気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その11

2020年06月30日 | ガルパン模型制作記

 ステップ11では砲塔上の展望塔、履帯、舵ワイヤーを取り付けます。このうち、舵ワイヤーは航行時にのみ取り付けるものであった旨をSさんに伺っており、今回は陸上での姿に仕上げますので舵ワイヤーは不要となります。履帯は塗装後に取り付けます。
 ステップ12では前部フロート底面の注排水弁をエッチングパーツにて取り付けます。

 

 ステップ11の手始めに、ガルパン仕様への工作を行ないます。展望塔のパーツ3点の他に、ジャンクパーツよりハンドル2点を準備しました。

 

 劇中にて西原が握っているハンドルを追加再現します。Sさんによれば、実車の展望塔内にもこのハンドルが左右に付いており、これを握って展望塔の上部を旋回させたそうです。パーツのJ15にあたり、戦車のペリスコープのように360度回せたそうで、つまりは全方位を見られるわけです。
 このSさんの証言により、上図の西原が展望塔の中に居る事が分かります。つまりはパーツJ15の中に居て旋回しつつ外を見ているわけです。西原の頭上に見える円形の線は、ハッチのJ9にあたります。

 

 パーツのJ15の内部左右にハンドルを取り付けました。

 

 展望塔が組み上がりました。これは航行時にのみ砲塔の上につけるものですから、着脱自在とすることにして接着はしませんでした。

 

 車体に砲塔をセットした状態です。

 

 そして砲塔の上に展望塔をセットしてみました。実際のカミにおいては、展望塔は航行時の見張り所として機能しました。艇長または無線士が天板ハッチ上に上半身を出して、双眼鏡で周囲の海面を見張って敵潜水艦の襲撃に備え、同時に右回りで上空を見張って敵機の来襲に備えたそうです。

 Sさんの艇は、パラオに配備されてからずっと海上に在ったため、この展望塔も装備したままであったそうです。ですが、マラカルでの戦訓工事にて37ミリ砲を25ミリ単装機銃に換装した際に展望塔を取り外したそうです。それ以降は高い位置からの見張りが出来なくなったため、見張り能力が低下したそうです。

 

 ステップ12のエッチングパーツの取り付けが完了しました。

 

 スクリューユニットは、実際には着脱自在であり、上陸後または陸上での行動においては外しておく場合もあったそうですが、いまパラオに現存している車輌の幾つかはスクリューユニットを付けたままです。その理由についてSさんはこう述べられました。

「・・・これを外しますとね、細長い窓が出来てしまうんですけれども、それを塞ぐ為の鉄板とかは何も付いてないわけです。しかも後ろの低い位置にありますからね、戦闘の際に敵の歩兵の攻撃の的になってしまいかねないわけです。機関銃とか突っ込まれて撃たれたらやられますし、手榴弾を放り込まれたらオシマイですから・・・。それで、陸に居っても推進軸ごと付けたままにしておいたんと違いますかね・・・」

 劇中車もスクリューユニットを付けたままの状態で密林内を疾駆していますので、ここでは上図のように接着固定しました。

 

 合わせて、内部のスクリュー推進軸もセットしました。Sさんによれば、推進軸は保護管の中に通されていたそうなので、上図のように推進軸変換器から伸びる保護管をタミヤのブラ棒で再現しました。推進軸の先端の穴にスクリュー軸の先端がかみ合わさる部分は保護管の外であったそうなので、その形状で作りました。

 

 再びエンジンを仮置きして全体の様子をチェックしました。Sさんに見て貰い、二ヶ所の訂正指導を受けましたので、削ったりして修正を施しました。

 

 後部フロートは付いたままの状態にしますので、接着固定しました。

 

 後部フロート底面の舵や注排水弁の様子です。

 

 砲塔を仮組みした状態です。

 

 前部フロートは磁石によって着脱自在としています。エンジンデッキの3枚のハッチも開閉自在としますので接着していません。それで仮組みの状態でマスキングテープを貼って固定しています。  (続く)

 


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ガールズ&パンツァー リボンの武者 第14巻

2020年06月29日 | ガールズ&パンツァー

 去る6月23日に発売されました、「ガールズ&パンツァー リボンの武者 第14巻」です。

 西住みほに会った鶴姫しずかが、念願の対戦に備えてムカデさんチーム連合を強化する経緯までが描かれますが、驚いたのはストーリーの背景がいつのまにかアニメ本編に合わせる流れになっていたことでした。テレビシリーズからの各場面が再び描かれ、そして「現在」へと繋げられています。
 つまり、「リボンの武者」はアニメ本編と密接に絡めての物語である、ということです。その本質が今回の第14巻で大きく示された形でした。

 ですが、サークルのガルパン仲間のT氏は、それよりもボンプル高校チームの新登場車輌であるアーチャーのほうが物凄く気になっているらしく、昨晩の電話でも「オープントップなのにええのか?」、「ヤイカは車外に貼りついて指揮とるんか?」、「なんか、アーチャーって強そうじゃないな」とか話していました。

「このアーチャーっての、プラモデルはあるんかな?」
「ある。タミヤとブロンコから出てるよ」
「ふーん、タミヤはともかく、ブロンコってのはちょっと興味あるな」
「パーツ細かくて大変だろうけどな・・・」
「なに、ウチの予算とロマン的にはこれが・・・!」

 どこかで聞いたようなセリフだと思ったら、作中のヤイカの言葉そのままでした・・・。

 


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知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その10

2020年06月28日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8からは砲塔の組み立てです。ガイドの指示通りに進めます。

 

 細かいパーツが多いので、飛ばしたり無くしたりしないように注意して作業を進めました。

 

 組み上がりました。上図では背面ハッチのC23を取り付けていませんが、後で接着固定しました。このハッチの機能をSさんに尋ねたところ、後方監視用のビジョンスリットがついているものの、通常は開け放して換気に使っていたとの事でした。戦闘中はこのハッチから主砲射撃後の空薬莢を排出したりしたそうです。

 ちなみにSさんの艇は、以前の記事で述べたように、パラオでの任務期間中に37ミリ主砲を25ミリ単装機銃に換装しています。37ミリ砲の砲弾を使い果たしたのと、戦訓による対空武装強化の指示が出ていたためでした。その25ミリ単装機銃は37ミリ砲よりも銃身が長いため、砲塔内にはおさまらず、背面ハッチ部分を取り外して一回り大きくカットしたうえで、銃尾を背後に突き出していたそうです。
 射撃時の弾倉交換は上から行うので、左右の乗降用ハッチから弾薬箱を上に上げて砲塔の脇で装填を行なっていたそうです。そのために、砲塔の側面に予備弾倉が4個入るラックを設け、左右後方に臨時のステップを取り付けて、装填手はその上に立って弾倉を抱えて装填したそうです。そのため、15発入りの弾倉を5個続けて装填出来、連続で75発を撃てたそうです。その弾幕で敵機を捉えて撃墜し、敵潜の襲撃にも素早く応戦出来たそうです。

 

 ステップ9では37ミリ砲を組み立てて砲塔にセットします。ガイドの指示通りに進めます。

 

 今回の製作では劇中車に仕上げますので、37ミリ砲の横に同軸機銃の7.7ミリがつきます。
 Sさんの艇では37ミリ主砲を25ミリ単装機銃に換装する際に同軸機銃の7.7ミリも撤去し、銃本体は予備として艇内に収納したそうです。25ミリ単装機銃本体はかなり大きいため、37ミリ砲も7.7ミリ機銃も外さないとおさまらなかったのだそうです。
 機会があれば、カミをもう1輌作って、Sさんの艇のように武装を25ミリ単装機銃に換えた状態に仕上げてみたいです。

