気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

けいおん!の聖地をゆく15 その12 とりあえず撤収

2018年01月31日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 持参したねんどろいどの秋山澪、中野梓の脚のジョイントが折れたため、HTTと「わかばガールズ」の9人全員を並べて撮る、という計画は頓挫し、仕切り直しを迫られました。「わかばガールズ」の楽器類も間に合いませんでしたから、次の機会にはそれも実現させたい、と思いました。

 とりあえず、今回は予定も無くなったうえ、テンションも下がってしまったので、校内のあちこちを見て回るのも最低限にとどめて、早々に撤退するか、と考えました。

 

 とりあえず、「部室」に行って雰囲気を楽しんだり、屋上の景色を眺めたりしました。イベントは正午からなので、まだ人影もまばらでした。

 

 酬徳記念館にも立ち寄りました。二階のこのスペースが、やっぱり落ち着きます。

 

 とりあえず、デジカメのセルフタイマー機能を使って、記念に一枚撮りました。

 

 何度見ても欲しくなってしまう、琴吹紬の等身大パネルです。ガルパン大洗のキャラクターのパネルに関しては「いいな」と思う程度で「欲しいな」とまでは考えません。しかし、こちらは私自身の好きなアニメキャラクターのナンバーワンですので、本気で「欲しい」と常に思います。
 でも、販売品ではなくて展示品ですので、どうにもなりません。どうしても手元に置きたいのであれば、上図のパネルの絵柄の元図をカスタマイズして、芸大時代に学んだデザイン拡大印刷のテクニックを生かして、自作するしかありません。でも現状では置く場所もありませんので、自作も夢のまた夢、です。

 

 こちらの平沢唯のパネルもなかなか良い雰囲気です。素の状態をよく表していると思います。

 

 酬徳記念館を出て、旧校舎前の噴水付近に移動したところで、模型サークルのタダ氏から電話がありました。豊郷にいることを話すと、「ヒマなら、すぐに京都へ戻ってくれんか、楽しい催しがあるんだ、参加してくれ」とのことでした。何の催しですか、と聞こうとした途端、電話が切れました。

 しかし、すぐにまた電話が鳴り、今度はモケジョのミカさんの明るい声が響いてきました。
「豊郷にいらっしゃるんですか?いいですねえ、今日は澪誕でしたね。夕方までご滞在ですか?」
「いや、もう引き揚げます」
「あら、まだ11時前ですよ?ひょっとして、フィギュアの撮影が出来なくなったとか?」
「・・・実は、その通りです。よくわかりましたねえ・・・・」
「星野さんが豊郷に行かれて、すぐに引き揚げる、っていうと理由はそれしか考えつきませんから・・・」
「お見事です。で、今日は何か?」
「あの、急で申し訳ないんですけど、今日の午後に私たちのサークルで会長の誕生会をやりますので、出来たら星野さんにも来ていただけないか、と思いまして」
「ほう、エリさんの誕生日でしたか。じゃあ、行かせていただきます」
「わあ、良かった。あと、安藤さんや多田さんも来てくれるそうです」
「ああ、それでさっき多田さんが言ってきたのか・・・。場所も時間も言わんと・・・」
「あははは、多田さんらしい。時間は13時から一時間ほど、場所は木屋町の「アモーレ」ですけど、分かります?」
「もちろん、京都屈指の有名店ですからね。仏光寺公園の南の町屋風の建物でしたかね・・・」
「ええ、そうです」

 かくして京都に戻り、モケジョさんの誕生会に参加することになりました。「アモーレ」のパスタは旨かったなあ、また食べられるとはラッキーだ、そうと決まったらすぐに戻ろう、ということで、帰り支度にかかりました。ですが、その前にひとつ、やっておかなければならないことがありました。

 

 実は、この日、ガルパン以来のけいおん仲間であるナガシマさんも豊郷へ来て、秋山澪生誕イベントに参加することになっていました。ですが、直前まで先方が参加するかどうかが不明であったため、特に連絡も計画もしないままでした。参加するとの連絡を受けたのは5日前でしたが、先方はツイッター仲間との予定が色々あるような素振りでしたので、とくに予定も決めず、前日も挨拶程度の連絡に終始しました。そして、当日は到着が遅れたようで、校内のどこにも姿が見当たらず、メールで問い合わせても返信がありませんでした。
 もともと当日会ってどうするかも決まっていなかったので、このまま帰ろうか、と考えましたが、無断というのも何なので、電話で一声かけてみました。
 すると、既に「部室」に居るとの返事でした。その十数分後に前庭で会って少し話をしましたが、間もなく先方のツイッター仲間の一人がやってきて食事の予定があるから、と車に誘っていました。どうも自分は邪魔だったようだな、と気付きました。

 

 別れる間際に、先方がイベント参加特典としてもらったポスターを手に記念撮影させていただきました。このポスターもファンのイラストを元にデザインしたものであるようです。

 

 開館時間には晴れていましたが、11時頃には雲が広がり始めていました。
 さらば、豊郷。また来ます。

 

 校門前の平沢唯です。こちらも少々痛みが生じているようです。

 

 立花姫子は、前回見た時は片足がもげていましたが、その後新調されたようで、真新しい感じになっていました。

 12時には京都に戻り、まっすぐ木屋町の「アモーレ」に移動してモケジョさんの誕生日会に参席、京都でもベスト3に数えられる人気店の美味しいパスタランチをいただきました。
 その後、誘われるままに出町柳あたりへ散策に出て、「たまこまーけっと」の聖地である出町枡形商店街へも行きました。鴨川デルタでは、河川改修工事が行われていて、鴨川の流れを半分ほどせき止めていましたので、飛び石群が完全に露出状態になっていました。

 

 西大路の下宿には15時過ぎに帰宅しました。すぐに、秋山澪と中野梓の折れた脚の交換を行いました。上図のように脚の付け根のジョイント部分が折れてしまったのです。軽く曲げただけでこうなりましたから、ジョイント本体そのものが経年によって脆くなってきていたのかもしれません。

 

 幸いなことに、両方とも交換可能なパーツがありました。以前に「わかばガールズ」再現のための材料として、HTTのねんどろいど中古品を大量に買ってあったのが役に立ちました。秋山澪は1体、中野梓は2体の「予備」があったので、脚のパーツもすぐに交換出来、上図のように2体とも旧に復しました。

 次に豊郷に行くときは、予備パーツやジョイントを幾つか準備しておこう、と考えつつ、モケジョさんの誕生会にて色々話したことを思い出しました。特にユキさんに言われた内容が、記憶に鮮やかでした。

「星野さんは、昔、建築の模型も作っておられたそうですね」
「まあね・・・、京都造形大時代に、立体造形の実技講習の一環として建築模型のノウハウを学んだのです」
「何の建築を作られたんですか?」
「平等院鳳凰堂です・・・。あと住宅模型の簡単なのとか・・・」
「それは、木で作ったんですか?」
「鳳凰堂は木材で部材から作って組み上げましたね。住宅模型の方はスチレンボードでしたね」
「そうしますと、そのノウハウで、他の建物も作れるわけですか?」
「作れるとは思いますが、図面から引かないといけないので、正確な寸法と状態写真などが色々必要ですし、材料や道具もそれなりに必要なので、簡単に、とはいかないですけどね・・・」
「今朝は豊郷に行かれたんですよね。豊郷小学校とか、模型で作るのはどうですか?」
「あの旧校舎群をですか?ちょっと難しいですね・・・。ヴォーリズの建築というのは、あちこちで色々凝ってますんで、外観だけでもきちんと図面ひかないと、縮小再現も難しいかな・・・」
「じゃあ、内部を作るのも難しいですか?」
「尚更ですよ・・・。内装は木材を多用してますから、鳳凰堂ほどではないですが、木の部材がかなり必要になります」
「「けいおん」の部室だけを作る、ってのはどうですか?」
「ああ、そういうのは、既に何人かのファンの先行作品がありますね。ネットで検索とかすると、色々出てくる。プロ顔負けの凄い作品もありますし」
「でも、あれは大体サイズが大きいのと違いますか?内部にフィグマとかねんどろいどとか飾ってますよね」
「そうですな。だから本格的に作るなら、横幅は2メートル近くになるわけですな」
「じゃあ、きゅんキャラやねんぷちに合わせたら、どうなりますか?」
「その場合は、1メートル以下でもいけますな・・・・」

 その瞬間、脳裏に何かがチカッと煌めいたような気がしました。きゅんキャラやねんぷちのサイズの模型空間、というのはこれまでに見たことが無かったな・・・、と思い至り、想定される模型空間の概数値をなんとなく計算してしまいました。
 その数値に、自身でも軽い驚きと感動を覚えつつ、大学院時代に建築縮小模型に関するユニークな論文を書いて話題を振りまいていた一人の学友の顔をなんとなく思い出しました。卒業以来ずっと会っていませんが、在学時にはほとんど毎日のように図書館や食堂で隣り合わせでしたから、よく語り合いもしました。話題が箱庭とかジオラマとか、とにかく建築の縮小模型に関することばかりでした。
 たしか、彼は鉄道模型が趣味で、Nゲージのジオラマに使うために建物のミニチュアを何百個も作り、ホビーショーなどにも出て即売会もやっていたな、その価格が強気すぎて顰蹙をかっていたっけ・・・、と思い出して、笑ってしまいました。
 そして、何かに突き動かされるように、古いアドレス帳を引っ張り出して、彼の電話番号を確かめたのは言うまでもありませんでした。 (完結)

 

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サンダース大学付属高校 M20装甲車 完成です!!

