気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く24 その9 「再びミカの宿です!!」

2016年05月31日 | 大洗巡礼記

 宿の浅野丸さんに入りました。ガルパン巡礼が三人ほど玄関にたむろしていて、そのうちの一人はスケッチ帳を広げてイラストを一心に描きこんでいました。
 浅野丸の店主さん夫婦は、そうした自作イラスト類の寄贈を大変に歓迎しているようで、宿のツイッターにはそうした寄贈イラスト類ばかりが紹介されています。


 寄贈展示品の一つ、チョロQを改造したような感じのBT-42です。実際に走ることも出来るそうです。


 奥さんが集めておられるガルパン公式缶バッジの数々です。今回は私も10個ほど寄贈させていただきました。

 部屋に入って落ち着くと、疲れが出てきたので、布団に入ってしばらく横になりました。ですが、玄関で流しているカンテレの音楽が意外なほどに響いてきて、どうも眠れませんでした。カンテレの音自体はいいのですが、疲れた状態で聞くと低音域ばかりがズンズン響いてくるのでした。
 まいったな、と思っていると、今度は別のカンテレの演奏音が聞こえてきました。しかも女性の声がやたらに聞こえてきて、どうもその女性がカンテレを弾いたりしているようなのでした。
 この宿は、継続高校チームファンのたまり場になっています。しかも継続ファンは賑やかな方が多いようです。おまけに、店主さんの声まで聞こえてきます。これまで大洗にて色々な宿に泊まりましたが、一階玄関での音や話し声が二階にまで聞こえてくる宿は、浅野丸が初めてでした。
 仕方がないので、横になったままじっと我慢していましたが、疲労感は確実に眠りへと誘ってくれました。


 夕食をいただきました。他に三人の宿泊客がおられましたが、店主さんの話ではみんなガルパン巡礼だということでした。たぶん翌日の大洗ゴルフ倶楽部見学会に参加されるのだろう、と思いました。


 仮眠から覚めて間もなくの食事でしたので、まだ頭が覚醒しきっておらず、無言でゆっくり食べました。


 この釜飯が、最も美味しかったように覚えています。前回泊まった時とほぼ同じメニューだったと思いますが、季節が変わればメニューも替わるのでしょう。

 部屋に引き上げ、しばらくしてまたウトウトしかけていたら、水戸の友人U氏から電話がかかってきました。
「伯耆守、調子はどうかね」
「ああ、水戸の。うん、まあまあやな。どうも疲れてしまって、夕方からちょっと寝てたんや。今もちょっと眠い」
「まずいときにかけてしまったな、話しは後にしようか?」
「いや、ええよ、なんやね用件は」
「鳥取倉吉のひなビタのイベントのことなんだが、桜まつり何とかってやつ、行ったのか?」
「いや、それは行けなかった。休みが取れなくてね。でもパネルとかはまだそのまま置いてるみたいなんで、来週ぐらいに行こうとは思ってる」
「それなら、その時にひなビタグッズを何でもいいから買って送ってくれないか」
「えっ、なんやねん、水戸の。もしかして、ひなビタのファンなの?」
「実はそうなんだ」
「おい、おいおいおい、初めて聞いたでそれ・・・。マジかや・・・」
「そういう伯耆守もファンじゃないのか?」
「正確に言えばファンではない。ファンというならガルパンの方や。現にこうして大洗に来ている」
「なるほど」
「だが、水戸の。御存知のように倉吉は私の第一の心の故郷や。そこを舞台にしてひなビタが観光コンテンツとして脚光を浴びてくるというのなら、注目しないではいられへん。というか、正直言ってものすごく興味がある。倉吉でやってくれるんなら、面白そうやな、って感じ。日向美ビタースイーツの曲は前々から幾つか知ってるし、あれのシーズンストーリーもまるきり知らんわけではない」
「じゃあ、CDも持ってるのかね?」
「ビタースイーツガールとファイブドロップの3番、この2枚だけな」
「おお、すると芽兎めうか・・・」
「正確に言うと、芽兎めうの声をやってる五十嵐裕美さんのファンなんやよ、自分は」
「あっ、そうだったな。前にそれ聞かされたっけ。なんで五十嵐さんがガルパンに参加しないのか、って言ってたな」
「せや」
「なんで参加してないの?理由は?」
「あれ、理由を覚えてへんのか。五十嵐さんは、ガルパンのダージリン、ノンナと共演してたんやよ」
「ダージリンって喜多村英梨か、ノンナは上坂すみれか。なんてアニメだ?」
「パパ聞き、や。知ってる?」
「知ってる。パパのいう事を聞きなさい、だろ。あっ、そうか、思い出した。小鳥遊3姉妹だったのか・・・」
「せや。3姉妹の長女を上坂、次女を喜多村、三女を五十嵐、って配役や。ガルパンの直前にアニメになってたから、この繋がりで三人ともガルパンに出るかな、って思ったけど、五十嵐さんだけ出なかった。なんでや、って思ったよ」
「なんでだろうねえ」
「たぶん、五十嵐さんが演じられるクラスのキャラクターがガルパンに居なかったからじゃないかな。五十嵐さんは小鳥遊ひなみたいな、幼女とか萌え系の少女の役がわりと多いんや。そういうキャラはガルパンに居なかったし、劇場版で島田愛里寿が出たけど、五十嵐さんがやるようなキャラじゃない気がする」
「ふむ、そうなのか。俺はよく分からんけど・・・。するとお前、五十嵐さんのファンだというのが、ひなビタとの接点なのか」
「まあ、そういうことになるかな。それで最初は芽兎めうしか知らなかったんや。ネット上だと単独でも色々検索に出てくるからね。日向美ビタースイーツのメンバーや、いうのは後になってから小説版で知った」

 こんな調子で長電話となり、23時頃まで語り合いました。U氏がひなビタのファンだと初めて知ったことにより、今後は倉吉でも同道の機会が得られるかもしれないな、と思ったりしました。それはそれで、色々と楽しそうです。


 翌朝は6時半過ぎに起きました。直後の窓からの景色です。


 7時半に朝食の案内がありましたので、階下に降りてゆきました。ミカが水槽の脇に居ました。


 朝食を美味しくいただきました。


 朝食後に部屋へ戻る途中、ミカを見ると、さっきはかぶっていた帽子が無くなっていました。


 寄贈展示品のうちの、公式グッズやフィンランド関連の品、ファンの方の自作フィギュア等です。継続高校チームのフィギュアは、最近に公式品が発売されているので、人気のほどがうかがえます。カラコレやスイングなどでも商品化すれば、けっこう売れそうですね。


 寄贈展示品のうちの、自作イラスト類です。浅野丸の店主さんは、こうしたイラスト類が好きなようで、展示にも力が入っています。私設ギャラリーにしようと考えておられるのでしょうか。
 ですが、展示品は大部分が継続高校チーム関連です。昨日カンテレを鳴らしたりしていた女性の宿泊客も、奥さんの話によれば、ミカのファンでミカになりきっているコスプレイヤーさんだということでした。
 劇場版での劇的な活躍のおかげで、一気に継続高校チームのブームが来て、その大洗でのメインスポットがこの浅野丸になっている、という感じです。

 しかし、私自身はドイツ機甲師団・・・いや黒森峰女学園チームのファンなので、継続高校チームというのは他校チームの一つ、という程度の認識です。BT-42が劇場版で目の覚めるような敢闘ぶりを示しましたが、史実と完全に乖離しているだけに、その違和感の方が大きく感じられたのが正直なところです。やっぱりフィンランド軍の戦闘車輌はシュトルミ、Ⅲ号突撃砲であるというイメージが強いです。
 それよりも、前述したフィンランドの方の話が気になって仕方がありませんでした。彼が「胸にしまっておく」と言ったのは、一体何だったのでしょうか。