 

 組み上がりました。この主砲と機銃を、艇長または銃手が一人で操っていたそうです。砲塔内の空間には一人しか入れないからです。25ミリ単装機銃に換えても同様だったそうですが、弾倉装填のためにもう一人必要となっています。

 

 ドンドン組み立ててゆきました。

 

 組み上がりました。天板の折り畳み式ハッチは開閉自在とするために接着していません。

 

 ステップ10では砲塔内部の各所を組み立てます。ガイドの指示通りに進めます。

 

 組み付けるパーツ群です。実車と同じ状態に再現出来ます。

 

 最初は塗装しながら組み立てる積りでしたが、細部の塗り分けがあまり要らないため、組み上げてからの塗装に切り替えました。

 

 組み上がりました。細部も全て忠実に再現されています。省略されている箇所があるかどうかをSさんに訊ねたところ、しばらく手にとって見て、砲塔を頭上に掲げて下から仰ぎ見て、しばらく無言のままでしたが、やがて小声で「・・・この大きさですから細かいところははしょってるかもしれんと思いましたけれどね・・・、いや、もう、これは本物と変わりません・・・、実に見事なプラモデルですな・・・」と呟かれました。
 このドラゴンのカミのキットが、帝国海軍のカミ艇長だった方のお墨付きをいただいた瞬間でした。  (続く)

 


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平安京の模型

2020年06月27日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 昨年夏に京都市に引っ越し帰還して以来、毎月二回行っている場所があります。上図の「京都アスニ―」こと「京都市生涯学習総合センター」です。無料で利用出来、京都市中央図書館が併設されているので便利です。
 場所は中京区の丸太町通の七本松で、最寄りの市バス停は「丸太町七本松」です。私の職場から市バスで大体20分ぐらいで行けますので、大体は退勤後に立ち寄って、閉館時間まで楽しんでいます。

 「京都アスニ―」こと「京都市生涯学習総合センター」の公式サイトはこちら

 

 毎月2回行って何を楽しんでいるかというと、「京都アスニ―」一階の「京都市平安京創生館」内に展示されている、上図の1/1000スケール平安京復元模型です。平成6年に平安遷都1200年記念事業の一環として制作されました。対象範囲は東西4.5キロ,南北5.2キロに及び、)で,国内では最大規模の復元模型として知られています。

 しかも、時々メンテナンスや追加製作が行われており、平成30年には対象範囲をさらに拡げています。このときは西側の右京区辺りが拡がりましたが、今後は現在未着手の東側左京区エリアが追加されるとの噂があります。そうなったら、今よりも規模が大きくなりますので、見応えも増すでしょう。

 「京都市平安京創生館」の公式サイトはこちら

 

 かつて奈良市に住んでいた頃は、奈良市役所の展示室にあった平城京復元模型を毎月眺めに行っていましたから、その延長上でこちらの平安京復元模型を楽しんでいる形になりますが、しかし模型の規模が4倍ぐらい、出来もより精巧になっていますので、模型好きにはたまりません。歴史関係も趣味なので、こういう歴史模型というのは、どのようなものでも何度見ても飽きません。

 この復元模型を見ていると、現在の京都市街を回っていてもなかなかイメージしにくい古代の景観がリアルに分かってきて、現存の社寺や遺跡の位置を目安にしての距離や方角の把握が簡単に出来ます。そうやって頭の中にこの模型のイメージを写し取るようにおさめておくと、京都市街の歴史散策にて古代の平安京のどこに居るかが分かってきて楽しくなります。

 

 この模型では、いまでは均一的に市街地化してしまった平安京の内と外との景観の差が明白に示されています。いまの右京区の大半は京外なので、御覧のように原野が広がって田畑もまだそんなに開拓されていない状態です。嵯峨も嵐山も普通の原野だった頃の景色が楽しめます。

 

 日本最大規模の模型なので、奥へ行くほど細部が見えにくくなり、双眼鏡が欠かせません。撮影もOKですが、なるべく望遠モードのついたカメラを使うのが良いでしょう。

 例えば、上図の六波羅の範囲など、双眼鏡で見ないと細かい区画が分かりにくいです。ほぼ中央に位置してこちらに正面を向け、前面に門を設けている朱柱のお堂は、現在の六波羅蜜寺本堂にあたりますが、その向こうの池を中心とする区画が平清盛の邸宅であった「泉殿」です。そして六波羅蜜寺本堂の左にも庭園を有する邸宅がありますが、そこが平頼盛の邸宅であった「池殿」です。今では完全に市街化していますので、この模型で景色を見ておかないと、現地での歴史理解がなかなか進みません。

 私自身は、どちらかというと古代よりも中世戦国期の京都の歴史および景観に興味がありますので、出来たら中世戦国期の京都の歴史復元模型も同じスケールで作って欲しいな、と思います。
 例えば、「泣く子も黙る鬼の六波羅」と謳われた鎌倉幕府の六波羅探題は「泉殿」エリアを接収して設置されたようですが、この模型はそれ以前の景観を復原していますから、六波羅探題はまだありません。その政庁施設のイメージもなかなかまとまりません。なにしろ遺跡がいまだに確認されていませんから、仕方がありません。
 なので、いま移築されて現存している六波羅探題の北方と南方の御門は、一体どのあたりに建っていたのだろう、と模型を眺めるたびに首を傾げてしまいます。


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知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その9

2020年06月26日 | ガルパン模型制作記

 前後のフロートが組み上がったので、車内インテリアの塗装と組み立てに移りました。ステップ4にて取り付けを保留にしていたフロート連結ハンドルと燃料タンクのパーツを上図のように塗装しました。
 Sさんの教示によって、フロート連結ハンドルは黒色、燃料タンクは白色であることが分かっていますので、前者をミスターカラーの33番つや消しブラック、後者を62番つや消しホワイトで塗りました。

 

 塗装したパーツを全て組み付けました。さらにSさんの教示によって前照灯操作把もブラ材で再現しました。前面の予備機銃架の中央に斜めに付いている部品がそれです。これで前照灯の向きを換えるわけで、グリップは木製だったそうです。それでグリップを43番のウッドブラウンで塗りました。

 

 さらにSさんの教示によって、左右側面補強桁の前面に付く手摺をブラ棒で追加しました。

 

 左右側面補強桁の前面に付く手摺は、上図のような形状です。左右側面補強桁の基部に沿って縦に付けられ、支柱は金属で手摺本体は木製だったそうです。軽量化対策のためにハンドルやグリップなどは木製としたわけですが、Sさんによれば「あんまり意味が無かったと思います・・・」でした。
 この縦の手摺には、乗員がつかまったり、応急修理用の工具袋などをぶら下げたりしたそうです。

 

 棚まわりの状況です。以前に述べたように棚には舵ワイヤーと転把の収納ケースと、ビジョンスリット用の防弾ガラス予備のケースとが収められていたそうです。これと対の位置には無線機が備え付けてあったそうですが、Sさんの教示によれば、九七式中戦車の無線機が転用されていたそうです。
 そこで、無線機はファインモールドのパーツを使用することにしましたが、この時点ではまだ塗装もしていなかったので後の工程に回しました。

 

 燃料タンクです。天井から吊り下げる形になっていますが、Sさんによれば、艇床に近い所にあると浸水や波浪の影響を受けやすくなるため、出来るだけ高い位置に取り付けるべく、そうなったのだ、ということです。タンクの一番底に付いているバルブに送油ホースを取り付け、エンジンの給油口まで繋いだのだそうです。そしてこの場合、必ず左側のタンクから使用したそうです。

