ゴエモンのつぶやき

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【パラアスリート】氷上に吹く風になる アイススレッジホッケー・岡田樹君

2016年02月15日 02時10分45秒 | 障害者の自立
長野のクラブチームの選手らと練習し、両手に持ったスティックでパックを狙う樹君。競技用のソリ「スレッジ」に乗って、自由に氷の上を滑り回る=昨年12月、長野県岡谷市(安元雄太撮影)
長野のクラブチームの選手らと練習し、両手に持ったスティックでパックを狙う樹君。競技用のソリ「スレッジ」に乗って、
自由に氷の上を滑り回る=昨年12月、長野県岡谷市
臨海ジュニアアイスホッケークラブの練習中に笑顔を見せる樹君 =昨年12月、大阪府高石市(安元雄太撮影)
 

 「脚の魂がなくなった」。そう話す少年が失ったのは、歩き、走り、滑るという自由。いまは、逆境に立ち向かい、再び氷上を縦横無尽に駆ける。

 大阪府東大阪市の小学4年生、岡田樹(いつき)君(10)が熱中するのは「アイススレッジホッケー」。両手のスティックでソリをこいでパックを打つ障害者スポーツだ。猛スピードで飛ぶパックをめがけ選手がぶつかり合う。

 臨海ジュニアアイスホッケークラブ(大阪府高石市)で、練習する樹君は「ビューって滑って涼しい風を感じるのが楽しい」と瞳を輝かせる。

 幼稚園からアイスホッケーを始めた樹君が事故にあったのは一昨年9月。母親の紅子(べにこ)さん(38)の車で練習へ向かう途中、対向車がセンターラインを越え、正面衝突した。

自宅で理学療法士の補助を受けてリハビリに励む。笑顔が多いが、時折つらそうな表情も見せる =昨年12月、東大阪市(安元雄太撮影)
 
 下半身が動かなくなったが、「まあ、誰かが研究して治してくれるでしょ」と、周囲にショックを感じさせることはなかった。紅子さんは、「歩けないことを告げたとき、どれだけ落ち込むか不安でしたけど、明るくて本当に助けられました」と振り返る。


 「ホッケーができなくなった」と感じていた樹君が、退院後、クラブの紹介で出会ったのが、アイススレッジホッケーの日本代表チームコーチだった青木栄広(よしひろ)さん(40)。青木さんは「障害を持っていることを全然見せない。あの年齢で受け止めてるあいつに惹(ひ)かれちゃったんです」と、指導を決めた理由を語る。

 撮影していて感じたのは、ハンディを負っても変わらない、持ち前の朗らかさ。自宅でも学校でも、にぎやかな輪の中心にいる。車いすバスケットにも夢中で、将来の夢は、2種目でパラリンピック金メダルを獲得すること。

北海道の小6、繁泉鯉句君(奥)と競り合う。2人は将来の日本代表を目指している =昨年12月、長野県岡谷市(安元雄太撮影)
  夢はさらに羽ばたく。


 「iPS細胞を使って、立ちたいときに立って、オリンピックのアイスホッケーとバスケで金メダル!」

 4種目の頂点に立っても、まだゴールではない。

 「偉人になりたい。お札の肖像になる!!」

チームメートの力を借りて階段を下りる。クラブが樹君の復帰を受け入れてくれ、紅子さんは涙を流すほどに喜んだという =1月9日、大阪府高石市(安元雄太撮影)
 
 ファインダーに映る、明るい笑顔を見ていると、つい期待してしまう。ひょっとしたら…と。

 【岡田樹(おかだ いつき)】2005(平成17)年9月、大阪市生まれ。臨海ジュニアアイスホッケークラブ所属。14年9月、大阪府八尾市での交通事故で脊椎を損傷、下半身の自由と感覚を失う。退院後、15年5月にアイススレッジホッケーを始める。趣味は将棋。

2016.2.14      産経ニュース


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