそうだ。

そのため、彼は幾分軽蔑されていたが、その分長持ちしたとのことで、最後は桜田淳子の映画も作っていて、驚いたものだ。

 

併映の『その場所に女がありて』は、何回か見ているのでシネパトスを出て、フィルムセンターまで歩く。

映画『逆光線』は、女性太陽族小説と言われた岩橋邦枝の原作を北原三枝主演で、『太陽の季節』と同じ古川卓己が監督したもの。

女子大生の北原は、寮生活で、子供会のメンバーでもあり、そこのリーダーの安井昌二と恋仲でもある。

子供会とはセツルメントで、貧困地区の子供に勉強を教えたり、遊んだりしているが、早稲田にも「中野セツル」などがあり、民青の拠点だった。

この映画は、原作を反映して、歌声、フォークダンス等が頻繁に出てくるのが不快だが、当時の流行りであり、時代の変遷を感じざるを得ない。

寮には、様々な女子大生がいて、話の中心は渡辺美佐子で、彼女には美青年の恋人青山恭二がいたが、彼が北原に手を出すと、怒り狂う。

多分、渡辺はブスな女性で、北原に青山を取られそうに思った故なのだろうが、青山恭二が大して魅力的に見えないので、これは変だった。

北原は、さらに家庭教師の家の父親の日本柳寛の知的で裕福な生活への憧れから、すぐに出来てしまう。

ここでも北原は、妻の高野由美とも三角関係になってしまうのである。

北原三枝は、太陽族というよりも奔放で、今の言葉で言えば「体育会的」な女性である。

もちろん、その階層は違うが、増村保造が『でんきくらげ』や『しびれくらげ』等で描いた渥美マリのような女性であり、これは古川卓己がいた大映的である。

つまり、自分の肉体で何にでも挑戦していこうとする。

この作品で安井昌二の最高のセリフがあった。

「人間的向上を目指す子供会に娼婦がいるわけにはいかない!」

場内大爆笑だった。

最後、上高地で安井章二や日本柳寛とも別れた北原三枝は、水着になって大正池に向かう。

夏とはいえあの冷たい湖で泳げるのだろうか、心配になった。

途中でもプールで泳ぐ北原のシーンがあったが、遠景は吹き替えであり、彼女は水泳はそれほど上手ではないようだ。

 


『海の純情』

2013年02月10日 | 映画

これもシスター・ピクチャーで、鈴木清順の監督二本目。

以前、今はない大井武蔵野で彼の1作目『勝利をわが手に 港の乾杯』という青木光一の歌謡映画を見たが、これも春日八郎主演の歌謡映画である。

主人公の小林重四郎と春日八郎が、鯨を取る捕鯨船の銛打ちなのだから、現在では絶対に作られない映画である。

撮影は、三浦の三崎港で行われたようだが、捕鯨船の母港は、東日本では横須賀港にあり、横浜にも作る動きがあった。

 

昭和30年代に、大洋漁業は横須賀に捕鯨船の埠頭を持っていた。

だが、それが自衛隊に使用されることになり、その代替えの施設を、横浜港内に作ることになった。

それが、大黒ふ頭の対岸の大黒町の岸壁で、当時では大変珍しい水深11mという岸壁だった。

なぜなら、捕鯨船はそのくらいの大深水が必要だったからだ。

だが、その埠頭は捕鯨が禁止になったことで、捕鯨船の母港としては不要になり、塩水港精糖という大洋漁業の傍系会社が使うことになった。

鯨は、昭和30年代まで、日本にとって一番重要なタンパク源であり、大島渚も、「学食で、鯨一頭分位は鯨ステーキを食べた」と言っているくらいだ。

 

