『夜の河』を見た。たぶん、3回目くらいだと思うが、非常に面白かった。
吉村公三郎は、私が映画を見始めた1960年代は、巨匠、大監督だった。
だが、1960年代中頃からは、新作を見に行くとだいたい裏切られた、「なにこれ」と。
彼の監督作品は、以下のようである。
- 1931.04.17 愛よ人類と共にあれ 前篇 日本篇 松竹蒲田 ... 監督協力者
- 1934.03.29 ぬき足さし足 松竹蒲田
- 1934.06.28 隣の八重ちゃん 松竹蒲田 ... 助監督
- 1934.12.13 私の兄さん 松竹蒲田 ... 監督補助
- 1935.06.15 春琴抄 お琴と佐助 松竹蒲田 ... 助監督
- 1936.04.03 家族会議 松竹大船 ... 監督部
- 1937.03.03 淑女は何を忘れたか 松竹大船 ... 監督助手
- 1937.04.17 朱と緑 朱の巻 松竹大船 ... 監督部
- 1937.04.17 朱と緑 緑の巻 松竹大船 ... 監督部
- 1938.12.31 軍国の春 松竹大船
- 1939.02.22 女こそ家を守れ 松竹大船
- 1939.05.11 陽気な裏町 松竹大船
- 1939.06.08 明日の踊り子 松竹大船
- 1939.07.20 五人の兄妹 松竹大船
- 1939.12.01 暖流 前篇 啓子の巻 松竹大船
- 1939.12.01 暖流 後篇 ぎんの巻 松竹大船
- 1940.11.29 西住戦車長伝 松竹大船
- 1941.07.15 花 松竹大船
- 1942.04.23 間諜未だ死せず 松竹大船
- 1942.09.17 南の風 瑞枝の巻 松竹大船
- 1942.10.22 続南の風 松竹大船
- 1943.01.14 開戦の前夜 松竹大船
- 1943.04.01 敵機空襲 松竹大船
- 1944.02.24 決戦 松竹大船
- 1947.02.11 象を喰った連中 松竹大船
- 1947.09.27 安城家の舞踏会 松竹大船
- 1948.02.25 誘惑 松竹大船
- 1948.09.26 わが生涯の輝ける日 松竹大船
- 1949.01.05 嫉妬 松竹大船
- 1949.06.04 森の石松 松竹京都
- 1949.10.08 真昼の円舞曲 松竹大船
- 1950.02.26 春雪 松竹大船
- 1950.09.16 戦火の果て 近代映協
- 1951.01.13 偽れる盛装 大映京都
- 1951.05.05 自由学校 大映東京
- 1951.11.02 源氏物語 大映京都
- 1952.04.17 西陣の姉妹 大映京都
- 1952.08.26 暴力 東映京都
- 1953.01.15 千羽鶴 大映東京
- 1953.05.13 慾望 近代映画協会
- 1953.10.13 夜明け前 近代映画協会=民芸
- 1954.05.18 足摺岬 近代映画協会
- 1954.09.21 泥だらけの青春 日活 ... 演出監修
- 1954.11.08 若い人たち 近代映協=全銀連
- 1955.01.22 愛すればこそ 第一話 花売り娘 独立映画
- 1955.04.01 銀座の女 日活
- 1955.10.03 歌舞伎十八番「鳴神」 美女と海龍 東映京都
- 1956.02.05 嫁ぐ日 近代映画協会
- 1956.09.12 夜の河 大映東京
- 1956.11.14 四十八歳の抵抗 大映東京
- 1957.03.06 大阪物語 大映京都
- 1957.07.28 夜の蝶 大映東京
- 1957.11.22 地上 大映東京
- 1958.09.14 一粒の麦 大映東京
- 1958.10.15 夜の素顔 大映東京
- 1959.07.08 電話は夕方に鳴る 大映東京
- 1959.10.18 貴族の階段 大映東京
- 1960.01.14 女経 第三話 恋を忘れていた女 大映東京
- 1960.06.17 女の坂 松竹京都
- 1961.01.14 婚期 大映東京
- 1961.06.28 女の勲章 大映東京
- 1962.01.03 家庭の事情 大映東京
- 1962.09.30 その夜は忘れない 大映東京
- 1963.03.31 嘘 大映東京
- 1963.10.05 越前竹人形 大映京都
- 1966.02.02 こころの山脈 本宮方式映画製作の会=近代映画協会
- 1967.06.28 堕落する女 近代映協
- 1968.01.31 眠れる美女 近代映協
- 1971.08.25 甘い秘密 近代映協
- 1973.06.23 混血児リカ ハマぐれ子守唄 オフィス203=近代映画協会
- 1974.05.01 襤褸の旗 映画「襤褸の旗」製作委員会
非常に多彩であり、また会社も多くのところに及んでいる。それは、松竹を出て、新藤兼人らと近代映画協会を作り、各社で自由な製作をしたからである。
そして、吉村公三郎の作品の特徴として、話題作が多い。彼は、その時期に話題となっている題材を選び、作品化しているようだ。
それを彼は、松竹での師匠の島津保次郎から学んだと言っている、
「いいか、映画で重要なのは風俗を描くことなんだぞ」
風俗と言うことは、その時代と社会を描くことである。
だから、戦前の彼の作品は、『暖流』のようなハイカラなものがあるが、戦中は『西住戦車長伝』のような戦意高揚的なものもある。
だが、彼の作品が輝いたのは、戦後で、『安城家の舞踏会』や『わが生涯の輝ける日』で、敗戦後の時代と社会、人間を描いた。彼が、時代を描くところが上手なのは、ジャ-ナリスト的なセンスがあり、彼の父親が新聞社から民間企業の役員を勤めたこともあるだろう。
吉村の立場は、やや左翼的であるが、それはフェビアンにズムを標榜する松竹の城戸四郎の思想なので、同じなのであった。
だが、彼の作品で一番良かったと思えるのは、1950年代の『夜の河』や『偽れる盛装』、『夜の素顔』などの、「風俗映画」だったと思う。そこでは、彼は多く女性の立場にたって主題を主張していて、この『夜の河』でもそうだ。
京都の染物屋の娘山本富士子の話で、父親は東野英次郎、同じ織物業者の小沢栄太郎や山茶花究などとの鞘当ても面白い。
中心は、大阪大学の遺伝学者上原謙との恋であり、京の大文字焼きの夜、二人は旅館で結ばれるが、ここまで40分以上掛かっている。
昔の映画も人物も、すぐには性交に行かなかったのだ。上原には妻も娘もいて、もちろん不倫だが、妻はカリエスに罹っていて、最後には死んでしまう。そして、上原に求婚されるが、山本は断り、染め物に生きていくところで終わる。このラストが問題で、メーデーのデモが出てきて、日本の将来を示唆しているのが左翼的で不快という説があるが、時代と言うべきだろう。
この作品ができたのが1956年というのが実に象徴的である。政治的に見れば、自民と社会の二大政党時代の始まりであり、この作品は時代の象徴のように見える。
だが、以下のような1960年代後半からバカバカしくなる。女性映画とはいえ、微温的な表現の時代ではなくなっていたのだ。このすぐ先に、吉村の甥だった西村昭五郎は、日活でロマンポルノを多作するようになるのだから。吉村の退場は、自身の病もあったが、時代の流れだったと言えるだろう。
- 1967.06.28 堕落する女 近代映協
- 1968.01.31 眠れる美女 近代映協
- 1971.08.25 甘い秘密 近代映協
最後の1975年の『襤褸の旗』は、彼の元の左翼的、反体制的に戻ったもので、ある意味で祖先返りと言うべきだろうか。