気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

宇治巡礼8 宇治神社

2020年08月03日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 源氏物語「宇治十帖」の舞台モデルといえば、多くの源氏物語ファンや巡礼者は第一に宇治神社を挙げるそうです。作中に登場する八ノ宮、その三人の娘たちをとりまく人間模様の後半が、八宮の隠棲地である「宇治山荘」を舞台として繰り広げられますが、その「宇治山荘」のモデルが宇治神社であるとされているからです。

 上図は、去年2019年の9月に訪れた際の写真で、宇治神社の大鳥居がまだありません。2018年9月の台風21号で倒壊してしまい、基礎石だけを残して撤去されていたからです。そして2019年12月25日に新たに建て直されましたが、その写真をまだ撮っていません。

 

 大鳥居から参道を登っていくと、拝殿である桐原殿を経て、上図の二の鳥居と本殿中門に至ります。この境内地一帯が、付近では最も広い平坦面であり、藤原時代における公卿階級の邸宅地にも相応しい面積があります。
 
 一般的には奥の宇治上神社を「宇治山荘」のモデルとするようですが、宇治上神社の境内地は山裾の傾斜地であり、貴族の邸宅を造るには適しない地形です。紫式部による作中の舞台描写をみると、例えば「橋姫」では「網代のけはひ近く、耳かしかましき川のわたりにて」とあり、「椎本」では「宇治山荘」に関して「水に臨きたる廊に造りおろしたる階」があったと述べています。つまり、宇治川に近い場所にあり、川辺に廊(通廊)や階(建物)があったわけですが、そういう邸宅を建てるならば、宇治上神社の境内地では遠すぎます。宇治神社の境内地ならば可能となります。

 

 本殿は鎌倉後期の三間社流造で、檜皮葺です。国の重要文化財に指定されています。建築の細部に古式を踏襲したあとがみられますので、もとの平安期の本殿の造りを受け継いで造替されているのかもしれません。
 この種の社殿としてはかなり背が高い建物ですので、御覧のように周囲から玉垣越しに見る事が出来ます。

 

 祭神は菟道稚郎子、応神天皇の三男にして皇太子に立てられたものの、異父兄の大鷦鷯尊に皇位を譲るべく自殺し、その大鷦鷯尊が即位して仁徳天皇となったというストーリーにて知られます。実際には宇治を本拠とする和邇氏の娘を母に持つ菟道稚郎子が、河内・難波を地盤とする大鷦鷯尊との後継者争いに敗れて自殺させられた、ということでしょう。
 その菟道稚郎子の像とされる神像が、本殿内陣に安置されています。平安期の作で国の重要文化財に指定されています。

 紫式部えがくところの八ノ宮は、この菟道稚郎子がモデルになっているようです。兄弟間の皇位継承問題に悩まされたことや、宇治に隠棲したことなどが共通要素として挙げられるからです。
 さらに、宇治神社の通称である「離宮社」は、当地がもとは菟道稚郎子の「桐原日桁宮」または「菟道宮」の跡地であることに因みます。そして神社の真東の朝日山に菟道稚郎子の墓所がありますから、宇治神社というのは、菟道稚郎子ゆかりの地であるわけです。
 なので、八ノ宮の「宇治山荘」も、「桐原日桁宮」または「菟道宮」のイメージがモデルになっているのでしょう。

 

 境内地の南側に並ぶ摂社群です。右より春日社、日吉社、住吉社です。春日社は古い建物で、京都府の指定文化財になっています。

 ですが、多くの源氏物語ファンや巡礼者は、春日社の右手にある石列群のほうに向かいます。遥拝所の木札が立つその場所が、パワースポットとして有名になってきているからです。「願いうさぎ」と呼ばれるウサギの置物もあって人気を呼んでいるようです。

 

 宇治神社の地図です。


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