気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

拙ブログ満了および後継ブログのお知らせ

2021年06月21日 | ガールズ&パンツァー

 

 以前にお伝えしましたように、拙ブログのデータ容量が99.6パーセントに達して以後の画像および記事が掲載収録出来なくなるため、この6月21日をもって記述更新を満了し、後継ブログに引き継ぎます。今後はこのまま常時公開状態にて置いておきます。

 後継ブログは構成、内容、書式、更新時刻すべて従来通りとし、目次などは必要に応じてリンクして新旧のブログを繋ぐ形にまとめます。タイトルも同じですが、読点「、」が二つ並びます。二つ目のブログをあらわす記号と受け止めていただければ幸いです。
 記事は既に6月1日からスタートしており、ゆるキャン△聖地巡礼レポートの18番「伊豆堂ヶ島編」から始めて6月20日までは現ブログと並行運営の形で進めていましたが、6月22日からは後継ブログのみでの記述更新に切り替わります。

 以上、拙ブログ満了および後継ブログのお知らせでした。今後は後継ブログにてお楽しみ下さい。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く17 その15  博物館のゆるキャンコーナー

2021年06月20日 | ゆるキャン△

 博物館内の常設展示の全部をじっくり見学した後、エントランスロビーに降りました。時刻は16時33分、閉館時間の17時まで30分足らずとなりました。入館してから1時間半ほどを過ごしたことになります。見れる展示は皆楽しんで見ましたので大満足でした。
 エントランスロビーには、上図のゆるキャン△コーナーがショーケースの形で設けられていました。

 

 お決まりの声優さんのサイン色紙類です。キャンプのイベント等に何度か呼んでいるようですね。ドラマ版の俳優さんのサイン色紙類もありましたが、私はドラマ版は全く見ませんでしたので、色紙を見ても「?」状態でした。

 

 ここにもデカンバッジが並んでますね。公式発の品にこんな大きな品があるとは聞きませんから、おそらくファンの手作り寄贈になるのでしょう。他にも色々並んでいますが、左端の電車はプラレールの品でしょうか。

 

 賽銭箱・・・いや志摩リンの炭焼き箱の上にはお約束のようにプラム発の志摩リンフィギュアが置いてあります。相当売れたみたいで、今では中古ショップにも出回って安価で売っているのを見かけます。

 

 かつては有志の手描きイラスト図から始まった、旧下部町中心街および「本栖高校」エリアの聖地巡礼マップです。その後、各店舗や関連施設の名前や広告が所せましと追加されて、日本中どこにでもある一般的な町内会のお買いものマップのような俗っぽいものになっています。本来の聖地巡礼マップの素朴さ、分かり易さ、は薄れて見づらいマップに成り下がりました。なんでもかんでも詰め込むと、どんな媒体でも見苦しくなる、という典型例ですね。

 

 博物館内の売店で土産を買い、アイスやジュースも買って20分ほど休憩したのち、17時前に退出しました。あとは下部温泉駅に戻るだけとなり、すっかり見慣れたメロディブリッジを渡りました。

 

 下部温泉郷、なかなか面白い所でした。温泉郷の旅館のいずれかに泊まる機会があるかな、と楽しみにしていましたが、結局そのチャンスには恵まれなかったようです。

 

 人影も無く静まり返っていました。GW期間とはいえ、首都圏の緊急事態宣言が響いて観光客の往来は途絶えてしまっています。丸一食堂をはじめとする全ての食事処が営業時間を短縮しているのも当然でした。

 

 帰りに上図のヘヤキャン△自販機で缶コーヒーを記念に買いました。下部温泉駅の待合室でそれを飲みながら、列車の時刻までの15分ほどを過ごしました。

 

 17時17分、ホームにあがって、いつものように駅名標にて記念の自撮り。身延方面の巡礼をよくここで完了しているため、ここでの記念撮影も何度目かになります。今回は身延山奥之院登拝と金山博物館再訪を果たして大満足でしたので、疲労はあまり無くてこのとおり、最後までテンションが高いままでした。

 

 17時19分発の特急ふじかわ12号に乗って帰途につきました。18時55分に終点の静岡で降りて19時7分の新幹線に乗り換えて、京都には20時39分に帰り着きました。

 

 今回の巡礼旅行で背負っていた、しまむらのゆるキャン△リュックです。帰りの新幹線の中で撮りました。シンプルな外見のわりに容量が大き目であるため、巡礼中の荷物は全部おさまったほか、土産物類も余裕で入りました。右サイドに背中ファスナーが付いていて、上の蓋を開けなくても中の小物が楽に取り出せるのが良かったです。それで、現在は通勤リュックとして普段使いしています。

 これで価格は1790円でしたから、ガルパン系のべらぼうに高価なくせに使い勝手があまりよく無いバッグもどきとは全然違います。こういう品は、アニメグッズの業者に作らせるよりは、今後もしまむらに頼んでコラボしていただきたいものです。

 以上で、「ゆるキャン△の聖地をゆく17」の記述を完了しました。これにより、今回のレポート二部作(静岡ゆるキャン企画編、身延山奥之院編)は完結となります。  (了)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その14  甲州金山の歴史的魅力

2021年06月19日 | ゆるキャン△

 金山の歴史的復原模型をじっくり見た後、次の展示室へ移りました。そこからは前回の訪問時に見学していますが、内容がとても面白くて興味深いので、今回も楽しんで見てゆくことにしました。

 

 下部温泉郷の奥にある湯之奥金山は、甲斐国の数ある金山のなかで最も規模が大きかったとされる金山です。幾つかの鉱脈が知られており、毛無山中腹に中山、内山、茅小屋の3つの金山が分布します。これらの金山の総称が、湯之奥金山です。温泉の奥にあるから湯之奥、分かり易い名称です。

 