「・・・なんで左のタンクから使ったのかといいますとね、燃料タンクは航行時にはバラストの役目も果たしておったんですね・・・、それで機関兵が定期的に送油管を付け替えて送油するわけです。それをまず左タンクから送油する。その理由は、いざという時に面舵の効きが良くなるからですよ・・・。海軍のフネは基本的にスクリューが右廻りですからね・・・、推進力は右がやや強いんですよ。だから面舵のほうが取舵より効きが早い。それでカミの場合はタンクにバラスト機能を持たせてありましたからね、まず左タンクから使って燃料を減らして軽くするんですが、そうなると艇は右にやや傾き加減になりますね。それで面舵をとれば回りやすくなる。小回りがきくんですよ・・・」
「・・・逆に右のタンクが軽くなっていて、取舵をとってもですね、面舵のときよりはちょっと舵が効くのが遅れるんですね・・・。だからどうしても戦闘時の回避転舵は面舵が多くなる。そのために普段から燃料は左タンクから使い始めて、定期的に左右の送油管を付け替えてなるべく左右のタンクの残量を均一にしてゆくわけですが、左から使い始めてますから、だいたいは左のほうが残量が少ない。艇もやや右傾しとるわけですよ・・・」

 この措置が、敵機の襲撃を受けた際に面舵による回避運動の効果を左右したそうです。Sさんの話によれば、敵機のパイロットはだいたい右利きが多かったようで、襲撃のときは多くが左旋回して肉薄してきたそうです。それで機銃を撃ち、携行爆弾を投下してくるのですが、多くはカミの前方の対空機銃を警戒して後ろから狙ってきたそうです。その際にカミが面舵をとれば、敵機は左旋回の流れになっていますから左にブレてゆき、弾も回避出来たというわけです。

 

 操縦席まわりの再現状況です。以前に述べたように、操縦装置は九七式中戦車と共通であったそうなので、ファインモールドのインテリアパーツをそのまま転用して、Sさんのアドバイスに従って取り付けました。中央のギアボックスの左に付く駆動軸切替装置もSさんの記録メモ図通りに再現しました。そのレバーは右、装輪走行時の位置にセットしてあります。

 

 Sさんによれば、機関兵がエンジン前の推進軸切替レバーを前に倒して駆動軸をスクリューから起動輪へと繋ぎ、次いで甲板上を前に移動してギアボックスの左に付く駆動軸切替装置まで行き、そのレバーをゆっくりと左から右に回すと、そこで初めて駆動軸からのギアが起動輪の軸にかみ合わさって起動輪が回り始める、という流れだったそうです。

 実は、試作段階ではこの駆動軸切替装置が無かったのだそうです。しかし試験の結果、エンジン前の推進軸切替レバーを切り替えた途端にギアボックスに無理な力がかかって故障が相次いだため、改善策としてギアボックスにも切替装置を入れて、自動車のクラッチのような形でゆっくりギアをつなぐ方式にしたところ、良好な成績をおさめたため、これで正式採用となったのだそうです。
 この話から、カミはフロートだけでなく内部の機構に関しても試行錯誤を繰り返していたことが分かります。

 

 エンジンを仮置きしてみました。これでインテリア関係は八割ほど仕上がったことになります。

 

 ステップ7の工程のラストとして、車体前面に取り付けるM19の代わりに、上図の不要パーツB19を準備しました。組み立てガイドはフロート装着時の姿に作るため、フロートの連結パーツもM19になっていますが、私の製作では前部フロートのみ着脱可とするため、フロートを切り離した際のカニ形ハサミの形状になっているB19を使いました。

 

 パーツB19を取り付けました。これで前部フロートを外した場合の車体前面の外見が整いました。  (続く)

 


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ガルパン戦車および車輌の公式キット、適応キットのメーカー (補足版)

2020年06月25日 | ガルパン模型制作記

 去る6月19日に作成した、ガルパンのアニメ及びコミックに登場している戦車および車輌の1/35スケール公式キットと適応キットの一覧の補足です。前回は「多数」と記したタミヤとドラゴンの一覧を追加し、さらに新たに判明した適応キットも追加しました。

 

日本 アスカモデル  M4A1(公式キット)、シャーマンファイアフライ(公式キット)
   アミュージングホビー  ノイバウファールツォイク、ポルシェティーガー(公式キット)、ARL44(公式キット)
   タミヤ  Ⅳ号戦車D型、Ⅳ号戦車H型、M3中戦車リー、ヘッツアー、B1bis、マークⅣ、ティーガーⅠ、ティーガーⅡ、パンターG型、ラング、ヤークトパンター、ヤークトティーガー、チャーチルMk.Ⅶ、マチルダⅡ、クロムウェルMk.Ⅳ、T-34/76、T-34/85、IS-2、KV-2、M4無印、ファイアフライ、M20装甲車、九七式中戦車、九七式中戦車新砲塔、Ⅱ号戦車F型、R-35、BT-42、BT-7、M41セモヴェンテ、M26パーシング、M24チャーフィー、ソミュアS35、Ⅲ号戦車N型、Ⅲ号突撃砲G型、Sd.Kfz.222 四輪装甲車、クルップKfz.70プロッツェ、SU-122、35(t)戦車、M5A1、ダイムラー斥候車ディンゴ (このうち、チャーチルMk.Ⅶ、M4無印、M3中戦車リーの3件はファインモールド発の公式キットに、KV-2はプラッツ発の公式キットになっている)
   ピットロード  九五式小型乗用車、九五式小型乗用車(公式キット)、オチキスH39
   ファインモールド  八九式中戦車、三式中戦車、九七式中戦車、九七式中戦車新砲塔型、九五式軽戦車、九七式軽装甲車、九四式軽装甲車(全て公式キット)、九四式六輪自動貨車
   モデルカステン  ガルパンデカールセット、履帯パーツ各種

韓国 アカデミー  ヘッツアー、35(t)戦車、M3中戦車リー、パンターG型

台湾 AFVクラブ  センチュリオン(公式キット)、T34/76、T34/85、チャーチル、M24チャーフィー、M5A1  
   ビジョンモデル  BA-64装甲車、RF-8

中国 タコム  パンターG型、ティーガーⅡ、ヤークトティーガー、M3中戦車リー、マークⅣ(公式キット)
   ドラゴン  プラッツより公式キット化がなされるもの
          Ⅳ号戦車D型、Ⅳ号戦車F2型、Ⅳ号戦車H型、38(t)戦車、ヘッツアー、Ⅲ号突撃砲F型、ポルシェティーガー、ティーガーⅠ、ティーガーⅡ、パンターG型、ラング、ヤークトパンター、ヤークトティーガー、Ⅲ号戦車J型、マウス、T-34/76、T-34/85、IS-2、Ⅱ号戦車F型、M26パーシング、T28超重戦車、ノイバウファールツォイク
          以下は適応キット
          M4ノルマンディ、M4A1オペレーションコブラ、ファイアフライ、九七式中戦車、九七式中戦車新砲塔、Ⅲ号戦車N型、Ⅲ号突撃砲G型、カール自走臼砲
   トランぺッター  ノイバウファールツォイク、BTR-70、KV-2、RF-8、ZiL-157
   バルカンスケールモデル マークⅣB軽戦車
   ブロンコモデル   CV-33(公式キット)、M22ローカスト、A17テトラーク、M24チャーフィー
   ボーダーモデル  Ⅳ号戦車H型
   ホビーボス  38(t)戦車、R35軽戦車、T28中戦車、T26軽戦車、BA-10装甲車、コムソモーレツ、GAZ-AA、M26パーシング、Sd.Kfz.254 装輪装軌併用装甲車
   モンモデル  ティーガーⅡ、ヤークトパンター、FT-17(公式キット)  
   ライフィールドモデル  ティーガーⅠ、パンターG型(公式キット)、ヤークトパンター、Ⅳ号戦車、シャーマンファイアフライ

