庭の片隅にある枝垂梅は、死角になっていて家の中からはみえない。
家に隠れて通りからも見えない。つまりあらためて庭に出てみないと眺めることのない梅であった。
今年、南側にあったお宅が解体されて空き地になった。はじめて我が家の梅をつくづく眺めた。
へえ、立派なもんじゃないかと感心した。ねえ、ねえ、見て。うちの梅―、と通りがかりの知らない人の袖をひく。
更地になった手前の土地には、またすぐに新しい家が建つことだろう。
来年のいまごろはまたうちの梅は隠れてしまうから、ここから見えるのも、今だけ今年かぎりの梅見である。