 甲斐国の数ある金山の幾つかは戦国期から稼業していたと伝わりますが、湯之奥金山については学術調査によってその稼業期間が戦国前期から江戸初期までと判明しています。戦国期の身延地域は武田氏家臣の穴山氏の支配下にあったためか、穴山氏のもとで金山衆と称される職能集団が湯之奥金山の経営に当たっていたとされます。現地の湯之奥郷には土豪の佐野氏が在りましたが、その佐野氏は穴山氏の家臣であり、金山衆を直接率いていたようです。

 

 上図の展示コーナーにある金山遺跡の立体模型などが見ていて楽しかったです。

 

 このように山の斜面に無数の平坦面を造成して金山作業の作業場や小屋の敷地にあてています。こうした平坦面の造成は、当時の城郭の郭の造成と基本的に同じ手法でなされていたようです。そして、金の採掘作業そのものも砂金取りから露天掘り、坑道掘りへと変遷していったわけです。

 

 採掘された原石です。大きなものから小さなもの、砕いたものもあります。最終的にはこれを1ミリ以下の粉になるまで磨り潰してゆくのですから、いかに大変な作業であったかが分かります。今なら大型の圧縮器や粉砕器で一発で済んでしまうのでしょう。

 

 金山衆は山の中で生活していて、職住近接の状態でした。なので金山遺跡からは日用品も数多く検出されています。なかには金山が閉められた際にそのまま放置されたものもあり、完全な形を保っている容器も少なくありません。見ていて生々しく、昔の人々の息吹がリアルに感じられます。甲州金山の歴史的魅力の一つです。

 

 金山衆が使用した道具や工具類が色々残されています。湯之奥金山が閉じられたのは、鉱脈が枯渇したからです。掘れるだけ掘って、掘り尽くしたからでした。だからといって他で同じような金山が経営されているわけではありませんでしたから移動することも出来ず、仕事も農業などの他の分野に移っていったことと思われます。したがって、こういった道具、工具類はみんな用済みとなり、捨てていったわけです。

 

 なので、金山遺跡を発掘すれば、こういった遺物は膨大に出てくるそうです。発掘範囲は中山、内山、茅小屋の3つの金山のうちの中山金山の遺跡のほんの一部だそうですから、いまも大部分の遺跡には無数の遺品が埋もれている筈です。ですが、そのままで遺跡ごと文化財指定を受けていますから、現状保存が原則となります。

 

 金の精製品なども見つかっています。金山ですから金があってもおかしくないのですが、金山衆は閉山にあたってこういうものも捨てていったのでしょうか。
 現在、金山遺跡は国の史跡に指定されていますので、こういった金の遺物をもとめて宝探し気分で現地へ登る行為は文化財保護法違反となります。一粒の金さえも拾ったら、犯罪行為として罰せられます。

 

 粉成(こなし)作業に用いられた鉱山臼の各種の遺品です。湯之奥金山の鉱山臼は、上図の二枚重ねの形のとおり、上臼の軸受皿と金鉱石を落とす下臼の供給皿が別々に作られた特殊なもので「湯之奥型」と命名されています。
 この「湯之奥型」の鉱山臼は類例が少なく、南部町の十島金山や伊豆の土肥金山、佐渡島など限られた地域でのみ出土しているそうですが、それらの金山にもここの金山衆が出向いていたことを物語るのでしょうか。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その13  再び金山博物館へ

2021年06月18日 | ゆるキャン△

 15時8分、湯之奥金山博物館に着きました。本来の予定にはありませんでしたが、今日の巡礼行動が午前中で終わったので、ここへの再訪と温泉入浴を思いつきで追加して、ラストをここでゆっくり過ごす事にしました。

 

 本来の見学コースに入りました。前回の訪問時にはここからのコーナーの一部が展示調整期間にあたっていて見られなかったのでした。なので、何の展示コーナーであるのかは、今回の見学で初めて知りました。上図のように金山の坑道へ入っていくような雰囲気の導入路から始まっていて、なかなか良い感じでした。ワクワクしてしまいました。

 

 最初の展示室の中央ケース内で燦然と輝きを放っていた甲州金の本物です。碁石の形をしているので碁石金と呼ばれます。こういうのがジャラジャラと甲斐武田氏の懐に入っていたわけですか・・・。

 

 次の展示室は、湯之奥金山の活動期の金山村の大きな模型でした。初めて見ましたが、模型好きには最高の展示で色々と楽しめました。奥の金山の山々も遠近法による縮小で再現され、実際よりも距離感や奥行き感が感じられるように演出されていました。

 

 見事なジオラマです。常々博物館の立体模型展示に触れる機会を持つ私ですが、模型展示はどこの博物館でも精密に作ってありますので、いわゆる一般的なプラモデルのジオラマ作品を見るよりも楽しく、参考になります。こうした立体模型の専門の業者が製作しているので、プロのモデラーのジオラマ作品よりも優れた点が色々とあります。

 

 どこの歴史系博物館でもそうですが、こうした立体模型展示は、研究者や郷土史家や学識者らによる委員会での考証検討を前提としてまとめられる学術成果を細部まで反映させて製作されるのが一般的です。なので、製作する業者も歴史に関してはプロ級の方が殆どで、模型の細部まで実物と同じ材料や技法を用いて再現するケースが多いです。

 

 なので、上図のような作業小屋などの建物に関しても、発掘調査の成果や遺物遺構の実態を踏まえて推定復原を試みたうえで考証を重ねて基本設計がなされます。歴史上の出来事を立体的に再現して示すことで見学者に説明するのが目的なので、厳密なほどに史実が反映され、推定部分にしても類似の事例を引用してそれらしく再現しています。

 

 なので、模型全体だけでなく、各所の一コマのような上図の金山職人の表現だけを見ていても、存在感があって歴史的雰囲気を疑似体験出来るような見事な仕上がりです。採掘された原石を木箱に入れて下の作業小屋に運んでいる場面と思われますが、この手の肉体労働の実際はあまりよく分かっていませんから、模型でいかにもそれらしく作ってあるのは見事です。

 