 この日は10時から大洗ゴルフ倶楽部の見学会に参加する予定でしたが、その前に買っておかなければならない品等がありましたので、そちらを先にクリアするべく、8時に出発しました。 (続く)
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最近のガルパンクリアファイル2種

2016年05月30日 | ガールズ&パンツァー

 最近にムービックさんに注文して購入した、ガルパンクリアファイル2種のうちの一枚です。西住姉妹とⅡ号戦車です。いい雰囲気の画ですが、これを買ったのには理由があります。


 西住家のⅡ号戦車が、これだけ大きく見える図は、ガルパンアハトゥンク2が出た現在でもあんまり無いと思います。しかも、下から仰ぎ見るという珍しいアングルです。あまり見る機会の無い、車体下部のディテールが大変によく分かります。


 転輪まわりの細部も、上図のように大変よく分かります。左側フェンダー上のアンテナケースの細部の形状はもちろん、あまり見えない下の部分も把握出来ます。いずれプラモデルを作ろうと考えているので、このように細部がよく分かる図は、たとえクリアファイルであっても参考資料として利用します。

 え?柴犬?・・・犬はどうでもいいんです・・・。お姉ちゃん?・・・お姉ちゃんはどうでもいい・・・いや、どうでもよくないです。大変にその、重要ですね・・・。(アホかお前は)


 もう一枚は、継続高校チームのトリオとBT-42です。継続高校チームのファンなら是非おさえたいアイテムでしょうが、これも私はガルパンプラモデル製作の参考資料としておさえました。


 なにしろ、BT-42の斜め下後方からのアングルが貴重です。これまでの模型誌に紹介された公式設定図にも、ガルパンアハトゥンク2の図面でも、この角度からのものはありませんでした。


 よく見れば、従来のBT-42の作例レポートで言及されていなかった、劇中車特有のポイントを新たに二ヶ所ほど捉えることが出来ます。
 アーマーモデリング2016年3月号の製作記事に付される公式設定図にて、背面パネルの両端に小さな突起みたいなのが見えて、それがものすごく気になっていたのですが、上掲の拡大図にみられるように、斜めにカーブして付くフック状の部品であることが分かりました。ワイヤーを留めるためのものらしいです。

 この部品は、ガルパンアハトゥンク2の図面でも確認出来ますが、BT-42のキットにはそれらしきパーツが見当たりません。フィンランドのパロラ博物館に現存する実車にはちゃんとついているので、タミヤのキットでは省略されているのでしょう。
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン1の8 「地方創生☆チクワクティクス」

2016年05月29日 | 倉吉巡礼記
「地方創生☆チクワクティクス」(日向美ビタースイーツ) 
  ボーカル 芽兎めう(CV:五十嵐裕美)
  収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「DanceDanceRevolution」「jubeat」「GITADORA」等
         ソロシングル「Five Drops 03 -strawberry milk- 芽兎めう」 曲はこちら


 倉吉博物館の見学後、再びキャラクターパネル探しに行きました。ツイッター上の倉吉市観光情報「公式くらよし情報局」にてイベント時のパネル設置位置のヒントが五つ掲示されており、次の通りでした。
 1.鉄道 2.寺 3.淀屋橋 4.スポーツ 5.トイレ

 このうち2は大岳院にて山形まり花、3は倉吉淀屋にて和泉一舞を見つけています。4と5はまだ判りませんでしたが、1の鉄道というのは、たぶん倉吉線鉄道記念館のことだろう、と考えました。そこで車に戻って鉄道記念館まで移動しました。


 鉄道記念館は、かつての国鉄倉吉線の打吹駅跡に所在します。施設の外に蒸気機関車C11形、施設内には貨車移動用ディーゼル機関車が保管展示されています。


 入口をはいって左手に、芽兎めうのパネルがありました。シングル版に収録される「地方創生☆チクワクティクス」のデザイン画そのままの、軍服姿です。芽兎めう自身は「4人しかいない」と述べているものの、実際には数万人、数個師団規模を誇るとされる「ちくわ軍」の総指揮官としてのファッションです。

 私自身は声優では五十嵐裕美さんのファンなので、その繋がりで芽兎めうのファンでもあるわけですが、芽兎めうのファッションとしてはこの軍服姿、ポリシーとしては「地方創生」が気に入っています。とくに軍服姿は、ドイツ機甲師団所属兵のそれを思わせるカッコ良さがいいと思います。


 芽兎めう率いる「ちくわ軍」は、倉吉に「地方創生」の新たな波を巻き起こしつつあります。その傘下の戦車師団は、ガルパン劇場版に登場した大洗連合と大学選抜の両チーム計60輌を一撃で無力化し得る実力を持つとされています。(ホンマかいな?)

「めうだよーっ☆ むっきゅん☆ ちくわ軍は本日まるろくまるまるをもってざぎんしょーてんがいをせーあつしためう。そして、日曜日に我がちくわ軍楽隊は近隣の民衆を奮起鼓舞させるため行軍歌を披露するめうーっ!その前にちくわ軍のけついひょうめいをまととの観光だよりにて放送するめう。しょっくんは心して聴くめう!めう」(原文はこちら

 ということで「まととの観光だより」を読みましょう。めうーー!! (アホかお前は)


 続いて残りのキャラクターパネルを探し回りましたが、なかなか見つからないので、いったん中断して土産物を買うことにしました。とりあえず職場の同僚向けに、倉吉特産の「打吹公園団子」を調達すべく、販売元の「石谷精華堂」の本店に行きました。


 「打吹公園団子」は従来の通常パッケージの他に、この4月からの「ひなビタ」とのコラボに合わせた特別パッケージが販売されています。それが欲しかったのですが、桜まつりイベントの直後だったのでどこでも売り切れておりました。


 それで、本店にならあるだろうと予想したのですが、正解でした。ひなビタを楽しむならば、こちらの特別パッケージを買わないと気分がのりませんね。なにしろ、倉吉限定のひなビタ特製ステッカーがおまけに入ってるのですから、「ちくわ軍」の一員としては「絶対に確保するめうーー!!」なのです。 (アホかお前は)


 嬉しいことに、店内に芽兎めうのパネルがありました。この日の16枚目となりましたが、同時に「え?ちょっと待って?」という気分にもなりました。

 倉吉のひなビタのキャラクターパネルは、どうやら打吹玉川地区エリアだけに配置されているのではないようです。鉄道記念館はいちおうエリア内でしたが、ここ「石谷精華堂」本店は車で数分走ったところにありますから、距離的にはかなり離れています。徒歩では簡単に行けません。
 そういう広い範囲にキャラクターパネルが配置されているのかな、もしそうだとしたら、大変なことになるぞ、と思いました。

 そこで店員さんにそれとなく訊ねましたら、「ああ、パネルはここと、あとはヒーローとパータンにあるって聞いてますけど」との答えが返ってきました。ヒーローは、倉吉市内に二ヶ所の店舗をもつカラオケ&ゲーム店の「スーパーヒーロー」のことです。ここ「石谷精華堂」本店からちょっと北へ行ったところに倉吉店がありますので、そこだろうな、と思いました。
 ですが、パータンというのは「マジで?」と驚きました。以前にガルパン劇場版の上映を視聴した「パープルタウン」のことですが、かなり距離があります。車で5分ぐらいはかかります。そんな遠い所にまでパネルを配置しているのか、これはガルパン大洗のパネル巡りよりも大変だぞ、と感じました。