ロシア アークモデルス  BT-5、Zis-5
    ズベズダ  T34/76、T26軽戦車、BT-5、BT-7、BM-13カチューシャ、Zis-5、SU-122、BA-10装甲車、M41セモヴェンテ
    マケット  T34/76

ウクライナ ICM  T34/76、T34/85、ティーガーⅡ
      CMK  35(t)戦車
      ミニアート  M3中戦車リー、T-60軽戦車、T-70軽戦車、SU-122、GAZ-AA、ダイムラー斥候車ディンゴ

フランス エレール  ソミュアS35(公式キット)、R35軽戦車、オチキスH39

イタリア イタレリ  P40重戦車、フィアット508CM型連絡車、AS42サハリアーナ、Ⅰ号戦車B型、クルセイダー、M4A1、M24チャーフィー、Zis-5

ポーランド  IBG TKS
       RPM TKS、FT-17
       ミラージュホビー 7TP軽戦車単砲塔型、7TP軽戦車双砲塔型、TKS

 

 以上です。まだ他にあるかもしれませんが、見つけ次第追加します。


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知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その8

2020年06月24日 | ガルパン模型制作記

 ステップ7の続きです。フロート本体に右舷手摺のK16を取り付けますが、前回の記事で述べたようにフロートの天板K14に折れ部の改造を施していますので、一番内側のダボ穴はカットされています。それで、新たにダボ穴を上図のようにピンバイスで開口しました。

 

 ダボ穴の移動に応じて、右舷手摺のK16も内側でいったんカットして縮めて繋ぎました。そのうえで上図のように取り付けました。

 

 左舷手摺はガイド指示のK15に換えて不要パーツのK3を使用します。左フロートの幅に合わせて上図のようにカットします。

 

 そしてこちらも天板K13の張り出し部へダボ穴が移動していますから、上図のように支柱をカットして位置をずらします。

 

 改造した左舷手摺K3の取り付け状況です。

 

 以上で、前部フロートにおけるガルパン仕様への改造が完了しました。分割線の折れ部そのものは、注意して見ないと分からない程度のもので、塗装すればあまり目立たなくなりますが、クビンカ博物館の現存実車に合わせた劇中車仕様の一つですので、改造箇所から外すわけにはいきませんでした。

 ただ、Sさんの話によれば、この分割線の折れ部は、パラオに派遣された際の6隻の艇には無かったそうなので、北方に派遣された初期生産分の特徴ではないか、ということでした。フロートの分割線に折れを入れると何か変わりますか、との私の問いにも、「さあ、分かりかねますな・・・」と首を傾げておられました。

 ですが、いまパラオに現存しているカミのうちの、アイライの通信隊跡にある1輌の前部フロートに折れ部が見られます。これはSさんの小隊とは別の小隊の艇であったようですが、パラオに派遣された24隻のうちには、前部フロートに折れ部がある艇が幾つか混じっていたものと思われます。

 

 細かいパーツを取り付けます。

 

 組み付けました。

 

 続いて後部フロートの組み立てです。こちらは全て組み立てガイドの指示通りに進めます。

 

 組み上がりました。

 

 エッチングパーツは瞬間接着剤で貼り付けました。

 

 通風筒などの組み立てに進みました。パーツJ1は操舵把と呼ばれるもので、車内からの舵ワイヤーに繋がって2本の舵を操作する機構です。実際には艇長が砲塔内から遠隔操作することも可能ですが、Sさんの話によれば、通常の航行時には操舵手が操縦席から艇尾に移動して直接操舵把を操っていたのだそうです。

「・・・見た目がちょうどハンドルみたいになっとりますでしょ・・・、これを操舵手がこう、内側を握って左右に回しておったんです・・・。操舵手がね、艇内の操縦席におるのは陸上に上がってからなんですけれども、我々の艇はついに陸に上がることはありませんでしたので、操舵手はだいたいいつも艇尾に板で椅子こしらえて座ってましたね・・・。だからね、いつも周囲の見張りもやりながら舵を操っておったんですね・・・。そこが大型艦との違いでして、壁に囲まれた部屋の中で伝声管で指示を聞いて舵とるんじゃないんです、操舵手が自身で周囲の状況を見まわして舵をとりましたからね、すぐにパッと転舵が出来たわけです。艇長の私が敵発見を令すると同時に、もう舵が回されるわけですからね、敵の襲撃への対応も早かったと思いますね・・・」

 既に述べたように、Sさんの艇はパラオでの漏水対策の応急修理の際に履帯や車輪やスプリングを全て撤去していたため、艇が軽くなっていて、最高速度はカタログスペックの数値よりも約3ノット早い7.3ノットを出せたそうです。
 このスピードと、操舵手が艇尾に陣取って周囲の視界も確保しながらの舵操作を行っていたことが幸いして、数回にわたる敵機との交戦で述べ2機を撃墜、5機を撃退しています。一度はTBFアベンジャーの肉薄雷撃も受けましたが、快速と素早い転舵を生かしてこれを回避したそうです。

 組み上がりました。今回の製作では、Sさんのアドバイスを受けて後部フロートは車体に合わせて接着する方針でした。
 Sさんによれば、パラオでの戦訓工事で後部フロート上に7.7ミリ機銃を増設した艇もあり、基本的に後部フロートを外すという方策はあまり採られていなかったそうです。
 パラオでの現存車輌にも後部フロートを付けたままの例が幾つかあるのも、そうした事情からであったのかもしれません。

 そういえば、西原の搭乗車も、第2話の劇中では後部フロートを付けたまま密林内を疾駆しています。公式設定資料図でも後部フロートを外した図はありませんので、第3話においても外さないままに終わるのかもしれません。
 第一、後部フロートが外されないと、車体背面の様子も塗装パターンも不明のままですから、塗装の面からいっても、後部フロートを付けた状態にするほうが都合が良いのでした。

 

 前後のフロートが組み上がりましたので、車体に仮組みしてみました。まさに内火艇としての姿になりました。海上に浮かんでいれば、まさに小型の武装艇です。  (続く)

 


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平安京羅城門の模型

2020年06月23日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 私を含めた模型サークルの面々が、京都駅での待ち合わせ場所にいつも利用しているのが、上図の平安京羅城門の1/10スケール模型です。交流サークル仲間のモケジョさんたちにも「では羅城門で」で通じます。
 模型好きとしては、こういう建築模型も眺めていて飽きません。待ち合わせの時間も楽しく過ごせます。

 

 この立派な模型は、平成6年に平安遷都1200年記念事業の一環として製作され、初めは京都駅東側の「ぱるるプラザ」(現在のメルバルク京都)の地階に展示されていましたが、22年後の平成28年11月にいまの京都駅北口広場に移設されました。おかげで、より目につきやすく、多くの人々の目に触れることとなり、再現模型としての価値も高まったようです。

 

 1/10スケールの建築模型というのは、実は国内でもそんなに数がありません。平安京関連の復元模型があちこちにある京都市でも屈指の規模を誇ります。柵に囲まれていますので近づく事は出来ませんが、近づかなくても充分に模型としての出来、迫力を楽しめます。

 