 作業小屋の一つです。金山における作業の一つ、「粉成(こなし)」の場面の再現です。「粉成」とは、採掘した鉱石を、搗く、磨る、挽くなどの方法で細かく粉砕して、 鉱石中に含まれる金を単体とさせ、水の中で比重選鉱を行い、金を採取するまでの 一連の作業の総称です。
 上の作業は、鉱石を焼いて粗砕きにしたものを、磨り臼と磨り石および挽き臼を用いてさらに細かい粉にしてゆく過程を示しています。

 

 立体模型展示の全容です。手前の広場から奥の山々まで約5メートルぐらいの規模がありますが、遠近法で奥の建物などを縮小して作ってあるため、一見すると奥行きが深く感じられます。縮小部分も細部に至るまで精密に作ってあるので、見どころが豊富です。

 

 こちらの作業は、金山作業での道具の一種「セリ板」と「フネ」を用いていますので、「汰り分け(ゆりわけ)」と呼ばれた比重選鉱の過程です。比重選鉱とは、比重の重い金を細かく粉化された鉱石から取り出す際に、比重の軽い鉱石の滓だけを水とともに流し出して取り除く方法です。この作業時に使用されたのが「セリ板」「フネ」「ユリ板(盆)」などの用具ですが、上図の模型では「ユリ板」が見当たりませんので、「汰り分け」の第一段階の作業風景を再現しているようです。

 

 上図は金山村には必ず設けてあった焼き窯です。中世戦国期までの金山では、露頭掘りが主でした。それによって採掘された鉱石は、作業所に運ばれ品位別に選別されます。鉱石の色や模様などを見定めて何種類にも分類し、それらを焼き窯の中で焼くのでした。鉱石そのものは硬いので、焼くことによる熱収縮作用を加えて、鉱石を脆くしました。焼いた後の鉱石は砕いて磨り潰して粉になるまで繰り返して磨ります。

 なので、ここ湯之奥金山に限らず、全国の鉱山遺跡には必ず焼き窯の遺構が伴います。焼成によって窯本体が硬くなっているので遺跡のなかでも残存度が高く、その位置が分かれば鉱山村の規模がだいたいおさえられると聞きます。

 とにかくどこを見ても興味深くて楽しい立体模型展示でした。一時間余りじっくりと眺めていました。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その12  ゆるキャン展示とゆるキャン自販機

2021年06月17日 | ゆるキャン△

 下部ホテルのレストラン松林が14時で営業終了してしまったので、あとは売店のゆるキャンコーナーの状況を見にいくだけとなりました。行って見ると、以前はビーノがあった位置にトリシティが置いてありました。なるほど、入れ替えて山梨水晶さんにビーノが移ったわけか、と納得しました。

 

 展示のほうはあちこちで入れ替えてあるようでしたが、全体的なスタンスは以前と変わりませんでした。展示品に名札や説明が付けてないので、ゆるキャン△ファンにしか分からない展示であるままです。一般の観光客がこれを見たら大方は「???」となるのでしょうから、最低でもゆるキャン△なるアニメの説明文ぐらいは添えたほうが良いです。

 

 相変わらずのゴチャゴチャ感、とりあえず押し込んだ感、サイン色紙は入れとかないといけない感が満ち満ちています。三流博物館の下手な展示以下です。もう少し見栄えのする並べ方、誰が見ても分かり易い陳列、というものを考えて試みなかったのでしょうか。

 

 特にこのねそべりぬいぐるみが展示全体の雰囲気とマッチしていません。下に何かの展示品があるのを塞いでしまっている点は以前のままでした。

 

 以前は数多く揃っていたゆるキャン△関連商品も、今回はこれだけになっていました。売れないので縮小したのでしょうか。下部ホテルのゆるキャン△コーナー自体も、このところ話題に登らなくなっていましたから、おそらく飽きられたのかもしれません。それで各務原なでしこ、志摩リンのパネルも他へ移してしまったのかもしれません。

 

 すっかり閑散として販売コーナーも縮小されてしまうと、トリシティも寂しげに見えてしまいます。下部ホテル側も「ただ預かっている」だけのスタンスであるようですから、積極的に仕掛ける気にもならないのかもしれません。
 ですが、個人的な感想としては、まあこんなもんか、でした。ファンが積極的に関与し支援し応援し続ける、けいおんの豊郷小学校、ガルパンの大洗ギャラリーとは違うのですから、当たり前でした。

 

 下部ホテルを出て、丸一食堂へ行きましたが、そこも14時終了でした。そこで向かいのニュー梅月へ寄って饅頭を2個買い、昨日買った春華堂うなぎパイ及びうなぎサブレと一緒に食べてコーヒーを飲んで、昼食としました。お店の方と話していて、「あの自販機はもう知ってます?」と訊かれて指さす方向に視線を走らせると、丸一食堂の店先に上図のゆるキャン△自販機がありました。

 

 これには驚きました。初めて見ました。いつの間に設置されたんだろう、としばらく見ていて、デザインが「へやキャン△」仕様であるのに気付きました。なるほど、去年の「へやキャン△」放送後に設置されたのか、と悟りました。

 

 いいですねえ、デザイン的にもメリハリがあるラッピングです。身延町の各所にあるゆるキャン△自販機のなかでは最もオシャレです。記念にそのなかのミネラルウォーターを買いました。

 

 では金山博物館へ行こうかな、と思いつつも、もう一ヶ所まだ行けてない場所があったことを思い出しました。下部川にそって温泉街の方向へ少し歩きました。

 

 もう一ヶ所まだ行けてない場所とは、この下部温泉会館でした。下部温泉郷の外湯というか唯一の公的温泉施設であるようで、銭湯と同じく日帰り利用が出来ます。

 

 身延山奥之院登拝の汗と疲れをここでちょっと流しておこう、と思い立ちました。入って見ると普通の公衆浴場というかミニ銭湯みたいな感じでした。不可解だったのは、入浴利用時に1000円の預かり金を出さないといけなかったことです。帰る際にお戻しします、との事でしたが、何のための預り金なのかは説明すらありませんでした。

 今まで全国各地の温泉にて温泉施設を色々と利用しましたが、利用時に料金プラス預かり金が必要、というのは初めてでした。何か仔細があるのだろうな、と思いましたが、訊ねるのも憚られて結局は聞けずじまいでした。

