午後、東京に出て、まずシネパトスで中村登監督の『河口』を見る。
井上靖原作で、財界の大物だった滝沢修の葬式に訪れた岡田茉莉子の喪服姿から始まる。
家が貧しかった岡田は、滝沢の世話を受けていたが、3年後に別れ、滝沢の世話で銀座に画廊を出す。
岡田は、絵のことは不案内だったが、専門家の山村聡の仕切りで画廊は上手く経営され、岡田の興味はもっぱら男に向かう。
まずは、大阪の無教養でケチな製薬社長の東野英治郎で、これがストーカーまがいなのだが、東野が上手いので、最高。
次は青年社長の杉浦直樹で、彼とは肉欲の喜びにひたる。
この杉浦との恋の駆け引きが面白く、それに一喜一憂する山村の演技が上手い。
山村聡というと、総理大臣等が多く、でんと座っているだけの芝居が多いが、ここでは驕慢で気まぐれな岡田に振り回される下僕を嬉々として演じている。
元々文化座の出なのだから、芝居がうまいのは当然だが。
最後、岡田はインテリの建築家田村高廣にプラトニックな思いを抱く。
しかし、長年病床に伏していた田村の妻は病が癒えて、二人で無事渡米することになる。
失恋のなかで、岡田は本格的に絵を勉強しようという気になる。
監督の中村登は東大の出だが、西河克己によれば、インテリで教養をひけらかす松竹大船のスタッフの中では、そうした志向のない人だったそうだ。
そのため、彼は幾分軽蔑されていたが、その分長持ちしたとのことで、最後は桜田淳子の映画も作っていて、驚いたものだ。
併映の『その場所に女がありて』は、何回か見ているのでシネパトスを出て、フィルムセンターまで歩く。
映画『逆光線』は、女性太陽族小説と言われた岩橋邦枝の原作を北原三枝主演で、『太陽の季節』と同じ古川卓己が監督したもの。
女子大生の北原は、寮生活で、子供会のメンバーでもあり、そこのリーダーの安井昌二と恋仲でもある。
子供会とはセツルメントで、貧困地区の子供に勉強を教えたり、遊んだりしているが、早稲田にも「中野セツル」などがあり、民青の拠点だった。
この映画は、原作を反映して、歌声、フォークダンス等が頻繁に出てくるのが不快だが、当時の流行りであり、時代の変遷を感じざるを得ない。
寮には、様々な女子大生がいて、話の中心は渡辺美佐子で、彼女には美青年の恋人青山恭二がいたが、彼が北原に手を出すと、怒り狂う。
多分、渡辺はブスな女性で、北原に青山を取られそうに思った故なのだろうが、青山恭二が大して魅力的に見えないので、これは変だった。
北原は、さらに家庭教師の家の父親の日本柳寛の知的で裕福な生活への憧れから、すぐに出来てしまう。
ここでも北原は、妻の高野由美とも三角関係になってしまうのである。
北原三枝は、太陽族というよりも奔放で、今の言葉で言えば「体育会的」な女性である。
もちろん、その階層は違うが、増村保造が『でんきくらげ』や『しびれくらげ』等で描いた渥美マリのような女性であり、これは古川卓己がいた大映的である。
つまり、自分の肉体で何にでも挑戦していこうとする。
この作品で安井昌二の最高のセリフがあった。
「人間的向上を目指す子供会に娼婦がいるわけにはいかない!」
場内大爆笑だった。
最後、上高地で安井章二や日本柳寛とも別れた北原三枝は、水着になって大正池に向かう。
夏とはいえあの冷たい湖で泳げるのだろうか、心配になった。
途中でもプールで泳ぐ北原のシーンがあったが、遠景は吹き替えであり、彼女は水泳はそれほど上手ではないようだ。