2018年01月30日 | ガルパン模型制作記

 デカールを貼ります。上図のモデルカステンのガルパンデカールセットVol.4には、サンダース大学付属高校の校章マークが様々なサイズで入っています。

 

 劇中車のマークのサイズをデカールにすると、縦5ミリ以下の小さなものになります。上図中央に4枚並んでいるものが良いだろうと判断し、この4枚を使用しました。

 

 2枚は上部装甲板の前方に使用しました。上図の位置に左右とも貼りました。

 

 もう2枚は、後輪スカートの中央前方寄りの位置に、上図のように左右に貼りました。

 

 劇中シーンで見える校章マークは片側2ヶ所のみですので、上図のようになります。前面にもついているかもしれませんが、確認出来ませんので、前面には貼らないことにしました。

 

 唯一の装備品と言ってよい、丸めたシートを劇中車のように車体右側後方に載せました。乗せてあるだけですので、取り除くことも出来ます。このシートは多分、雨天時に車体上部に張って使用するのでしょう。

 

 側面観です。

 

 斜め上からの図です。

 

 シートを取り外した状態です。

 

 隊長のケイに登場いただきました。

 ケイ 「ウチにもついに装甲車が入ったのね!この戦車みたいなスタイルとカラーがナイスよ!」

 (これは砲塔付きのM8装甲車の派生型ですので、砲塔をつけたら戦車みたいに見えますね・・・)

 

 さっそく試乗してみるケイ隊長。

 ケイ 「ワオ、戦車と違って揺れが少ないし、静かに走るのね!それに速いじゃない、気に入ったわよ!」

 (基本的には自動車ですからね、整地では時速90キロ、不整地でも48キロで走れます)

 

 ケイ 「次の試合にはこれに乗って戦ってみたいわね!大洗のアンジーみたいに、機動力を生かして相手を翻弄するってのも面白いかもね!」

 (お言葉ですが、この車輌は砲も機銃も付いておりませんので、試合に使用するのは無理かと・・・)

 ケイ 「じゃあ、体当たりするしかないじゃない!」

 (知波単学園みたいなこと言ってますね・・・)

 

 かくして、サンダース大学付属高校のM20装甲車が完成しました。製作日数は、2018年1月10日から1月15日までの6日でした。組み立てに4日、塗装および塗装後の組み立てに1日かかりました。
 キットはタミヤの製品ですので、扱いやすく、組み立ても簡単です。その気になれば、半日でも仕上げられます。ガルパンに数多く登場する戦車以外の車輌のなかでは、最も簡単に作れて楽しめます。初めてガルパン車輌を作る方には、戦車ならばⅡ号戦車、装甲車ならばこのM20、と勧めるのも良いかもしれません。

 


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けいおん!の聖地をゆく15 その11 HTTの居る空間

2018年01月29日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 平沢唯をカメと共に撮った後、階段にHTT初期メンバー4人を並べて撮りました。まず、言いだしっぺで部長になった田井中律を左に置き、参加した順番に秋山澪、琴吹紬、平沢唯、と並べました。

 

 いいですねー。場所も最高ですから、HTTのねんどろいどはどこで撮っても絵になります。

 

 今度は4人をカメの後に続けて並べてみました。転倒したり落下したりしないように、細心の注意を払いつつ撮りました。

 

 こういう、斜め一列の図は、今回初めて撮りました。HTTの初期メンバーの自然体での並びは、こんな感じになるのかな、と思います。田井中律の「ガチョーン」サインがなにげに笑えます。

 

 とにかく、素晴らしいの一言につきます。ガルパンのあんこうチームの5人を大洗で撮っても、これほどのアニメ世界感は出せません。劇中そのままの豊郷小学校内にて、劇中そのままの空間内で撮るからこそ、濃厚なほどの「けいおん」の雰囲気につつまれたフィギュアの写真が撮れるのだな、と改めて感心しました。

 

 続いて、お約束ともいえる廊下での撮影もやりました。いつも中央階段側から撮っていましたが、今回の北側階段側での撮影でも、変わらぬ雰囲気の絵になります。
 ただ、中央階段の往来の震動が、廊下の床面をかなり伝って響いてくるのには驚きました。一度、その振動で平沢唯と秋山澪がコロッと転倒しました。

 

 横に広がった並び方にて撮りました。こちらの図に安定感があるのは、廊下の縦のフレームと、HTTの4人の横のフレームとが十字形に合わさっているからです。

 

 続いて、中野梓を登場させました。窓枠にて撮りました。

 

 光がなるべく当たるように金属柵の上に位置を変えてみました。窓の景色が白っぽく飛ばないように、露出も調整して撮りました。

 

 続いて、平沢唯とのツーショット。二人とも金属柵の上に並べるのは、ちょっと無理がありましたので、中野梓は下に降ろしました。

 

 そしてカメと一緒の図も撮りました。実は、この直前に中野梓の姿勢を調整していて、左脚を少し曲げたところ、ジョイントの付け根のところでボキッと折れてしまいました。ねんどろいどによくある事故です。これまでに首の部分が折れたことは何度かありましたが、脚の付け根が折れたのは今回が初めてでした。
 仕方が無いので、同じ黒ソックスのパーツになっている秋山澪の左脚を代わりに挿し込んで、上図の画像を撮ったのでした。

 ところが、よく見ますと、秋山澪と中野梓の黒ソックスは長さが違うのでした。上図の中野梓の左脚が秋山澪のパーツですので、澪の方が黒ソックスが長いことが分かります。
 そこで、今度は右脚も秋山澪のパーツに換装しようとして外そうとした途端、これもボキッと折れてしまいました。エドヴァルド・ムンクの「叫び」状態になったのは言うまでもありませんでした。

 

 かくして、ねんどろいどの9人全員を撮影するという計画は、中野梓と秋山澪の予期せぬ「骨折事故」によって頓挫してしまいました。もちろん、「わかばガールズ」の撮影予定もパアになりました。要の中野梓が左脚を折ってしまってはどうにもなりません。「こげにゃん」ならぬ、「折れにゃあああぁぁんん!!」状態でした。
 それで、上の画像が、今回のねんどろいど撮影のラストになりました。

 

 まだ10時台になったばかりですが、このアクシデントにより、一気にテンションが下がってしまいました。なにか人生がどうでもよいような、落胆と倦怠感と疲労感とに包まれて、階段に突っ立ったまま、外の景色を眺めるしかありませんでした。 (続く)

 


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この1月からハマっているアニメは「ゆるキャン△」

2018年01月28日 | ゆるキャン△

 2018年1月4日からアニメ放送がスタートした「ゆるキャン△」が、私のなかではガルパンに次ぐ「マイブーム」になっています。久し振りに、観ていて楽しくなるアニメに出会ったな、という気分です。

 この「ゆるキャン△」を初めて知ったのは、一昨年2016年の10月にサークルのアニメ部会のメンバー達が「京都野クル」なるチームを立ち上げて、奈良県奈良市都祁の「奈良県立野外活動センター」へキャンプに行く計画を作ったものの、現地へどうやって行ったらいいか分からず、もと奈良県民で都祁方面にも詳しかった私に相談してきた事が発端でした。

「星野さん、「奈良県立野外活動センター」って知ってます?」
「ああ、奈良方面では利用しやすいキャンプ場の一つですよ。奈良市の都祁の吐山にある。近くにもう一つ、「はやまの森野営場」というのがあってね、僕はそっちでよくキャンプしてたな」
「えっ、星野さん、キャンプ結構されておられるんですか・・・」
「まあね。大学ではアウトドアスポーツサークルに参加してたからね。それと、以前に戦国時代の山城の遺跡を調査して回った時期があって、山の中の城跡にテント張って寝泊まりしながら遺跡を調べて図面とか作っていたこともある。さっき君が言った、「奈良県立野外活動センター」のすぐ向かいにも、奈良県では有数の大型山城である吐山城跡というのがある」
「うわあ、詳しいんですねえ、これはラッキーでした。いやあ実は、僕らアニメ部会でこういう企画をたててますんで、出来たらその、色々教えていただけないかと・・・」
「キャンプ行くの?奈良県へ?・・・・それいいねえ、僕も行きたいねえ」
「あっ、参加していただけるので・・・。有難うごさいます、是非、お願いします。・・・いやあ、僕たち初めてキャンプに行くんで、色々分からない事だらけで・・・」
「えっ、君たち、みんなキャンプ経験無いのか・・・。それで奈良県まで・・・?何かキッカケでもあったんか?」
「実は、このマンガにみんなでハマってまして・・・」

 そう言って示されたのが、芳文社発行のコミックス「ゆるキャン△」第2巻でした。適当に開いて絵を見た瞬間、自分好みの描画タッチと構図のセンスにひきつけられました。これ、めっちゃええやんか、というのが最初の感想でした。
 それで、これは何巻まで出ているのか、と聞いたところ、「いや、まだこの2巻までてす。まだ連載中なんで・・・」との答えが返ってきました。その日のうちに書店へ走って、第1巻と第2巻を買いました。

 

 これがコミックスの第1巻です。初版発行は2015年11月12日です。芳文社公式サイトでの案内情報はこちら。アマゾンでの案内情報はこちら

 読んで、いっぺんにファンになりました。登場人物の一人でソロキャンパーの志摩リンがゆるやかにまったりしたキャンプを楽しんでる様子が、大学時代に自身がやっていたキャンプのスタイルとちょっと違うのが、とても新鮮に感じられました。イマドキの若者はこういうふうにキャンプやるんだろうなあ、と感心したのを覚えています。

 

 コミックスの第2巻です。初版発行は2016年7月12日です。

 この巻では、志摩リンのソロキャンプ、各務原なでしこ達「野クル」の活動スタート、の双方のストーリーが並行してお互いに絡みあいつつ、舞台を山梨県から長野県にも広げてゆきます。

 私は、20代の後半の数年間に山梨県甲府市に本部を置く歴史探訪サークルに参加していたことがあります。それで甲府へは10回余り行きましたが、その際に富士山周辺のドライブルートを回って、富士山や五湖の景色を見たりするのも楽しみの一つでした。
 なので、「ゆるキャン△」に登場する地名、景色の幾つかに覚えがあります。それも、このマンガのファンになった理由の一つでした。

 

