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城中心のお出かけ記

お城などの歴史系や、奇岩など絶景・奇勝系を求めるお出かけ記です。一番好きな城は姫路城、好きな武将は藤堂高虎です。

藤田東湖の銅像

2014年03月28日 | 銅像
藤田東湖の銅像が千波湖に近い藤田東湖の生誕地にありました。

・藤田東湖の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市梅香

・藤田東湖
1806年 藤田幽谷の子として生まれる
徳川斉昭の側用人として藩政改革に当たり、尊皇攘夷論を広める
1855年 安政の大地震で死去




会沢正志斎の銅像

2014年03月27日 | 銅像
会沢正志斎の銅像が住友生命水戸ビル前にありました。水戸学を学び尊皇攘夷を唱えた人と言うことを日本史の教科書を見たらでてきましたが、覚えていませんでした。

・会沢正志斎の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市南町

・会沢正志斎
1782年 水戸で生まれる
藤田幽谷に学び、斉昭の藩政改革に尽力
1825年 著した「新論」で尊皇攘夷論を提唱する
1863年 死去




徳川慶喜の銅像

2014年03月26日 | 銅像
徳川慶喜の銅像がみずほ銀行前にありました。
この人は大河ドラマとか見ていてやる気あるのかないのかよくわからない感じで、大決断をしたようにも見えますが、流されちゃってするすると進んでしまった感じもあって、本当によくわからない人物です。

・徳川慶喜の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市南町

・徳川慶喜
1837年 徳川斉昭の7男とし生まれる
1847年 一橋家を相続
1858年 将軍継嗣問題で紀州の慶福と争うが、井伊直弼により将軍継嗣は慶福(家茂)となる
1866年 第二次長州征伐の最中家茂が死去し、15代将軍につく
1867年 大政奉還を行う
1868年 鳥羽・伏見の戦いで敗北し、大阪から江戸へ向う
    江戸城無血開城 駿府で謹慎する
1913年 死去



本間玄調の銅像

2014年03月25日 | 銅像
本間玄調の銅像が三の丸小学校近くにありました。本間玄調は水戸藩医

・本間玄調の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市三の丸

・本間玄調
1804年 生誕
杉田立卿、華岡青洲、シーボルトなどに師事し医学を学ぶ
1843年 弘道館医学館教授となる
1872年 死去





徳川頼房の銅像

2014年03月24日 | 銅像
徳川頼房の銅像が二の丸の土塁がある場所にありました。水戸徳川初代藩主です。

・徳川頼房の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市三の丸

・徳川頼房
1603年 徳川家康の11男として生まれる
1609年 水戸25万国の城主となる
江戸にほぼおり、勝軍家光を助ける
1661年 死去


安積澹伯の銅像

2014年03月23日 | 銅像
安積澹伯の銅像が水戸第二中学校前にありました。水戸黄門の渥美格之進のモデルとされていて、大日本史の編纂にあたった人です。

・安積澹伯の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市三の丸

・安積澹伯
1656年 生誕
1683年 彰考館に入り、大日本史の執筆などを行う
1738年 死去





・安積澹伯の屋敷跡
・場所:茨城県水戸市梅香



徳川斉昭の銅像

2014年03月21日 | 銅像
徳川斉昭の銅像3箇所を見てきました。

・徳川斉昭と七郎麻呂(慶喜)の銅像
・日時:2014年3月8日 午後 晴れ
・場所:茨城県水戸市千波町




・徳川斉昭の銅像
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ

・場所:茨城県水戸市三の丸




・場所:茨城県水戸市南町2




・徳川斉昭
1800年 生誕
1829年 兄の8代水戸藩主斉脩の死後、9代藩主となる
弘道館の設置、農村改革、軍事訓練などの藩政改革を行う
1844年 改革の行き過ぎで、幕命により家督を嫡男の慶篤に譲り隠居謹慎処分を命じられる
1846年 謹慎解除
1853年 幕府の海防参与にも就任
1858年 将軍相続で慶喜を推すが、慶福が継嗣に内定
1859年 安政の大獄により永蟄居
1860年 死去



徳川光圀の銅像

2014年03月20日 | 銅像
徳川光圀の銅像が水戸市内で4体見つけました。
各地で光圀の大河ドラマ化へという旗があり、実物に近い感じの話で見てみたい感じがしました。

・徳川光圀
1628年 徳川頼房の三男として生誕
1657年 大日本史の編纂事業に着手
1661年 頼房が死去し、2代藩主となる
1700年 死去

・徳川光圀の銅像(千波公園)
・日時:2014年3月8日 午後 晴れ
・場所:茨城県水戸市千波町




・徳川光圀、助さん、格さんの銅像(水戸駅2階通路)
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市宮町




 ・助さん(佐々木助三郎) モデルは実在の佐々宗淳
 ・格さん(渥美 格之進) モデルは実在の安積澹泊

・徳川光圀の銅像(徳川光圀生誕地近く)
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市三の丸2






義公生誕地

・徳川光圀の銅像(おしゃべりパーク)
・日時:2014年3月9日 午前 晴れ
・場所:茨城県水戸市南町3



甲良宗広の銅像

2014年01月14日 | 銅像
甲良宗広の銅像が甲良町町役場の近くにありました。たまたま帰り際に銅像があるのを見つけそれが甲良宗広の銅像でした。
知らなかった人物でしたが日光東照宮の建設にあたった人で、藤堂高虎と同じこの甲良で共に縄張り、建設と土木の技術責任者として、さらに穴太衆の石垣造りなど戦国、江戸時代で日本の基礎をこの地方は作ったんだなと実感しました。

・甲良宗広の銅像
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県犬上郡甲良町法養寺

・甲良宗広
1574年 近江犬上郡甲良庄法養寺村で生誕
大工・建築を行う
1632年 増上寺台徳院霊廟を手がける
1636年 日光東照宮を手がける
1639年 上野寛永寺の五重塔を手がける
1646年 死去



藤堂高虎の銅像

2014年01月13日 | 銅像
藤堂高虎の銅像が在士館の高虎公園にありました。ほぼポーズとしては三重県の津城の高虎像とほぼ同じポーズですが、見比べると若干違う気がします。

・藤堂高虎の銅像
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県犬上郡甲良町在士

・藤堂高虎
1556年 近江国に藤堂虎高の次男として生まれる
浅井長政に属し、浅井氏の旧臣だった阿閉貞征、磯野員昌の家臣として仕える
大溝城主の織田信澄の家臣として仕える
1576年 羽柴秀長に仕える
1583年 賤ヶ岳の戦いで武功をたてる
1591年 秀保の代理として翌年の文禄の役に出征
1595年 高野山に出家、宇和島城主となる
1597年 慶長の役にも水軍として参加
1600年 関ヶ原の戦いで東軍として武功をあげる
1608年 伊賀、伊勢22万石に加増
1614,1615年 大阪冬の陣、夏の陣
1630年 死去