 とりあえず、近くの「スーパーヒーロー」に移動しました。滋賀県などに店舗があるゲームセンターですが、倉吉市内には上井店と上図の倉吉店とがあります。


 店内の音楽ゲーム機の並ぶ一角に和泉一舞のパネルがありました。


 ベースギター「CARVIN SB4000」を構えるイブです。カッコいいですな。ガルパンにはこういう雰囲気のキャラクターは一人も居ませんね・・・。

 この時点で気付いたのですが、楽器を持ち演奏するポーズのパネルは、桜まつりのイベント時には5体とも倉吉スクエア内のホール未来中心に置かれていて、街中には配置されていなかったのです。街中に配置された分とは別になっていたはずなので、これらが市内の各所に配置されたのは、イベント後であるのでしょう。
 つまり、現時点でのパネルの数と配置は、桜まつりのイベント時のそれとは異なっていて、かなり変更もあるようなので、誰がどこに居るのかという基本的な情報すら、ネット上でも挙がっていません。文字通り、探し回って実際に見つけるより他にないのですが、これはある意味正しい、と思いました。

 パネル巡りと言うのは、本来は探すことを楽しむ企画ですので、前もって位置などが分かっていては意味がありません。同時に、配置を工夫することでその地域の観光資源および商業施設にも着目してもらい、購買を促進するという側面をもちます。
 倉吉市は、そのへんがよく分かっていて、観光交流課の采配によってパネルをランダムに入れ替えたりしていますから、巡礼者はその都度新たなコースにチャレンジする楽しみもあり、より倉吉の街の地理に詳しくなってゆきます。

 これに対してガルパンの大洗では、キャラクターパネルの位置が固定されているうえに配置情報がガイドブックなどに掲載されているため、探さなくても楽に行けます。それは良いのですが、反面、探す楽しみが無く、一度見たら終わり、という感じになってしまうので、配置店舗の側で何か積極的に仕掛けたりしない限り、パネルの設置意義はどんどん低下してしまいます。
 しかも、パネルを個々のお店の所有に近い状態に置いているため、店ごとに扱いが異なり、バラバラな管理状況のゆえにパネルの保存状況にも差異が生じてしまいます。長い目で見てゆくと、大洗のパネルの有り方はいかにもゆきあたりばったりの感が出てくるわけです。倉吉のケースと比較してみますと、そのことがより一層感じられてきます。


 いえーーーい!!いぶぶーーー!! (アホかお前は) (続く)
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月刊戦車道 完全解析号2

2016年05月28日 | ガールズ&パンツァー

 5月27日に発売された、「月刊戦車道 完全解析号2」です。発売日の当日に手元に届きました。

 昨年11月に発売された「総決算特別号1」と合わせて二冊セットとなっています。それぞれの発売タイミングを劇場版公開前と公開後に置いて、ガルパンのストーリーを二部構成で解説しています。今回の2では、劇場版のストーリーにおける二つの試合、エキシビジョンマッチ、対大学選抜チーム戦にスポットをあて、その全ての試合を詳しく解説しています。

 読んでいて、これまで自分が正確に把握していなかった部分などが色々と再確認出来ます。拙ブログにて紹介してきた幾つかの情報にも、誤りがあることが判明しました。
 例えば、エキシビジョンマッチにおける大洗役場前での砲撃戦にて、レオポンさんチームがT34/76の二輌目を撃破したものと仮定して?を付けておりましたが、実際はカバさんチームが撃破していたことが分かりました。あと、おか亭エリアでのあんこうチームⅣ号戦車の経路が、私の記事では一つ辻をズレていることが判明しました。劇場版を何度も一生懸命観ましたが、やっぱり完璧に把握出来ていませんでしたね・・・。

 一番笑ってしまったのが、最初のページの「戦車道の麻子ちゃん」です。元ネタは間違いなく「日ペンの美子ちゃん」ですが、あさりよしとお氏が描かれているのが新鮮でグッドでした。元ネタの方は作画担当が五回交替して、現在は梅村ひろみ氏が描かれております。

 なお、劇場版を取り上げた刊行物は、今後も三冊ほどが発売される予定ですので、劇場版関連の未知なる情報がまだまだあるのだろう、と楽しみにしております。発売予定の刊行物は下記の通りです。
 
 6月28日頃 ガールズ&パンツァー 劇場版 コンプリートブック
 6月30日頃 ガルパン劇場版アルティメット・ガイド 映画とOVAを百倍楽しむ本(仮)
 6月30日頃 ガールズ&パンツァーWalker ウォーカームック
 7月15日頃 改訂版 ガールズ&パンツァー エンサイクロペディア (仮)

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ガルパン劇場版DVDの発売日は・・・

2016年05月27日 | 過去の模型とか
 周知のように、ガルパン劇場版DVDの発売日は、正式にはきょう5月27日となっています。が、先行出荷にて既に出回っている分があり、手にされた方も少なくないようです。もちろん私も予約購入しましたが、5月27日というのは、自分にとっては旧海軍記念日であるという認識の方がいまだに強いです。


 なので、ガルパン劇場版DVDの到着を待つ気分よりも、旧帝国海軍の歴史にはせる想いの方が大きかったです。もともと日本海軍の軍艦艦艇が大好きで、プラモデルも軍艦艦艇ばかり800隻余りを作ってきた経緯があります。
 それで、きょうは、朝から、その艦船プラモデルの一部を取り出して、しんみりと眺めておりました。上図は、栄光の第三戦隊の高速戦艦四隻、金剛、榛名、霧島、比叡、です。金剛と榛名は昭和19年秋、霧島と比叡は昭和17年の状態に仕上げてあります。


 駆逐艦や小艦艇数隻をまじえて適当に並べて眺めました。今考えても、よく沢山作ったものです。30代までは、こういう軍艦艦艇だけが、私にとってのプラモデルでありました。ガルパン戦車プラモデルに熱中している現在から振り返ってみますと、大げさでなく隔世の感があります。

 こういう自分ですが、模型サークルの仲間たちに「青き鋼のアルペジオ」や「艦隊これくしょん」や「ハイスクール・フリート」の話を振られても、一切の反応を持たず、関連の艦船プラモデルに見向きもしませんでした。
 それで、A氏やT氏らに「星野は稀にみる筋金入りの帝国海軍マニアやな」と笑われていたりします。が、正直言いまして「エンガノ岬沖海戦小澤機動艦隊の孫たち」の一人である身としては、かつての帝国海軍の哀しい日々と、その見果てぬ真実への、敬虔な祈りと鎮魂の気持ちを失いたくないのです・・・。 
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く24 その8 「さんふらわあ さっぽろです!!」

2016年05月26日 | 大洗巡礼記

 大洗磯前神社には、味わいのある撮影ポイントが幾つかあります。上図のように随神門の通路口を額縁に見立てて鹿島灘に面した鳥居を見るという図などが良い感じだと思います。実際よりも奥行き感が強調されます。


 随神門を出てから同じアングルで撮りますと、今度は横方向にも空間が広がって、見たままの雄大な景色になります。


 社務所の横の門から、裏参道へと向かいました。かつては水浜電車の大洗駅との連絡路も兼ねていた道です。車で直接社務所にゆくか、車のお祓いを受ける方が利用する道でもあります。


 車道の横の丘を通る、かつての参詣道は現在は「つつじの小径」と名付けられて自然散策路のようになっています。一番高い場所まで上がると、松林越しに鹿島灘の海原を望むことが出来ます。


 裏参道の鳥居です。その左手の、いまは大洗ホテルの駐車場になっている広い空き地に、かつては水浜電車の軌道と大洗駅の駅舎がありました。建物の基台だけが残されています。


 東光台へ向かう車道の桜並木です。まだ満開状態でした。


 今回も宿は浅野丸さんに予約していました。翌日の大洗ゴルフ倶楽部見学会に参加するのが今回の大洗行きの主目的でしたので、距離的に最も近い浅野丸さんに泊まったわけです。