 

 とりあえず温泉に入ってサッパリしましたので、ラストの金山博物館に向かいました。下部温泉会館の辻から橋を渡りましたので、上図のメロディーブリッジは、帰る際にだけ渡りました。  (続く)

 


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アハトゥンク・ガールズ&パンツァー3巻の刊行予告

2021年06月16日 | ガールズ&パンツァー

 上図のモデルグラフイックス2021年7月号にて、アハトゥンク・ガールズ&パンツァー3巻の刊行予告が出ているのを知りました。最終章シリーズの3話までの登場車輌が対象となる、とあります。

 前巻のアハトゥンク・ガールズ&パンツァー2巻には、劇場版までの登場車輌が収録されていますから、3巻にはモデルグラフイックス2018年1月号から順次掲載された最終章シリーズの第1話、第2話、第3話での登場車輌合計14輌がまとめられることになります。
 このうち新規車輌は6輌、あとの8輌は既存車輌の転用例となります。モデルグラフイックス2018年1月号からの掲載順に列記しましょう。

2018年1月号  FT-17(BC自由学園)
2018年2月号  マークⅣ(大洗女子学園)、ソミュアS35(BC自由学園)
2018年3月号  ARL-44(BC自由学園)
2019年9月号  特二式内火艇カミ(知波単学園)
2019年10月号  M24チャーフィー(ヴァイキング水産高校)
2019年11月号  Ⅱ号戦車F型(青師団高校)
2019年12月号  ソミュアS35(マジノ女学院)
2020年1月号  B1bis(マジノ女学院)
2020年2月号  Ⅲ号戦車J型(ヴァイキング水産高校)
2020年3月号  38(t)戦車B/C型(ヨーグルト学園)
2020年4月号  FT-17(ボンプル高校)
2021年6月号  T-26(継続高校)、マークⅣ改造後(大洗女子学園)

 第1巻、第2巻とも各チームの所有車輌の3D画像分を全て網羅していますので、次の第3巻も同じ構成となって今列記した14輌を加える内容にまとまるものと予想されます。発売時期は、現時点では未定です。

 こうなると、最終章シリーズの残り3話、第4話から第6話までにおいての新登場車輌が第4巻にまとまるのでしょうか。それ以前に新登場車輌がどのくらいあるのか、という疑問も湧いてまいります。既に無限軌道杯のトーナメント戦の行方はほぼ既存チーム、既存車輌群での試合に絞られてゆくようですので、新規車輌の登場は無い可能性も考えられます。残り3話になってくると、新たな高校の戦車道チームが出る可能性も低くなるからです。

 もしそうであれば、アハトゥンク・ガールズ&パンツァーのシリーズは3巻をもってラストになるのかな、と思います。果たしてどうでしょうか。

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その11  身延から下部温泉へ

2021年06月15日 | ゆるキャン△

 身延駅に戻ったのは13時18分でした。とりあえず今日の巡礼目的である身延山奥之院登拝を終えたので、あとはフリータイムとなりました。天気が曇になっていたので、このまま帰っても良かったのですが、折角来たのだから、下部温泉の金山博物館へもう一度行っておこうか、と思いつきました。金山博物館は、前回の見学時にとても展示が面白くて楽しめたうえ、時間の関係でまだ見ていないコーナーがあった筈でした。

 では、と駅の時刻表を見に行って、次の下部温泉行の列車が13時46分であることを確かめました。

 

 25分ほどの待ち時間があるので、駅前の山梨水晶本店に行ってみました。ゆるキャン関連の販売コーナーがあると聞いていたからです。

 

 店先には、志摩リンのビーノが展示されていました。お店の方の話では、下部ホテルに展示してあったのをこちらに移した、ということでした。身延の各所で巡回展示しているのでしょうか。

 

 見覚えのある志摩リン、各務原なでしこのキャラクターパネルもありました。ビーノと共に下部ホテルから移されてきたものでした。
 これらの展示品がこちらにあるということは、下部ホテルのゆるキャンコーナーは終了したということかな、と首を傾げました。どのみち下部温泉に行くと決めましたから、下部ホテルにも寄ってみるか、と考えました。

 

 向かいの栄昇堂さんは相変わらずお客さんが数人入っていて、店員さんも忙しそうでした。みのぶ饅頭の人気は大したものですね。ゆるキャン巡礼が居なくても、一般の観光客や地元の方が入れ替わり立ち代わり買いにやってきているようでした。
 ただ、店の前にバイクや車を停めているのはダメですね。ほんの数分、ちょっと、という軽い気持ちで停めているようですが、駅前の向かいの道路上ですから、危なくて危険です。お店の方もそこは強く言って改めさせないといけませんね・・・。もし店先で事故が起こったら、どうするんでしょうね。

 

 さて、そろそろ時間だ、と駅に戻りました。

 

 改札口を通ってホームに出ました。

 

 時刻は13時45分でした。

 

 1分後に列車がやってきました。

 

 13時59分、下部温泉駅に着きました。

 

 乗ってきた列車が発車する直前に撮りました。

 

 この日の昼食がまだでしたので、下部ホテルのレストラン松林でとろうかと思いましたが、ホテルのカウンターにて「もう終了しました」と断られました。この日の営業時間が14時までだったのでした。GW期間中なのに営業時間を短縮しているというのは、コロナ禍で観光客が激減しているためかな、と思いました。
 この調子だとレストランは長くは持たないんじゃないか、と考えましたが、後日、そのレストラン松林が6月末で閉店すると聞きました。

 下部ホテルは、ゆるキャン△の聖地エリア内に位置して、売店にゆるキャン△コーナーも設けているのでしたが、いまだにゆるキャン△巡礼の大多数を占める一人向けの宿泊プランを設けていません。公式サイトからの宿泊予約も2名から受け付けており、どうやら一人客は受け入れていないようです。ゆるキャン△巡礼ファンの多くが一人旅で、下部ホテルに泊まりたいという希望を持っておられるにもかかわらず、です。残念なことです。

