気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く10 その2  伊豆シャボテン公園へ

2020年08月16日 | ゆるキャン△

 今回の伊豆伊東での聖地巡礼では、原作コミック第9巻に登場した場所を3ヶ所回りました。伊豆シャボテン公園、大室山、広井酒店です。作中では鳥羽美波先生の車で移動していますが、私は公共交通機関利用での巡礼でしたので、鉄道で目的地の駅に着いたあとは、必ずバスを利用しました。
 なので、現地のバスの運行状況つまり路線や時刻表を調べる事は、事前調査のなかでも重要な作業でした。今回は伊豆伊東のほかに河口湖エリアや身延エリアへも行きましたから、各地のバスの運行情報をおさえておくことが不可欠でした。

 伊豆伊東エリアの路線バスは東海バスさんが運行しています。今回訪れた3ヶ所はいずれも東海バスの路線上に最寄りのバス停があります。伊豆高原駅を発着点としたので、上図の伊豆高原駅前のバス乗り場の1番から乗りました。御覧のように、シャボテン公園および大室山へ行くバスが出ています。

 

 コロナ対策期間ということで、時刻表は上図のように5月からの臨時時刻表になっていましたが、便数が減らされているだけで基本的な利用法は変わらないとの事でした。すなわち、6つの系統のバスが出ていて、そのうちの3系統がシャボテン公園行きになっています。どれに乗っても良いのですが、私は伊豆高原駅に11時に着きましたので、これにつながる11時10分発の173系統のバスを利用しました。

 

 11時10分発の173系統のバスがやってきました。目指す伊豆シャボテン公園は終点なので、めいっぱいバスの旅が楽しめます。路線は大室山の西麓を回っていくコースです。大室山もシャボテン公園と同じバス停から行けますから、このバスに乗れば、今回の巡礼地3ヶ所のうちの2ヶ所に行けることになります。

 

 バスが発車しました。私自身は、地元京都市でも移動手段が市バスで、基本的にバスに乗るのが好きです。バスの旅というのも大好きで、昔はよく高速バスや夜行バスを利用しての旅行を楽しんでいました。
 だから、今回の巡礼旅行でもバス移動は積極的に取り入れました。乗って景色を眺めるだけで、その地域の様相が色々と分かって楽しいので、短い区間であっても、なにかワクワクしてしまいます。

 

 25分後の11時35分に、終点のシャボテン公園および大室山リフトのバス停に着きました。乗ってみて分かったのですが、大室山の裾野というのは海まで広がっていて、伊豆高原駅からずっと大室山の裾野をずっと登っていく感じでした。
 それで伊東市街から大室山の西麓に回って、北西麓にある終点までえんえんと坂道を登ってゆきましたが、おかげで大室山のスケールの大きさをバス移動の時点で感じ取ることが出来ました。次第に迫ってくる大室山の山容が、だんだんと壁のように見えてきたりして、面白かったです。

 

 バス停に着いた後、帰りのバスの時刻をチェックしました。帰りのバスで巡礼地の3ヶ所目である広井酒店を訪ねる予定でしたが、上図の真ん中の「桜並木 伊豆高原駅」か右側の「ぐらんぱる公園 伊豆高原駅」のどちらかの路線に乗る必要がありました。
 とりあえず、シャボテン公園、昼食休憩、大室山の順に行くので所要時間は約2、3時間ぐらいと見込みました。それでいくと、13時48分か14時45分のバスで帰ることになります。

 東海バスの公式サイトはこちら。運行時刻検索ページはこちら

 

 バス停からは、大室山リフト乗り場も近いです。歩いて1分もかかりません。距離的にはシャボテン公園のほうがちょっと離れていて高台にありますから、徒歩で3分ほどかかります。しかもずっと登り坂ですから、暑い中では汗だくになります。

 

 最初にシャボテン公園の自動車専用入口へ立ち寄りました。歩行者用ルートの外側にあり、上図の大きな緑色のサボテン君が目印です。上に大きな入口標識が設けられています。

 

 この標識が、原作コミック第9巻122ページ1コマ目に登場する標識のモデルです。作中では「伊東サボテンパーク」となっていますが、「いらっしゃいませ」はそのままで、「自動車専用入口」は「自動車専用入り口」になっています。

 

 歩行者用ルートはバス停の直ぐ上にある赤い屋根の2棟の建物の間を通って上に続きます。上図は、赤い屋根の2棟の建物の間を通った直後に振り返ったところで、大室山の山容が大きくそびえて見えます。山の右側にリフトが見えました。
 歩行者用ルートは、このあと右に曲がって坂道となり、一部は屋根付きの通廊となって公園入口に続きます。

 

 歩行者用ルートを登りきると、上図の公園西側の歩行者用ゲートに着きます。シャボテン公園には2か所にゲートがあり、バス停に最も近い西側の歩行者用ゲート、東側の自動車および観光バス用のゲートに分かれます。

 作中では車で入っているので、その入場ゲートはこことは反対側の東側ゲートになります。だから、作中で描かれる公園入場ゲートの建物は、公園内を回っている最中に内側から見る形になりました。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く36 その9 「名寄746小隊のⅢ号戦車です!!」

2020年08月15日 | 大洗巡礼記

 カノウヤ撤退作戦により、展示ケースから出して天板上に仮展示していた8輌の戦車プラモ群です。後列の軽戦車4輌は私が寄託していた分で、前列の4輌は北海道のNさんが寄託していた名寄746小隊です。

 

 見学者に最も人気があったのがこのピヤシリ学園チームのⅢ号戦車だったそうです。コミック「リボンの武者」にピヤシリ学園は登場しますが、保有戦車までは描かれていなかったため、「こんな戦車あったっけ?」等の問いかけで始まり、展示してある設定資料を見て寄託者発のオリジナルであることを知り、「なるほどー」と納得するというような、そんな関心の持たれ方が多かったそうです。
 いずれにしても、見学に来られた方はみなガルパンファンに決まってますから、「リボンの武者」もよく知っているわけです。このⅢ号戦車とあわせて、ムカデさんチーム連合の5輌が注目されていたのは自然な成り行きでした。