 コミックスの第3巻です。初版発行は2017年2月10日です。

 前述のように、私が初めてこの漫画に出会った時は、まだ第3巻は出ておらず、サークルのアニメ部会の後輩たちが回し読みしていた「まんがタイムきららフォワード」を借りて連載を読んでいました。そしてアニメ部会の奈良県へのキャンプ企画にも案内を兼ねて参加し、それを契機として、アニメ部会の数人の後輩たちとの交流が始まりました。
 サークルのキャンプ企画そのものも、京都府や滋賀県に舞台を拡げて、2016年度中に四回ほど実施され、それらに全て参加して楽しみました。その過程で、それまで使用していたキャンプ道具の大半を買い替えました。

 さて、この第3巻で、山梨県名物の「ほうとう」が登場します。名古屋生まれで「味噌煮込み」に親しんでいる私からみますと、「ほうとう」は「味噌煮込み」を柔らかくした感じで、味もよく似ています。甲府の歴史探訪サークルでもよく御馳走になりましたが、お店で食べるものの味、家庭でいただくものの味、がそれぞれに違っていて、色々な風味があることに感心しました。

 「ほうとう」に限らず、このマンガの特色の一つに、美味しそうな料理の描写が多い事が挙げられます。登場人物達がキャンプやツーリングの最中に各所で食べている食事がいろいろ出てくるのですが、それらがみんな旨そうな感じで描かれるので、実際にそれを食べてみたくなってしまいます。
 キャンプ飯も実際に食べると本当に美味しいので、第1巻でただのカップラーメンを至福の表情で食べていた各務原なでしこの気持ちが本当によく分かります。

 

 コミックスの第4巻です。初版発行は2017年7月12日です。
 この第4巻が発行された頃には、「ゆるキャン△」は人気が上昇して聖地巡礼のランキング上位にも上がるほどのブームになっていました。その一番の理由は、2017年の3月にアニメ化が発表されたことでした。

 当然、サークルのアニメ部会のメンバーたちも大喜びで、早速にアニメ化記念のキャンプ企画を5月に京都府丹波市の「キャンプリゾート森のひととき」で敢行しました。もちろん、私も半ば強引に誘われて参加しました。
 このとき、第2巻で志摩リンが購入していた焚火グリル「B-6君」を参加者の一人が持参して大いに盛り上がり、これの「ゆるキャン△」バージョンが出たらええなあ、とか話していたのですが、本当に実現するとは思いませんでした。この2018年2月にコラボ製品が発売されることになり、予約受付があっという間に満員終了になったようです。案内情報はこちら

 さて、この第4巻は、私にとっては二つの大きな意味があります。もともとギャグ漫画が大好きなのですが、ギャグ系の要素も豊富な「ゆるキャン△」の、最も面白いシーンが第4巻に含まれるため、私自身も抱腹絶倒の大爆笑に苦しみました。けいおんやガルパンでは、思いっきり笑って腹をかかえて転げまわって、思い出すだけでゲラゲラ笑い続ける、というのがありませんから、それだけで「ゆるキャン△」のインパクトがいかに大きいかが分かります。
 もうひとつは、各務原なでしこ達の「野クル」に、ついに顧問の先生がついて、登場人物全員が出揃い、その顔ぶれで、初めての合同キャンプを実施するという展開の素晴らしさです。けいおんの山中さわ子を連想させる、顧問の「グビ姉」こと鳥羽美波のダメっぷりも爽快なほどですが、それよりも第4巻の第21話になってやっと、登場人物全員がクリスマスキャンプで揃った、というのがなんとも最高で素晴らしいです。
 とにかく時間がものすごくゆるやかに流れるマンガなので、読んでる側もゆっくりマッタリの気分になります。

 

 そして、去る1月10日に、待望の第5巻を買ってまいりました。わーい、やったぜ!!
 見よ、この、なでしこちゃんの至福の笑顔!!これですよ、この可愛らしい笑顔が見たくてこのマンガ読んでるわけですよ・・・。

 既に1月4日からアニメの放送もスタートしていました。私はテレビを持っていませんが、ネットの動画配信でも放送しているので、リアルタイムでの視聴に支障はありませんでした。この記事がアップされる1月28日の時点では、第4話までがオンエアされています。
 アニメ「ゆるキャン△」の公式サイトはこちら

 

 コミックスの第5巻です。初版発行は2017年12月12日です。
 早くも2018年1月に第二刷が出るほどの爆発的な売れ行きだそうで、近くの書店でも「ゆるキャン△」全巻が完売して入荷待ち、という状態でした。やっぱりアニメのスタートで一気に認知度が上がってファンが飛躍的に増えたんでしょうね。聖地巡礼のムーブメントもこれからピーク期にむかうことでしょう。

 第5巻の表紙の料理は何でしょうか。第1巻で登場した「坦々餃子鍋」とは違うようですが、それにしても旨そうだなあ・・・。なでしこちゃん達と食べてみたいですね・・・。

 

 テレビアニメシリーズの主要登場人物5人です。右より、「あきちゃん」こと大垣千明、「イヌ子」こと犬山あおい、「フジコ」こと各務原なでしこ。以上の三人が本栖高校野外活動サークル「野クル」のメンバーです。
 左端は斉藤恵那と愛犬の「チクワ」、その右がソロキャンパーの「しまりん」こと志摩リン。斉藤恵那は「野クル」に体験参加しており、志摩リンもいずれは合流するんじゃないかな、と思いますが、原作コミックでもまだそこまで至っていないようです。
 いずれも、コミックス版よりもスマートに描かれており、それでいてコミック版のギャグ要素は外していませんから、その絶妙なバランスとコミカル感がなかなかにいい雰囲気になっています。これは間違いなくウケるんじゃないか、と思います。

 個人的には、この五人の名前だけでも興味深く、親しみがあります。岐阜県が郷里で実家は各務原市にありますので、大垣も恵那もよく知っています。面白いのは、全て美濃地域の市名で、飛騨地域の市名が全く無いことです。また犬山は各務原の南隣の、愛知県の北端の市名です。
 おそらく、原作者のあfろ氏も、岐阜県美濃地域の出身であるか、もしくは縁が深かった方なのでは、と思いますが、性別すら公表されていないので、想像の域を出ません。
 なお、志摩は三重県ですが、太平洋戦争中に家が疎開していた所で、祖父祖母および父親のゆかりの地です。

 以上、この1月からハマっているアニメ「ゆるキャン△」について簡単に述べました。
 もともと大学時代からサークル活動でキャンプをやっていて、折に触れて楽しんできた身であり、アニメ化を契機としてキャンパーの血が再び騒ぎ始めています。
 いずれにせよ、今年のマイブームになりそうです。久しぶりにソロキャンプを楽しんでみたいし、道具も色々と買い替えてみたいです。最近に模型サークル有志の間でも持ち上がっている山梨県への聖地巡礼企画も含めて、拙ブログにて折々に触れてゆきたいと思います。

 


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サンダース大学付属高校 M20装甲車 作ります!! その5

2018年01月27日 | ガルパン模型制作記

 ラストのステップ17です。劇中車に合わせて製作する場合は、M49リングマウントのみを取り付けます。

 

 したがって、組み付ける部品は上図の4点です。

 

 組み付けました。

 

 劇中車においては、リング上に何らかのマウントらしきものが付けられています。画面が惜しいところで切れていますので、肝心の形状がよく分からず、カゴ状にも見え、屈曲した形にも見えます。要するに確かな事が不明であるので、この部分の完全再現は見送りました。

 

 したがって、これで塗装前の組み立てが全て完了したことになりました。

 

 塗装を行いました。車体色はサンダース大付属高校チームの標準カラーですので、シャーマン戦車群と同じく、タミヤの「エアモデルスプレーAS14」を使用して吹き付け塗装をやりました。劇中車はインテリアのカラーも同じであることが多く、キットの実車の説明においても車内は車体と同じカラーであるように述べられます。そこで、全て同一カラーでまとめることにし、インテリアの細かな塗り分けは省きました。

 

 劇中車は、上掲の劇中シーンでみると、車体後方にカーキ色の丸めたシートのようなものをバンドで括り付けています。この種の装備品がみられるのは、ガルパン車輌ではおそらく初めてではないかと思います。これもついでに再現することにしました。

 

 今回のキットには、該当するパーツは含まれていません。色々探した結果、同じタミヤのMMシリーズ300番のマチルダのキットに似たようなパーツが含まれているのを見つけました。上図のパーツD18です。ガルパンのマチルダはこうした装備品を付けていませんので、このD18も不要になります。
 このD18を、今回のM20の装備品として転用しました。

 

 形をヤスって丸い状態に修正したのち、劇中車に合わせてバンドも改造しました。上図のように細長くカットしたブラ板を取り付けて、少しずつ接着しながら巻いてゆきました。

 

 こんな感じに仕上げました。相変わらず雑な仕上がりです。

 

 塗装しました。本体はミスターカラー55番のカーキ、バンドは42番のマガホニーで塗りました。

 

 続いて、タイヤをポスカの黒で塗りました。

 

 バックライトの上側を47番のクリヤーレッド、下側を8番のシルバーで塗りました。これで塗装の全てが完了しました。 (続く)

 


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けいおん!の聖地をゆく15 その10 澪誕の当日の豊郷へ

2018年01月26日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2018年1月14日、「Mio’s BirthdayParty」の当日に豊郷に行きました。たまたま前日の13日に長浜への出張があり、14日に休みをいただいたので、京都に帰らずに近くの能登川に宿をとりました。朝9時の開館時間に合わせて行ったことが無かったので、今回の機会を生かしてみた次第です。

 前夜に泊まった宿は「アズイン東近江能登川駅前」で、これまでにも近江八幡や彦根や長浜への出張の際によく利用しています。設備がよく、大浴場もあり、朝食もバイキング方式で楽しめるので、個人的には気に入っています。安土城探索や湖東三山巡礼の際にも利用したことがあります。新快速の停車駅であるJR能登川駅のすぐ横にあり、豊郷へは彦根経由で近江鉄道に乗り換えて40分程度で行けます。豊郷のイベント参加時に前泊で利用するにはお勧めです。

 