 以前に下部ホテルの広報に、ゆるキャン△巡礼向けの一人向け宿泊プラン、もしくは一人客のプランは無いかと問い合わせた事があります。いずれも扱っていない、との返事でしたので、いつか下部ホテルに泊まってみようか、という私の夢は、果たせないままに終わりそうです。今回、身延山奥之院登拝を果たしたことによって身延エリアへの聖地巡礼計画はとりあえず完了となったからです。
 今後は、山梨県、静岡県および長野県の未訪聖地エリアに向かう予定です。幾つかありますが、まずは今回の巡礼と分割していた伊豆堂ヶ島への再訪および大井川鉄道エリアへの巡礼を4日後に控えていたのでした。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その10  身延山のゆるキャン△ショップ

2021年06月14日 | ゆるキャン△

 武州屋さんは本来は湯葉と椎茸を主力商品とするお店なのですが、最近はゆるキャン商品のほうが沢山揃えてあって売れ行きも良いらしいです。もう、身延山のゆるキャン△ショップですね。
 上図下中央の「なんとかモチ」は劇中にも登場していましたが、実在の商品です。中巨摩郡の昭和町に本社を置く「三代目餅屋和平」さんの「ピーナツ餅」が正式名です。これのゆるキャン△コラボ版が「なんとかモチ」ですが、これも武州屋さんのみで扱っているオリジナル商品です。

 

 さらに上図中央の、各務原桜デザインの「豚串に合う甲州シユールリー」も武州屋さんのみで扱っているオリジナル商品です。元製品は、大正時代に宮内庁御用達となった由緒正しいワイナリーと知られるルミエールの産で、山梨県産の甲州葡萄を100%使用し、春まで澱引きしないシュール・リー製法で造られた白ワインです。
 由緒正しい高級ワインの一種ですが、ゆるキャン△コラボ品になると、アニメグッズの常でどうも安っぽく見えてしまいます。各務原桜を美麗なドレス姿にデザインして高級感をキープするとか、もう少し何とかならなかったのでしょうか・・・。

 

 上図右側の円盤状の容器、もしかしてあの有名な「ぬりまろ」では、と佐野さんに聞きましたが、「違いますよ、お茶です」との答えでした。「ぬりまろ」は扱っていないのだそうです。残念。

 

 このハンディカイロ、劇中で各務原なでしこが姉にプレゼントした品を意識しての商品化でしょうね・・・。確か4種類あった筈ですが、こちらには「チクワ」バージョンだけのようでした。「志摩リン」と「野クル」と「カチカチ山」バージョンは売切れたのかな・・・。

 

 これは身延町の広報誌です。2021年2月号です。ゆるキャン2期のキービジュアルの一つ志摩夫妻のゼブラショッピングシーンが表紙を飾っています。やっぱり地元身延町としては、このアニメ作品を全面的に応援しているわけですね。

 

 その「ゆるキャン」紹介記事を開いてみました。

 

 紹介記事の全文です。広報誌2021年2月号そのものは既に配付終了して入手出来なくなっているそうです。

 

 武州屋さんの本来の主力商品、椎茸パック詰めです。冬に少しずつ成長した、中身がぎっしり詰まった椎茸のみを春に収穫して、お店にて選別し袋詰めにして販売しています。おすすめは「脇どんこ」100g、1080円だそうです。

 

 陳列棚の下段に並ぶ木箱に貼ってある墨書ですが、「甲斐国波木井郷」は分かりますが、「蓑」の下の字が滲んで読みづらいです。「夫」のようですが、それならば身延の古名である「蓑夫」となります。
 鎌倉期の在地土豪南部氏の波木井実長の本貫たる波木井郷にあった「蓑夫」の地名を、日蓮上人が「身を延ぶる山」と書き改めたとの伝承があります。それが「身延」の表記のルーツであるそうです。

 

 武州屋さん、なかなか繁盛していらっしゃいました。私が休憩している間、何人ものお客さんが来て、半数ぐらいは明らかにゆるキャン巡礼でしたが、それぞれ色々な品を買ってゆかれました。ほとんどがゆるキャン△関連商品でしたから、武州屋さんのゆるキャン△ショップ化戦略は成功していると言えましょう。

 佐野さん、色々とお世話になりました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
 武州屋の公式サイトはこちら。若店主佐野さんのサイト「奥身延山」はこちら

 

 店先にはバス停があります。身延駅と身延山を結ぶ路線バスの途中のバス停のひとつです。

 

 橘町、というのがバス停の名前です。身延駅からのバスで武州屋に立ち寄ることも出来ます。多くの客は車やバイクでやってくるそうですが、鉄道利用で身延に来た場合でもバスで買い物に立ち寄ることが出来るわけです。

 

 橘町バス停の2021年5月現在の時刻表です。佐野さんと握手を交わした後に、私が乗ったのは13時6分発の身延駅行きでした。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その9  武州屋

2021年06月13日 | ゆるキャン△

 11時38分、身延山商店街の南端に位置する上図の武州屋に着きました。若店主の佐野さんには前もって連絡してあったので、店の外から会釈し、挨拶を交わしました。

 

 店内に入ると、右手に見慣れぬコーナーがありました。佐野さん曰く「あみあみ高原キャンプ場の出張所ですよ」と。しかし何のことか分からなかったので、タブレットで検索して、通販サイト「あみあみ」の「ゆるキャン△」コラボ企画販売のことだと知りました。

 

 「あみあみ」の「ゆるキャン△」コラボ販売企画自体は既に秋葉原で開催されて2月に終了していますが、その関連商品群を引き続き各地の出張所で販売しているのだそうです。するとここだけでなく、セルバ身延店や身延駅前の山梨水晶本店さんにも出張所がありそうだな、要するに広域展開販売の一環であるのだろう、と納得しました。

 