 浅野丸さんは、ミカのパネルを置いてから急速に継続高校チームファンのたまり場と化し、寄贈展示品もハイペースで増えています。そうした傾向のなかに、何があったのか、前回の訪洗時にフェリーで同道して色々話をしたフィンランドからの観光客の方が、後日の国際電話にて話した折に色々と残念がっていました。

 話によれば、フィンランドの方は観光業者であるので大洗にも下見調査に行き、私が教えた通りに浅野丸さんにも行ったのだそうです。建物の外装の色ですぐに分かったそうですが、玄関に数人のファンがたむろしていて入れず、スケッチブックに絵を描いているファンからは睨まれた、と言っていました。公共の宿なのに、特定の団体のサロンみたいになっているね、と苦笑しておられました。
 しかも、時間を改めてもう一度訪ねたら、今度はファンは居なかったが戸口も閉まっていて留守になっていた、ということでした。諸外国では、宿泊施設は24時間フルオープンであるのが当たり前なので、日本の民宿が一時でも留守になっているのは全く理解出来ない、と話しておられました。

 私が、日本の宿泊施設は基本的に24時間フルオープンではありませんので、と説明すると、「他にもあの宿に関しては不満がいっぱいあるんだ。でも友人の貴方に愚痴を言って迷惑をかけたくないから、胸にしまっておくことにするよ。ツイッターで探し当てても、基本情報すら出していないんだ。」と言っておられました。
 確かに、浅野丸さんはツイッターを活用して宣伝に務めているようですが、自作イラスト等を主とする宿泊者からの寄贈展示品ばかりを紹介していて、肝心の宿の概要や営業内容をまったく掲示していません。なので、私自身も前回の宿泊時に直接奥さんに聞いて、料金体系やガルパンプランの詳細などを初めて把握したぐらいです。フィンランドの方の御指摘は正しい、と納得しました。
 同時に、フィンランドの方が「胸にしまっておく」と言った内容が気になりました。いったい何があったんだろう、と首を傾げたことでした。
 上図は、ファンの方がプラモデルで再現して寄贈している、浅野丸さんの軽トラックです。


 浅野丸さんの前の道を信号交差点まで進み、道なりに適当に進んで曲松エリアまで行き、武部沙織の居るカワマタさんで小休憩しました。


 このお店の寄贈展示品群もすごい量になっていますが、時々整理しているとかで、以前のような雑然とした並べ方ではなくなっていました。
 女将さんが言うには、「こういうのもいつかは片付けてしまっておくことになるかもしれないねえ」ということでした。そういう意識が出始めていること自体、大洗ガルパンブームそのものが下降期にさしかかっていることを暗示しているようでした。


 職場の同僚や模型サークルの仲間たちに頼まれた土産物を一括購入するべく、リゾートアウトレットのまいわい市場に立ち寄りました。フェリーターミナルに「さんふらわあ」が接舷停泊しているのが見えました。


 前回に乗った船かな、と思ってまいわい市場の二階に上がり、カメラの望遠モードで見てみました。しかし、前回に苫小牧から乗った「ふらの」ではなくて、「さっぽろ」の方でした。準同形船なので、大きさや性能などはほぼ同じだそうです。 (続く)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン1の7 「水月鏡花のコノテーション」

2016年05月25日 | 倉吉巡礼記
「水月鏡花のコノテーション」(日向美ビタースイーツ) 
  ボーカル 霜月凛(CV:水原薫)、山形まり花(CV:日高里菜)
  収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」「GITADORA」等
         サウンドトラック「Chocolate Smile Girls!!」 曲はこちら


 大岳院から引き返し、レストラン白壁倶楽部の辻に戻りました。この白亜の擬洋風建築は、明治41年に国立第三銀行倉吉支店として建てられたもので、内装の一部をのぞいて当時のままに伝わっています。明治38年に魚町および堺町一丁目周辺を焼失した大火の後に建てられ、より防火耐火を意識して漆喰が厚く塗られています。山陰地域に現存する土蔵造りの銀行建築としては最も優れた意匠を示し、鳥取県下における国登録有形文化財の第一号に指定されました。


 キャラクターパネルを探しつつ、堺町一丁目の街区を北上しました。この辺りには個性的な店舗も多く、上図の「ミタ写真館」もその一つです。最近に外装を新たにしたようですが、構えはなおも昭和の雰囲気を色濃くただよわせます。外観が絵になるので、撮影していた巡礼者も何人か居ました。


 「ミタ写真館」の近くに、懐かしい鯛焼きのお店「米澤たいやき店」があります。創業は昭和23年、倉吉での食べ歩きの人気スポットの一つで、その人気は20年前から変わっていないようです。
 私も倉吉で遊んだ後にこのお店の鯛焼きを二つほど買って鳥取市へ帰るのが常でした。一枚一枚を焼き型でじっくり焼くため、すぐに食べると熱くて唇をやけどしかねないからでした。また大判焼もあり、小豆あんと白あんの二種があり、買う時に小豆あんを「アカ」、白あんを「シロ」と呼んだりしていました。
 また、店内で休憩をかねて食べる場合は、いつもタコ焼きをいただきました。今回、20年ぶりにそのタコ焼きを食べましたが、味は全く変わっていませんでした。思わず、目頭が熱くなりました。

 ひなビタのファンや巡礼者にはあまり知られていませんが、倉吉のソウルフードとしては、牛骨ラーメンと並べてここの鯛焼きを私は必ず挙げます。自分が子供だった頃の味というか、昭和の味覚が素のままに味わえるからです。
 今回、タコ焼きを食べながら店主さんに話をうかがいました。それによるとここの鯛焼きは、戦後間もない頃の、卵が貴重品だった時期に始めたので、卵を使う事が出来ずに仕上がりも白い感じになり、そのまま続けているとのことでした。生地の材料は小麦粉、膨らし粉、水だけで、味付けもせず、皮も薄いので、中の餡の色と旨味が染み出てくる、それをそのまま生かしてのシンプルなものです、ということでした。

 要するに、敗戦直後の貧しかった日本の、素朴なおやつのスタイルであるわけです。年配の観光客の方々の中には食べながら昔を思い出すのか、泣いておられる人もいると聞きました。
 「米澤たいやき店」の紹介情報はこちら


 北の記念道路(倉吉銀座通り)まで行ってもキャラクターパネルが見当たりませんでしたので、バス停「赤瓦・白壁土蔵」の横から魚町の旧街路まで戻りました。


 児童公園の南側から東の玉川沿いに続く古民家の列の景観は、これも「ひなビタ」のワンシーンに登場するので聖地の一つになっています。ストーリー内では、確か日向美高校の近くの「たちばな美観地区」の一画、となっていたと思います。


 白壁土蔵群の代表的な景観スポットが、この界隈です。魚町のほぼ中心にあたり、玉川が東西に流れるのに沿って土蔵が建ち並びます。倉吉市の市報5月号の表紙を飾る、ひなビタ倉野川市との提携記念の画像の景色もこの場所です。


 その中央に位置する「赤瓦一号館」の出入り口に、やっと次のキャラクターパネルを発見しました。この日の14枚目でした。


 わーい、久領堤纒さんだー、纒お姉さまじゃー!!(アホかお前は)

 普段は倉吉市役所の三階のデスクに常駐、ということになっていますが、この期間のみ「街中を巡回」ということでこちらに移動していたもののようです。すると次はどこへ「巡回」するのかが問題になりますが、観光課のタウンマネージャーであることを考えますと、「赤瓦一号館」のような観光定番スポットであろう、と予想されます。
 倉吉の「ひなビタ」キャラクターパネルは時期ごとに位置を変えますので、そのたびにパネル探し、街中巡りの需要が喚起されます。大洗のガルパンキャラクターパネルが「一度見たら終わり」であるのとは違って、最大限に有効な使用法が模索されていると言えましょう。