 前夜から雪が降り、地域によっては積雪が5センチぐらいになったようですが、豊郷エリアは上図の如く、大したことはありませんでした。当日は気温も上がり、車道の路面凍結は長浜や彦根ほどに広がらなかったようでした。
 彦根経由で近江鉄道を利用し、約20分ぐらいで豊郷に着きました。到着時刻は8時45分でした。

 

 駅前から次の辻を右折すれば、いわゆる「登校路」のルートですが、その入口の角には平沢唯が居ます。木製のベニヤパネルなので、風雨にさらされて上端が腐朽しつつあるのは、仕方のないところでしょう。防水のためのコーティングとかは不可能なのでしょうか。

 

 「Mio’s BirthdayParty」の案内ポスターです。豊郷でのイベントに公式は一切の関与をしてきませんでしたから、全てはファンと地元有志によって手作り、手探りで実施され、積み重ねられてきた経緯があります。ポスター類もチラシ類も、全てファンの手書きによるイラストで飾られています。公式絵がメインのガルパン大洗とは対照的であり、こちらの方がファンの情熱や愛情がストレートに伝わってまいります。

 

 「登校路」の途中の店舗の施設内にも、過去のイベントの案内ポスターが並んでいました。上段中央に、今回のイベントの分もありました。

 

 開館時間の9時に豊郷小学校に着きました。巡礼者やイベント参加者もまだ数人程度でした。

 

 朝の9時台に来たのは初めてですが、やはり西面する建築なので、完全な逆光状態です。やっぱり午前中の時間帯は屋外でのフィギュア撮影には向いていないと思います。
 今回も、目的はイベント参加ではなく、フィギュア撮影でした。前回は「わかばガールズ」の5人を連れてきましたが、その楽器製作がとうとう今回に間に合わず、次案の「HTTと「わかばガールズ」の9人全員を撮る」を実施することにしました。それが、予期せぬアクシデントに見舞われて頓挫するとは、この時は夢にも思いませんでした。

 

 とりあえず、屋外での撮影地点の候補を探しました。芝生の雪化粧がいい感じでしたので、雪が解けないうちに一度撮ってみるのもいいかな、と思いました。ですが、全て日陰ですので、写真はみんな暗くなってしまいます。
 酬徳記念館を背景にして撮る、というのはまだやっていませんので、後でチャレンジしてみようか、とも思いました。

 

 講堂前での撮影は、過去に何度かやっていますので、今回はパスしました。そもそもイベントは講堂で行われますので、その時間になれば、大勢の参加者が行き来していて撮影どころではなくなります。私自身はイベントには関心がありませんので、今回も一般見学者として来ました。
 ただ、昨年の「Tsumugi & Ritsu Birthday Party」、「Yui & Azusa Birthday Party」の当日にも行っていますので、今回の登校により、HTTメンバーの全員の生誕イベントに行き合わせたことになりました。

 それで分かったことは、いずれのイベントも参加者の顔触れや人数がほぼ一緒である、ということでした。痛車もコスプレイヤーも常連ばかり、参加者の面々も殆ど見た事あるなあ、という感じでした。要するに、豊郷での「けいおん」関連イベントは、いまでは常連参加者によって支えられている、ということでしょう。

 

 旧校舎群に入って、すぐに北側階段に移動してフィギュア撮影にとりかかりました。いつもの「部室」での撮影はこれまでに何度もやっていますので、今回はまだ撮っていないエリアを選びました。ウサギとカメのオブジェとフィギュアを一緒に撮る、というのが今回の撮影目的の一つでした。
 その場合、人の行き来が多い中央階段、イベント会場の講堂への通路に繋がってこれも行き来の多い南側階段は、何かと不都合が多いので、あまり人の来ない北側階段しか、選択肢がありませんでした。

 

 手始めに、踊り場のウサギと平沢唯を撮ってみました。なかなか良い感じで絵になります。

 

 二階のカメと共に平沢唯を撮りました。窓の景色が白っぽく飛んでしまい、失敗でした。

 

 そこでアングルを替えて上図のように撮りました。カメと平沢唯、です。カメの歩みのような、ゆっくりしていて着実な進歩をとげていった平沢唯の、様々なシーンが思い浮かんできて、なにか幸せな気分になりました。

 撮影時、ねんどろいどを立たせるのに一苦労しました。御覧のように階段の手摺は水平ではなく、中央に盛り込みを付けたギリシアンスタイルなので、支持座をやや外寄りに据えて本体を支えないと、コロッと転倒してしまうのでした。下手すると転倒先が階段の下の一階部分、なんてことにもなりかねませんが、そんなことになったら破損は確実です。そうならないように注意し、撮った後に再び手に取るまで、気が抜けませんでした。 (続く)

 


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サンダース大学付属高校 M20装甲車 作ります!! その4

2018年01月25日 | ガルパン模型制作記

 ステップ12ではタイヤを組み立てます。ステップ13ではタイヤ等を車体に取り付けます。銃のF17は不要です。
 ステップ14では、車体各所の部品を組み立てますが、劇中車にはM2重機関銃、機銃架、地雷用ラック、ワイヤーロープはありませんので、これらのパーツは全て不要です。M49リングマウントだけを組み立てますが、E1およびE2は、劇中車のマウント形状がよく分からないため、取り付けません。

 

 タイヤのパーツ類です。タミヤキットではお馴染みのポリキャップ方式です。

 

 組み立てました。左が前輪、右が後輪です。

 

 ステップ13で取り付けるパーツ類です。

 

 取り付け終わりました。

 

 ステップ14で組み立てるM49リングマウントです。上図左下のE1およびE2は、機銃マウントの基部にあたりますが、劇中車のマウント形状がよく分からないため、取り付けません。アーマーモデリング2018年2月号の記事ではM63型対空マウントではないかと述べられますが、少し違うような気もするからです。

 

 なので、組み立て後の状態は上図のようになりました。

 

 ステップ15では、車体各所に様々な部品を取り付けます。劇中車は車外装備品を一切付けていないようですので、鶴嘴のB8およびB9、シャベルのB10、斧のB11は取り付けません。また地雷ラックも不要ですので、C11、C12のほうを取り付けます。

 

 細かいパーツが多いですが、組み付けは簡単ですので、紛失しないように気を付けていれば、作業そのものは楽です。

 

 数分で全てを取り付けられるのが、タミヤキットの特色の一つです。

 

 ドンドン組み付けてゆきました。

 

 全て取り付け終わりました。上図ではC13およびC14を仮組みしているため、タイヤを付けていません。

 

 シンプルな形状にまとめられていて、いかにも米軍の装甲車らしい外観です。

 

 ステップ16では、ドライバーズハッチやライトガード等を取り付けます。私の製作においては、ドライバーズハッチは閉状態にすることにしました。

 

 関連のパーツ群です。

 

 ライトガードや牽引ホールド等を取り付けました。 (続く)

 


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けいおん!の聖地をゆく15 その9 塚口サンサン劇場にて

2018年01月24日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2018年1月7日、アンドー氏と兵庫県西宮市の塚口サンサン劇場へ「映画けいおん」特別上映を観に行きました。阪急塚口駅にて17時に待ち合わせました。

 今回の映画視聴は、かつての上映期間中に「映画けいおん」を観ていなかったアンドー氏が、たまたま塚口サンサン劇場での特別上映の件を知り、相談無しに私の分までチケットを予約したことによるものでした。
 誘われた時点で既に日時が決まっていてチケットも確保済み、というので「またまた安藤さんはー」とボヤくしかありませんでしたが、「映画けいおん」自体は久しぶりに観るのもいいかな、と思いました。

 画像は、久しぶりに琴吹紬も入れてみました。

 

 塚口サンザン劇場は、塚口駅から歩いて1分もかからない至近にありますので、アクセスは容易です。規模は小さいですが、色々と意欲的な上映企画を打ち出していることで知られ、ガルパン劇場版の特別上映も盛んにやっていたそうです。

 

 施設内の階段の踊り場に貼られていたポスターの一枚です。2011年の初公開時のデザインを踏襲して今回新たに刷られたもののようです。アンドー氏が「欲しいねえ」と呟いていましたが、私もちょっと欲しい気分でした。

 

 「けいおん」の上映期間前には、同じ京都アニメーションの「響け、ユーフォニアム」も上映されていたようです。私はいまだにこのアニメはよく知らないのですが、アンドー氏に言わせると「色々妙な作品」だということです。どういう意味で「妙」なんでしょうか・・・。

 

 かつてローソンキャンペーンにて配布されていたクリアファイル類かありました。まだ販売しているのかと驚きましたが、よく見ると展示品でした。ファンの方からの寄託であるようです。

 

 上映時間になりました。アンドーさん、お静かに。間違ってもイヨマンテとか歌わないで下さいね。

 席は殆ど満員でした。けいおんシリーズの人気がいまも静かに持続していることがよく分かりました。男性ばかり、という点はガルパンと変わりませんね・・・。20代ぐらいの若い層が目立ったので、最近にファンになった方が多かったのでしょうか。

 

 テレビシリーズと違って、映画版ではHTTの演奏シーンが細かく、そしてリアルに描かれます。上図の平沢唯のシーン等は、大変にカッコよくてグッときます。

 

 「蘭鋳寿司」での予期せぬハプニングにもかかわらず、それでもステージにて演奏するあたりは流石です。これもHTTの「実力」だと思います。

 

 ロンドンでの野外ステージでも、全然動じることなく淡々と歌い、演奏する平沢唯です。体が自然にリズムに乗っている様子も、お見事の一言につきます。このボーカル兼ギターのメンバーを得た事が、HTTの最大の幸運であったと言えましょう。

 

 センターの平沢唯の絶対的な安定感が、両サイドの秋山澪、中野梓をもしっかり支えていた、と感じます。三位一体の演奏スタイルが自然体で組み上がっていたなあ、と感動せざるを得ない場面でした。

 

 このライブ感の表現が素晴らしいです。周囲に響き渡る音楽の「視点」で、HTTの躍動感を見事にイメージさせています。こういうカメラワークを随所に織り込む手法は、京都アニメーションが様々な作品を経て培ってきたオリジナリティの最たるものだという気がします。

 