話は、銛打ちの小林重四郎が老齢化し引退しようとしているのと、彼の子分の春日八郎をめぐる女たちの鞘当である。

女は、高田敏江、小田切みき、高友子などだが、柔道芸者明美京子などのとぼけたユーモアがある。

乾いた笑いの喜劇であり、感じとしては川島雄三の喜劇に似ている。

最後、春日は小林の娘の高田敏江と結ばれてハッピーエンド。

この映画も会社には不評だったそうだが、最後の『殺しの烙印』まで、鈴木清順は日活首脳部には受けの良くない監督だったのだろう。

ナレーションは、清順の弟の鈴木健二。

フィルムセンター


『夜霧の第二国道』

2013年02月10日 | 映画

1956年、舛田利雄の監督第二作、主演は小林旭で、歌っていたフランク・永井も出ている。

シスターピクチャーという添物作品で、50分以下だが、内容はきわめて濃い。

ハワイから、羽田空港、そして横浜に、小林旭とフランク・永井がやって来る。

ハワイのギャングのボスから、女とダイヤを奪って若い男が横浜に逃亡し、それを取り戻しに旭は、ボスから派遣されてきたのである。

横浜のギャングの連中は、三島耕、以下深江章喜、柳瀬四郎など後の日活アクションで見る役者たち。

女は、かつて旭と関係し、ハワイの米国人ボスから逃げようとした香月美奈子。

香月美奈子は、かなりバタ臭い女優で、当時では珍しい悪女、バンプ型である。

また、小林旭としても、ヤクザ的な役柄は、これが最初で、これまでは純情青年的な役が多かった。

というよりも、アクションスターという役柄自体が存在しなかったのだが。

作品全体に照明を暗くしていて、フィルムノアールの雰囲気をよく出している。

逃亡してきた男は、二世の岡田真澄で、旭とのアクションの最中に香月に撃ち殺されてしまう。

最後、旭は三島耕ら連中との戦いが、ビール工場で行われ、工場のコンベアー等も使い上手く演出している。

旭は、無事ダイヤも取り戻し、悪党との戦いも勝ち、ハワイに向かうが、途中で第二国道を引き返し横浜に戻ってくる。

岡田真澄の妹で、純情な娘の堀川京子に戻って来るのは、後の小林旭・浅丘ルリ子の『渡り鳥シリーズ』のパターンにつながると思われる。

また、日本人がハワイとは言え、アメリカの組織から自立し、互いに国内勢力で戦うというのは、日本のある種の自立を示唆していて大変興味深い。

フィルムセンター

 


『桐島、部活やめるってよ』

2013年02月08日 | 映画

たまには新作も見る。

新宿武蔵野館は満員だった。

映画と小説がどう違い、同じなのかはわからないが、地方の高校の高校生の生活が描かれ、金曜日から翌週の火曜日までの話。

ただ、内田けんじ監督の『運命じゃない人』のように、ほぼ同じシーンが違う生徒の目で何度も再現される。

ただ、これは内田作品のように、そのことでまったく別の結果が見えてくるというのではない。

バレー部、吹奏楽部、映画部、バトミントン部など、それぞれの部員から経緯が違って見えるという具合に構成されている。

言って見れば、ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』的構成であり、高知のある高校の数日間の全体像を作り出すこころみだと思う。

 

なかで異彩を放つのが、神木隆之助らの映画部で、顧問の教師からは「お前の半径1m以内の現実を描け」の「教室劇」を言われるが、猛反発する。

彼らは、変態雑誌『映画秘宝』の愛読者で、スプラッターを愛好し、教師の指示に反して、ゾンビが学校にやってきて生徒が襲われる劇を撮影してしまう。

私は、ホラー、特にスプラッターは苦手だが、映画『キャリー』のラストシーンのユーモアとセンスは大好きな人間の一人である。

 