 

 個人的にはこのⅢ号戦車が好きですので、今回はその魅力的な勇姿を色んな角度から紹介しましょう。斜め真上から。

 

 右斜め後ろから。

 

 左斜め後ろから。Ⅲ号戦車は左フェンダー上に車外装備品をギッシリ並べている感じですので、このアングルはそれらしさを感じさせます。

 

 側面観もカッコイイです。

 

 名寄746小隊が撤退した後の展示ケースの状況です。並べてあった九七式中戦車2輌が居なくなって、後にはなにか空しさをただよわせる空間がポッカリと広がっています。残余のフィギュア群や知波単フラッグも寂しげな雰囲気に包まれています。
 今後、ここに再び戦車プラモが並ぶ機会は、もう無いのかもしれません。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く10 その1  伊豆高原へ

2020年08月14日 | ゆるキャン△

 2020年8月8日から11日までの3泊4日の行程にて、久しぶりの「ゆるキャン△」聖地巡礼旅行に行きました。2019年9月の静岡エリア巡礼からほぼ一年が経っていました。
 この聖地巡礼は、本来ならば3月、4月、5月に続けて行う計画だったのですが、コロナ対策の緊急事態宣言や自粛要請などによって実施出来ませんでした。それで、自粛解除後の7月にガルパン大洗行きを実施したのに続けて8月に行うことに決め、改めて計画を練り直して3月、4月、5月の計画コースを一度の巡礼行でまとめて回ることにしました。

 その理由は三つありました。一つ目は、コロナ感染者数の増加にも関わらず死者および重症者が減少してコロナ自体に弱毒化および沈静化の動きが見られ、以前のような深刻な事態に陥るようには思えなくなったことです。3密を避けて感染対策をしっかり行なえば良い、というレベルになっているうえ、観光地では未だにクラスター発生や感染増加の事例がみられないので、観光地ばかりを回る「ゆるキャン△」聖地巡礼も懸念されるような問題はないのではないかと考え、覚悟を決めつつ実施してみる気になりました。

 二つ目は、政府が促進するGoToトラベルキャンペーンが7月下旬からスタートしたため、その利用によって旅行費用がおさえられることです。個人旅行なので適用範囲は宿泊費のみですが、それでも35%引きとなれば、3泊して1泊分はタダになる計算です。これは大きいと思ったわけです。
 政府発の緊急事態宣言は、過去の一度のみで再実施は有るかどうか分からないようですが、それは過去の宣言下の自粛による地域経済の打撃の大きさを数値でみれば理解出来ます。これ以上の打撃を受けると日本経済そのものが危ないだろう、ということは経済学に疎い私にもなんとなく分かります。
 だから、政府は経済政策としてのGoToトラベルキャンペーンを前倒しで進めるわけであって、いかなる批判や混乱があろうとも促進する方針を崩さないのも当たり前だな、と受け止めています。そうしないと観光産業関連が壊滅的になるだろうという見解は、京都の観光地の嘘のような閑散状況を実感してきた私にとっては決して空虚な観測ではありません。

 三つ目は、私自身の「ゆるキャン△」聖地巡礼計画が9月、10月にもあり、アニメ2期が放映開始となる来年1月までにこれらの巡礼計画も実施したいと考えていたからです。アニメ2期が放送されれば、それに応じて来年にも巡礼したい聖地が増えるに決まっていますから、今年の計画分はなるべく今年中に実施しておきたい、という気持があったわけです。
 それで、行くなら8月しか無い、コロナ感染動向には予断を許さない領域が多くて不安や懸念も拭えないけれど、しかしそれ以上に各地の観光地経済が悲惨なことになっていますから、動けるチャンスがあれば出かけて、少しでもお金を使って経済を回さないといけないのではないか、と考えました。

 以上の三つの理由を念頭に置きつつも数日は迷い悩みましたが、どう考えても8月にしかチャンスが無い、と悟りました。梅雨明けが遅くて、天気も8月からやっと回復基調になったことも一つの判断材料になりました。台風のシーズンはまだ分かりませんが、個人的には、たぶん9月以降に台風が多くなるんじゃないか、との予想がありました。
 そして、図ったかのように職場の盆休みが8日から16日までの9連休にて決定したため、こうなったら最初の4日を旅行に充てよう、と腹をくくりました。

 かくして、8月8日の朝6時半に家を出て、地下鉄経由でJR京都駅に向かったのでした。

 

 最初の目的地は静岡県の伊豆伊東エリアでしたので、鉄道利用で伊豆高原まで移動することになりました。新幹線は7時30分発ののぞみ86号を利用しました。

 

 名古屋駅には8時4分に到着し、8時8分発のこだま704号に乗り継ぎました。ホームの反対側に移動するだけで楽に乗り換えが出来ました。

 

 暦のうえでは、8月8日からは三連休となっていましたが、予想以上に観光自粛の動きが尾をひいているようで、のぞみもこだまも乗車率は1割以下でありました。京都駅や名古屋駅の電光掲示板にて、空席が豊富にありますから乗車利用を、と呼びかけているほどでした。
 コロナ対策ということで大半の観光客はマイカーを利用しているため、公共交通機関はどこもガラガラだ、というニュースを前週にも見たのですが、そのことを実感出来た今回の新幹線利用でした。

 切符はあらかじめ指定席で予約購入しておいたのですが、乗る際に自由席もガラガラなのを見て、自由席で買えば良かったなあ、と頭をかいたことでした。指定席も上図のような状態でしたが、自由席はそれ以上に空いていたのでした。普通は逆ですから、にわかには信じられない状況でした。

 

 新幹線利用は熱海駅までで、10時1分に着きました。

 