 このクリアファイルの志摩リン、もしかして場所は下部温泉の黄金の足湯・・・? 建物がそれっぽいというか、リンが作中で色々な場所の足湯に入っているのですが、建物があるのは下部温泉の黄金の足湯と寸又峡温泉の足湯カフェの2ヶ所だけだった筈、寸又峡温泉の足湯カフェの建物とは違いますので・・・。

 

 さて、今回は毎度購入している椎茸茶のほか、上図のゆるキャン△交通安全ステッカーを買うのが目的でした。

 

 前回は各務原なでしこ、志摩リンの2種を買いましたが、今回は犬山あおいと鳥羽美波の2種を買いました。青いのは何ですか、と佐野さんに聞くと「赤いのはシールですが青いのはマグネットです」と教えてくれました。とりあえず各務原なでしこを買いました。

 だんだん揃ってきてますね、いずれは全員揃えるんじゃないですか?と聞くと、女将さんも佐野さんも「いやあ、どうでしょうね」と苦笑しておられました。ですが、鳥羽美波先生をステッカー化している時点でもう残るキャラクターも視野に入れている筈です。大垣千明、斉藤恵那、土岐綾乃を実現しなかったらウソになるでしょう。
 なので、「そこはもう、時間の問題でしょ」と半分冗談で念押しをしましたが、佐野さんは「アハハハ」と笑ったのみでした。否定しなかったところを見ますと、残る3種のステッカーは「アリ」だと思います・・・。

 

 買物を済ませた後は、店内のゆるキャン商品群を見物させていただきました。上図は「まじうま栗せんべい」で、富士川町の鰍沢に本社がある「菓子処松月堂」さんの「栗せんべい山家焼き」のゆるキャン版です。

 

 ゆるキャン△に登場する食品には、「まじうま」の形容句が付くものが多いのですが、それをそのまま商品化しているケースが多いです。上図の「まじうまカレー」は以前に買って食べたことがありますが、「まじうま」どころか、普通のレトルトカレーでした。

 

 店内のベンチで、次のバスの時刻まで待機休憩しました。上図のチクワのぬいぐるみ、三つもあるのはファンからの寄贈品だからでしょうか。

 

 上図の右側の棚に並ぶ「しいたけ茶」が今回も購入した品です。冬場はこれが無いと過ごせません。

 

 クリアファイルは数種類が並んでいました。公式発だけでなく協賛企業発の品もあわせたら100種類ぐらいはあるらしいのですが、武州屋さんでもオリジナル品として「肉食う会」バージョンを販売しています。

 

 上図右側の朱印帳、アニメ2期のキービジュアルの一つ、身延山展望所での鳥羽先生と犬山あかりのデザインを表紙にあしらってありますが、これも武州屋さんのオリジナル商品だったかな・・・?確か「身延山奥之院思親閣御朱印帳」として2000円で売っていた筈・・・。買うのを忘れました・・・。

 

 左は、秘密結社ブランケットか・・・。何者なんだこやつらは・・・。右は、へやキャン△バージョンの品みたいですね。  (続く)

 


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サンダース選抜 フライングタンカース M3スチュアート

2021年06月12日 | ガルパン模型制作記

 ガルパンコミック「リボンの武者」において、サンダース大付属高校チーム選抜のアリサ率いるフライング・タンカースは試合のたびに車輌を変更している、唯一のチームです。アリサ自身は、はじめはM22ローカスト、次にM1戦闘車(厳密にはT7戦闘車)、そして対大洗戦において上図のM3スチュアートに搭乗しています。

 

 アリサがこの軽戦車にて「強襲戦車競技連合」チームに参戦したため、「強襲戦車競技連合」チーム10輌を製作再現するにあたって、ボンプル高校チームの追加車輌3輌と併せて作ることにしましたが、この車輌のキットは既に数年前に息抜きでタミヤ製品をサラッと組んだものが手元にありました。

 そして、作中車はとくにガルパン独自の仕様には描かれておらず、タミヤかアカデミーのキットをそのまま組んだ状態と変わるところがないように見えます。それで、手元にあったM3スチュアートのキットをそのまま生かすことにして、まだ未塗装であったのを塗装しました。カラーはサンダース大付属高校チームの標準色に合わせました。
 さらに、上図のように車体側面に校章マークも見えますので、モデルカステンのガルパンデカールセットから適当なサイズのものを使用しました。

 

 かくして仕上がりました、M3スチュアートです。機銃および履帯は28番の黒鉄色、前照灯は8番のシルバー、転輪のゴム部分はポスカ黒で塗りました。

 

 左斜め後ろからの図です。大きな誘導輪が目立ちます。

 

 右斜め前からの図です。

 

 側面観です。

 

 右斜め後ろからの図です。

 

 以上で、サンダース大付属高校チーム選抜、フライング・タンカースのM3スチュアートが完成しました。キット本体は数年前に息抜きに素組みで作って、そのまま長らく保管していましたので、正確な製作記録がありません。

 なので、2020年12月2日に車体色を塗装し、2021年4月6日に履帯や転輪や各所の塗装を行なって完成させたことのみをここに明記しておきます。ガルパン仕様への改造は、作中車に変更点が見えないので実施しませんでした。私のガルパン車輌製作においては、おそらく唯一のストレート組み作品である筈です。

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その8  伽藍境内より門前へ

2021年06月11日 | ゆるキャン△

 身延山ロープウェーの帰りの便に乗ったのは11時14分でした。乗車人数ごとの待機行列は1便分だけで、10分ほど待っただけで乗車出来ました。

 

 動き始めたロープウェーから展望所を見た図です。その後、景色を眺めつつ麓の久遠寺駅まで下りました。

 

 眼下に身延山の山腹が広々と、若葉が青々と燃えて広がりました。

 

 山麓の塔頭の甍が山の谷間に並んで見えました。幾つかは宿坊でもあるそうですので、宿泊も出来るようです。

 

 ロープウェーを降りて久遠寺の伽藍域に通じる道を進むと、右手に斜行エレベーター施設がありました。これは初めて見ました。

 

 下の参拝駐車場と伽藍域とを直接つなぐ、小さなケーブルカーのような形状のエレベーターです。三門から菩提梯を経て登るのが大変な方、高齢者などが駐車場から楽に登って参拝出来るように設けられたのでしょうか。

