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城中心のお出かけ記

お城などの歴史系や、奇岩など絶景・奇勝系を求めるお出かけ記です。一番好きな城は姫路城、好きな武将は藤堂高虎です。

天神山城

2019年01月27日 | 
天神山城は国道347号線から岩山が見え、登れる気がせず登城しようかどうか迷いましたが、天石門別神社から登りました。
他に太鼓丸城の奥から登城する方法もあったみたいでしたが、帰りに天瀬侍屋敷によるつもりで登ったほうが良いと思ったのですが、よく考えれば別に行けばよかったと後悔ました。
岩山なので石がごろごろしていましたが、石垣も何箇所かありました。各所に遺構の説明板はあったのですが、井戸とかは場所が分かりませんでした。

・天神山城
・日時:2019年1月4日 午後 晴れ
・場所:岡山県和気郡和気町岩戸

・遺構:堀切、石垣、土塁、曲輪、碑、説明板
・歴史
1531年 浦上宗景が築城
1575年 宇喜多直家に攻められ落城

登城口

見張台

吉井川

命名:魚岩(アンコウ似?)

石垣

石垣

長屋の段

本丸

南櫓台

堀切

大仙山城

2019年01月25日 | 
大仙山城は周匝茶臼山城の西尾根にあります。よく整備されていて大きな遺構の所にはその説明板があったりして、見やすかったし、遺構もはっきりとしてました。
特に主郭下には畝状竪堀もあったり、池や井戸などもあり、山城らしい山城でした。

・大仙山城
・日時:2019年1月4日 午前 晴れ
・場所:岡山県赤磐市草生

・遺構:堀切、畝状竪堀、土塁、曲輪、説明板
・歴史
笹部勘二郎が築城

土橋

堀切

堀切

横堀

横堀

竪堀

畝状竪堀

竪堀

土塁

溜池

周匝茶臼山城

2019年01月24日 | 
周匝茶臼山城は模擬天守がありました。
勝手なイメージで模擬天守風の展望台があるところだと、それだけかちょっとだけ遺構があるようなイメージがあったのですが、この城は遺構が結構残っていました。
主郭下にある竪堀を少し降りてみましたが、勾配がきつくて途中断念しました。その下には畝状竪堀もあったようです。

・周匝茶臼山城
・日時:2019年1月4日 午前 晴れ
・場所:岡山県赤磐市周匝

・遺構:模擬天守、竪堀、堀切、土塁、井戸、曲輪
・歴史
1533年 笹部勘斎が居城
1575年 宇喜多直家により浦上氏が滅亡
1579年 茶臼山城も攻められ落城

周匝茶臼山城

模擬天守

模擬天守

竪堀

竪堀

竪堀

主郭下

堀切

堀切

南方面

北方面

金川城

2019年01月23日 | 
金川城には妙覚寺側から登っていき道林寺丸には石垣があり、そのまま本丸を通り過ぎて城の北限に堀切が2つありました。
そしてここからこの城のすごい所で井戸が充実してます。白水の井戸は大きさはコンパクトでしたが石組みでできていて、天守の井戸はバカでかく深さもあり落ちたら登ってこれそうもなく恐怖心さえ感じました。
二の丸にある杉の木井戸も石組みで上部には守るように石垣になっていました。


・金川城
・日時:2019年1月4日 午前 晴れ
・場所:岡山県岡山市北区御津草生

・遺構:石垣、堀切、土塁、井戸、曲輪、説明板
・歴史
承久年間(1219~1222年) 松田盛朝が築城
1566年 宇喜多直家に攻められ、松田元輝・元賢共に戦死し落城

道林寺丸石垣

堀切

堀切

堀切

白水の井戸

白水の井戸

天守の井戸

天守の井戸

本丸下

本丸

杉の木井戸

岡山城

2019年01月22日 | 
岡山城には営業時間前に行ったので天守には入りませんでしたが、周囲を巡ってきました。
この天守は見る角度により印象がかなり変わるのでなかなか面白いです。
街中にも石垣が残っていて、今回初めて見たのでワクワクしながら見てました。

・岡山城
・日時:2019年1月4日 午前 晴れ
・場所:岡山県岡山市北区丸の内2丁目

・遺構:復興天守、現存櫓、石垣、水堀、曲輪、碑、説明板
・歴史
正平年間(1346~1369年) 上神高直が石山台に築城
1570年 宇喜多直家が金光宗高を謀殺する
1573年 宇喜多直家が移城する
1590年 宇喜多秀家が改築
1600年 宇喜多秀家は八丈島へ流罪となり、小早川秀秋が入封
1603年 池田輝政の五男忠継が城主
1632年 池田光仲が鳥取城主の池田光政と入れ替わる