 玉川沿いにさらに西へ進んで、新町の大蓮寺に至りました。赤提灯を提げる木造の山門は、江戸期まで打吹山の東隣の華到山の麓にあった旧大蓮寺の地から移築されたものとされています。その地は、現在の米田町のダイソー付近にあたります。


 昭和30年に再建された、現在の本堂です。倉吉では最初の鉄筋擬コンクリート建築として知られ、当時は近畿以西では初の「赤蓮華僧伽藍」などと銘打っていたそうで、実際に建物の上部に本尊仏をシンボライズする「赤蓮華」のレリーフがしつらえてあります。

 赤蓮華は、正式には紅蓮華 (ぐれんげ)と呼びます。インドで「パドマ(padma)」と呼ぶのを漢訳した語です。実際に存在する植物で昼に咲きます。仏教では仏陀のいる場所をあらわし、彫刻や絵画では「蓮華座」として造形されます。またヒンドゥー教では、ビシュヌ神とその妃ラクシュミーの象徴とされます。


 大蓮寺の山門前から西側、「赤瓦一号館」の方角をみた景色です。この辺りの散策で口ずさむならば、冒頭の「水月鏡花のコノテーション」あたりが相応しいかな、と思いました。


 次に倉吉博物館に向かいました。途中の観光バス駐車場の周囲には、ひなビタ倉野川市との提携記念の幟が並んで風にはためいていました。


 倉吉博物館では特別展示「北斎」を開催中でしたが、葛飾北斎の浮世絵作品は以前に色々観ておりますので、今回は常設展示の歴史的資料の方だけをさらりと見物しました。
 倉吉博物館の案内情報はこちら


 倉吉博物館は、市の施設ですので、ガイダンスコーナーには市の刊行物や配布物もあります。当然ながら市報も配布していますので、一冊貰ってきました。

 御覧のように、5月号の表紙はひなビタ倉野川市との提携記念の画像の景色となっており、「ひなビタ♪」にならって「くらよし」も「くらよし♪」になっています。ガルパンの大洗でもここまで町報をコラボ表紙にしませんでしたから、行政サイドのノリノリ感は倉吉市がはるかに勝っています。

 なにしろ、「ひなビタ♪」とのコラボ企画は、単なるファンイベントではなく、市の正式な観光振興策として議会の承認を得ています。だから市の観光交流課が窓口となって事業の全てを担い、そのための予算もきちんと計上されています。そのうえで、この4月を起点として三年計画で「ひなビタ♪」とのコラボによる「地域創生」プロジェクトを展開する旨を、広報や新聞などで正式に発表しています。

 それを受けての「くらよし桜まつりひなビタバージョン」の実施であり、周知のように全国から6000人のファンを集めて大成功に終わりました。なにしろ、国内でも稀な伝存度を誇る古民家建築集中地域として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている打吹玉川地区の街並みを舞台にしていますから、観光の面でみたインパクトの大きさは、ガルパン大洗とは比較になりません。
 しかも、国の文化財指定エリアをひとつの範囲に含めて観光施策として実施するあたり、どう考えても文化庁の指導および承認を得ているはずです。ただでさえ制限規約の多い重要伝統的建造物群保存地区でやるのですから、相当の「特別措置」もしくは「黙認」が図られていると思われますが、それはおそらくガルパン大洗では不可能な案件ばかりだろうと想像されます。大洗では行政側が主導しての動きがまったくありませんから、その意味でも対照的なケースと言えます。

 端的に言うならば、重要伝統的建造物群保存地区にてアニメ等のコラボイベントを公式に大々的に開催するというのは、普通は有り得ないのです。有り得ないと言うよりも、文化財保護および歴史的景観保護の観点から言うと無謀、無茶な試みになります。まっさきに反対や反論が挙がって当局は非難をあびるのが普通でしょう。それ以前に、文化庁が苦虫をかみつぶしたような対応に終始するはずです。
 それを、どうやってクリアしたものか、議会の可決承認というこれまた有り得ない手続きまで踏んで、倉吉市は正式観光計画に据えたわけです。しかもグッドスマイルカンパニー、コナミの二大企業の完全協力の形で、です。ここまでやるというのは、ある意味凄い、相当の税金も投入されるだろうし、それなりに成果は出る、と予想されました。

 それ以前に、倉吉自体が観光地としては稀なインフラ整備の経緯を誇って観光客の評価もトップクラスであります。山陰屈指の保養地として名高い三朝温泉をバックグラウンドにひかえて観光客動員数もかなりのレベルに達しています。
 つまり、イベントを立ち上げてもそれなりに採算が成立するだけの、いわゆる「潜在的観光資源力」というのが、倉吉は目立って大きいのです。鳥取や米子よりは確実に大きいですし、島根県のメインの松江に匹敵するかもしれません。ガルパンの大洗との決定的な差はこの辺りにあるんじゃないかなあ、と私なりには感じています。20年前に自身が魅せられて何度も通ったこと、そして今再び巡礼に熱中し出していることも、倉吉の街の魅力、観光地としてのグランドパワーが地味に大きいからだろう、と解釈している次第です。

 なので、私も、以前からこの「くらよし桜まつりひなビタバージョン」イベントは成功する可能性が高い、とみていました。アニメ等に絡めた「地域起こし」の試みが軒並み不調となるなか、東のガルパン大洗に匹敵する少ない成功例となるだろう、と予想していました。私が最も大好きな場所である倉吉が舞台になるのですから、大感激以外の何物でもなく、ガルパン劇場版を倉吉でも上映したのを一つの契機として、倉吉への巡礼も計画的に取り組んでみることにしました。

 だから、そのスターティングポイントにもふさわしい、4月17、18日の「くらよし桜まつりひなビタバージョン」にはどうしても行きたかったのですが、機会を得ませんでした。いまでもものすごく残念に思っています。
 そこで、次のスペシャルイベントである夏の「倉吉打吹まつり」に期待しています。まだ詳細情報は公表されていませんが、これもおそらくひなビタバージョンになるものと予想しています。今年は8月6、7日に決まっていますので、なんとか休みをとって繰り出したいものです。
 「倉吉打吹まつり」の公式サイトはこちら。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く24 その7 「ガルパン絵馬と狛犬です!!」

2016年05月24日 | 大洗巡礼記

 大洗磯前神社境内地の内外には、まだ桜が咲いていました。とくに本殿脇のそれが見事な満開状態でした。西日本ではもう散っているところが殆どでしたので、気候の違いがよく分かります。


 参拝後は、ガルパン絵馬の数々を見物しました。上図は葉来緑という同人系漫画家が奉納されたものです。戦車戦のオンラインゲーム「World of Tanks」の公式にて「はじめての戦車道」なるガルパンのコラボ漫画を執筆されている方だそうです。
 私は若い頃ゲームをよくやりまして、数年前までは音楽ゲームにも相当ハマリましたが、「World of Tanks」には全く縁がありません。と言うより、興味が無いです。


 黒騎士シリーズ等のコミックでお馴染みの小林源文さんの絵馬です。模型が趣味の人でこの方を知らない人はまず居ないでしょう。私が参加している模型サークルのメンバーも、皆が知っています。模型雑誌などでドイツ軍関連の連載を長くされていましたから、ドイツ軍ファンには神様のような存在でしょう。