 熱海駅で伊東下田行きの列車に乗り換えました。10時9分発の列車は伊豆急行の赤い特急用車輌のようで、初めて見る外観でした。下田までの直通ダイヤでした。JR線は伊東駅までですので、それより先は伊豆急行の路線になりますが、切符の乗車券は京都から伊豆高原までの一枚で買えました。相互乗り入れを行なっているからでしょう。

 

 そしてこの列車も、御覧のようなガラガラ状態でした。展望ルーム付きの車輌でしたが、乗客は私の他に2、3人ほどでしたから、時々座席を変えたり、展望ルームに行って広い窓から海の景色を眺めたりと、結構ゆったりと楽しめました。

 しかし、各駅停車なので、それぞれの駅からドンドン観光客が乗ってきて、伊東駅に着く頃にはほぼ満車になっていました。若い方々、カップルやグループ、子供連れや友達同士が大多数を占め、年配の層をまったく見かけなかったのが印象的でした。自粛に疲れて我慢も限界に達したらしく、思いっきり観光を楽しむぞ、というような気持が表情にも仕草にもよく表れていました。これまでの緊急事態宣言や外出自粛の日々がいかに辛いものであったかが、本当によく分かりました。私自身も似たような気持であったからです。

 

 目的地の伊豆高原駅には11時ちょうどに着きました。昨年9月にマイカーで伊豆半島をほぼ一周する形で聖地巡礼をやりましたが、その際に日程の関係で伊東の伊豆高原エリアを外したため、このエリアだけが未訪のままでした。
 今回やっと来られましたので、「ゆるキャン△」聖地巡礼の伊豆半島エリアは、これで個人的には完結する見込みとなりました。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く36 その8 「カノウヤ撤収作戦です!!」

2020年08月13日 | 大洗巡礼記

 永町より通り町に至り、いつものように鳥孝に行って稲石さん夫婦に挨拶しました。3月の訪問時以来4ヵ月ぶりでした。コロナ感染拡大による緊急事態宣言で大洗もいっぺんに客が来なくなった、こんなことは初めてだ、今後も厳しいだろうね、どうなるんだろうね、等と話していました。

 聞く所によれば、緊急事態宣言が解除されてもしばらくは自粛モードが続いていたそうで、商店街の多くのお店が休業していたそうです。そしてやっと県境をまたぐ移動が可能になって、ようやく客が戻ってきはじめたのに、今度は都民の来訪自粛要請が出たんだよ、どうなってんのかよく分からん、との事でした。
 ですが、都民のガルパンファンの何割かは、来訪自粛要請も無視しているようで、実際に何人かがお店にもやってきたよ、ということでした。

 

 今回の来訪の目的を聞かれましたので、カノウヤ撤退作戦の概要を説明しておきました。

 本来ならば、今回はカノウヤ応援作戦の続きを行なう筈だったのです。しかし、県境をまたぐ移動が可能になった直後に大洗に乗り込んだ有志仲間のSさんより、カノウヤの近況に関して驚くべき情報が入りました。なんと、女将の柴沼さんが入院されるとの事、お店もしばらく休みとなる、それで寄託展示の件も前倒しで撤収してほしいとの意向、等でした。

 そこで、急遽、有志仲間と相談のうえ、カノウヤ応援作戦の寄託展示構築計画は中止ということになりました。既に展示に入れた寄託品は全て回収して持ち主に返却、これから寄託出品する予定であった5人の有志にも中止を伝えて作戦は撤退に切り替える、ということに決まりました。
 それで、今回の訪問までに、撤退作戦の計画を相談して決めました。まずSさんが前週にフィギュアの寄託品を全て回収してくれましたので、今度はAさんのフィギュア寄託品およびNさんと私の戦車プラモ寄託品を全て回収する、という段取りでのぞむことになったわけでした。

 

 カノウヤに着きました。柴沼さんも退院されていて元気な笑顔を見せて下さいましたので、安堵しました。本当に、ホッとしました。入院に至った経緯も初めてお聞きしましたが、その理由が寄託展示計画の中止の理由でもあったのでした。

 実は、最近に大洗を含めた東日本で地震が多発していたそうです。茨城県でもかなりの地震があったそうで、カノウヤ店内の壁や天井に大きな亀裂が生じてしまったのでした。その壁のすぐ下に、応援作戦の寄託展示の陳列ケースがあるため、また地震があって壁が崩落してしまったりしたら、間違いなく陳列ケースに落ちて被害が出る、中の寄託展示品が壊れてしまう可能性がある、ということで、それが柴沼さんの心痛の種になっていたそうです。
 
「もし壁が落ちて寄託品が壊れたりしたらどうしよう、ってねえ、不安ばかりつのってね、夜も寝られなかったりしたのよお」と笑っておられましたが、たぶんそれが過労につながり、入院につながったのだろう、と私は受け止めました。すぐにお詫びしましたが、柴沼さんのほうでは「いえいえ、寄託品が全て無事に持ち主に戻れば、それでいいんですよ。地震で壁が落ちてケースごと壊れたりしないうちに戻さないと、というね、そればっかり思ってたのでねえ、今回やっとそうなるわけで安心しましたよお」と却って上機嫌でした。
 ともあれ、これで寄託品撤収の根本的理由も事情も判明しましたので、亀裂の入った壁や天井を見上げつつ、撤退作戦にとりかかりました。

 

 撤退作戦前の展示ケースです。3月に寄託品を追加して計画の8割ほどにこぎつけた状態のまま、コロナ緊急事態宣言下に至ってずっと保留になっていたものです。
 既にSさんの寄託分のフィギュア群は全て回収を終えており、この時点ではAさんとNさんと私の寄託分が残されていました。別にOさんの寄託缶バッジ群もありましたが、Oさんと連絡が取れないままだったので、これらの取り扱いはOさんに任せておくことにして、柴沼さんにも了解を得ておきました。

 