水堀

石垣

天守

廊下門

宇喜多時代石垣

月見櫓

不明門

天守

天守

天守

二の丸

二の丸石垣

西の丸石垣

西の丸石垣

鬼ノ城

2019年01月20日 | 
鬼ノ城には2回目ですが、前回は西門周辺と時計回りをしてしまい北門よりちょっと先に進んだときにあまりにも広すぎて途中断念してしまいました。なので今回は反時計回りでなんとか外周を回ることができました。とにかくスケールがでかく一周するのにほぼ2時間かかりました。
前回は何を見てきたのだと思ってしまうほど、南側には高石垣と水門と門が続いていきます。
築城時期や目的とか、他の城に見られない規模、築城方法など謎が謎を呼ぶミステリアスな城です。
そして瀬戸内海など見える景色も最高でした。

・鬼ノ城
・日時:2019年1月3日 午後 晴れ
・場所:岡山県総社市黒尾

・遺構:石垣、土塁、復元門、水門、礎石、曲輪、碑、説明板
・歴史
663年白村江の戦い後に朝鮮式山城の一つと考えられ、百済の王子の温羅が居城の伝説もある

西門

西門

高石垣

土塀

高石垣

第二水門

南門

高石垣

高石垣

高石垣

東門

高石垣

第五水門

屏風折れの石垣

高石垣

屏風折れの石垣

温羅遺跡

土塁

北門

経山城

総社

岡山方面

経山城

2019年01月19日 | 
経山城には鬼ノ城の駐車場に向かう狭い山道の途中に登城口があり、駐車場から鬼の釜を経由して行きました。
遺構は土塁に石積があり、南側と西側に石垣がありました
そして景色も素晴らしかったです。

・経山城
・日時:2019年1月3日 午後 晴れ
・場所:岡山県総社市黒尾

・遺構:石垣、土塁、堀切、曲輪、碑
・歴史
天文年間(1532~1555年) 大内義隆が築城 
毛利氏の支配下で中島元行が城代となる
1571年 尼子氏に攻められるが撃退
1582年 中島元行は高松城に籠城し、後に廃城

登場口

土塁石積

土塁石積

石垣

石垣

石垣

高梁市

倉敷方面

岡山方面

鬼身城

2019年01月18日 | 
鬼身城には車で城近くまでいけますが、かなり道が狭く引くにも引き返せずドキドキもので行きましたが、なんとか無事つけました。それでも意外と人気があるのか入れ替わりつつ自分も含め3台来てました。途中で合わずに本当に良かったです。
遺構はあるにはあったのですが、石垣とかも埋もれている感じでした。それでも景色は素晴らしく瀬戸内海まで見渡せます。


・鬼身城
・日時:2019年1月3日 午前 晴れ
・場所:岡山県総社市山田

・遺構:石積、堀切、土塁、曲輪、碑、説明板
・歴史
南北朝時代末期 今川泰範が城主
16世紀初め~ 上田氏が城主
1574年 備中松山城主三村元親の弟上田実親が毛利氏に謀反し兵3000騎を配置
1575年 上田実親は切腹し落城

堀切

大手門

石累

 5ノ檀

石積

本丸

総社

瀬戸内海

備中松山城

2019年01月17日 | 
備中松山城の天守までたどり着きましたが、なんと12月29日~1月3日まで休館で天守に入城できませんでした。
現存天守だから年中無休なのかと勝手に思ってました。よく調べておけば良かったです。
今まで2回来たことはありましたが、現存天守はやはり何度でも見たいものです。
それでも何人かは城まで来ていましたが、さすがに人は少なく撮影するのには好都合でした。
大手門あたりの石垣とかは真田丸のオープニングで使われていて、逆に今回見た時真田丸の城だとちょっと思ってしまいました。

・備中松山城
・日時:2019年1月3日 午前 晴れ
・場所:岡山県高梁市内山下

・遺構:現存天守、櫓、復元門、石垣、現存土塀、堀切、土塁、曲輪、碑、説明板
・歴史
1240年 有漢郷の地頭に任じられた秋庭三郎重信が臥牛山の大松山に砦を築く
1574年 備中兵乱で三村氏が滅び、毛利氏の拠点となる
1600年 徳川氏の直轄領となって奉行の小堀正次が入城
それ以降 水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主が替わる

北側石垣

 櫓

搦手門跡

本丸東御門

本丸南御門

天守

石垣

石垣

石垣

大手門跡

土塀

高梁市内

備中松山城(大池・天神の丸・相畑城戸・土橋)

2019年01月16日 | 
備中松山城天守閣の北部に続く遺構が続いていました。

・大池(血の池)
ここがもっとも衝撃的で、山城の普通の井戸に比べてすごく広くしかも石垣で囲われています。
リゾートホテルのプールぐらいの大きさのイメージです。(行ったことないけど)
しかも屋根で覆われていたとか小舟が浮かんでいたとか、近世城郭の山城とは言え自分の想像の遥か彼方の施設でした。
発掘調査をしているそうでどんな結果がでるのかも楽しみです。

大池

大池

井戸

大池

・天神の丸
堀切で区切られていて天神社という神社があったそうです。中世城郭の遺構もあり、もし天守が落ちた時の備えの場所かなとも思いました。

堀切

堀切

巨石

天神社跡

・相畑城戸
相畑城戸は土塁があったり、石垣が結構続いていました。

土塁

石垣

石垣

石垣

・土橋
両岸が石垣の橋がかかっていて格好良かったです。
土橋

土橋

石垣