役者の演技は、きわめて自然に意図され、言って見れば平田オリザ、岡田利規的だが、上記の教室劇への反逆が総てを救っている。

この映画は、相当に映画好きに当て込まれた作品だが、私は単純に面白く見た。

劇中の吹奏楽も高知の高校のバンド演奏らしいが、最近の高校のバンドは実にレベルが高いと感心する。

新宿武蔵野館


『血風ロック』

2013年02月08日 | 映画

内田栄一がシナリオを書き、流山児祥が1985年に監督した映画、存在は知っていたが、見たことはなく、蒲田の安売りビデオ店で売っていたもの。

大映製作だが、こんなものや、黒澤明の『まあだだよ』などを作っていれば、潰れるのが当然という見本の作品。

塩野谷正幸が、新宿の銀行に押し入って支店長を脅して店を閉めさせて、と言えば大阪の三菱銀行での梅川事件からヒントを得たことがすぐに分かる話。

高橋伴明にもATGの『TATOO あり』があり、それなりに面白かったが、こちらには少しも面白いところはない。

やたらに塩野谷がいきがっているだけで、少しも画面は弾まない。

こんな映画をどう配給したか、こちらが心配になるが、ロマンポルノの末期だったので、その系列で公開したのだろうか、結構セックスシーンがある。

いきなり、銀行員の美加理のダンスシーンになったり、塩野谷の兄貴分で宇崎竜童が出てきたりと構成もデタラメ。

因みに、高橋伴明の作品の主演は、宇崎竜堂だったが、この頃、宇崎は盛んに映画を志向していたようだ。

最後は、塩野谷と手下の有薗有紀以外は、全部撃ち殺されしまう。

ともかくひどい映画だが、不思議なことに余り嫌な気分にならないのは、監督の流山児祥の人徳と言うべきだろうか。

この人、40年近くも芝居をやっているが、いつ見ても劇はひどく、役者たちの演技は下手である。

これは一つの才能というべきだと私は思っているが。


『女奴隷船』

2013年02月08日 | 映画

1960年、新東宝で公開された大蔵貢製作の大作、監督は小野田嘉幹である。

彼は新東宝の倒産後は、テレビの時代劇作品を多作し、数年前には新作『伊能敬忠 子午線の夢』も作った。

1945年夏、日本軍は南方で米軍に敗退を重ねていたが、その一番の原因はレーダーの差だった。

ドイツ軍のレーダーの設計図の青写真を入手した南方軍は、それを中尉の菅原文太に託して日本本土に向かわせる。

この青写真が女性の肖像写真の裏に隠して印刷されているというのが泣かせる。

だが、その輸送機が米軍の戦闘機に襲われ海中に落下する。

運に良く菅原は、貨物船に救助されたが、それは日本の女性を中国に売り飛ばす奴隷船だった。

左京路子らの元娼婦が大半だったが、中には従軍看護婦と騙されてきた三ツ矢歌子もいた。

要は、従軍慰安婦で、これは、岡本喜八の『血と砂』にも出てきたし、東映にはそのものずばり『従軍慰安婦』という鷹森立一作品もある。

従軍慰安婦については、存在したことは事実で、また朝鮮人女性がいたことも本当だろう。

だが、それが強制連行だった否かは、大変難しい問題である。なぜなら、彼らには金額の問題はあろうが、報酬は支払われていたからである。

現在、教員の「駆け込み退職」が問題になっている(実際は警察官の方が多いそうだが)。

これも退職金の上乗せによるもので、実質的には「強制退職」みたいなものだが、あくまで本人の自由な選択であり、強制退職とは言わない。

となると朝鮮人遇軍慰安婦も強制ではなく、自主的な職業選択だと言われれば、それまでである。

だが、もちろん当時の経済的状況を考慮すべきであり、安倍内閣が意図していいる「河野談話」の変更は、新たな国際問題をおこすだけの愚策である。

 

この貨物船の女性群には三原葉子が君臨していて、自ら女王、クイーンと称している。

そこに突如海賊船が現れて襲われて破れ、海賊の首領丹波哲郎の支配の下に入る。

こう書くと分かるように、これも一種の「グランドホテル形式」であり、丹波海賊が襲ってくるなどは、完全に映画『駅馬車』のインディアンの襲来である。

そして、ある島に貨物船はつき、そこでは女のせり売が行われるが、入札するのは怪外国人。

その島が、尖閣諸島であるかどうかは不明だが。

取引成立後の祝宴では、三原葉子のベリーダンスのような踊りも披露されるが、日活の白木マリの新東宝版である。

最後、丹波の手下で、実は脱走兵だった杉江弘太郎の善玉への裏返りで、菅原や女性たちは助かり、無事に島から高速船で日本に向かう。

左京路子は、銃撃戦で亡くなるが、彼女はその後ピンク映画で大活躍することになる。

因みに、この映画が縁で小野田嘉幹監督と三ツ矢歌子は結ばれたそうだ。

衛星劇場

 