 この楽しそうな演奏ぶりに、目頭が熱くなりました。高校時代に三人の仲間たちと文化祭に向けてにわかバンドを組み、毎日一生懸命練習して、次第に上達して、楽しくなってきた経緯を思い出しました。結果的には、文化祭が終わっても、そのまま活動をやって、卒業式の日まで演奏を楽しんでいたのでした。

 バンドで演奏するというのは、たとえニワカで下手くそであったとしても、猛烈に楽しいことだったのです。俺もお前もバカヤロウなんだけどさ、楽器構えたらもっとバカヤロウだよな、と肩組んで笑い合えるような、そういう仲間三人と、徹夜でスタジオ借りて演奏していた日などは、本当に本当に最高だったのでした。

 その思い出を、映画を観ながらかみしめていました。あの仲間三人が既にこの世に居ない事への悔しさも湧きあがってきて、涙がこぼれました。

 

 だから、こういうふうに、クラスメイト達と共に盛り上がって演奏出来るということが、どんなに素晴らしいことであるかがよく分かります。高校の文化祭ライブではもちろん、卒業式の前日の放課後に音楽室を借りてさよならライブをやったのですが、いずれもクラスメイトのみならず、大勢の連中が見に、聴きにきてくれました。
 当時、ボーカルのKが、演奏直後に「お前らサイコーだぜーっ」と絶叫して満場の拍手喝采をあびていた事の本質的な意味が、本当によく分かります。それを改めて実感させる、上図のシーンでした。

 

 ラストで決める平沢唯です。私たちのバンドではこういうパフォーマンスはやりませんでしたが、観衆のクラスメイトたちが派手に振る舞って踊ったりして盛り上げてくれました。そういう、理屈では説明できない、衝動的なムーブメントというのも、高校生ならばでのものだったでしょう。

 

 そして中野梓に贈る最後の演奏も感動的でした。総じて映画版は、HTTの演奏シーンを様々に描写することに重きが置かれたようで、テレビシリーズの全話を通じてもなかなか描かれなかったメンバーたちの楽器との向き合い方、音楽への没入感などが生き生きと表現されています。

 ブーム全盛期を通じて、高校生たちが軽音楽を志す動きが最も顕著になり、各地の高校の軽音部が最大人数を記録したのが、映画版の上映後であったとされているのは、よく実情を捉えていたと思います。楽器業界での総合的な販売実績がピークに達したのが、2012年前半期であったそうなので、テレビシリーズよりも映画版の方が、ビジュアル的な効果も大きかったことを示していると言えます。

 そしてこの「映画けいおん」が名作であることは、共に視聴したアンドー氏が、終始「イヨマンテ」のセリフを言わなかったことにも示されていました。ただ、「良かったねえ」の一言だけでした。多弁で余計な事まで賑やかに喋るアンドー氏にしては、稀有のことでした。

 やっぱり、「けいおんシリーズ」は良いですね。ただ、ガルパンと比較すれば、さすがに過去の作品だなあ、と思うところがあります・・・。

 


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サンダース大学付属高校 M20装甲車 作ります!! その3

2018年01月23日 | ガルパン模型制作記

 

 ステップ7およびステップ8では、シートや燃料缶などを取り付けます。兵士の人形は不要です。
 ステップ9では、車体上部を組み立てます。左右サイドでの複数の穴あけ指示がありますが、劇中車においては不要です。指定の車外装備品を一切つけていないためです。

 

 運転席および助手席のシート、サイドブレーキらしきレバー、ベンチです。

 

 車内に組み付けました。内部空間が次第に窮屈になっていきました。ベンチは、無線機に向かえる位置にありますので、通信手が座ったのでしょう。

 

 車体内部の塗装をしてから上部車体を貼りつけるのが良いかな、と考えましたが、このまま進めていくことにしました。

 

 燃料缶と水筒のパーツです。水筒は米軍兵士の装備品ですので、ここでは不要にしました。

 

 燃料缶をセットし、もう一つのベンチを用意しました。

 

 ベンチを組み付けました。

 

 かくして、消火器を除く内装品の全ての組み付けを終えました。

 

 ステップ9に移りました。上部車体のパーツ類です。

 

 ハンドルと計器盤を組み付けました。

 

 上部車体前面の裏側に取り付けました。

 

 ステップ10では車体上部装甲板を組み立てます。F30の2.36インチロケットランチャーは不要です。また、F11の左右側面にハンドルのモールドが並びますが、劇中車にはハンドルがありませんので、モールドを削り取ります。
 ステップ11では上部車体の各部を組み立てます。F27およびF29の2.36インチロケット弾ケースは不要です。

 

 ステップ10で組み付けるパーツです。上図右下が、不要となるF30の2.36インチロケットランチャーです。ガルパンの戦車道においては携行火器の使用は認められていません。

 

 組み上がりました。

 

 前面のシートF31は立てて収納状態にしました。

 

 御覧のように、F11の左右の下側面にハンドルのモールドが4つ並びますが、劇中車にはハンドルがありませんので、モールドを削り取ります。

 

 削り取った後の状態です。他にも各所にハンドル等のモールドがありますが、劇中のワンカットで視認出来る範囲のみにおいて、修正を施しました。

 

 ステップ11に移りました。上部車体の各部品です。F27およびF29の2.36インチロケット弾ケースは不要です。

 

 全て組み付けました。車体上部の輪郭が出来上がってまいりました。いかにも装甲車、といった外観です。 (続く)

 


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けいおん!の聖地をゆく15 その8 上映時間10分のアニメ

2018年01月22日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2018年1月4日の夕方、模型サークルの先輩アンドー氏に誘われて、京都シネマでの映画鑑賞に行きました。最初は兵庫県西宮市の塚口サンサン劇場での「映画けいおん」特別上映を1月7日に観に行こう、という内容だったのですが、アンドー氏が「どうしても観ておきたい特別な作品がもう一つある。しかも今しか観られない。京都でしか観られないのじゃ」と、半ば強引に追加してきました。

 

 アンドー氏が追加した映画作品とは、上図の「地下鉄に乗るっ」アニメでした。京都市営地下鉄のPRプロジェクトで特別に制作された10分のアニメで、限られた機会のみの上映であったため、これまで視聴の機会を全然得られなかったものです。
 そのアニメを、この年末年始に京都シネマでの独占上映の形で一般公開する、という企画でした。

 アンドー氏は、この「地下鉄に乗るっ」の大ファンで、関連ポスターの南禅寺水路閣編、二条城編はもちろん、クリアファイルと限定缶バッジもしっかり集めているのですが、このアニメだけは全く観ていなかったため、最後のチャンスに私を巻き添えにした、という形です。

 

 四条烏丸交差点の南西角に建つ「COCON烏丸」です。この商業施設ビルの3階に、京都シネマが入っています。京都シネマの公式サイトはこちら

 

 20時前に「COCON烏丸」の玄関口でアンドー氏と合流しました。
「いよう、ついにイヨマンテの夜、ってわけやのう」
「何がイヨマンテの夜ですか・・・」
「いや、地下鉄に乗るっ、ていうその響きよ。こう息をためて、パッと、地下鉄に乗るっ、と勢い付けて言うわけ。なんかこう、イヨマンテの夜っ、てな感じになるよなあ」
「意味がわかりません・・・」

 

 3階の京都シネマに着きました。京都市のど真ん中にある映画館ですが、規模は地方の上映小屋ぐらいの規模で、上映作品も、他ではあまりやらないようなマイナー作品やローカル作品が多く、京都の映画ファンの聖地として知られています。
 「けいおん」ブーム全盛期には、この映画館でテレビシリーズの全話上映を敢行していたそうですが、私自身は残念ながら視聴の機会に恵まれませんでした。

 

 京都市営地下鉄のマスコットキャラクター、「みやこくん」のパネルです。

 

 私たちが視聴する「地下鉄に乗るっ」は最大規模のシネマ1(104席)で20時30分から上映される予定でした。一日に一度きりの上映で、この時間帯ですから、京都に住んでいる人でもなかなか行けないだろうなあ、と思っていたら、あっという間に狭い待合室が超満員になりました。

 

 エントランスには「地下鉄に乗るっ」の登場キャラクター達の等身大パネルが展示されていました。

 

 主人公格の太秦萌です。元ネタは地下鉄「太秦天神川」駅です。
 アンドー氏曰く、「萌ちゃんてさ、まったくイヨマンテやねえ」と。何を言ってるんですか、この人は。

 

 小野ミサです。軽音部に属してギターを担当している、という設定です。元ネタは地下鉄「小野」駅です。
「このキャラクター、絶対に「けいおん」を意識しとるぞ、畜生」
「なにが、畜生、なんですか」
「いや、これ見るとさ、髪形はあずにゃんみたいやし、ギターはレスポールやし・・・」
「えっ、平沢唯と同じギターなんですか?」
「ああ、そうや。確認はしとらんけどな・・・」
「何なんですか・・・」

 

 松賀咲です。「まつがさき」と読むので、元ネタが地下鉄の「松ヶ崎」駅であることは明白です。
「これも絶対、「けいおん」を意識しとるぞ。もうちょっとオリジナリティを発揮してやな、「けいおん」とは無関係のネーミングにすれば良かったのにな。例えばさ、南禅寺水路閣、とかさ」
「どんな名前ですか、もろに「けいおん」繋がりじゃないですか・・・」

 

 太秦麗です。太秦萌の姉です。アンドー氏が一番好きなキャラクターだそうです。
「やっぱし麗ちゃんやねえ。うははは。この、いかにも京美人っていう情緒ある雰囲気がな、まったくもってイヨマンテやねえ・・・」
「意味が分かりません・・・」

 

 チケットを買いました。整理番号は84番でした。この番号順に整列して順に入場するという形でしたが、最終的に150人ぐらいは入ったようです。104席に150人ですから、大入り満員だったわけです。
 ちなみに料金は500円でした。たった10分の作品で500円ですから、アンドー氏が「高過ぎるような気がせんでもない」と呟いていたのには同感でした。

 

 アニメの原画の一部が展示されていました。

 