 何枚も絵馬を奉納されている同人系漫画家高永浩平さんの絵馬です。アヒルさんチームの八九式中戦車甲型の車内に、なぜかペパロニが乗り込んでいます。全国大会の二回戦で八九式中戦車甲型の射撃に何度も転がされたことからの意趣返しなのでしょうか。


 佐々木あけびの声を演じている中村桜さんの絵馬です。模型誌にもよく登場し、写真集も出しているので、本職が本当に声優なのかよく分からなくなってきています。

 ちなみに私はガルパンの声優さんに関しては誰のファンでもありません。ずっと昔から五十嵐裕美さんのファンなので、日向美ビタースイーツとの縁もそこから始まりました。五十嵐裕美さんは日向美ビタースイーツの芽兎めうの声を演じており、歌もこなします。


 近藤妙子およびアンチョビの声を演じている吉岡麻耶さんの絵馬です。この人もすっかり有名になりましたね。ガルパンの声優さんは多くがそんな感じです。ガルパンが無かったら、いまも声優として活動しているかどうか、といった感じですね。


 中村桜さんは、イベント絡みよりもプライベートでの訪問の機会が多いようです。御本人がタグチに買い物に来たのに、店主の田口さんが全然気づかず、そのまま中村さんも普通に退出してゆくので、周囲の人々が慌てて教えてあげた、というエピソードを聞いたことがあります。


 私の絵馬もまだありました。奉納してからもう二年になるのですね・・・・。


 随神門を出て、鹿島灘を望みました。


 随神門前の左右に屹立する狛犬です。まぎれも無く備前焼の逸品です。少し前に岡山県備前市の伊部へ行きまして、各地の備前焼の狛犬を見学してまいりましたが、それらと同じ造形表現、仕上がり、雰囲気をもっています。水戸藩が注文して造らせたものでしょう。


 阿形のほうです。陶製なので細部に破損や欠落などが生じていますが、全体として保存状態は良いほうです。東日本震災の揺れにも耐えたようですが、多少のヒビが入っているようなので、いずれ修理が必要になるものと思われます。


 吽形のほうです。こちらが上半身の保存状態は良好です。水戸藩主徳川光圀が備前焼を愛好して同時期の備前焼の大家と交流があった経緯を、何かの歴史書で読んだ覚えがあります。備前焼は六古陶の一種で、成立も鎌倉期と古く、ルーツは古代の須恵器に遡ります。大日本史を編纂して伝統的技術への理解も深かった徳川光圀が備前焼に注目したのも当然でしょう。 (続く)

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ガルパン戦車プラモデル製作の今

2016年05月23日 | ガルパン模型制作記

 2016年5月現在、私のガルパン戦車プラモデル制作は、第21作目の聖グロリアーナ女学院チームマチルダⅡを作り終えたところです。


 現時点で、購入し積み上げてあるガルパン戦車プラモデルキットの一部です。公式キットおよび適応キットで、模型サークルの仲間に頂いたものもあります。


 別の所に積み上げてあるガルパン戦車プラモデルキットです。主にプラッツの公式キット等、箱が大きなサイズであるものを積んでいます。

 一番上に、最近に購入した黒森峰女学園チームマウスのキットがあります。マウスはあまり作る気がしなくて従来は制作計画に入れていませんでしたが、昨今の公式キット群の品薄ぶりを見て、とりあえず確保しておいたほうが良いかもしれない、と考え直して買っておきました。

 プラッツからは、夏にプラウダ高校チームのT34/76が公式キットにて発売予定であるほか、5月の静岡ホビーショーにて黒森峰女学園チームのヤークトパンターの公式キットが紹介されていますので、これらも購入予定です。


 それ以外に、模型サークル仲間からの頂き物、これまでの製作において部品を転用した余りキット等が十数輌分あります。転用等でパーツが無くなったからといって作らずに放置するのももったいないので、ガルパン戦車とは別に、暇つぶし用のプラモデルとして楽しんで活用しています。

 とりあえず、マチルダⅡの完成後に、続けて上図のようにⅡ号戦車(タミヤ)、ラング(タミヤ旧版)、Ⅳ号戦車(タミヤ)、の三輌を順に組み立て、さらにヘッツアー(タミヤ)を組み立て中です。転用で無くなったパーツ類はジャンクなどから適当に補って、いちおう形にしました。後は塗装を残すのみとなっています。その塗装を、どのようにやろうかな、と思案中です。
 戦車のプラモデルは、時にはガルパンを離れて気ままに作ってゆくのも楽しいですね。


 新発売のガルパンデカールセットVol.4です。モデルカステンのオンラインストアで二枚を購入し、一昨日の21日に手元に届きました。内容的には微妙な品ぞろえですが、これでプラウダ高校チームの劇場版仕様、継続高校チームのBT-42が制作可能となりました。聖グロリアーナ女学院チームと大学選抜チームも必要数が揃いましたが、優勝旗とサンダースのギャラクシー用のは、個人的には使い道が無さそうです。

 今後の計画としては、余りキットの幾つかを組み立てる、模型サークルの知人にリクエストされている「アンツィオ高校チームのいずれか」、読者の方からの要望コメントとして継続高校チームのBT-42、の順になりそうです。
 あと数日で劇場版のDVDが出ますし、6月初めには待望のガルパンアハトゥンク2が発売されますので、劇場版登場車輛の仕様や詳細を、ようやく検証し把握することが出来ます。
 そして、前掲の画像にある積みキットのうちの幾つかは、キット自体が劇場版仕様に近いため、劇場版仕様で作る予定です。劇場版のDVDをチェックし、ガルパンアハトゥンク2を精読しながら取り組む積りです。

 かようなわけで、おそらく今年の夏は、ガルパン戦車プラモデルの製作を主にして過ごしそうな気がします。

コメント (9)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン1の6 「ぽかぽかレトロード」

2016年05月22日 | 倉吉巡礼記
「ぽかぽかレトロード」(日向美ビタースイーツ) 
  ボーカル 山形まり花(CV:日高里菜)
  収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」「GITADORA」等に隠し曲として収録
         ソロシングル「Five Drops 01 -sunny orange- 山形まり花」 曲はこちら


 倉吉の打吹玉川地区の街並みは、20年前と余り変わっていないところが殆どです。かつての駅前通りであった打吹公園通りに面する店舗の多くが、昔ながらの営業を続けており、山形まり花のパネルを置いているパン屋「エルハイナー永田」も外装を新たにしたのみでした。まり花が歌う「ぽかぽかレトロード」の歌詞「いつもと同じ道 落ち着くあの場所 大好きな場所」は、私にとっては倉吉そのものです。


 この山形まり花のパネルは、前回の訪問時には赤瓦一号館のグッドスマイルカンパニー出張所に置いてありました。定期的に場所を替えているのでしょう。


 このお店の開業は64年前ですので、倉吉では老舗に属します。久し振りにカツカレーパンとメロンパンを購入し、イートインコーナーでコーヒーも追加してお店の方と少し話をしたところ、四年ほど休業して今年の1月から営業再開している、と教えられました。外装を新たにしているのもそのためだそうです。
 ともあれ、懐かしい味でした。次の機会には、既に完売していた、人気一位の「なすミネストローネ」を食べてみたいです。


 「エルハイナー永田」の斜め向かいには、これまた懐かしい昔ながらのお店があります。一階は民芸品店の「民芸TAKAKI」で、二階が蕎麦処の「土蔵そば」になっています。
 この蕎麦屋の始まりは、地元の写真作家または美術家であった高木啓太郎氏が、芸術家たちの集いの場としてオープンしたサロンです。窓からの眺めも良く、室内は芸術家好みの民芸調に整えられ、今ではお孫さんが意思を継いで店を開き、当時のままの空間と景色と雰囲気で楽しませてくれます。蕎麦処は昼のみの営業なので、私はよく昼食をとったものです。
 今回は入る機会がありませんでしたが、味はおそらく昔のままでしょう。いずれ機会をみて立ち寄ってみたいです。


