goo blog サービス終了のお知らせ 

城中心のお出かけ記

お城などの歴史系や、奇岩など絶景・奇勝系を求めるお出かけ記です。一番好きな城は姫路城、好きな武将は藤堂高虎です。

大松山城

2019年01月15日 | 
大松山城は備中松山城の北奥にあり、それ以前に築城された中世の山城です。
石組みの井戸があり、二の丸と三の丸の間には堀切がありました。

・大松山城
・日時:2019年1月3日 午前 晴れ
・場所:岡山県高梁市内山下

・遺構:堀切、土塁、井戸、曲輪、碑、説明板
・歴史
1240年 秋庭重信が築城
碑と説明板

井戸

本丸

堀切

堀切

堀切

備中松山城切通及び番所

2019年01月14日 | 
番所は備中松山城の北限の堀切に番所があるというもので、備中松山城の一部ですが天守閣からはだいぶ離れているので別にしました
普通は曲輪を守るために堀切がある感じでしたが、ここは堀切を守るために番所があり石垣で補強している感じがしました。それを含めなんか独特な感じがする場所でした。

・備中松山城切通及び番所
・日時:2019年1月3日 午前 晴れ
・場所:岡山県高梁市津川町今津

・遺構:石垣、堀切、空堀、曲輪
・歴史
備中松山城の番所

石垣

堀切

空堀

石垣

竪堀

石垣

石垣

石垣

堀切

石垣


下津井城

2019年01月12日 | 
下津井城は瀬戸大橋架橋記念公園内にあり、瀬戸大橋が見え石垣がある城であるという程度の感じで下津井城に行ったのですが、石垣がほぼ全体に行き渡っているような城だけでも楽しめる城でした。特に二の丸下の大手跡あたりの石垣や井戸曲輪あたりの石垣とか見に行きづらいところにもきちんと石垣が残っていました。
そして瀬戸大橋が近くに見え瀬戸内海を見張れる最高のロケーションにありました。

・下津井城
・日時:2019年1月2日 午後 晴れ
・場所:岡山県倉敷市下津井

・遺構:石垣、堀切、土塁、井戸、曲輪、碑、説明板
・歴史
文禄年間(1592~1596年) 宇喜多秀家が改築
1603年 池田忠継が岡山城主となり、池田長政が下津井城を領し大改修を行う

三の丸下石垣

三の丸下石垣と碑

堀切

東出丸

二の丸石垣

二の丸石垣

二の丸南石垣

二の丸石垣

二の丸南石垣

二の丸南石垣

二の丸南石垣

西の丸への土橋

西の丸石垣

本丸

井戸

三の丸下石垣


瀬戸大橋

瀬戸大橋

瀬戸内海

飯野山

常山城

2019年01月10日 | 
常山城には事前に調べて山頂まで車で行けるということで進んでいくとなんと通行止めでした。後でよく見てみると2011年には既にそうなっていたようで、もっと下調べすべきでした。
通行止めの表示前に駐車スペースで登城口もあったので仕方なく登ることにしましたが、予定にない登山でかなりバテました。底無し井戸を通りいくつかの曲輪を経て本丸にたどり着きました。本丸は展望台がありそこからの景色は瀬戸内海や岡山市街などが見え最高でした。
遺構がどこにあるのか分からず探していたら、駐車場の所に案内板があり、石垣を見ることができました。

・常山城
・日時:2019年1月2日 午後 晴れ
・場所:岡山県玉野市用吉

・遺構:石垣、土塁、井戸、曲輪、説明板
・歴史
上野氏が居城
1575年 毛利氏に攻められ上野隆徳の妻ら女性34人が自刃

井戸近くの石垣

底無井戸

本丸

石垣

石垣

児島湾

瀬戸大橋

瀬戸内海

おそらく五剣山

大廻小廻山城

2019年01月08日 | 
大廻小廻山城は鬼ノ城のような古代山城で、説明板のある場所までは行き、そこから一の木戸水門まで歩いて行こうとしたのですが、たどり着けませんでした。
あとから調べたら別の所から行くみたいで、再度また行ってみたいと思います。

・大廻小廻山城
・日時:2019年1月2日 午前 晴れ
・場所:岡山県岡山市東区草ケ部

・遺構:石垣、土塁、説明板
・歴史
7世紀代の古代山城

説明板

沼城(亀山城)