 なので、今回の私の分担作業は、戦車プラモの回収作業となりました。まずはNさんの寄託分である名寄746小隊の撤収作業から始めました。送付時の箱やケースを保管してありましたので、それらに寄託品を戻すことから始めました。

 

 展示資料や名刺類は元通りにビニール袋におさめました。

 

 名寄746小隊の戦車4輌に乗せていたフィギュアを慎重に外し、元通りに袋におさめました。

 

 ケースから出して天板上に仮展示していた名寄746小隊の戦車4輌です。作業中にも来店客や見学客が数人来ていましたので、最後まで展示して見ていただけるようにと、見やすい位置に並べてありました。北海道名寄市からはるばるやってきたこの4輌は、3月から約4ヵ月ほどの間大洗に居たことになります。撤収作業の最終段階まで、その勇姿は展示ケース上に輝いていました。  (続く)

 


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ゆるキャン△聖地巡礼、完了です!

2020年08月12日 | ゆるキャン△

 昨日8月11日、「ゆるキャン△」聖地巡礼を終えて帰宅しました。9日間の夏季休暇の前半をあて、コロナ対策をしっかり行ないつつ、GoToキャンペーンの利用も行って、3泊4日の超ハードスケジュールをなんとかクリアしてまいりました。

 おかげで、疲労感が半端無いです。暑さも厳しかった中を、伊豆伊東、河口湖、身延、南部、市川三郷、とよくもまあ色々回ったもんだと自分でも呆れております。休暇の残り5日間は静養にあててゆっくり休みます。
 拙ブログでのレポートはいずれ綴りますが、かなりの長期連載になる見込みですので、伊豆伊東編、河口湖編、身延・南部・市川三郷編、の三シリーズに分けてゆく予定です。


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く36 その7 「永町商店街の裏です!!」

2020年08月11日 | 大洗巡礼記

 大洗駅から曲松まで散歩気分で歩きました。いつも巡回バス「海遊号」を利用していたので、徒歩での移動は久しぶりでした。エコスの横を通るルートをとり、道端の古い郵便ポストを見ながら進みました。

 

 このタマルヤさんは、確か以前は八百屋さんだったように思うのですが、現在はウッドクラフトのお店になっているようです。以前から木製のガルパン戦車などを販売していましたが、今ではこの木製戦車の販売がメインになっているようです。

 

 ウインドー内に飾ってあった、九七式中戦車です。他にも色々な種類があるそうですが、限定品ばかりだと聞いたことがあります。少なくとも大量に生産して販売しているのではない、と以前に店主さんに伺った記憶があります。

 

 若見屋の信号交差点で左折して永町商店街の通りに入りました。角のブリアンさんは既に開店していましたが、他の店舗はまだシャッターを下ろしたままでした。中には自粛で休業しているところもあったようです。

 

 しかし、この日も閑散として巡礼の人影を見ませんでした。連休の初日ですが、外出自粛モードがまだ続いているのか、昼になっても似たような静けさが続いていました。

 

 毎年夏に出ているガルパン大洗ポスターも、2020年度版になっていました。今回は五十鈴華が一番手前で大きく目立っていますが、生徒会長になったからでしょうか。
 そもそも五十鈴華がどういう理由で生徒会長になったのでしょうか。選挙を経ての決定なのか、角谷杏の指名によるものなのか、は依然として分かっていません。

 

 今回は永町商店街の裏にも回って見ました。みつだんごの「たかはし」さんの裏手に弁当屋さんが出来た、と聞いていましたので、外見だけでも確認しておこうと立ち寄ってみました。

 

 この日は定休日でした。土日祝日は休みで、平日の11時から14時までの短い営業である旨が、戸口のガラスに貼られた案内文に述べられていました。しかもコロナ対策で提供の弁当を2種類のみにしているとの事でした。
 ならば、ここのお弁当は、通常営業に戻った時期にまた買いに行こう、と思いました。  (続く)

 

コメント (1)
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ゆるキャン△聖地巡礼中です!

2020年08月10日 | ゆるキャン△

 ただいま、ゆるキャン△聖地巡礼中です!
 きょう8月10日は、山梨県の河口湖エリアにて、「へやキャン△」シリーズの聖地スポットを巡っております。ちょっと天気が心配なんですが、安全と感染対策を心がけてゆるゆると楽しんでまいります。見かけたら、声を掛けても良いですが、隠密に行動しますので、たぶん見つかりっこないと思います・・・!

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く36 その6 「二日目の朝です!!」

2020年08月09日 | 大洗巡礼記

 二日目、7月23日も天気はあまり良くありませんでしたが、今回の大洗行きの目的はカノウヤ応援ならぬ撤退作戦でしたから、問題はありませんでした。その撤退作戦をこの日の朝から行うので、朝食はしっかりとって、一時間ほどゆっくり休んで、水戸プリンスホテルを出ました。水戸駅まで徒歩3分の至近にあるのが有り難いです。

 

 大洗行きの列車は8時2分発でした。カノウヤでの撤退作戦は9時からの予定でしたので、それに合わせて行くとなると、この時間の列車に乗らないといけません。次の8時24分発の列車では間に合いません。

 

 その列車は新型車輌でした。朝にこの車輌に乗ることはあんまり無かった気がしますので、珍しいなと思いました。

 

 内部はまだどこもピカピカです。

 

 発車時刻になっても乗客が居ませんでした。2輌編成でしたが、客は私だけでした。コロナ対策の自粛ムードはまだ続いているようでした。おまけに茨城県にて東京都からの移動に自粛要請がかけられた直後でしたので、大洗日帰り組の大半を占めるであろう東京都民が殆ど来ていなかったのでした。
 
 ですが、実際には自粛要請なんか無視して堂々と大洗に来ている東京都民が多かったようです。後で行ったリゾートアウトレット施設の駐車場にも東京都のナンバーの車がいっぱい入っていたのでした。

 