 背後に京都タワーを入れて撮ってみました。これで大体の位置が分かると思います。京都駅北口広場、と呼ばれていますが、実感としては京都駅北東広場、というべき場所です。バスターミナルより東、タクシー待機場の横にあたり、地下鉄の駅よりも東にありますので、京都駅中央改札からの連絡通路で北に降りた場合は、ちょっと東へ移動しなければなりません。
 というより、あまり混雑する場所に置くと色々と問題が生じますから、あえて人通りが比較的少ない場所を選んだのではないかと思います。

 

 堂々たる建築模型です。古代建築独特の上昇感も鮮やかな色彩もよく再現されていて雰囲気バッチリです。軍艦や戦車もいいけれど、こういう建築もカッコイイです。模型好きとしては、いつかこういう模型も作ってみたいものだと思いますが、自身の拙い腕では、ウッディジョーの1/100クラスでも持て余すでしょうから、夢のまた夢という気がします。

 

 こういう模型があるかないかで、京都や平安京の歴史に対する理解度が大きく左右されると思います。とくに平安京は今では完全に京都市街の下になっていて遺構の展示もままなりませんから、平安京の史跡巡りも大半は標柱を回るだけという、味気ないものになります。むしろ、こういった模型をもっと作ってもらって、リアルに歴史を追体験出来るようにしてもらったほうが、歴史探訪も楽しくなると思います。

 なにしろ、実際の羅城門の場所へ行っても何もありませんし、標柱はあるものの、遺跡もまだ確認されていませんから、現地に立っても虚しい気持ちにさせられます。それよりは、この模型を眺めるほうが、はるかに羅城門を身近に感じられますので、いまでも京都駅を利用する際に時々この建築模型に立ち寄っています。京都歴史散歩の隠れたおすすめスポットの一つだと思っております。


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知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その7

2020年06月22日 | ガルパン模型制作記

 ステップ7では前後のフロートを組み立てます。前部フロートにおいては本体との着脱を自在にするべくマグネットの取り付けも行うほか、ガルパン仕様への改造も加わります。

 

 前部フロートのパーツ群です。このうちフロート上の手摺パーツは右舷側のK16のみを使います。左舷側のK15は使わず、別のパーツと交換します。

 

 組み立てに先立ち、上図のパーツK14にてガルパン仕様への改造を行ないました。アニメの登場シーンではなかなか見えませんが、劇中車は前部フロートの分割線が途中から右舷側に僅かに折れます。モデルグラフイック2019年9月号掲載のガルパンアハトゥンクの公式設定図を参照して改造に取り掛かりました。御覧のように、マスキングテープで分割線からの折れ線をなぞりました。そしてマスキングテープに沿ってカットしました。

 

 カットした後の状態です。K13と合わせて分割線の折れ具合を確認しました。このようにK14側で右側に折れますので、隙間が生じます。K13側からの張り増しをブラ板で行なって、隙間を無くします。

 

 K13側からの張り増しをブラ板で行ないました。ここまで仕上げてから、ステップ7の組み立て作業に進みました。

 

 前部フロートは劇中車に合わせて着脱自在としますので、車体側に仕込んだマグネットをこちらにも仕込みます。位置は、車体側のマグネットとピッタリくっつく状態になる箇所をあらかじめ探しておきました。

 

 私の製作においては、上図の位置が車体側のマグネットとピッタリくっつく状態になる箇所でした。マグネットを瞬間接着剤で貼り付けました。これは左右対称ですので、もう片方のフロートパーツ内にもマグネットを仕込みました。

 

 マグネットを貼りつけた状態です。一応、これで充分だと思うのですが、組み立てた後は完全に塞がれて見えなくなり、万が一マグネットが外れてしまっても再接着は不可能となります。

 

 そこで、とりあえずの保険として上図のパーツで抑えておくことにしました。このパーツを半分にカットします。

 

 カットしたパーツで上図のようにマグネットを抑える状態にセットして接着しました。これで万が一マグネットが外れても、位置は保てるわけです。

 

 天板を貼りました。マグネットはもう見えません。

 

 左右のフロートを同じように組み上げて、分割線を合わせることにしました。

 

 ブラ板を貼り増した左舷側部分は、内側にもほぼ同じ形のブラ板を貼って、上図のように小さな突起としてまとめました。劇中車の公式設定図によれば、この折れ曲がり部分は底面にも繋がっていますが、完成後は全く見えない箇所であるため、そこまでの製作は見送って天板上での折れの再現にとどめました。それで、上図のような最低限の改造で事足りました。

 

 そして、右舷側のカット部分も上図のようにカンナがけで斜めに削って均し、左舷側の突起にピッタリと合うように調整しました。上図のように内側側面にもマスキングテープを貼って削る範囲を定めました。

 

 調整後の状態です。肉眼でも見えにくい箇所なので、調整面にライトの光をわざと白く反射させてみました。これで削り調整の様子が分かると思います。

 

 左右のフロートを合わせてみました。分割線の折れ部分もぴたりと合いました。

 

 これでひとつのヤマを超えました。劇中車に完全に合わせて底面までの折れ部分を再現しようとすると、この数倍以上の手間と時間がかかります。今回の製作ではインテリアのほうで大変な手間がかかっていますから、こうした表面での改造は、割り切って目に見える部分だけにとどめておきました。  (続く)

 


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嵯峨野大覚寺の明智陣屋

2020年06月21日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 嵯峨野の大覚寺には、寺伝にて明智光秀の丹波亀山城からの移築、とされる建物群があります。寺では「明智陣屋」と称している上図の庫裏、本坊の建物群がそれにあたります。2019年9月17日の嵯峨野散策のおりに、立ち寄ってみました。
 時代劇のロケによく使われている建物ですので、見た事があるな、という方も少なくないでしょう。

 

 現在は拝観受付になっており、大覚寺の見学者は全て「明智陣屋」からの順路をたどって伽藍内を巡り、一巡して戻ってきて退出します。なので、「明智陣屋」の建築群は行きと帰りの二度見る形になります。

 上図の大きな切妻の建物は、庫裏にあたりますが、これは本来の寺の建物で、庫裏そのものだろうと思います。ですが、上図の両側の土蔵や番所の建物などは、寺院にはあまり見られないものですので、丹波亀山城からの移築であるかもしれません。

 

 さらに、庫裏に向かって右手に並ぶ建物が、いかにも陣屋建築の外観を見せます。内部も拝観コースになっているので全て見られますが、城郭の御殿の一般的なしつらえとなっています。

 ただし、時期的には江戸期の年代相を示していますので、丹波亀山城からの移築であるにしても、明智光秀の時代よりは後の建物だろうと推測します。そもそも明智光秀が活躍した戦国末期の陣屋建築自体の現存が確認されていませんから、大覚寺での移築伝承も、単なる伝承なのかもしれません。

 

 拝観受付への参道入り口にあたる上図の表門も「明智門」と呼ばれていますので、これも丹波亀山城からの移築であるとされています。
 寺院には珍しい城郭の門ですので、間違いなく丹波亀山城からの移築とみてよいかもしれません。ですが、明智光秀の時代に繋がるかというと、残念ながらそこまで遡らないでしょう。江戸期になってからの建物だろうと思います。

 拝観受付にて、これら「明智陣屋」の詳細を訊ねましたが、資料も無いとの事でした。本格的な調査をやっていないので、とりあえずは寺伝をそのまま紹介している程度、ということでした。移築の時期すらも不明でした。

 丹波亀山城は、江戸期には形原松平氏の居城として幕末まで続き、明治以降に陸軍省の所轄となって廃城までに建物の一部が払い下げられています。その際の移築とされる建物が亀岡市各地に現存しており、御殿玄関部分1棟、城門5棟を数えます。大覚寺の「明智陣屋」もその一部とみてよいのでしょうが、移築に関わる記録が出てこない限り、推測の域を出ないと思います。

