指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

なぜ、リメイク作品を見るのか

2009年04月12日 | 映画
『伊豆の踊子』をはじめ、数多くのリメイク作品が日本映画にはある。
『細雪』、『青い山脈』、『若い人』、『潮騒』など。

リメイクはくだらないという意見もあるが、私はリメイク作品を見て比較することは、大変有意義だと思っている。
何故なら、何度も制作されることは、時代を越えた普遍的な優れたところがあるからに違いない。
だが、それと以上に、リメイク作品は、その時代、社会、民衆の心情、そして時代の価値観を必ず反映してしまうからである。
例えば、谷崎潤一郎の小説『細雪』は戦後3回制作されているが、それぞれの時代を反映していて、とても興味深い。
興味のある方は、新東宝作品(監督阿部豊)、大映作品(監督島耕二)、さらに東宝(監督市川崑)の3作品を見比べてみれば、とても大きな違いがあることに気づくだろう。

最初に作られた昭和25年の阿部豊監督作品では、主人公は驚くことに四女妙子の高峰秀子である。
駆け落ち問題を起こしても、自分で選んだ相手と生きていく妙子が、戦後の新しい時代の女性として肯定されている。
シナリオは、八住利雄で、八住は次の大映版の脚本も書いている。

昭和34年の大映作品の特徴は、まず、轟夕起子、京マチ子、山本富士子、叶順子、根上淳、船越英二、菅原謙二らの、豪華な配役である。四女の妙子も若尾文子だったが、病気で叶に代わったそうだ。
また、小説で大きな意味を持っている、キャサリン台風の阪神の大洪水も、特撮できちんと再現している。
その意味では、原作を忠実に映画化しようとしている。
だが、ここでも、時代は同時代の昭和34年にされたため(冒頭、フラフープで遊ぶ女の子が出てくる)、結末が付けられない。
今年、めでたくご成婚50年目を迎えた天皇陛下と、庶民出の正田美智子さんが、ご結婚された、まさに昭和34年である。
だから、山本富士子は「華族の末裔」と一緒になるわけには行かず、結末は曖昧に終わってしまう。なんとも幸福感のない映画なのだ。

それらに対し最後の、昭和58年の市川崑作品では、大胆にも設定を戦前に戻している。
そして、筋書きは原作どおり、三女雪子の吉永小百合の見合い話に終始する。
また、この昭和末に向かう時期は、「財テク」等、日本全体に金満的な、きわめて保守的な価値観が横溢していた時代である。
特に、テレビ、雑誌等では「お嬢様」がもてはやされた時だった。たけしの「元気が出るテレビ」で、犬のお嬢様を特集していたのを憶えている。
そこでは、「上流階級と結ばれて幸福になる」という理念は十分に肯定されうる時代だった。
その意味で、とても時代に合った作品だった。
また、この映画は、谷崎の原作にはない、石坂浩二が演じた次女佐久間良子の旦那貞之介の、四女雪子への「隠された愛」を挿入することで、きわめてエロティシズムの濃い作品となっている点も優れている。

このように、リメイク作品というのは、作者たちの意図とは必ずしも合わなくても、どこかで必ず時代の価値観を反映してしまうものなのである。
そこが、リメイク映画を見る面白さである。

五所平之助版『伊豆の踊子』の現代性

2009年04月12日 | 映画
フィルムセンターで、1933年、昭和8年に五所平之助が監督して、田中絹代が主演した松竹蒲田作品で最初の『伊豆の踊子』を見る。
すでに日本もトーキー時代に入っていたが、伊豆(実際は信州)の地方ロケーションがあり、当時は録音車を持っていくことも難しかったので、サイレントで作られた。
実際は、活弁と伴奏音楽が入ったのだろうが、フィルム・センターではすべて無音で上映されるので、あちこちで鼾の音が聞こえた。

なかなか上手くできている。
そして、田中絹代という女優は、清純派とされていたが、実は随分とおきゃんな女性だな、と思った。
実際に、清水宏監督との結婚生活では、喧嘩して畳の上におしっこをした、というのだから随分激情的な女性だった。

自分でも、吉永小百合と山口百恵と2本『伊豆の踊子』を監督した西河克己は、前に教えていた女子大で、6本の『伊豆の踊子』を見せたところ、この田中絹代版が一番評判が良かったそうだ。
それは、多分この田中絹代版のラストシーンのためだと思う。

相手役の一高生・大日向伝が、最後に下田港の岸壁で、田中絹代に「本当に聞いて欲しいことがある」と言う。
愛の告白と期待する彼女に、大日向が言ったのは、
「旅芸人をやめて旅館の息子の嫁になれ、そうすれば皆幸福になる」と言うのだ。
なんという女心を理解しない馬鹿者!
こうした場面は、実際よくあるわけで、女子大生は、きっとこのシーンを我が事のように思い、感動したのだろう。
五所平之助監督は、大変繊細な人で、女心をよく理解できる人だったようだ。
そこで、あのシーンになったのだろう。

「男と女のすれ違い」は、実はアングラ劇の唐十郎作品でも、その本質であり、ある意味近代劇の根本でもあると言える。
その意味では、この五所版は、結構現代的なものを持っているとも言えるのかもしれない。

映画『伊豆の踊子』は、田中絹代、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵と全部で5本見た。
残すのは、野村芳太郎監督の美空ひばり版のみだが、これはDVDも出ているので、その内見ることにしよう。