 今回、久しぶりに切符を撮影。昔はよくやっていましたが・・・。

 

 大洗駅に着きました。計画では町内巡回バス「海遊号」で曲松まで乗ることにしていましたが、気が変わって久し振りにブラブラ歩きがしたくなりました。それで徒歩で行く事にして、まずは上図のパネルを記念に撮りました。「ようこそ大洗へ」の二代目パネルです。

 

 「ようこそ大洗へ」の初代パネルは、駅舎の脇に移されていました。ですが、聞く所によるとこれは仮の位置だそうで、近く完成する総合案内所「海テラス」のほうに移される予定だそうです。  (続く)

 


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そうだ、ゆるキャン△聖地巡礼に行こう。

2020年08月08日 | ゆるキャン△

 この8月にお盆を含めての休暇を9日間いただきました。聖地巡礼を楽しむ絶好のチャンスです。ガルパン大洗は既に7月に行きましたから、次はゆるキャン△のほうでいってみようと思います。久しぶりに富士山も拝みたいですし・・・。

 実は、春からのコロナ対策緊急事態宣言による自粛で、ゆるキャン△の巡礼予定を3つも中止しています。コロナの流行が無かったら、3月、4月、5月に行っている筈だったのです。それらの計画をいったん白紙に戻して、もう少し余裕あるスケジュールに組み直したうえで、3密を避けて感染対策も行って、ゆるゆると巡礼してみる積りです。

 とりあえず、GoToトラベルキャンペーンの期間中ですので、これも有効に利用してみようと思います。手続きも割と簡単であるようなのですが、私の場合は個人旅行ですので、適用範囲は宿泊費のみとなるようです。問題は泊まる宿がGoToトラベルキャンペーンに参加しているかどうか、ですね・・・。

 よし、頑張って調べて、計画を練って、久しぶりにゆるキャン△聖地巡礼に行ってこよう!

 


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宇治巡礼10 浄妙寺跡

2020年08月07日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 宇治市の木幡地区は、かつては藤原氏の墓所として知られ、いまも「宇治三七陵」と呼ばれる陵墓が広い範囲にわたって散在しています。藤原摂関家の代々、例えば藤原兼家や道長、頼通らも葬られていますが、現在では所在地が分からなくなっていて、どの陵墓が誰の墓であるかが不明になってしまっています。

 かつて、藤原道長が、父兼家とたびたび木幡の先祖の墓所を尋ねた際に、古い塚が並んでいるものの仏事供養も行われずに荒廃していて、誰の墓かも分からなくなっているので思わず涙してしまった、と日記「御堂関白記」に述べています。
 似たような経験を、道長のライバルであった藤原伊周もしています。彼の父藤原道隆の卒塔婆を建てて葬った場所へ一年後に詣でたところ、沢山の塚や卒塔婆があったので、父の墓がどれなのか分からなくなってしまったそうです。

 当時の貴族は「穢れ」を忌み嫌う傾向があり、動物の死骸を道端で見ただけでも「穢れた」と認識して仕事を休むのが常でした。親や親族の死体でさえ「穢れ」の対象であり、葬儀や埋葬に直接携わることが無かったのですから、墓が荒れ放題になる、親の墓の位置が分からなくなる、というのは当然でした。

 ですが、さすがに藤原道長はこのままではいけないと考えたのでしょう。荒れ放題の宇治陵に眠る先祖代々の霊を鎮め、かつ一門子孫の人々を極楽に引導すべく、一堂を建立して三昧を修めることを決めました。その一堂というのが、いまの木幡小学校の位置にあった浄妙寺でした。
 その浄妙寺は、上図のごとく、いまは遺跡として校地の地下に保存されており、木幡小学校の南側通用口の傍らに標柱が建てられています。

 

 浄妙寺跡の遺跡案内板は、木幡小学校の西通用口の脇に立てられています。創建は寛弘四年(1007)で、本堂にあたる三昧堂のほかに多宝塔、築地塀などがあったことが発掘調査によって明らかになっています。

 最近の発掘は平成22年に実施されましたが、その現地説明会には私も行きました。このときの検出遺構は築地塀や南側の旧堂ノ川の川床跡で、寺の南限が確定されました。現地の字名が「ジョウメンジ」であるのも、浄妙寺の読み「ジョウミョウジ」の名残です。

 

 木幡小学校の西通用口の脇に立てられる遺跡案内板は、御覧のように風雨にさらされて褪せてしまい、読みづらくなっています。最近の発掘調査の成果も反映されていませんので、リニューアルが望まれます。

 

 宇治市立源氏物語ミュージアムにある、浄妙寺の復元想像図です。昭和42年の発掘調査で検出された三昧堂の遺構をもとにして描かれています。藤原氏の葬送地である宇治三七陵のほぼ中央に位置しており、藤原道長が建立した寺としては最初の例となります。

 藤原道長の寺といえば、豪華絢爛を極めた法成寺のことがよく挙げられますが、浄妙寺はそれ以前に建てられた藤原摂関家の氏寺でありました。権力を手にした道長が、一門をまとめてゆくうえでの精神的支柱および宗教的象徴として建立し、宇治三七陵の墓守寺としての性格も担っていたものと思われます。

 浄妙寺は、室町時代の寛正三年(1462)の土一揆で焼かれて廃絶しました。もし現在に残っていれば、藤原頼通の創建した平等院とともに、摂関家の記念塔として国宝に指定され観光地となっていたのは間違いありません。

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く36 その5 「食堂さくらです!!」

2020年08月06日 | 大洗巡礼記

 この日の夕食は、上図の洋食店「食堂さくら」でいただきました。梅原屋から引き返す形で路地を通り、17時過ぎに着きました。大洗駅前から左に進んですぐの角にありますので分かりやすいです。

 

 営業時間は御覧の通りです。最近にオープンしたらしく、建物もピカピカでした。前回の3月の訪問時には見た記憶がありませんので、その後に出来たのでしょうか。

 

 店内もオシャレでなかなか良いです。ゆったりと過ごせる空間です。大洗駅前にもこういうお店が出来たのだな、帰りがけに食事をとるには最適の場所にあるな、と感心しました。

 

 メニューを開きました。美味しそうな洋食料理の数々が並びます。最初は右上の「たまごトロトロオムハヤシ」に目がいきまして、良さそうだな、と考えたのですが・・・。

 

 それ以上にエビフライが大好きなので、「ロングエビフライ定食」に決めました。その1450円が、このお店のメニューの最高額ですから、美味しくて安い、良心的なお店なのだろうなと思いました。

 

 飲み物も色々ありますが、今回は注文しませんでした。

 

 これが「ロングエビフライ定食」です。大きなエビフライが2本、これ絶対旨いやつだ・・・!