『男』

2013年02月06日 | 映画

1943年、東宝で渡辺邦男が監督した岡譲二主演の作品。

岡は、山の中でトンネル工事の現場事務所の所長をしていて、彼の片腕的な工事人夫の頭が丸山定夫。

岡には小学生の一人娘がいて、東京の両親に預けている。

トンネル工事で、ついには断層で水が出て岡も中に閉じ込められるが、無事救出されるのがクライマックス。

「戦場のように全員が一致して事に当たれ」という銃後の戦いの意義を謳う戦意高揚映画である。

言って見れば、1960年代末に石原裕次郎が三船敏郎の協力を得て作った、関電の黒四ダム建設を描いた『黒部の太陽』の先駆的映画である。

そこに、岡を慕う二人の女性、山根寿子と里見藍子が関わって来るが、年齢的に山根が岡に結ばれるようになり、里見は、また新たに出発して行くことになる。

里見は、原節子と久我美子を足して二で割ったようなルックスで、この時期の東宝作品にはかなり出ている女優である。

音楽は服部正、特殊技術は、円谷英二。

渡辺邦男は、新東宝で作った『明治天皇と日露大戦争』でアナクロニズムのように言われるが、意外にも西欧的であり、センスは泥臭くはない。

衛星劇場


『女優』

2013年02月06日 | 映画

1947年12月に公開された東宝作品、松井須磨子をモデルにした映画で、脚本は久板英二郎と衣笠貞之助、監督は衣笠で、主演は山田五十鈴。

山田の相手役で、島村抱月にあたる先生は、土方与志。

戦前、新劇のメッカと言われた劇場の「築地小劇場」の建設資金は、土方家の財産から出たと言われており、当時最高の新劇演出家である。

この映画公開の約2ヶ月前、日本映画演劇労働組合の主催で、東宝争議に協力支援する目的で、後楽園球場で『芸術復興祭』が行われた。

これは、戦前の弾圧、戦争、そして敗戦、そこから立ち上がる人民をページェントとして描くもので、司会山本嘉次郎だが、総指揮は、土方与志だった。

その他、須磨子の前夫を思われる男の石黒達也をはじめ、須磨子の兄に河野秋武、劇団員に伊豆肇、松崎勲、土方の妻に赤木蘭子など多彩な俳優。

森繁久彌も端役で出ていて、これが映画初出演だそうだが、赤木の娘が千石規子とは驚く。

 