 

 久遠寺伽藍域の大きな堂宇の並びに一礼しつつ・・・。

 

 高く聳える朱色の五重塔を見上げました。平面規模に比して軒が高く造られるため、五重塔としては背が高いほうに属します。身延山ロープウェーからもよく見えるため、意図的に高めに建てたのでしょうか。

 

 前回の巡礼では登って、そして降りて、足がガクガクになりました菩提梯を降りました。今回は降りるだけでしたが、それでも足が疲れました。一段の高さが他の寺院よりも大きいので、昇り降りの際に膝や足首に相当の負担がかかるのです。

 

 菩提梯にて記念の自撮り。と言うより、三分の一ほど降りただけで膝がしびれ始めたので、一休みしたのでした。

 

 下まで降り切って、振り返りました。これで身延山エリアは奥之院まで踏破しましたので、聖地巡礼もクリアです。

 

 あとは緩やかな石畳道をのんびりと下りました。

 

 三門をくぐって、振り返って一礼しました。身延山久遠寺、なかなか面白く興味深い寺でした。

 

 商店街を下り、バス乗り場向かいの「園林」の前を過ぎました。以前の巡礼にて一度入ってカレーをいただきましたが、創作系なのか、スパイスがガツンと来る味でした。京都のまろやかなカレーを食べ慣れた身には、ちょっと個性的な味でした。
 ゆるキャン△ブームに早くから乗っかっているお店の一つで、この日も客が集まっていて満席でした。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その7  身延山山頂にて

2021年06月10日 | ゆるキャン△

 身延山奥之院、思親閣の本堂は開祖日蓮上人をおまつりする祖師堂です。内陣に日蓮上人像が祀られているようですが、よく見えませんでした。

 

 祖師堂の外陣の賽銭箱前の格子窓にも、既視感がありました。

 

 アニメ2期第2話の、このシーンですね。夜は堂内に燈明がともされるので、内部が明るく描写されています。四人が参拝を済ませたところです。

 

 祖師堂の前から南を見ました。門と受付の建物があります。位置的にはここが山頂にあたるようです。

 

 参道石段を引き返して下へ降りました。御覧のようにロープウェー奥之院駅および展望所より高い位置にありますので、こちらのほうが富士山がよく見えるのかと思いましたが、杉林に遮られて視界は南側にしかききませんでした。

 

 参道を引き返してロープウェー奥之院駅へ戻りました。御覧の通りのゆるやかな斜面上の道です。奥之院というと大体は険しい地形に構えられているイメージがありますが、身延山の場合は日蓮上人も登って故郷を偲んだ、との伝承のみで修行や儀式の場ではなく、久遠寺の単なる裏山、という程度の存在であったようです。

 

 途中の右手に七面山方面の展望所がありました。七面山は身延山と並ぶ法華経信仰の拠点であり、山頂に近い平坦地に身延山久遠寺に属する敬慎院があります。この敬慎院には、身延山を守護する鎮守神として七面大明神がまつられています。

 

 ロープウェー奥之院駅へ戻りました。出入り口の串切り団子の看板をよく見たら志摩リンのイラストでした。なんでここには参拝していない志摩リンなのか、串切り団子を実際に食べていた犬山あかりのイラストにすればバッチリだったのに、と思いました。要は志摩リンの人気がとても高くて親しまれている、ということでしょう。

 

 ロープウェーの時刻まで売店内を見て回りました。欲しいものがあれば買っておこうと考えました。

 

 上図右の「吉田のうどん」を買いました。

 

 この「ゆば丼」も買いました。

 

 竹炭は、しばらく迷いましたが、結局買わずじまいでした。

 

 身延山では山麓の商店街でも竹炭関連の商品は幾つか販売されています。以前の巡礼で上図の竹炭を買いまして、いまも消臭剤および防湿剤として部屋に置いてあります。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その6  奥之院へ

2021年06月09日 | ゆるキャン△

 展望所で景色を眺めているうちに、ロープウェーの次の便が奥之院駅にあがってきました。

 

 あれ、これも既視感あるな、と気付いてアニメ2期第2話のワンシーンを思い出しました。

 

 このシーンでした。昼と夜の違いはありますが、光景は全く同じです。

 

 奥之院へは、緩やかな坂道を100メートルほど登って行きました。

 

 奥之院の結界門です。思親閣というのが奥之院本堂の名称であるようです。

 

 奥之院思親閣への参道石段です。このアングルでアニメ2期第2話に出ています。

 

 このシーンです。大晦日の夜は参拝客で賑わうそうですので、こんな人影も見当たらない状況はアニメ独自の演出でしょう。

 

 日蓮上人御手植えの杉と伝わる老大木が参道石段の左右に聳えます。一帯は千本杉と呼ばれており、身延山の杉林の中でも最も代表的な美林であるそうです。その高さは40メートル以上にも達し、山梨県の天然記念物に指定されています。先年の台風でかなり被害を受けたと聞きますが、なお林立する大木が奥之院結界内を変わらず護っています。

 

 その千本杉のなかの参道石段を横からみたアングルも、アニメ2期第2話に出ています。

 

 このシーンですね。かなり低い位置からの描写です。手前にあるはずの石灯籠などは省略されています。

 

 思親閣の一画は壇場のようになっていて仁王門が南面して建ちます。

 

 仁王門の奥に思親閣が見えました。奥之院本堂にあたります。日蓮上人が9年間を過ごした身延山の山頂にあり、上人が時折、西谷の草庵より登り、遙かに故郷安房は小湊の両親および師の道善房を追慕された地と伝わります。

 

 なので、いわゆる山岳寺院の一般的な奥之院の有り方とされる修行場、仏教儀式執行場という性質とはちょっと違うようです。開祖ゆかりの場所の一つ、として理解すればよいのでしょうか。
 この思親閣も上図のアングルでアニメ2期第2話に出ています。

 

 このシーンです。いい雰囲気ですね。このあと大垣千明、犬山姉妹、鳥羽美波先生は展望所に戻って初日の出を拝むわけです。  (続く)

 


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ボンプル高校 自走砲アーチャー 完成です!!