 


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知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その6

2020年06月20日 | ガルパン模型制作記

 ステップ5および6では車体上部を組み立てます。ステップ5においてエンジンハッチのJ11がありますが、これは劇中車の通風筒装着状態時のパーツとして通風筒のパーツJ14と組み合わせます。通風筒無しの状態にするには、不要パーツのB6を使用します。

 ステップ6においては、牽引ホールドD4のボルトを内側に向けてセットします。今回の製作ではインテリアを見られるように上下の車体を接着しませんので、D27は上部車体側に取り付けて車体接合時の抑えにします。また起倒式旗竿のB35およびB36は自在に交換出来るように差し込むだけとし、接着しません。

 

 ステップ5の組み立てに入りました。

 

 はじめにエッチングパーツのマフラーカバーを取り付けました。

 

 エンジンデッキの3枚のハッチB7、B8、J11、起動軸点検ハッチB31、燃料タンクハッチD2などは、左右の乗降用ハッチと同じく接着しないで、開閉自在としました。

 

 各ハッチは最初はピットマルチ使用にてはめ込む予定でしたが、逆さまにしても落ちたりしないため、ピットマルチは不要と判断しました。

 

 細かい部品も取り付けてゆきます。起倒式旗竿は、とりあえず劇中車にあわせてガイド指示のB35を選択しました。

 

 ビルジポンプの排水管B25は、排水口が斜め後ろに向くようにセットします。インテリアのほうで自作したビルジポンプの排水管がこの部分に繋がるわけです。

 Sさんの話によれば、海上での作戦行動中において、ビルジポンプの作動チェックが機関兵の基本作業の一つであり、発動機と発電機とビルジポンプを交互に目視で確認するのが任務だったそうです。なにしろ常に微量の浸水があって艇内の床面に海水が溜まるので、ビルジポンプが正常に作動して排水が続いているかどうかが重要だったからです。
 実際には時々排水管が詰まったりしてビルジポンプが止まることがたまにあって、そのときは修理を急ぐ傍らで、手空きの乗員がバケツで海水を外に汲み出したのだそうです。浸水が続けば、艇が沈没してしまうからです。

 

 牽引ホールドD4のボルトを内側に向けてセットしました。

 

 起倒式旗竿のB35です。この部品の詳細については以前の記事で紹介しています。

 

 起倒式旗竿をB36に交換した状態です。この上にもう一本の竿を繋いで固定して軍艦旗を掲げたり、無線用の空中線を張ったりしていたわけです。キットに2種類の起倒式旗竿パーツがあるのは、戦時中の実車の写真などで2種類の形状が確認されるからです。

 パラオに派遣されたSさんの艇は、環が付くB35のタイプだったそうです。そして環が無いB36のタイプはともにマラカルで任務にあたった他の小隊の艇で見たことがあるそうなので、実際には2種類の旗竿が混在していたもののようです。しかし、なぜ2種類の形状があったのかは、Sさんにも分からなかったそうです。  (続く)


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ガルパン戦車および車輌の公式キット、適応キットのメーカー (簡易版)

2020年06月19日 | ガルパン模型制作記

 アニメのガルパンがスタートしてはや8年目に入っています。ガルパンに登場する戦車および車輌も沢山ありますので、それらの公式キット、適応キットも膨大な数にのぼりつつあります。プラッツが取り組んでいる、ガルパン全車輌公式キット化プロジェクトも少しずつ進行しているようですが、数のうえでは適応キットの比率がまだまだ大きいです。

 私自身、色々作ってまいりましたが、最近はどんなキットがどこのメーカーから出ているのか、把握しづらくなってきています。メーカー別にまとめた一覧のようなものがあれば助かるのですが、そんな便利なものはどこも作っていないようです。それで、自分でまとめてみることにしました。

 対象は、ガルパンのアニメ及びコミックに登場している戦車および車輌の公式キットと適応キットで、スケールは1/35とします。2020年6月時点で把握出来ているものをメーカー別に並べてみます。数が多く内容が知られているタミヤとドラゴンは「多数」とし後日に一覧を追加します。

 

日本 アスカモデル  M4A1(公式キット)、シャーマンファイアフライ(公式キット)
   アミュージングホビー  ノイバウファールツォイク、ポルシェティーガー(公式キット)、ARL44(公式キット)
   タミヤ  多数、このうちチャーチル、M4無印、M3中戦車リーの3件はファインモールド発の公式キットになっている
   ピットロード  九五式小型乗用車、九五式小型乗用車(公式キット)、オチキスH39
   ファインモールド  八九式中戦車、三式中戦車、九七式中戦車、九七式中戦車新砲塔型、九五式軽戦車、九七式軽装甲車、九四式軽装甲車(全て公式キット)
   モデルカステン  ガルパンデカールセット、履帯パーツ各種

韓国 アカデミー  ヘッツアー、35(t)戦車、M3中戦車リー、パンターG型

台湾 AFVクラブ  センチュリオン(公式キット)、T34/76、T34/85、チャーチル、M24チャーフィー  
   ビジョンモデル  BA-64装甲車、RF-8

中国 タコム  パンターG型、ティーガーⅡ、ヤークトティーガー、M3中戦車リー、マークⅣ(公式キット)
   ドラゴン  多数、プラッツより公式キット化がなされる
   トランぺッター  ノイバウファールツォイク、BTR-70、KV-2、RF-8、ZiL-157
   ブロンコモデル   CV-33(公式キット)、M22ローカスト、A17テトラーク
   ボーダーモデル  Ⅳ号戦車
   ホビーボス  38(t)戦車、R35軽戦車、T28中戦車、T26軽戦車、BA-10装甲車、コムソモーレツ、GAZ-AA、M26パーシング、Sd.Kfz.254 装輪装軌併用装甲車
   モンモデル  ティーガーⅡ、ヤークトパンター、FT-17(公式キット)  
   ライフィールドモデル  ティーガーⅠ、パンターG型(公式キット)、ヤークトパンター、Ⅳ号戦車、シャーマンファイアフライ

ロシア アークモデルス  BT-5、Zis-5
    ズベズダ  T34/76、T26軽戦車、BT-5、BT-7、BM-13カチューシャ、SU-122、BA-10装甲車、M41セモヴェンテ
    マケット  T34/76

ウクライナ ICM  T34/76、T34/85、ティーガーⅡ
      CMK  35(t)戦車
      ミニアート  M3中戦車リー、T-60軽戦車、T-70軽戦車、GAZ-AA

フランス エレール  ソミュアS35(公式キット)、R35軽戦車、オチキスH39

イタリア イタレリ  P40重戦車、フィアット508CM型連絡車、AS42サハリアーナ、Ⅰ号戦車B型、クルセイダー、M4A1、M24チャーフィー、Zis-5

ポーランド  IBG TKS
       RPM TKS、FT-17
       ミラージュホビー 7TP軽戦車単砲塔型、7TP軽戦車双砲塔型、TKS

 

 以上です。まだ他にあるかもしれませんが、見つけ次第追加します。

 

コメント (2)
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知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その5

2020年06月18日 | ガルパン模型制作記

 インテリア制作の続きです。御覧のように底面補強桁、エンジン架台、側面のサスペンションスプリング、駆動輪ギアボックス、操縦装置などを組み付けた段階で艇内の基本色の塗装に入りました。Sさんの教示により、横須賀海軍工廠の指定色である明灰白色で下地および本塗装を行ないました。