 太秦麗の原画です。アンドー氏はこれがいたく気に入ったようです。
「ええ線やねえ、ええタッチやねえ、ええ表情やねえ、もう持ち帰りたいねえ・・・」
「あのですね・・・、そういう、エロ本見てるような言い方、やめてくれませんかね・・・」
「ウホッ、イヨッ、マンテーえぇ・・・」
 これで有名国立大学大学院卒の俊英なんですから、かないません・・・。天才と何とかは紙一重、の典型ですね・・・。

 

 そして上映にのぞみました。両脇に立ち見客がズラリと並ぶ盛況ぶりでした。たった10分の作品にこれだけ人が集まるのですから、相当な人気があるというのが実感出来ました。

 上映後のアンドー氏のハイテンションぶりについては、まさに漫才と落語とコントの融合、でありました。詳細を述べると連載50回ぐらいになってしまうので、ここでは省かせていただきます。

 

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「最終章」第1話の黒森峰女学園チーム

2018年01月21日 | ガールズ&パンツァー

 上図は、「最終章」第1話にて、無限軌道杯の試合を観に来た黒森峰女学園チームの面々です。7人が出ていますが、この7人で全員かは分かりません。左外にもう何人か居そうな雰囲気ですが、この7人全て、テレビシリーズで見た事がありますね。
 いずれも学園の制服姿ですが、ひとりだけ帽子を被っています。戦車帽なのかどうかハッキリしませんが、戦車帽であれば、制服に戦車帽という、珍しい組み合わせになります。

 周知のように、隊長の西住まほはドイツに留学ということで、試合には不参加となりました。それで副隊長の逸見エリカに後事を託して励ましていました。
 そうすると、この無限軌道杯の試合に出場する黒森峰女学園チームは、逸見エリカが率いることになるのでしょう。7人の中央に立っていること自体、次期隊長らしさを感じさせます。

 さて、逸見エリカと共に並ぶこの6人について、上画像右から順に見てゆきましょう。

 

 一番右に立つ、最も小柄な人は、赤星小梅です。黒森峰女学園チームのメンバーの中で、西住まほ、逸見エリカに次いで名前が判明していた唯一のキャラクターです。
 その搭乗車は、テレビシリーズでは不明でしたが、劇場版ではパンターG型でした。

 

 右から二番目のメガネの人は、Ⅲ号戦車J型の車長です。氏名はいまだに明らかにされていません。

 

 右から三番目の人は、マウスの車長です。氏名はいまだに明らかにされていません。

 

 そして、中央の逸見エリカが実質的に隊長として最強の戦車部隊を率いることになります。頑張れ黒森峰、頑張れ逸見エリカ。とにかく黒森峰ファンとしては、大いに期待しております。

 

  右から五番目の、逸見エリカとほぼ同じ身長の人は、ティーガーⅡの砲手です。逸見エリカが全幅の信頼を寄せる名砲手なのでしょう。テレビシリーズでの大洗女子学園との決勝戦では、アリクイさんチームの三式中戦車チヌを撃破しています。氏名はいまだに明らかにされていません。

 

 右から六番目の最も背が高い人は、ティーガーⅡの装填手です。氏名はいまだに明らかにされていませんが、かなりの力持ちであることが、転輪をコロコロと軽快に転がす場面にも示されています。

 ここで気づくのは、逸見エリカの搭乗車のクルーが二人も出ている事です。いずれも砲塔内にエリカと共に詰めているメンバーです。ガルパンにおいては珍しい描写であり、今後の逸見エリカの大いなる活躍が示唆されています。

 

 そして一番左に居るのが、ヤークトパンターの車長です。ファンの間では「直下さん」とか呼ばれているようですが、本当の氏名は明らかにされていません。

 

 あと、画面外にも何人か居ると仮定した場合は、上図のパンターG型の車長も含まれるてしょうね。

 以上の顔ぶれから、逸見エリカ率いる黒森峰女学園チームが無限軌道杯の試合に参加させる車輌がある程度予想されます。ティーガーⅡ、パンターG型、Ⅲ号戦車J型、マウス、ヤークトパンターの5輌、ということになりますが、果たして第2話以降にどのような陣容で登場するのでしょうか。

 黒森峰ファンといたしましては、ガルパンでは最強ランクに位置する、ドイツ機甲師団の末裔の勇姿をもう一度見てみたい、という願いがあります。隊長の西住まほが留学して不在であるうえ、替わってチームを率いる逸見エリカは、大洗女子学園との決勝戦に敗れた経験を持っています。おそらく、今までの黒森峰女学園のような戦い方はしないでしょう。
 それでは、どのような戦い方をしてくるのか。次代の黒森峰女学園チームの見果てぬ可能性、というものがどのように描かれ表現されるのか。「最終章」ではそのあたりも触れられる筈、と大いに期待しております。色々と楽しみです。

 

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けいおん!の聖地をゆく15 その7 変わらぬ景色と思い出

2018年01月20日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 京都市バス停「修学院駅前」付近の歩道です。この辺りから白川通交差点までのルートは「けいおん」シリーズ各話に様々なアングルで登場していますが、どの話のどのシーンがどのアングルで出ているかを知悉しているファンは殆ど居ないと聞きます。レイコさんに聞いてみても、「全部は把握してないですね。だって電柱とか信号機しか出てないカットもあるじゃないですか」との答えでした。

 

 平沢唯および憂姉妹が毎日行き来したルートですが、劇中では松ヶ崎エリアでの描写が多いです。こちらの範囲での描写は、HTTのメンバーの場面が多いですね、とレイコさん。言われてみればそうだな、と納得しました。
 「けいおん」シリーズでは、登場する人物によって、登場させる場所をある程度決めてあるのではないかと思われる傾向が見られます。例えば、平沢唯と中野梓は、同じ通学路で家も同じ松ヶ崎エリアにある設定ですが、中野梓は白川通での通学シーンにはあまり出てきません。どちらかといえば修学院エリアや松ヶ崎橋での場面が目立ちます。

 

 白川通との交差点の、お馴染みの横断歩道です。おそらく、通学路ルート上で最も登場回数が多い場所だと思われます。デスデビルの回想シーンにも出てきますので、当時の山中さわ子も同じ通学路を使用していたことがうかがえます。

 レイコさんは、「高校時代の巡礼の時、この横断歩道を渡ったらとても幸せになれました」と笑顔で話しました。そして、白川通を南下して、マクドナルドでハンバーガーをおやつで食べるのが定番コースであったそうです。高校卒業後に実家が兵庫県に引っ越したため、それ以降は「けいおん」聖地巡礼に行く機会が殆ど無くなったそうです。
 しかし、彼女に言わせると、HTTと同じ年で過ごして、放送時期直後にリアルタイムで聖地へ出かけて楽しんでいた事が大変に重要だった、ということです。平沢唯たちとは同級生、という気分になれて楽しかった、というのが良い思い出になっているのだそうです。
 それで、豊郷へは一度しか行っていないのだそうです。訳を訊ねると、「高校生のお小遣いでは豊郷へ行くのは難しいですよ」と言われました。なるほど、それはそうだな、と思いました。

「私の「けいおん」ブームは京都市内の聖地巡礼とローソンの買い物が中心でした。普段のおやつのお菓子を、けいおんデザインで買って、文房具も生活用品も安かったからなるべく「けいおん」グッズで買う。そのへんのアニメグッズと違って、「けいおん」文房具は実用出来るものがけっこうありましたね。ラミーのシャーペンは高くて買えなかったですけど、一乗寺の恵文社で売ってる消しゴムは買いました。コクヨが出してた限定バインダーも買って使ってました。クラスメイトの皆も観てファンになってましたから、グッズの交換はけっこうやりましたし、アニメイトのカードダスの大きい方を買って下敷きとして使うのも流行ってましたね」

 レイコさんの回想談から、当時の「けいおん」ブームを実質的に牽引していたとされる現役高校生ファン層の在り方の一端がよく分かります。同じモケジョのミカさんも同年なので、似たような日々を過ごしていた事を以前に聞きましたが、興味深いのは、当時の「けいおん」グッズが高校生のお小遣いでも充分に買える低価格帯の実用系製品で占められていた状況です。お菓子系の商品も膨大な数がローソンなどで売られていましたが、ファンの高校生たちが一番求めていたのは、学校や家での勉強で使える文房具、次いで日用品、であったことが分かります。それらの「けいおん」コラボ品が最も人気があったのも頷けます。

 例えば、現在「けいおん」にハマって、グッズ集めに奔走しているファンが、コクヨが出してたあずにゃん限定バインダーを知っているでしょうか。トンボ鉛筆の消しゴム「MONO」が一時期HTTのデザインになっていたことを覚えているでしょうか。マックスが販売していたホッチキスが、「私の恋はホッチキス」に因んで針にもHTTのデザインが施されていたことを知っているでしょうか。
 花王の「けいおん」限定シャンプーセット、資生堂の「けいおん」限定化粧品キットに至っては爆発的な人気を呼んで品切れ続出となり、ロスのショックで泣き崩れる女子高校生が続出したこともあったそうです。
「その、泣いちゃった一人が、私なんですけど」と笑っていたレイコさんでした。

 

 この景色も劇中ではよく見られました。レイコさんが、「そういえば、星野さんが去年にお友達と行かれて銀行の場所を間違えた、っての、ありませんでした?」と聞いてきました。
「ああ、斜め向かいの、北側の銀行の方を間違って紹介したんですよ・・・」
「じゃあ、正しい方の銀行へちょっと行ってみましょう」

 

 交差点から白川通の西側歩道を100メートルほど歩いて、上図の「正しい方の銀行」である京都中央信用金庫の前に行きました。
「そうそう、こっちだったわけですな。OPにも出てるんじゃなかったかな」
「はい、出てますね。斜めのアングルで」

 