2021年06月08日 | ガルパン模型制作記

 塗装後の組み立てが完了した状態です。変わった形状の車輌ですので、各アングルを示します。

 

 上図左側が車輌の前にあたります。移動時は砲を後ろに向けて進みます。砲撃地点にて後ろに旋回して砲を前に出して砲撃します。

 

 ワイヤーの取り付け状況です。組み立てガイドの指示通りに付けました。

 

 グリーン一色の車体に排気管が大きなアクセントを持っています。排気管も前方に向けられますが、排出口は下に向けられて戦闘室に排煙が及ばないようにしてあります。

 

 最後にボンプル高校の校章デカールを貼ります。御覧のように作中車は砲防盾の左右に校章マークがあり、それ以外のマークは見当たりません。

 

 モデルカステンのガルパンデカールセットVol.2から適当なサイズのデカールを選んで貼りました。

 

 位置は左右対称です。

 

 つや消しクリアを薄く吹き付けて仕上げました。

 

 ガルパンのアニメ、コミック双方を通じて初のオープントップの自走砲ですが、オードナンスQF17ポンド砲を擁して重戦車に近い貫禄と雰囲気とを示しています。

 

 斜め後ろからの図です。普通の戦車や自走砲では砲が向いている方が前になりますが、このアーチャーは砲が後ろ向きにセットされるので、普通の戦車や自走砲のアングルで見た場合は砲が向いている方が後ろになります。

 

 車体前部の様子です。

 

 オープントップですから戦闘室内部も見えます。

 

 インテリアの配色は、女子高生の戦車道での使用備品らしいものとし、武骨な戦時カラーなどは極力避けました。あまり縛られないで自由に色を配しましたので塗り分ける作業が楽しいものとなりました。

 

 戦闘時には車輌を後ろ向きに旋回させて砲を前に向けます。砲撃後そのまま進むだけで後退および離脱行動が出来ます。接近戦の場合ほど、迅速な移動や離脱が求められますが、この車輌はそれが得意であったそうです。

 

 オープントップであることが分からなければ、一見して強力な自走砲に見えてしまいます。実際に対大洗戦に揃った「強襲戦車競技連合」チーム10輌の中では最大最強の戦力でした。その17ポンド砲は大洗側の全ての車輌を無力化することが可能でした。ヤイカの心意気やいかに、といったところでしょう。

 

 以上で、ボンプル高校チームの自走砲アーチャーが「リボンの武者」仕様にて完成しました。製作期間は、2020年12月10日から2021年2月25日までと、4月6日の計79日でした。組み立てに73日、塗装および塗装後の組み立てに1日かかりました。今回はゆっくりとインテリアも塗装しながらの組み立てであったため、インテリアの塗装と組み立てだけで33日かかりました。

 使用キットはタミヤですが、作中車はモデルがブロンコ製品と思われます。ですが、タミヤ製品においてはワイヤーを巻き付けるリールのパーツが不足しているだけですので、それを自作追加するだけで改造が済みます。厳密には左右フェンダー前部のステー上に付く小さなライト状の部品も必要ですが、これに該当するパーツを他のキットでも見つけられず、作中車における描写も大まかでよく分からないところがあるため、それの再現は見送りました。

 ともあれ、ガルパンにおいては珍しいオープントップの車輌ですが、これは「リボンの武者」のみでの特例であると思われます。作中の「強襲戦車競技連合」チーム10輌の再現という目的にて今回は作りましたが、この車輌だけを作ってもポンプル高校チームの心意気は充分に実感出来ることでしょう。

 


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ゆるキャン△の聖地を行く17 その5  展望所からの富士山

2021年06月07日 | ゆるキャン△

 奥之院駅の外に出ました。この建物の外観にも既視感がありました。

 

 アニメ2期第2話の大晦日の夜のシーンに出ているからです。

 

 施設の横には展望所があり、富士山の白い頂きが見えました。

 

 おおお・・・、ふじさんだ・・・。身延山上からも拝めるんですね・・・。感動。

 

 展望所はこんな感じですが、そのままアニメに出ています。

 

 このシーンですね。大垣千明の視線の先には奥之院駅の建物があります。

 

 大垣千明の視点でみた景色がこんな感じです。

 

 そのままアニメに出ています。

 

 展望所にあがりました。素晴らしい眺望でしたが、しかし何か物足りない気がしました。

 

 そう、アニメにも出ていたこの山頂表示板が見当たらないのでした。これについては下山後に武州屋さんに立ち寄った際、佐野さんに「この前の台風で倒れてしまったんですよ、それで撤去したんですよ」と教えられました。
 そういえば、ロープウェーから見下ろした山肌の木々にけっこう倒れているのがありましたね・・・。

 

 アニメのこのシーンで、展望所に山頂表示板が立っていたことが分かります。ロープウェーの奥之院駅のすぐ隣に展望所があるわけです。

 

 で、そこから初日の出を拝む犬山姉妹と鳥羽美波先生。アニメ2期でこのシーンが出ましたから、今年2021年の大晦日の夜は相当数のゆるキャン巡礼者が同じことをやるに決まっています。
 この初詣というのは、首都圏からでも日帰りでは無理らしいので、泊まりで身延山で正月を迎えるという形がメインになるかもしれません。身延山の各宿泊施設および商店街にとってはまたとない商機かもしれません。

 

 実に素晴らしい眺めです。富士山も見えますし、富士川の流れも見下ろせます。最高ですね。

 

 同じ景色がアニメでも再現されています。初春の初日の出直前のシーンです。実際に拝もうと思ったら、大混雑の中で久遠寺に参拝してロープウェーに乗ることになるのでしょうね・・・。

 

 何度も眺めてしまう富士山。もう、ほんとに富士山が見えたら大満足なわけです。デジカメの望遠モードで大きく引き寄せて撮りました。  (続く)

 

 


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