 従来、特二式内火艇カミの艇内のカラーについては写真も資料も無く不明とされてきましたが、Sさんによれば「見た感じでは、戦争初期の零戦の機体色と同じでしたな・・・」ということでした。当時の記録メモを見せて貰ったところ、「横須賀工廠ノ指定色ナリ」とありました。

「・・・我々が呉での特殊訓練を修了しましてすぐに館山へ移動しまして、そこで艇の受領および乗員の合流があったわけです。その際に特別陸戦隊の配備命令を受けまして、館山港に移動させられましてね。そしたら輸送船隊がもう待機してて、大体の装備や荷物は積み込みが終わっていたんです。勿論、カミも輸送船の甲板上に並んでまして、遠くから見たら白っぽく見えたんです。輸送船は戦時塗粧の灰色でしたからね、それよりは明るい色でしたね。でも白ではなかった。乗船して艇に近づくと、ああコレは零戦と同じ色だな、ってウチの小隊長が話してましてね・・・。そしたらね、小隊長の艇の機関兵、この人が横須賀工廠からの派遣だったんですが、「工廠の指定塗粧色であります」と応じておったんですよ・・・」

 この証言によって、パラオに派遣されたSさんたちの部隊の6隻が横須賀工廠指定の明灰白色に塗られており、外側も艇内も同じカラーであったことが判明しました。ただし、戦地へ派遣されたカミが全て同じ色であったのではないだろう、工場ごとに異なっていただろうし、戦訓によって現地で塗り替えたのも相当数あっただろう、ということでした。

 ちなみにSさんの艇も、明灰白色のままだと海上では目立つため、パラオ本島周辺での哨戒作戦命令を受けた時点で外面を青緑色に塗り替えたそうです。
 私が「それはいわゆる外舷21号色でしょうか」と訊ねると、「いや、違います。アイライの飛行場で飛行機に使ってる塗料を分けて貰ってきたのですよ、つまり海軍の艦上機の機体の色です・・・」と答えられました。つまりは濃緑色であったことになりますので、ガルパンの劇中車のカラーに近いといえば近いです。ですが、艇内は撃沈されるまでずっと明灰白色のままだったそうです。

 

 続いて、Sさんの記録メモ図をふまえて排水ポンプとそのモーター部の自作を行ないました。エンジンの前面に連結する推進軸変換器の右側に吸水口付きのパイプを取りつけ、モーター部分とその付属部品を上に取り付けました。全てタミヤの丸棒を使用して削り出し、細部のパッキンやキャップは丸棒を薄くスライスしたもので再現しました。銀色に近いカラーだった、というSさんの指示をふまえて、該当部分をシルバーで塗りました。

 Sさんによれば、排水ポンプは航行時にのみ作動したそうです。推進軸変換器のレバーを後ろに倒すと駆動軸のギアがスクリュー軸に変換され、その際に排水ポンプのモーターのギアにも入る仕組みだったそうです。

 上図は推進軸変換器を横倒しにした状態で、銀色の円筒部品が排水ポンプのモーターとフィルターにあたり、横になっているパイプが吸水パイプです。その下端は艇内の床面に接して吸水口が設けられています。

 

 次に、艇内前面部の上図の位置に、7.7ミリ機銃の予備の掛け具を追加しました。艇内には戦闘態勢の際に配備する3挺の他に予備の1挺が搭載され、この掛け具に固定されていたそうです。
 そのパーツはブラ材で削り出して形を合わせ、固定する際のツマミもランナーの切れ端で作りました。

 

 次に、タミヤの丸棒でビルジポンプからの排水管を作りました。カミの艇内排水管の位置は左舷側壁沿いと中央推進軸変換器の2通りがあり、Sさんの艇は後者だったそうなので、排水管を艇内中央の推進軸変換器の真上まで作って取り付けました。これに垂下パイプを追加してポンプ本体に繋ぐ予定です。

 

 続いて、艇内の簡易甲板をブラ板で作りました。海上で内火艇として行動する場合、装甲の隙間などから微量の浸水が続きますから床には海水がたまるのが普通でした。それで補強桁の上に薄い板を張って簡易甲板となし、作戦行動中の足場としたのだそうです。勿論、Sさんの艇でも薄い板を左右に3枚ずつ張って、乗員はその上のみを移動したそうです。

 

 浸水の大部分はビルジポンプで吸い上げて排水していましたから、艇内にたまる海水が簡易甲板の高さまでくることは滅多に無かったそうです。それで、弾薬を入れた木箱などはこの簡易甲板の上に並べていたそうです。

 

 次に、前部フロートを着脱自在とするための、マグネット取り付けを行ないました。上図の100均ショップで売っている強力マグネットセットが使えます。これを4個使い、艇本体側とフロート側の左右に対で仕込みました。

 

 艇本体側においては、上図のように隔壁がある所の内側にマグネットを取り付けました。この位置だと艇内からは見えませんので好都合でした。
 私の製作においては、後部フロートは現存実車の多くが後部のみ外さなかった事例にならって接着固定とするため、後部においてはマグネットは不要です。劇中の西原車も前部フロートは吹っ飛ばされましたが、後部フロートは付けたままで行動しています。

 

 以前の記事にて明快な画像を載せていなかった、艇内前部左隅の2つの吊り下げ用フックの取り付け状況をここでお知らせしておきます。左隅のピストルポートの横に2つのフックが付いているのが分かるでしょうか。ジャンクパーツから適当なものを調達して取り付けました。

 

 ステップ4に進みました。輸送時の係止用突把と舵ワイヤーの巻き込み機構とリールのパーツです。

 

 輸送時の係止用突把です。これの機能については、以前の記事にて紹介済みです。

 

 舵ワイヤーの巻き込み機構パーツを取り付けました。内火艇として行動する際にはこの機構の軸に砲塔内の転把までのワイヤーを繋ぎ、舵の中継機構として作動させたそうです。
 今回の製作では陸上にあがって密林内で行動する劇中車の状態に合わせるため、航行時にのみセットする砲塔内の転把までのワイヤー部分は再現しませんでした。だから、上図の通り、キットのパーツのみで組み上げました。

 

 続いて、舵ワイヤーの巻き込み機構の奥にあった二段の棚をブラ板で再現しました。その上段が取り外した舵ワイヤーの収納ケースをおさめる位置で、下段は艇内各所のビジョンスリットに設けられていた防弾ガラスの予備を収めた木箱の保管位置であったそうです。

 私自身は、最初は艇内に棚があると聞いた際に、主砲や機銃の弾庫かなと思いましたが、Sさんは「徹底して軽量化が図られたカミに棚は不要ですよ。大型艇ならいざしらず、カミの作戦行動は半日程度ですから、積み込むのは大体弾薬と戦闘食ぐらい。みんな木箱に入れて積み込んだんです」と説明してくれました。
 使用後の木箱はどうするんですか、と訊ねたら、「大体は再利用しますからそのまま陸に返しましたけどね、たまに夜まで行動した場合、煮炊きのための薪にすることもありましたし、木箱を4つぐらい繋いでロープで縛っておきますと、沈んだ際に救命用の浮き輪代わりになります・・・」と教えて下さいました。

 それで、戦時中にはカミの艇上にて臨時に空き燃料缶を利用した簡易のストーブを作り煮炊きしていた事例があったことを知りました。Sさんは「本当は危ないですから、やったらいかんのでしたけれども、まあ、腹が減っては戦は出来ぬ、ということで艇長としても黙認せざるを得なかった時がありましてね・・・」と苦笑されていました。  (続く)