 

 美味しくいただきました。大洗で食事といえば、たいていは蕎麦か海鮮ものが多かったのですが、たまにはこういう洋食も良いと思います。個人的には大洗の海産物を生かした洋食メニューをもっともっと味わってみたいな、と思うので、こうしたお店がオープンしたのは、誠に喜ばしいことです。駅前近くに位置するので、ガルパン巡礼の利用もこれから増えてくるのでは、と思います。
 若い店主さんに、そのことを話したら、「そうなってくれれば有り難いことです」と笑顔になっていました。  (続く)

 


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宇治巡礼9 宇治上神社

2020年08月05日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 源氏物語「宇治十帖」に登場する八ノ宮の「宇治山荘」のモデル地として宇治神社と共に親しまれている宇治上神社は、宇治神社境内地から約50メートルほど東へ登ったところにあります。その境内地は狭く、宇治神社の半分ほどしかありませんが、山裾の傾斜地にあたって各所には磐座とみられる巨石が点在し、かつては磐座信仰の拠点としてはじまった祭祀スポットであったことを思わせます。当然ながらルーツは原始時代にさかのぼるとみられます。

 

 境内地の奥の傾斜地に建つ本殿は、御覧のように桁行五間、梁間三間の平面規模をもつ流造、桧皮葺の建物で、内部に一間社流造の内殿が3棟並びます。2004年2月の建築部材の年輪年代測定調査により、藤原時代11世紀の半ば、1060年頃の建築と判明し、現存する最古の神社建築であることが確定しています。
 
 宇治川をはさんでむかいあう平等院が永承七年(1052)の創建であり、その平等院の鎮守社に指定されたことと考え合わせれば、藤原氏による神仏一体の整備事業として宇治上神社も平等院と同時期に現在の姿に整えられた可能性が浮かび上がります。

 江戸期までの日本では神仏混交の状態が普通でしたから、寺社を建てる場合は、たいていワンセットでの建立や整備を行っています。神宮寺や鎮守社の位置にあればなおさらで、宇治において平等院を創建する際にも鎮守社の整備は不可欠だった筈です。
 宇治神社および宇治上神社は間違いなく平等院よりずっと前から境内地も建物も存在していた筈ですが、だからこそ、藤原頼通は平等院を創建するにあたって宇治川をはさむ対の位置に寺地を定めて、その二神社を鎮守社にしたのでしょう。したがって何らかの再整備を行ったはずです。現存する宇治上神社本殿と平等院の建築が同時期であるのも偶然の一致ではありません。

 そして、この寺と神社が、当時の面影を今にとどめて立派に現存しているという、日本でも稀有の文化財保存状況になっています。紫式部が生きた時期より僅かに半世紀ほど後の建築であり、源氏物語の世界観の舞台でもあります。宇治における歴史観光の最大の魅力であると言えましょう。

 

 祭神は3柱、本殿内に並ぶ内殿の左棟に菟道稚郎子命、中棟に応神天皇、右棟に仁徳天皇が祀られます。応神天皇は菟道稚郎子命の父、仁徳天皇は兄にあたります。3棟の内殿のなかで左棟がやや古いため、建設は左棟から始められたのではないかと思われますが、それは祭神が宇治の産土神ともいうべき菟道稚郎子命であるからでしょう。

 

 本殿とともに国宝に指定されているのが、本殿の前下に建つ上図の拝殿です。切妻造、檜皮葺きで、桁行六間、梁間三間の母屋の左右に各一間の庇を付けます。これに応じて切妻造平入りの屋根の左右端に片流れの庇屋根を設けるため、切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がりますが、この形を縋破風(すがるはふ)と呼びます。
 母屋の周囲に榑縁(くれえん)をめぐらし、内部には板床と天井を張ります。扉には蔀戸を多用しており、藤原時代のいわゆる寝殿造と呼ばれる住宅風の構えを示しています。

 

 なので、建物自体は鎌倉時代前期の造営ですが、もともとは本殿と共に建てられた藤原時代の拝殿を踏襲して建て直したものであるかもしれません。上図のように背後から見ますと、これが神社の拝殿かと思うような、あまり拝殿らしくない優雅さと、いかにも王朝絵巻に描かれる邸宅の構えを示しています。

 源氏物語ファンが、作中の世界観に一番ひたれる建築遺構である、とするのも誇張ではありません。まさに八ノ宮の隠棲した「宇治山荘」もこんな感じの建物だったのだろう、と思わせます。
 なので、「宇治十帖」の聖地巡礼においては最も人気がある場所となっていますが、それ以上に、平等院と合わせて藤原時代全盛期の寺社の遺構が現存する場所、という点では日本でも唯一のエリアでもありますから、世界遺産の構成要素に指定されて、外国人観光客にも人気があるのも頷けます。

 一般の観光客は、平等院には必ず訪れますが、宇治上神社まで行く人は距離の関係であまり居ないと聞きます。ですが、宇治の歴史と文化的風土を時系列で俯瞰した場合は、宇治上神社のほうが古いですから、まずは宇治上神社に参拝して、それから朝霧橋を渡って平等院に行く。その順で巡るとより藤原時代王朝文化のロマンにもひたれる筈です。

