指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

1970年代を思い出した

2018年04月10日 | 映画

昨夜は、小島豊美さんが主催されている「よろず長屋まったりトーク」に行く。神保町駅は出口が分かりにくいうえに工事中で,地上に出るのが大変だったが、ガードマンに聞くと,

「一応、今月で終わる予定ですがね、私が言うのもなんですが、まず無理でしょうね」とのこと。

今回は、元ニッポン放送の藤原龍一郎さんで、日活ロマンポルノ。藤原さんは1972年早稲田入学とのことで、私がやっと卒業した時に入られたことになる。ただ、一浪して慶応大に1年間いた後、早稲田短歌会に憧れて再受験して入学されたとのことで私とほとんど同学年になる。

入学後は、短歌会とミステリークラブに入り、せっせとロマンポルノを見たそうだ。

日活が1971年の夏の一時の中止の後、ポルノとして再出発したのは同年11月で、以降1988年まで延々と作られたジャンルである。

藤原氏によれば、1972年ごろから1975年ごろまでが最盛期だとされ、私もそう思う。

中では、女優ベスト5が興味深く、中川梨絵、星まり子、山科ゆり、梢ひとみ、中島葵を上げられていて、美人好みだと思う。

作品では、白鳥信一監督の『団地妻・女の匂い』と言うのが文楽の「葛の葉伝説」をもとにした白鳥あかねの脚本がすごかったというのには大変参考になった。

白鳥は、東大出で、非常にまじめな人で長く西河克己監督のチーフ助監督を務めてきた人だった。『赤線最後の日』も、監督は白鳥氏だと聞き、この人は西河克己流の手堅い職人的監督でもあったのだったなとあらためて思った。

藤井克彦監督の『必殺色仕掛け』に出た薊千露につい、この日配布された1994年の『中州通信』で書かれていた。

彼女は私の高校の演劇部の後輩で日大芸術学部に行き、女優になった女性である。以前、フェイスブックでかぜ耕士と私は知り合ったことがあるが、彼女とは離婚したとのことだった。

               

ベスト作品の一つとして『OL日記・濡れた札束』を上げられていたが、滋賀の三井銀行女子行員2億円横領事件を描いたもので、私も大賛成である。