指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

1902年1月には 『ドキュメンタリー八甲田山』

2018年01月25日 | 映画

今週の月曜は横浜でも大雪だったが、1902年1月、明治35年には、八甲田山雪中行軍遭難事件が起きている。

新田次郎の小説を基に、森谷司郎が『八甲田山』として映画化し、大ヒットして有名になった。

これは、その事件を記録映画的に作ったもので、日本とイタリアの合作だった。

           

これが優れているのは、線画で行軍の軌跡を描いていることである。これを見て、「ああそうなのか」と初めて分かった。

八甲田は、標高700メートルのなだらかな山で、今では自転車でも行けるような山なのだそうだ。だが、冬は、日本海等からの強風と豪雪で、到底踏破できるものではなく、また現在は植林によって多くの森林があるが、当時はなく目標物も少なくて、この事件の前にも何度か冬季の遭難事件があったのだそうだ。

森谷作品では、一体北大路欣也の青森の5連隊、高倉健の弘前31連隊がどこをどう歩き、北大路の5連隊が遭難し、また高倉の隊が遭難せずに帰還したかが全く分からなかったことである。

まさにその意味では、「死の彷徨」で、見ていて非常にイライラさせられたものだ。

また、新田次郎の小説や映画では、5連隊と31連隊とが行軍競争したことになっているが、それは事実ではなく、偶然行われたことなのだそうだ。

しかし、この青森5連隊の遭難事件は、帝国陸軍の問題点が、典型的に現れていると思う。

それは、まず装備の貧弱さであり、現地の状況を無視した行軍である。

そして最後は、「為せば成る」の精神主義で、できなければ、そこで死を選ぶという、英雄主義であり、武士道への誤解である。

映画でも有名になった「天は我を見捨てたり!」には、一般隊員は士気喪失して倒れて死んだ者も多かったそうだ。

誠にひどい話である。

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