溝口健二監督、田中絹代主演の『女優須磨子の恋』と比較され、衣笠作品の方が評価が高いが、確かにこちらの方が多彩で、群像劇で面白くできている。

その点、溝口作品は、田中のほぼ一人が異常に頑張る作品になっていて、その分不利である。

また、衣笠作品に土方が主演している示されるように、この映画は、当時の東宝ストに象徴される映画界の民主化運動の一環になっていたと私は思う。

その点で、この「意義ある運動」に参加、協力、支持することに大きな意味を与えられていたと推測する。

それが、キネマ旬報ベスト10での、衣笠作品の5位と、溝口作品の18位の差になったのだと思われる。

この時の選考委員は、飯島正ら21人だった。

横浜市中央図書館AVコーナー


総監督長谷川一夫

2013年02月05日 | 映画

東京新聞夕刊に連載されている、「最後のクレージーキャッツ」犬塚弘の回想が面白い。

先日は、1961年に大映映画の長谷川一夫主演の『銭形平次・夜のえんま帳』に出た時のことが書かれていた。

撮影開始の9時の30分前に撮影所に行くと、すでに長谷川が平次の扮装で歩いていたこと。

彼らも時代劇の扮装を身に付けてスタジオに入り、長谷川が来ると、監督の渡辺邦男が

「先生、よろしくおねがいします」と丁重に挨拶してセッテイングの調整が始まった。

その時、長谷川は一つ一つのライトの位置の調整を自ら指示したそうだ。

そして、長谷川の演技のシーンが終わると、

渡辺邦男が「先生、少しお休み下さい」と言い、

すぐに椅子とタバコが出てきたとのこと。

 

長谷川一夫は、自分が出る作品の脚本、演出家、共演者の選定から、衣装、音楽、演出の細部に至るまで、総てを指示して決めて行った。

それは、NHKBSテレビの『昭和演劇大全集』で、東宝演劇部にいた渡辺保さんも言っておられた。

歌舞伎などの日本の伝統演劇では、演出家はいなくて、それは座長、主演役者の仕事だった。

それだけの力量のある役者でないと、一座を率いて行けなかったわけである。

今の、ただ演技だけをすれば良い、新劇というか、普通のストレート・プレーの俳優とはその本質が違うのである。

 


『女優須磨子の恋』

2013年02月03日 | 映画

1947年、日本における女優第一号の田中絹代の松井須磨子と山村聡の島村抱月との恋を描く映画。

よく知られているように、これは1947年に東宝の衣笠貞之助監督、山田五十鈴主演との競作になった松竹京都作品で、監督は溝口健二である。

この溝口版は、衣笠版に対して劣ったものとされ、キネマ旬報ベスト10でも衣笠作品は5位だが、溝口は14位である。

これを見ようと思ったのは、音楽が大沢真人と知ったからだが、音楽は『カチューシャの唄』の編曲版がところどころに流れるだけである。

溝口演出の田中絹代の熱演では、音楽を入れるところがなかったのだと思う。

 

坪内逍遥が主催する文芸協会では1913年、島村抱月の演出で新作に『人形の家』をすることになるが、主人公のノラ役の女優がいない。

その時、抱月は夫の前沢を力づくで追い返す女の松井須磨子を目撃し、この人しかいないと確信し、舞台は大成功になる。

だが、妻子ある抱月と須磨子が恋に落ちてしまい、家庭も大学の教職も文芸協会も追われる身となる。

そして、彼らは芸術座を作り自分たちのやりたい芝居を上演する。

遠く満州、台湾にまで巡業公演し、京都のオリエントレコードで吹き込んだ1914年の『カチューシャの唄』は2万枚の大ヒットになる。

当時の舞台の再現が見られるのは貴重で、もちろん本物ではないが、感じは結構分かる。

田中絹代のタランチュラ踊りなどは笑ってしまうが。

田中も『復活』の舞台のシーンで『カチューシャの唄』を歌うが、これは本物の松井須磨子のレコードよりもはるかに上手い。

松井須磨子のレコードは、今聞くと到底売り物にならないレベルの歌唱である。

ただ、その素人らしさが、ある意味で大ヒットになった理由だと思う。

なぜなら、明治時代からこの大正時代まで、日本で歌を歌うのは、芸者、寄席芸人、クラシックの声楽家で、普通の素人女性が歌を歌うことはなかった。

ある意味で、松井須磨子の歌のAKB48のような、女優とは言え素人臭さが大ヒットの理由だったのではないかと私は思っている。

言うまでもなく、島村抱月はカゼ、すなわちインフルエンザのスペイン風邪で急死してしまい、須磨子はすぐに彼の跡を追って自殺する。

田中絹代は、異常なほどの頑張りだったという松井須磨子をまさに適役で演じている。

小沢栄太郎が、劇団の仲間で片腕的存在だった中村吉蔵を演じ、その他青山杉作が土肥春曙を演じるなど歴史的有名人が沢山出てくる。

それほどひどい作品ではないと確信した。

横浜市中央図書館AVコーナー