「2期の「先生」って話で、HTTが下校中にさわちゃん先生を見つけて尾行する場面ありますでしょう?」
「ああ、ありましたな。確かムギが探偵気分で気合入れて一番に駆け出すシーンとか」
「そのムギちゃんの駆け出すシーンが、だいたいこの辺なんですよ」
「えっ、そうなのか。北山通のほうだと思ってた」
「いいえ、こちらなんですよ。銀行の隣が駐車場になってますけど、昔はそこにビルが建ってたんです。そのビルが劇中にちょこっと出てくるんです。そこからHTTの尾行がスタートしてますので」
「それは知らなかった・・・」

 

 したがって、HTTの山中さわ子尾行ルートは、かなりの距離にわたっていたことが分かります。北山通へ左折して、上図の和菓子店「ゆうづき」の店先を過ぎて、修学院駅の方へと移動していたわけです。

 

 北山通の景色です。至るところに「けいおん」スポットがあって、聖地エリアにおける密集度は白川通に次いでいます。レイコさんは高校三年の一年間に七回訪れて、聖地巡礼を楽しんだそうてす。一緒に巡礼したクラスメイトの一人が、白川通ルートの巡礼中に京都造形芸術大学に立ち寄り、その雰囲気が気に入って受験先に決め、見事に合格して進学したそうです。

「レイコさんは確か、高校時代までは桂の川島(京都市西京区川島)に住んでたのでしたか」
「はい。星野さんも御存知の革嶋城跡の近所です」
「ああそうか、河内源氏の系統で桂の地頭職を任された革島氏の城の・・・
「はい」
「すると「けいおん」巡礼に行くのは割と簡単だったわけですな」
「はい、家の最寄りの駅が阪急の桂でしたので。桂から河原町まで行って、市バス5系統に乗るか、京阪の祇園四条から出町柳に行って叡電に乗れば、修学院や北白川へは一時間もかかりませんし。学校帰りにちょっと道草するみたいな感じで行ったこともありますよ。その場合は地下鉄東西線の西大路御池から三条へ行って、京阪に乗り換えましたね」
「西大路御池って、斎宮邸の遺跡のある所かね・・・。すると、もしかして、通ってた高校は斎宮邸跡の位置にある?」
「はい」
「おお・・・名門だな・・・。確か京都の公立高の偏差値ではベスト3に入るんじゃなかったかね」
「はい。三番目ですけど」

 レイコさんが、才女揃いのモケジョのサークルでも一目置かれている理由が、ようやく分かった気がしました。それが大の「けいおん」ファンであれば、その巡礼ぶりも熱心で真剣で、全てをしっかり記憶するぐらいのレベルであったのは間違いないでしょう。ただ雰囲気だけを楽しんで散漫に回っているアホなホシノの巡礼とは全然違います。

 

 さて、この歩道です。このルートを、山中さわ子に気付かれないように、セブンイレブンの手前のビルの円柱列のところまで尾行してゆくHTTですが、劇中では、円柱列のところでの場面のみが出てきます。その理由を、レイコさんは「隠れるのが簡単だったからじゃないですか」と分析していました。

 

 最終的には、山中さわ子が修学院駅付近で相手の紀美と会い、それを見届けたHTTでしたが、その後に舞台は六地蔵のファミリーレストランにいきなり飛んで、HTTは紀美との邂逅に進むわけです。

「あのレストランの場所探し、ほんとに大変でしたよ。当時は修学院から白川通にはレストランは無かったから、初めは北山通のどこかやろう、と思って、友達とバスに乗って窓の外を一生懸命見て探したんです。でもネット上で六地蔵の方だと知って、なんでそんなところへ飛ぶねん、って思いました」
「それで六地蔵には行ったのですか」
「はい。地下鉄東西線の終点ですから、何とか行きました。ちゃんと聖地のレストランで御飯も食べました」
「それは良かったですな」

 

「この看板も新しくなってますね。前はもっと汚れてて、さび付いてて・・・」
「そうですな」

 

 とりあえず一巡したので、叡山電車に乗って出町柳まで戻る事にしました。これで聖地スポットは全部おさえたかな、と思っていると、レイコさんが「まだ一ヶ所ありましたよ、ここ」と上図の景色を教えてくれました。
「どこかで見たような図だな・・・」
「そりゃそうですよ、「夏季講習」の一場面です。律ちゃんとムギちゃんがホームにいるシーンです」
「あっ、あったな、あった」

 とにかく、レイコさんは大変に詳しくて色々と勉強になりました。よく覚えているもんだねえ、と言ったら、「けいおんの聖地巡礼の思い出は、いつまでたっても鮮やかなままですから」と言われました。
「今日久しぶりに訪れてみて驚いたんですけど、景色もあんまり変わってないですし」
「それは同感ですな。自分が造形大に通っていた17年前とあんまり変わってない。変わった所もあるけど一部でしかない。自分の思い出も鮮やかに甦ってきますな」
「星野さんの造形大在学時に、お友達の方が何人かこのあたりに下宿されていたんですね」
「そうです」
「いまも皆さんと連絡取り合ってるんですか?」
「いや・・・、今も続いてるのは二、三人程度ですね。後は物故されましたから・・・」
「そうなんですか・・・」

 思えば、最もよく一緒に活動していた愛知県岡崎市の方、および広島県東広島市の方、の二人は既にこの世に無く、また親しくしてよく世話になった嵐山の方も数年前に逝きました。ゼミが同じだった5人のうちでも、既に4人と連絡が取れなくなっています。恩師の先生も三年前に亡くなられたので、造形大との縁というか、精神的な繋がりというものが歳月とともに褪せてゆくような感にとらわれます。
 ですが、その分、思い出がより鮮やかに、より大切なものになってゆきます。いまでも変わらぬ景色が沢山あるため、余計にそれらの思い出が補強されて、懐かしさと安らぎの気持ちをも与えてくれます。

 そのことをレイコさんに話したら、「それ、凄く分かります。私の場合はまだ数年前のことですけど、高校時代の思い出って、ものすごい大切で貴重に感じられるようになってます。大学もそれなりに楽しかったんですけど、自分は高校の時に「けいおん」が大好きになって、それが生活の中心になってました。それで面白い日々を送れましたんで、「けいおん」というアニメには、単なるアニメとは違うよ、って気持ちが常にあるんです。その聖地の景色が今もそのまんま在るので、あのときの自身を振り返って色々考えることも出来る。それって、すっごく重要な事なんですよ・・・」と応じてくれました。

 電車に乗ってから出町柳駅までの数分間は、それぞれの感慨に浸っていたので、会話は全くありませんでした。

 

 ですが、出町柳駅の改札を出た途端に、いきなり「もしよろしければ、これから大阪の恵美須へ行きませんか?」と聞かれました。一気にモケジョさんモードになったようでした。

「えっ、それって模型店巡り?」
「はい、色々見たい模型があるんです。有ったら買いたいのもあるんですけど」
「何のプラモデル?」
「やだなあ、ガルパンに決まってるじゃないですか。でなきゃ、星野さんに同行お願いしませんよ」
「なるほど・・・、じゃあ、行きますか」
「やったー」
「そしたら、京阪で北浜まで行って堺筋線に乗り換えるのが手っ取り早いですな」
「特急で行きましょう」
「ですな」

 ということで、上図の9時59分発の淀屋橋行きの特急に乗りました。北浜で大阪地下鉄堺筋線に乗り換えて恵美須町で下車、日本橋のジョーシン、ボークス、中古ショップ等数軒を回りました。色々見ましたが、私は欲しい製品が無かったので、塗料を二つ買ったにとどまりました。
 レイコさんは、ガルパンのCV33の公式キットを買っていました。ガルパンプラモデルの中でも難度が高い方に属すると言われていますが、小さいし可愛いから、という理由を優先させたとの事でした。

 そういえば、私もアンツィオ高校チームのCV33はまだ作っていません。2018年度中には仕上げてみたいと思います。

 

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サンダース大学付属高校 M20装甲車 作ります!! その2

2018年01月19日 | ガルパン模型制作記

 ステップ4では、リヤパネル等を組み立てます。リヤパネルのパーツC15の穴あけ指示にも従いました。

 

 相変わらず、パーツが少なくて大変に楽です。

 

 組み上がりました。これで足回りは車輪類を除いて全て完成しました。

 

 斜め後ろから見たところです。少ないパーツ数で、複雑な形状を簡単に再現出来るのがタミヤ製品のウリです。この特徴が全世界的に支持されてタミヤのブランド力を国際標準に押し上げているわけです。海外メーカーでも似たような傾向の所が出てきても良さそうですが、見かけない気がします。それだけタミヤが他を大きく引き離しているのでしょうか。

 

 ステップ5では、内装部品を組み立てます。M20はオープンカーに分類されますので、キットはほぼインテリアキットであり、内部もいろいろと組み付けて再現出来ます。

 

 無線機、消火器、椅子など、色々あります。このうち、消火器だけは塗装後に組み付けることにしました。

 

 それぞれの組み立てが終わりました。

 

 ステップ6では、各部品の車体への取り付けを行います。

 

 取り付け作業中の状態です。

 

 この状態で見ますと、内部の空間はけっこう広い方ではないかな、と思います。

 

 更に色々パーツを取り付けます。

 

 全て取り付けた状態です。しかし、パーツF15に表される水筒2つは、よく考えると米軍兵士の装備品でもあるので、ガルパンの戦車道の車輌内においては違和感を覚えます。そこで、後で水筒2つの部分をカットしました。

 このように、今回のM20においては、随所に米軍兵士の装備品や携行火器などのパーツがみられます。これがガルパンにおいては不要であることに気付きましたので、今後のステップにおいて該当パーツは除くことにしました。 (続く)

 


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けいおん!の聖地をゆく15 その6 修学院へ

2018年01月18日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 仲源寺を退出して、四条大橋の西側から鴨川を眺めつつ、レイコさんが、仲源寺が創建された時の様子は分かるのですか、と尋ねてきました。