2019年01月07日 | 
沼城は宇喜多直家が出世していく城となり、宇喜多秀家が生誕した城で、本丸に土塁状の天守台がありました。

・沼城(亀山城)
・日時:2019年1月2日 午前 晴れ
・場所:岡山県岡山市東区沼

・遺構:土塁、曲輪、碑、説明板
・歴史
天文年間(1532~1555年)初期 中山信正が築城
1559年 宇喜多直家は舅中山信正を謀殺して城主となる
1573年 岡山城に移る

主郭

 碑

主郭

 新幹線

富田松山城

2019年01月06日 | 
富田松山城には麓のグランドから20分程度で東出丸に登れ、そこからすぐ下に瀬戸内海が見れて絶景です。
本丸に進んでいくと岩盤を削った堀切があり、本丸は土塁が囲っていて眺望も北側は新幹線も見れるし素晴らしかったです。
大手曲輪には小さな石ではありましたが石垣もありました。


・富田松山城
・日時:2019年1月2日 午前 晴れ
・場所:岡山県備前市東片上

・遺構:堀切、土塁、石垣、井戸、曲輪、碑、説明板
・歴史
1531年 浦上村宗が死去すると三兄弟は不和になり三男国秀は富田松山城に居城
1577年 宇喜多直家は富田松山城を落城させ廃城となる

登城口

 堀切

 堀切

 本丸

 土塁

 虎口

 石垣

 南景色

 西景色

 北景色

三石城

2019年01月05日 | 
三石城には麓の街から登っていき2つの見張台がありつつ、その見張台上に石垣がありました。本丸は土塁があり軍用石の石もゴロゴロしていました。
その北には堀切が3つあり1つ目は岩盤を利用して深かったです。
最後に大手門に行き着き石垣が見事でした。

・三石城
・日時:2019年1月2日 午前 晴れ
・場所:岡山県備前市三石

・遺構:石垣、堀切、土塁、竪堀、井戸、曲輪、碑、説明板
・歴史
1333年 伊東大和二郎が築城
室町幕府 備前守護代の浦上宗隆が拠点とし、以降浦上氏が居城
1531年 浦上政宗は室津城へと移城し、後に廃城

 第二見張台 

 二日の出

 息継ぎ井戸(少し水があるけどこれのこと?)

 千貫井戸

 第一見張台から登った所の石垣

 土塁と石積

 堀切

 堀切

 堀切

 大手門石垣

 大手門

 大手門石垣

 大手門石垣

細野城

2018年12月18日 | 
細野城は東の城、西の城、中の城の3つに分かれていました。
東の城への分かれ道のすぐ上に堀切があり、その片方に石垣がありました。ここに至る道にも石垣が結構あり、これは後世のかなと思いつつ見てきて、これも遺構なのかどうか分からなかったですが、斬新で格好よいのでこれはこれで自分的にはありです。
西の城は曲輪がありましたが遺構はよく分からなかったです。
中の城は堀切が2つありと主郭背後に大きな土塁がありました。

・細野城
・日時:2018年12月15日 午後 晴れ
・場所:三重県津市美里町北長野

・遺構:堀切、土塁、曲輪、碑、説明板
・歴史
長野氏の一族の細野氏が居城


















長野城

2018年12月16日 | 
三重県津市にある長野城に行ってきました。
近くまで車で行ける道があったのですが、川沿いの道から山に向かう所で通行止めで、そこから2.4km約30分かけて登りました車道なのでそんなに歩くのには苦労しませんでした。
主郭前に小さな堀切があり、主郭の南には小さな土塁がありました。主郭の北側に曲輪が続いていてその北側には土橋がありました。そしてよく見ると土橋の側面に石垣がありました。さらにその近くの斜面にも石垣がありました。
その北側には鉄塔があるので石垣はその時の整備とか後世のものかなと思いましたが、土橋も本や他の人のを見ても載っておらず、あってもおかしくない場所でしたが城の遺構かどうか分からなくなりました。それでも石垣土橋はめっちゃ格好良かったので遺構であろうとなかろうと満足でした。
このあたりからみぞれが振り出し急いで帰路につきましたが、もう少しで車につくという所で子供のイノシシが溝でゴソゴソしてました。行きにも遠くで同じような子供のイノシシが逃げていくのを見たもので、また最近よく動物を見かけるので少し怖さがなくなったきたので、写真を撮りつつやり過ごそうとしていたら普通犬と同じくらいのイノシシが逃げ出してくれて助かりました。



・長野城
・日時:2018年12月15日 午前 晴れ後曇り後霰
・場所:三重県津市美里町桂畑

・遺構:堀切、土塁、曲輪
・歴史
1274年 長野(工藤)祐藤が築城
南北朝時代 北畠氏と戦う
1569年 織田信長が侵攻され弟の織田信包を養子として和睦