 源氏物語の聖地巡礼ルートがその順路になっているのも、「宇治十帖」の世界観での物語が現実の宇治の歴史状況をそのままなぞっているからでしょう。宇治上神社は、八ノ宮の「宇治山荘」のモデル地としてルートの要の位置にあります。ヒロイン三姉妹の大君、中君、浮舟たちのロマンスをしのぶのにも最適の場所でしょう。

 

 宇治上神社の地図です。


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く36 その4 「ガルパンフィギュアです!!」

2020年08月04日 | 大洗巡礼記

 ホビー喫茶「sdkfz」にはフィギュアも沢山展示されています。玄関口を入ると正面に上図のガルパンフィギュア群が並んでいます。大洗の喫茶店らしい粋な展示位置です。訪れる客の大半はガルパンファンであると見込まれますから、戦車もキャラクターも一番よく見える場所を選んであるのでしょう。

 

 他のアニメのキャラクターも並んでいます。上図の上段のフィギュア群は何のアニメのキャラクターであるかちょっと分かりませんでした。下段に並ぶのはポケモンシリーズのキャラクターです。

 

 ガルパンフィギュア群に視線を戻しますと、どうしても上図の西住しほ、島田千代の家元ふたりが目立っていて視線が固定されてしまいます。それほどの存在感、魅力、緊迫感が備わっているキャラクターですから、圧倒される思いにもかられてしまいます。間違いなくガルパン最強のキャラクターですね・・・。このフィギュア2点は、非常に完成度も高くて、けっこう売れたんじゃないかなあ、と思います。
 西住しほの手前に西住みほが居ますが、これで親子かと思うほどの、格の差みたいなものが鮮やかに感じられます。

 

 店内の一角には模型工作用ツールやガイアの塗料も並べてあり、販売されています。ここだけが模型店の店内みたいです。もしかして、ここはホビースペースも兼ねているのですか、と店主さんに訊ねましたら、「組み立て程度なら出来ますけど、削るとか塗装とかは遠慮していただいて、あの、そういうのは大洗工廠さんのほうで・・・」と答えてきました。喫茶店ですから、まあそういうことだろうな、と納得しました。

 これで、大洗の商店街エリアには、少なくとも模型関連商品を扱う店が3ヶ所もあることになります。タグチさん、大洗工廠さん、こちらのお店、です。それだけの需要があるのだろうか、と思いました。

 昼食のほうは、Aさんと揃って「自家製カレー」をいただきました。店主さんこだわりのスパイシーなカレー、ということで、個人的には「おお、なかなか」と美味しくいただきましたが、Aさんはこの種のカレーは苦手だったらしく、「こういうのはちょっと・・・」と話していました。
 私自身は、スパイシーなカレーは好物のひとつです。カレーというのは結構味に幅があり、作る人によっては独自の風味にこだわれる余地がありますから、たかがカレーとあなどっていると、とんでもなく美味しい品、もしくは地獄のようなピリリ味系品に直面する場合があります。それがカレーの楽しさ、魅力だろう、と思います。

 その後は磯前神社へ行きましたが、雨が降り続いているので、Aさんが神社の駐車場に車を入れて、そのまま夕方まで車内で楽しく雑談をして過ごしました。

 

 16時頃に大洗駅まで送ってもらいました。Aさんはこの日は「さかなや隠居」に泊まる予定で、17時にチェックインするということでした。私のほうは、最近よく利用している水戸駅前のプリンスホテルに予約していましたが、食事は朝のみなので、夕食は大洗のどこか、出来ればまだ行ったことがないお店でいただこうと決めていました。

 

 とりあえず、新しい大洗駅前の様子を見て回りました。上図のオブジェには驚きました。大洗のメイン産業が漁業、水産加工業であることを立体的にアピールしているのだろう、とは思いましたが、説明板も何も無いので、正確にはどのようなメッセージを発するオブジェなのかは分かりませんでした。

 

 とりあえず、夕食に行けるお店をタブレットで検索して探してみると、駅のすぐ近くに最近にオープンしたらしい食事処が見つかりました。初めて聞く店名でしたが、位置はよく歩いているコースの横でしたので、そこで夕食をとることに決めました。ですが、開店時間までまだ40分ほどありました。

 

 そこで、梅原屋に立ち寄って、橋本さんに連絡事項を伝え、ついでに今回の滞在中に買おうと考えていたガルパンシャツの品定めを行ないました。

 

 お馴染みの店内ガルパン模型展示は縮小されたままですが、中身の濃さは変わりませんでした。私自身の製作にとっても参考になる要素が豊富にあり、モチベーションが自然に上がってまいります。
 個人的には、こうした独創性に満ちたオリジナルストーリーが込められたジオラマが好きなので、自分もこういうふうに何か作りたいな、と考えています。しかし、残念なことに私には空想力も想像力も足りないので、まずはそのへんを何とかしないといけません。よい方法は無いものでしょうか。

 これらの作品の作者Nさんとは、明後日24日に店内で会うことになっていました。そろそろ時間が近づいてきたので、夕食をとりに退出しました。  (続く)

 


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宇治巡礼8 宇治神社

2020年08月03日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 源氏物語「宇治十帖」の舞台モデルといえば、多くの源氏物語ファンや巡礼者は第一に宇治神社を挙げるそうです。作中に登場する八ノ宮、その三人の娘たちをとりまく人間模様の後半が、八宮の隠棲地である「宇治山荘」を舞台として繰り広げられますが、その「宇治山荘」のモデルが宇治神社であるとされているからです。

 上図は、去年2019年の9月に訪れた際の写真で、宇治神社の大鳥居がまだありません。2018年9月の台風21号で倒壊してしまい、基礎石だけを残して撤去されていたからです。そして2019年12月25日に新たに建て直されましたが、その写真をまだ撮っていません。