「本尊が地蔵であった事以外は何も分からないですね。鴨川の氾濫で被害を受けて荒れて廃絶同然になっていたのを、鎌倉時代に中原氏が再興したわけで、仲源寺の寺号そのものも、中原氏の姓からとっている」
「あ、そういえばそんな感じですよね。もとは中原寺、だったのですかね」
「いや、これは仏教では一般的な音読みに合わせたんでしょうね。中原はナカハラと読みますが、音読みにするとチュウゲンになる。これに鴨川の治水対策にあたった中原氏の職務を込めた漢字をあてて、中を仲、原を源にあてる。読みは同じチュウゲンですから、仲源寺と表記しても違和感は無い」
「それが中原氏が関わってからの寺号、ということは、それ以前の定朝創建の時の寺号は分からないわけですか?」
「はい、昔、私も色々調べたんですけどね。一度、住職にもお会いして古文書類も見せていただいた。でも鎌倉時代のものすら伝わってなくて、伝承類ばかりでした。寺が現在の状況に落ち着くまでに、戦国期の変転を経ていますから、失われた情報のほうがはるかに多いのですな」
「そうなんですか・・・」
「ただ、寺が鴨川の東岸に位置したことは間違いないようです。本尊が地蔵であるのは、おそらく死者の鎮魂と浄化のためでしょうね」
「やっぱり、このあたりも葬送の地だったんですか」
「そうです。この辺りはもともと天台宗の管轄域で、清水寺の支配下にあったらしいので、同系列の祇園観慶寺つまり今の八坂神社ですな、そこまでの範囲が平安京の東の墓地であったらしい。定朝が創建した地蔵の寺も、定朝が天台宗系の僧侶であったことをふまえますと、天台宗に属した筈です」
「その地蔵さんは、立派な仏像だったのですか?」
「定朝が彫ったというのが史実であればね。今に伝わっていたら、間違いなく国宝ですよ」
「国宝って、凄いじゃないですか。平等院の阿弥陀さんも国宝ですね。定朝って凄いんですね」
「凄いどころか、日本を代表する仏師ですよ。日本の長い歴史のなかで、天皇より勅を賜った唯一の職人です。運慶なんて足元にも及ばない、至高の存在です」
「星野さんは、その定朝をずうっと研究されていたわけですか・・・、なんか素敵ですね」
「いやいや、素敵なんてもんじゃない、分からない事が多すぎてどうにもならない部分が多くて辛かったですよ、歴史の彼方に失われて消えたものを取り戻すというのは、もともと無理がありますから・・・」
「そうなんですか・・・」

 そこでなんとなく仲源寺に関する話も終わりました。鴨川の水音がさらさらと響くなか、橋上の雑踏に視線を送り、空を見上げ、再び水面を見下ろしました。
「では、行きますか」
「はい」

 

 祇園四条駅から京阪電車に乗り、出町柳駅で叡山電車に乗り継いで、上図の修学院駅で降りました。この日は修学院界隈の「けいおん」スポット巡りをする予定だったからです。
 もとは一人で行く積りでしたが、仲源寺の件があってレイコさんが同道していたため、修学院の件を話したところ、笑顔になって「行きます」と即答してくれました。

 彼女は「けいおん」がテレビ放送していた時期に高校生で、2期の放送時には平沢唯たちと同じ三年生で受験生だったといいます。受験勉強の合間に息抜きと称して京都の「けいおん」聖地を歩き回り、ローソンのキャンペーンに必ず買い物に行き、アニメイトでけいおん文房具を買い集め、京阪電車のラッピング列車に何度か乗って、けいおん特別スタンプラリーにも参加したそうです。生粋の「けいおん」ファンです。
 なので、修学院と聞いただけで目を輝かせていたのは、むしろ当然のことでした。

 

 本来、私自身の「けいおん」聖地巡礼でまだ細かく回っていなかった最後のエリアが修学院でしたので、今回は重点的にスポットを探して撮影して回る筈でした。しかし、レイコさんが来てくれたおかげで、場所を探し回る必要が無くなりました。彼女が全部詳しく知っていて、教えてくれたからです。

「この踏切横の場所、ここに律ちゃんが居て澪ちゃんに電話かけたんですよ」
「第何話のシーンでしたか?」
「14話の「夏季講習」です」
「ああ、2期のか」

 

「そんでね、澪ちゃんに邪険に電話切られた後で、律ちゃんはこの方向にこう歩いて行くんです」
「それで、ムギの後姿を発見するわけですな・・・」
「そうですそうです」

 

「ここもあんまり変わってないですね」
「私が造形大に通っていた頃から変わっていませんな」
「それっていつ頃ですか?」
「2001年から2003年でしたかな。けいおん放送の6、7年前ですよ」

 

「この道は唯ちゃんやあずにゃんの通学路でもあったんですよね」
「ですな」
「あずにゃんが立ち寄ったペットショップはこの先にありますね」
「そうですな」

 

「それでね、ここの場所で、こういうアングルで写真撮ると、ムギちゃんを尾行する律ちゃんのカットになります」
「ああ、なるほど、ここだったのか」
「はい、ムギちゃんは真っ直ぐに歩いていって、その先の角で左に曲がるんですよ」

 

「この角でムギちゃんが左へ曲がっていく。律ちゃんがこの電柱の陰に立ち止まって、その方向を見たら、いつの間にかムギちゃんの姿が消えてしまっているわけです」
「ですな」
「でも、景色とかは今はかなり変わっちゃってるんですね。ホラ、あそこに本屋があったんですけど・・・」
「知ってますよ。その本屋で買い物をしたことがありますからね」

 

「律ちゃんをムギちゃんが背後からワッと言って驚かせた場所がここですね」
「そうですな。あの「双鳩堂」には入ったことあるの?」
「残念ながら無いです」

 

 「双鳩堂」の前の道から、田井中律が陰に隠れていた電柱の北方向を見ました。修学院離宮道との出合が見えます。道をまっすぐに北進すれば、音羽川の橋を渡ります。

 

 遠くには、大原の山並みが望まれました。
「大原とか、素敵ですよね」
「ほう、大原にはよく行ってたのですか」
「はい、三千院とか来迎院とか。もちろん寂光院へも行きました。紅葉の季節に家族で行ったこともありました」
 レイコさんは、高校時代まで京都市西京区に住んでいたそうですから、京都の主な名刹には訪れたことがあるそうです。そうやって古社寺に親しんできた流れも、仲源寺への熱心な信仰振りと無関係ではないだろうな、と感じました。

 

 道を引き返して駅前の踏切を渡り、東へ向かいました。平沢唯たちの通学路シーンによく出てくる歩道であるせいか、レイコさんは雰囲気を味わうようにして楽しそうに歩いていました。彼女にとっても、このエリアは思い出の地であるようです。 (続く)

 


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サンダース大学付属高校 M20装甲車 作ります!! その1

2018年01月17日 | ガルパン模型制作記

 ガルパン「最終章」第1話に登場した各種の車輌のうち、模型店にて適応キットをよく見かけたのが、上図のタミヤのM20高速装甲車のキットでした。劇中ではサンダース大付属高校チームが無限軌道杯試合観戦にて移動用に使っていたようで、アメリカ軍テイストのチームに相応しいとも言える車輌です。史実では、ヨーロッパ戦線にてパットンが指揮用車輌として使用していたそうです。
 とりあえず上図のキットを購入しましたので、早速作ってみることにしました。

 

 劇中のワンシーンです。ケイ、ナオミ、アリサの三人の背後に停めてあって車体の何割かが隠れていますが、それでも装甲車特有の輪郭および特徴的な形状がある程度把握出来ます。この種の支援車輌には珍しく、校章マークも付けられています。

 

 パッケージの中身と組み立てガイドです。楽に組み立てられそうな感じでしたが、実際作るのは大変に楽でした。タミヤ製品ならばでの取り扱いやすさ、組みやすさは、戦車以外の車輌において相当の効果があります。一気に作れば、半日もかからないでしょう。

 ガルパンの劇中車は、ワンカットしか登場しないので、ガルパン仕様とかをあまり考えなくて良いかな、と最初は思いました。しかし、モデルグラフィックやアーマーモデリング等の誌上特集記事に掲載された該当シーン画像をよく見ると、二ヶ所の相違点がありました。そのうち、ガンマウントに付けられる重機のマウントの形状は、画面が切れていていま一つ分からないため、再現を見送ることにしました。

 

 ステップ1では、リヤサスペンションを取り付けます。ドラゴン等の海外メーカー製品であれば、パーツが細かく分割されていることが多い箇所です。これがタミヤですと上図の如く、パーツ数も最低限におさえられて、はめ込みもピッタリと出来、ズレも歪みも一切生じません。

 

 関連のパーツはこれだけです。この時点で、これは楽だな、と思いました。

 

 組み終わりました。中央の動力伝達部も1個のパーツで成り立っていますので、イタレリやドラゴンのように細分化された小さなパーツを一つずつ繋いでゆくという、地味で根気のいる作業が必要ありません。

 

 ステップ2では、ドライブシャフトを組み立てます。このステップにこそ、タミヤ製品の特徴である「組みやすさ」が凝縮されている気がします。

 

 御覧のように、複雑なドライブシャフトがパーツB17として一体成型されています。ここまでパーツを最低限にまとめられてしまうと、組み立てる作業そのものが少なくなって、ちょっと物足りない気もします。

 

 一瞬で組み上がった、という感じでした。

 

 どんどん、ガイドの指示通りに組み付けてゆきました。

 

 全て組み上がりました。ここまで1分程度でした。イタレリやドラゴンのキットでは、こういう部分をくみ上げるのに一時間以上はかかったりします。全然手ごたえが違います。

 

 ステップ3では、ドライブシャフトやサスペンション等を車体に組み付けます。全てガイドの指示通りに進めました。

 

 相変わらずパーツの数は少なく、大変に気楽でした。いつもガルパン仕様への修正や改造の作業で苦労していますので、何も考えずにサッサッと組み立てられるのが、本当に気持ち良かったです。

 

 組み上がりました。この車輌も、足回りはけっこうシンプルに設計されている気がします。

 

 車体前面下部の装甲板、および前部サスペンションのパーツです。

 

 組み終わりました。足回りはこれで九割ぐらい仕上がった状態になりました。 (続く)

 


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