 「土蔵そば」の前から南へ、打吹山を見ながら歩きました。20年前の景色のままなので、若い頃の自分に舞い戻った気がしました。
 あの頃は、何でもかんでも見るもの感じるもの学ぶもの全てが面白く、興味深くて仕方がありませんでした。貪欲に勉強して歴史や文化財の深遠なる真実を必死で追いかけたものです。


 打吹山の城跡にも、いつか久しぶりに登ってみたいです。かつては大陸に通じて国際色豊かな文化を育てた古代伯耆国の歴史、および伯耆守護職山名氏や守護代南条氏が織り成した中世戦国史の隠れたロマンに憧れ、自身を「伯耆守」と称するようになったのは、平成5年からのことでした。奈良に長く住んでいても「大和守」などとは称しませんでしたから、いかに自身がこの地に魅せられていたかが思い起こされます。


 打吹公園通りから左の路地に入って、赤瓦一号館の裏口に回りました。


 グッドスマイルカンパニー出張所の店舗に行きました。前回の訪問時に購入し忘れた「桜ミク」を買うためでした。倉吉楽月工場生産ねんどろいど第一号、という輝かしき記念碑的存在である「桜ミク」を買わないでは「伯耆守」の名がすたります。


 おや、こんなところに、と12枚目のパネルを発見しました。霜月凛と和泉一舞のコンビです。同じ高校生でありながら、ガルパンキャラクターには絶対に出てこない妖しい雰囲気がグッドです。
 何と言うか、もう素晴らしいですな、日向美ビタースイーツの面々は。全国に数個師団を数えるといわれる「ちくわ軍」「倉野川市民」は、彼女たちの曲と歌声に最上の幸福を感じてゆくのです。


 気に入っている景色の一つがここです。打吹山と街並みの石州瓦の波が独特の調和をみせて倉吉ならばでの深い情調ある景観を形成しています。玉川がかつての総構の外郭防御線であったことが伺える景色でもあります。


 まちかどレストラン&カフェ「白壁倶楽部」の、この日のランチメニューです。昔はカレーやパスタやオムレツなどが人気定番の洋食屋さんだったのですが、いまでは高級レストランに近くなっていて、価格も高そうな感じになっています。ですが、実際にはリーズナブルな価格で本格的な洋食が楽しめるお店です。
 「白壁倶楽部」の公式サイトはこちら


 近くの景観保全区域の古民家の一軒も、倉吉では知られたグルメの名所です。暖簾に「清水庵」とあるのが店名です。


 「清水庵」は餅しゃぶのお店として有名です。お肉ならぬお餅を湯に浸けて柔らかくしていただくという、元は餅屋であったお店ならばでのメニューが、観光客の好奇心と興味をそそっています。昼時に行くと、いつも満席です。
 なので、まだこのお店で食事をしたことがありません。20年前はまだ餅屋さんでしたし。
 「清水庵」の公式サイトはこちら


 「清水庵」の東には、街並み景観保全地区の東側を占める大岳院があります。安房里見氏ゆかりの古刹で、里見氏最後の当主と家来たちの墓所もあります。


 そして本堂の軒下には、山形まり花のパネルがありました。古い街並みの中のお寺で、彼女が歌うならば、間違いなく「ぽかぽかレトロード」です。歌詞も雰囲気も、ピッタシです。


 「あの雲も 時間さえも 今だって流れてく」
 「空の色はころころ変わるけど いつまでもこのまちは変わらないよ ぽかぽか」
 いいですなあ、ひなビタ最高!倉野川は最高!倉吉はいいぞ!倉吉は最高!ちくわ軍万歳!イエーイ!! (アホかお前は)


 山形まり花の歌声を、境内の片隅に眠る安房守里見忠義主従の御霊も、きっと聴いておられることと存じます。倉吉に新たな可能性を呼ぶであろう、新コンテンツの行く末を、優しく見守って下さっておられるものと思いたいです。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く24 その6 「大洗磯前神社の籠彫です!!」

2016年05月21日 | 大洗巡礼記

 劇場版にも登場した、お馴染みの赤い橋を渡りました。大洗磯前神社への連絡路の一つです。


 いつも鹿島灘が望まれる景色を撮っていたので、反対側の東光台方面の景色は、今回初めて撮りました。


 大洗磯前神社の門前です。


 ガルパン大絵馬も、装いを新たにして劇場版ポスターの図柄に合わせてありました。


 神社本来の大絵馬です。今年は申年です。


 今回は、この神社の籠彫を観察してみました。上図は拝殿の向背下の部分で、彩色が施されています。色を塗れば美麗にはなりますが、彫刻本来の立体感は薄れます。彫刻の各所に出る影や陰影などが、彩色のおかげで目立たなくなるからです。


 こちらは随神門の木鼻の籠彫です。彩色はなされず、白木のまま仕上げた状態ですが、こちらの方が彫刻らしい立体感に溢れています。


 波涛の中を滑空して飛びぬける水鳥二匹を表現している籠彫です。


 随神門の出入り口の上の欄間部分が、とくに見応えがあります。外回りの木鼻の大半が波や水面を表して海の姿を切り取る意匠であるのに対し、こちらは松を並べた海岸の陸地を表しています。


 松の間を降下するように飛ぶ鷲です。片翼を捻って羽ばたく瞬間をよく捉えています。


 松の部分です。形はやや抽象的に造ってあるものの、松だと分かる造形の一線だけは崩していません。


 外回りの木鼻の籠彫のなかで、面白いなと思ったのが上図の作品です。波間を飛ぶ水鳥の向きが、この作品においてのみ内側へと表されています。外へ飛び出すのではなく、波間の水面に今まさに飛び込もうとしているような姿です。泳ぐ魚を捕捉して一気に捕えようとしているかのようです。

 これらの籠彫が、前回の訪問時に那珂湊の四郎介稲荷神社で見学した籠彫と同時期の、同じ作家の作になるのかどうか、が今回のテーマでしたが、結論としては、時期も作者も異なる、と考えます。ただ、造形表現に近似性がみられますので、系譜上は同系の作家であろう、と推定されます。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン1の5 「イブの時代っ!」

2016年05月20日 | 倉吉巡礼記
「イブの時代っ!」(日向美ビタースイーツ) 
  ボーカル 和泉一舞(CV:津田美波)
  収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」
         サウンドトラック「ひなビタ♪ ORIGINAL SOUNDTRACK」「Bitter Sweet Girls!
         ソロシングル「Five Drops 02 -honey lemon- 和泉一舞」 曲はこちら


 打吹地区を流れる掘割は、玉川と呼ばれます。町並みの西から北へと流れる小鴨川から取水し、町の中を流れて最後には再び小鴨川に合流します。
 この玉川は、中世戦国期に山名氏が伯耆国守護職を担って打吹山に城を築いて後、北麓に形成された城下集落を囲む総構(そうがまえ)の防御線として人工的に掘削された堀を原形としています。流路の一部は江戸期に改変されたようですが、大部分はそのまま保たれて、いまも水を流しています。


 辻を北へ進み、黄色っぽく塗られている道路に沿って、次の辻を左折しました。


 まもなく右手に、倉吉に現存する最古の町屋建築である「倉吉淀屋」があります。正式名称は「旧牧田家住宅」といい、倉吉市の指定文化財に登録されています。


 屋内は平成20年に復原修理を完了し、一般公開されています。宝暦十年(1760)に建てられた二階建の主屋、天保九年(1838)に追加された平屋の付属屋から成ります。