 

 大鳥居から参道を登っていくと、拝殿である桐原殿を経て、上図の二の鳥居と本殿中門に至ります。この境内地一帯が、付近では最も広い平坦面であり、藤原時代における公卿階級の邸宅地にも相応しい面積があります。
 
 一般的には奥の宇治上神社を「宇治山荘」のモデルとするようですが、宇治上神社の境内地は山裾の傾斜地であり、貴族の邸宅を造るには適しない地形です。紫式部による作中の舞台描写をみると、例えば「橋姫」では「網代のけはひ近く、耳かしかましき川のわたりにて」とあり、「椎本」では「宇治山荘」に関して「水に臨きたる廊に造りおろしたる階」があったと述べています。つまり、宇治川に近い場所にあり、川辺に廊(通廊)や階(建物)があったわけですが、そういう邸宅を建てるならば、宇治上神社の境内地では遠すぎます。宇治神社の境内地ならば可能となります。

 

 本殿は鎌倉後期の三間社流造で、檜皮葺です。国の重要文化財に指定されています。建築の細部に古式を踏襲したあとがみられますので、もとの平安期の本殿の造りを受け継いで造替されているのかもしれません。
 この種の社殿としてはかなり背が高い建物ですので、御覧のように周囲から玉垣越しに見る事が出来ます。

 

 祭神は菟道稚郎子、応神天皇の三男にして皇太子に立てられたものの、異父兄の大鷦鷯尊に皇位を譲るべく自殺し、その大鷦鷯尊が即位して仁徳天皇となったというストーリーにて知られます。実際には宇治を本拠とする和邇氏の娘を母に持つ菟道稚郎子が、河内・難波を地盤とする大鷦鷯尊との後継者争いに敗れて自殺させられた、ということでしょう。
 その菟道稚郎子の像とされる神像が、本殿内陣に安置されています。平安期の作で国の重要文化財に指定されています。

 紫式部えがくところの八ノ宮は、この菟道稚郎子がモデルになっているようです。兄弟間の皇位継承問題に悩まされたことや、宇治に隠棲したことなどが共通要素として挙げられるからです。
 さらに、宇治神社の通称である「離宮社」は、当地がもとは菟道稚郎子の「桐原日桁宮」または「菟道宮」の跡地であることに因みます。そして神社の真東の朝日山に菟道稚郎子の墓所がありますから、宇治神社というのは、菟道稚郎子ゆかりの地であるわけです。
 なので、八ノ宮の「宇治山荘」も、「桐原日桁宮」または「菟道宮」のイメージがモデルになっているのでしょう。

 

 境内地の南側に並ぶ摂社群です。右より春日社、日吉社、住吉社です。春日社は古い建物で、京都府の指定文化財になっています。

 ですが、多くの源氏物語ファンや巡礼者は、春日社の右手にある石列群のほうに向かいます。遥拝所の木札が立つその場所が、パワースポットとして有名になってきているからです。「願いうさぎ」と呼ばれるウサギの置物もあって人気を呼んでいるようです。

 

 宇治神社の地図です。


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く36 その3 「楽しい模型空間です!!」

2020年08月02日 | 大洗巡礼記

 ホビー喫茶「sdkfz」の展示品は、店主さんの趣味、興味範囲をそのまま示しているようです。ウルトラマンなどの特撮系フィギュア、艦これ、ポケモン、ラブライブ等のフィギュア、怪獣系のプラモデルなどがあります。メインがやっぱりガルパン系であるのは、大洗にある喫茶店としては当然の帰結なのでしょう。
 上図は、大洗女子学園チームの車輌群です。サメさんチームまでの各チームの戦車が全て揃っています。

 

 個人的には、サメさんチームのマークⅣに目が行きました。私自身の製作計画にはまだ無い車輌ですが、今後作るかと問われれば、ちょっと腕組みをせざるを得ません。なぜなのかは分かりませんが、現時点ではあんまり製作意欲が沸かないのです。どうしようかな・・・。

 

 アンツィオ高校チームは3車種が揃っていますが、プラウダ高校はT34/76がまだありません。劇場版仕様のロシアングリーンが渋いです。大洗支援義勇チームの3輌、ということであれば、これで全部が揃っていることになります。

 

 聖グロリアーナ女学院チームの3車種も揃っています。右端に継続高校チームのBT-42も見えます。幾つかの車輌には1/35スケールのフィギュアが付されています。

 店主さんによれば、これらは普通にストレート組みで製作したようです。劇中車の仕様とかにはこだわらないそうです。そのほうが楽に作れる、ということですが、その通りです。私自身も劇中車の仕様とかにこだわっていなければ、今頃はもっと沢山作っていただろうと思います。

 

 なので、知波単学園チームの九七式中戦車も劇中車とは違う雰囲気に仕上げられていました。三色迷彩および黄帯をエアブラシで吹き付けてあるため、実際の帝国陸軍車輌に似たカッコイイ姿になっています。実にカッコイイです。こういう塗装もアリだな、と感心しました。

 

 一巡して再び黒森峰女学園チームに戻りました。やっぱり黒森峰推しといたしましては、この並びがグッときます。早く不足車輌を追加してドイツ機甲師団の末裔の勇姿を堂々と示して欲しいものです。
 ここでの不足車輌とは、ヤークトパンター、ラング、エレファント、Ⅲ号J型の4輌です。店主さんに聞くと、少しずつ追加します、との事でした。

 

 展示ケースの天板上には大きなティーガーⅠがありました。例のフィグマ用の1/12スケールの品のようです。私自身は実物を初めて見ましたが、大きいですね・・・。
 このマックスファクトリーからの1/12ガルパン戦車は、以前にⅣ号戦車を持っていましたが、置き場所に困った挙句に売却しています。こういう喫茶店の広い店内ならば、何輌でも置けそうですね・・・。  (続く)

 


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