指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

厚生住宅について

2013年12月11日 | 都市

昨日見た『サムライの子』に出てきた小樽市の市営住宅は、おそらく厚生住宅だと思う。

厚生住宅とは、戦後日本全体が急迫していた時代に、特に生活が大変だった海外からの引揚者や未亡人世帯等の戦争の惨禍で住宅を持たない人たちに提供した賃貸住宅である。

多くは、『サムライの子』でも出てきたように、元軍隊の兵舎等を活用したもので、きわめて劣悪な住環境だったが、背に腹は代えられず、多くの困窮世帯が住んだのである。

昔、京浜東北線の蒲田、川崎間の、現在はゴルフ練習場になっている多摩川河川敷には、大型バスを改造した家があったものだから、昭和20年代までの日本の住宅事情は非常に悪かったのである。

そうした戦後の痕跡のようなものが首都圏からなくなったのは、1964年の東京オリンピックの頃で、そうした風景はみっともないとのことで撤去されたのである。

同様に、横浜では、大岡川にはホテル船などがあり、また野毛の通りには屋台店も出ていたが、それも東京オリンピックの直前に整理されて都橋センターになった。

また、黄金町の駅前に末広町ショッピングセンターという、2階から下は店舗、3階以上は住居というビルがある。

ここには、昨年から「たけうま書房」が開店したところでもあるが、ここも元は戦後黄金町駅の周辺に密集していた露店、屋台の店等を整理して収容したのが、その始まりだったと記憶しているが、そうしたことを知る人も今や少ないのだろうか。

また、旧日本軍がいた地域の多くは、戦後はそのまま米軍基地となったので、基地関係の仕事もあり、失業せざるを得なかった人には幸いなこともあった。

横浜にも、多くあり、鶴見、磯子、金沢に厚生住宅はあった。

そして、住民の多くは生活保護世帯だったので、必ず担当のケースワーカーがいたわけである。

だが、それは多くの区で新人ワーカーの担当となっていたそうだ。

「そうした困難ケースを担当できるかで、将来もケースワーカーとしてやっていけるか」を判定したのだそうだ。

一種のいじめのようなものだが、昔はそうした言葉はなかったようである。



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