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北白川廃寺の瓦積基壇

2020年06月17日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 京都市内に7世紀代創建の古代寺院が幾つか存在したことは、今では余り知られていないようです。大半の寺院遺跡が市街地の下になってしまっているため、現地へ行っても標識すら無いことがかなり影響していると思います。市内に点在する飛鳥白鳳時代の寺院遺跡17ヶ所のうち、寺が現存しているのは前回取り上げた八坂の法観寺と太秦の広隆寺、遺跡が史跡公園となって可視化されているのは樫原の樫原廃寺のみ、という状況です。

 そして上図のように遺構の一部が京都大学吉田キャンパス構内に移築されて保存されているのが、北白川廃寺です。名前の通り北白川の別当町辺りに遺跡が所在しますが、今では市街地となって遺跡の標柱すらも建てられていませんから、この移築遺構が無ければ、北白川廃寺が存在したことすら実感出来なくなってしまうでしょう。

 

 移築遺構の説明板です。1934年の土地区画整理工事にて発見され、急遽発掘調査が行われた基壇の西辺の一部を移築復元した旨が述べられます。
 その基壇は、御覧の通り瓦積基壇であり、瓦を積み上げて基壇外壁を構成するタイプです。渡来系氏族の関与した寺院に多く見られる工法とされています。

 

 このような瓦積基壇は全国各地で検出されていますから、北白川廃寺もその一例として解釈されています。ですが、北白川廃寺が考古学界において今も注目され続けているのは、この瓦積基壇の規模が、当時の日本においては破格の大きさであったからです。
 同時期の古代寺院は主に奈良県に集中しており、法隆寺や薬師寺のように現存する寺もありますが、多くは遺跡となっています。飛鳥の飛鳥寺や川原寺や山田寺などが知られます。これらの寺の金堂の規模よりも、北白川廃寺のそれがはるかに大きいのです。これは驚くべきことです。
 
 そして、北白川廃寺の金堂よりも大きな規模のそれは、同時期にあっては日本最初の官寺として舒明天皇が創建した百済大寺(遺跡名は吉備池廃寺)しかありません。つまり、北白川廃寺というのは、日本最初の官寺であった百済大寺に次ぐ規模の金堂をもっていたわけです。文字通りのナンバー2です。このような寺が当時の日本において重要でなかったはずはありません。平安京も平城京も出来る前に、洛東北白川の地に建てられているのは、どういった事情および背景によったものなのでしょうか。

 

 北白川廃寺遺跡においては、上図のように1974年に塔の基壇も発掘されて確認されました。これにより、東に金堂、西に塔が建つ法隆寺式の配置をとっていた様子が明らかになりました。ですが、この二つの基壇は隣り合うのではなく、金堂は廻廊に囲まれて金堂院を形成していたことが2005年の発掘で明らかになっています。そういう形式も類例がありませんので、大きな謎の一つになっています。
 さらに不思議なことに、塔の基壇は瓦積みではなく、石積みで構成されています。なぜ金堂と異なる工法の基壇になったのでしょうか。

 このような遺構を確認した北白川廃寺は、位置的には、前に紹介した法観寺と同じく、近江大津京の外郭たる東山山地の西麓に立地していますので、同時期の大津京に関連する拠点寺院であったことが推定されます。出土した遺物からも近江との密接な関連が明らかになっていますが、瓦のほうを見ますと、大和との結びつきが大きかったようです。寺の造営にあたっては近江朝廷そして飛鳥朝廷の積極的な関与があった可能性が指摘されています。

 つまり、北白川廃寺というのは、京都市域の飛鳥白鳳時代の寺院としてはトップレベルの重要拠点であった可能性が高いわけです。その遺跡が、今では完全に忘れ去られてしまっているのですから、その後の京都の歴史の長さと深さがいかなるものであったかが、改めて理解されます。


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知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その4

2020年06月16日 | ガルパン模型制作記

 ステップ2では車体下部を組み立てます。車輪類は塗装後に取り付ける予定です。サスペンションアームA12、J7、J8はそのままですと軸が長い場合がありますので、そのときは軸先を約1ミリカットします。またA7は誘導輪の位置を決めてから接着します。

 

 車輪類以外のパーツです。

 

 誘導輪アーム以外は全て取り付けました。誘導輪アームA7は、塗装後に車輪類をセットする際に一緒に取り付ける予定です。
 この車輌の誘導輪は、高さを変えられる仕組みになっています。Sさんによれば、原則として上陸時までは一番上に、上陸後に陸地で走行する時は一番下にセットすることになっていたそうです。
 劇中車も、誘導輪を一番下にセットした状態で密林内を進撃しています。そのほうが車体の縦揺れが無くなって安定した走りになります。

 

 誘導輪アームA7に関連パーツを全て取り付けた状態です。これを車体にモールドされているバンプストップに組み合わせることで、実車通りの状態を再現出来ます。

 

 Sさんが、上図に示すロッドについて「よくここまで再現されてますな・・・」と感心しながら、その機能を説明して下さいました。

「・・・これはですな、誘導輪のサスペンションアームの動く範囲を決めるロッドです。ボルトを回して位置を固定するものですが、このプラモデルの部品は、ロッドが上にいっぱいに出ている状態なんですな・・・、この状態でボルトを締めますと、誘導輪は上にいっぱいに上げられます。航行時の収納位置ですな・・・」

 つまり、陸上での車輌の姿に作る場合は誘導輪が一番下に位置しますので、ロッドのA11も下にいっぱいに下げられる形になります。したがって、ロッド部分をいったんカットして下に伸ばす改造が必要になります。
 すなわち、A11を根元でカットし、さらに上端のボルト部分もカットし、誘導輪を下にセットしてアームA7も下げておき、A11をカットした跡へボルト部分を移植します。そしてA11の棒はA23およびA24の内側に移します。


 ステップ3では車体前面を組み立てます。ステップ4では車体上部の内部のパーツを組み付けます。いずれもガイドの指示通りに進めますが、インテリアの再現工作の作業も加わります。ただし、塗装作業との兼ね合いで、一部のパーツは取り付けないで保留にします。フロート連結ハンドルや燃料タンクなどのパーツです。

 

 ステップ3の工程は、ガイドの指示ではB11に諸々のパーツを取り付ける形になっていますが、その前にB11を上部車体パーツに組み付けておくほうが良いです。

 

 B11を上部車体パーツに組み付けました。

 

 それからステップ3にて組み付ける前部機銃、操縦手用視察窓などのパーツを切り出して準備しました。

 

 全て取り付けました。前部機銃は可動になります。

 

 インテリアの再現工作に移りました。Sさんの教示により、ブラ材で上図の前面補強桁2個と長方形の板1枚を作りました。前面補強桁2個には肉抜きの穴を大小3つこしらえました。

 

 前面補強桁2個と長方形の板1枚を、上図のように取り付けました。

 

 次に、上部車体パーツ内にある左右補強桁の部分が単なる壁板になっていますので、上図のように肉抜きの穴を4つこしらえました。
 また、上図ではちょっと隠れてしまっていますが、機銃の右側の隅部にフック2基を取り付けました。食糧や書類などを入れた雑嚢袋を懸けておくのに使ったそうです。何故かと言うと、内火艇として海上で行動している時は常に微量の浸水があって艇内の床には海水がたまってしまうため、床に物を置くことが出来なかったからです。

 

 反対側にも同じように肉抜きの穴を4つこしらえました。カミ艇内の左右側面にはこの一対の補強桁しかありませんでしたから、車体の重量は側面装甲板がほぼ支えていたようなものです。
 一見すればモノコック構造に見えがちですが、実際には薄い鉄板を一対の補強桁で支えているだけでしたから、強度も耐性もギリギリだったということです。現存するカミの実車の多くが側面で割れたり腐食が進行しているのも、そこが弱かったことを示しています。  (続く)

 


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