 主屋の一階の「ミセ」の間です。店舗部分の窓口部分に当たります。今でいう受付カウンターにあたる「結界(けっかい)」が置かれています。昔の言葉では「帳場(ちょうば)」等と呼ばれた部屋で、番頭さんが「結界」に座して店番をしていました。その奥には、店主の事務室にあたる「ミセオク」の間があり、囲炉裏机が置かれています。


 「ミセ」の隣の「ナカミセ」の間です。商品の陳列場にあたります。牧田家は米や地元の産物を扱う総合問屋として広く商業活動を展開、大坂の豪商「淀屋」の分流として安政六年(1859)まで営業していました。


 店舗部分の土間は通りに面した「ミセニワ」と奥の「ウチニワ」の二つの間に区画され、現在は案内板や復原修理事業の紹介などがパネルにて並んでいます。


 そして、この日見つけた10枚目のパネルである、和泉一舞(いずみいぶき)が居ました。
 山形まり花、春日咲子と同級生で、「日向美ビタースイーツ」ではボーカルとベースを担当し作詞もこなします。日向美商店街の服飾店「いずみ洋裁店」の娘で、一人称および愛称は「イブ」、他人にもこの名で呼ばせています。都会に憧れて流行の最先端を追いかける、自信過剰かつ目立ちたがり屋ですが、根は真面目で優しく面倒見が良く、家庭的なイマドキの女子高生です。


 この建物の特徴は、復原修理事業にて取り換えたり追加したりした部分を新しい木のままにして、復原箇所を分かりやすく表示していることです。元のままの古い部分がどこからどこまでか、という点もよく分かります。
 こうした文化財指定建造物の場合、新材にも古色を施して修理部分を目立たなくする手法が一般的ですので、この「旧牧田家住宅」のケースは珍しく、かつ斬新でもあります。後世の改変が多かったのが主屋部分なので、その実態を示すには適した方法と言えます。


 裏庭から見た主屋部分です。右側で屋根の棟がずれている部分が付属屋です。屋根の高さがあまり変わらないので、付属屋も二階建のように見えますが、そちらは一階のみの平屋で、屋根の小屋組を大きくとっています。これに対して主屋の屋根は一種の垂木構造をとるので、屋根が低くても空間を広く取ることが出来ます。中世戦国期の民家建築の要素を継承しているとする見解もあるようです。


 通りに面した正面の一階の軒桁を支える部材は「腕木」といい、倉吉の伝統的建造物を特徴づける細部意匠の一つです。倉吉の街並みを形成する古建築の大半に見られますが、形や意匠によってだいたいの建築年代がおさえられるため、街並み歩きのファンや愛好家の間では基本的な識別ポイントとして知られています。
 私自身も、かつての倉吉の街並み散策において「腕木」を注目して回った思い出があり、おかげで倉吉の各時期の「腕木」の特徴、意匠ごとの変遷はほぼ理解出来るまでになっています。


 道を引き返して辻を左に曲がると、出雲大社倉吉分院があります。全国各地にある出雲大社の分社の一つです。


 出雲大社倉吉分院の横に、昔ながらの銭湯があり、「大社湯」の名前でいまも営業しています。ひなビタのワンシーンにも登場しているため、聖地巡礼スポットの一つとして知られます。
 明治40年の建築で、当時の造りをそのまま伝える銭湯施設としても価値が高く、現役の施設でありながら国の登録有形文化財に指定されています。
 「大社湯」の紹介記事はこちら


 「大社湯」の北から新町筋を通って打吹公園通りに出ました。上図右に「三日月」とある看板は、20年前にここへ通っていた頃によく昼食を食べた「三日月レストラン」のそれです。懐かしいお店の一つですが、いまだに入る機会を得ていません。洋食メニューがメインですが、牛骨ラーメンも味わえます。近いうちに立ち寄ってみたいと考えています。


 再び新町筋を東へ進みました。道路以外は、私が初めて訪れた昭和61年の頃と全く変わらない景観なので、懐かしい気分になりました。もう一度、あの頃に戻りたいなあ、と思ってしまいます。


 道路だけが、タイル舗装に替わっているのですが、あちこちに音符などの意匠が散りばめてあります。離れて見ないと分かりにくい「隠し絵」の一つですが、この音符などはひなビタの音符マークと関連づけられて人気スポットの一つになっているそうです。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く24 その5 「東光台の交差点です!!」

2016年05月19日 | 大洗巡礼記

 ウスヤに行きました。店主の関根さんは商品の仕込みに忙しそうでした。いつものように奥さんが笑顔で応対して下さいました。


 地元のアート作家とも噂されて今では有名になった、大進さんの娘さんのイラストメニューがここにも色々あります。花より串カツですか・・・。花より打吹だんご、というほうがしっくりきますね。(それは倉吉ネタやんや、アホかお前は)


 増えつつあるイラストに対応しているのか、左の展示ボードにしっかりスペースが確保してあります。関根さん、飾る気マンマンですね・・・。


 展示品の質と量は、このお店が突出していると思います。精肉店であることが分かりにくくなっています。ガルパン私設ミュージアムのような雰囲気になっています。


 道を南に進んで、以前にお世話になった民宿「たくみ」の前を通りました。主人手作りの戦車模型もブルーに塗り直されてありました。


 浜野屋さんの篠川香音です。新パネルは毅然たる判定姿になりました。ですが、お店の方ではこれといった関連グッズも仕掛けもやっていません。パネルを置いているだけ、です。もったいないですね。


 桃助、息災であったか。うんうん。


 石福さんの辻から東に進み、次の角で西福寺の方角を見ました。


 道の突き当り、大洗第一中学校の敷地下には桜井稲荷神社があります。町内各所に点在する稲荷社の一つですが、丘陵斜面に位置するので眺めが良いです。地元でもあまり知られない、隠れた眺望スポットの一つです。


 大洗小学校の門前を通りました。


 東光台の信号交差点に着きました。大洗磯前神社へと繋がる街路の桜並木が、まだ陽春の彩りを保っていました。


 劇場版でおなじみの場所ですね。歴史的には水浜電車の軌道跡にあたりますので、個人的には両方の意味で楽しい景色です。
 エキシビジョンマッチでゴルフ場から撤退した大洗知波単チーム、これを追う聖グロプラウダチームがこの道を通りました。ゴルフ場の隣は、劇中では山岳地域になっているようで、テレビシリーズ第4話では断崖などもありました。そのエリアからは大洗磯前神社の境内地に繋がっているようで、親善試合でも鳥居下を経ての移動シーンがありました。
 そうなると、劇場版にて学園艦退去後の一時滞在先となった廃校木造校舎は、ゴルフ場と山岳地域の中間あたりに位置することになりますが、モデルグラフィックスに掲載される劇場版の設定資料には、テレビシリーズに出てきた山岳地域らしき範囲が見当たりません・・・。 (続く)

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聖グロリアーナ女学院 マチルダⅡ 完成です!!

2016年05月18日 | ガルパン模型制作記

 塗装後の組み立てが完了した状態です。ガルパン仕様への再現度は85パーセントぐらいでしょうか。左右のアーマープレート、後部の補助タンクのサイズまたは形状を劇中車に合わせていないからです。


 こうして組み上がった外見を再確認しますと、テレビシリーズの劇中車において砲塔部分と車体上面は今回の旧キット、車体側面や前後などの形状は新キットの形状に共通要素が多いことが分かります。以前に推測したとおり、劇中車の3Dデータは、新旧キットの混合体であるわけです。


 デカールは、モデルカステンのガルパンデカールセットのVol2を使用しました。


 左上に、今回のルクリリ車用の車番05を含む全てのデカールが並んでいます。左の聖グロリアーナ女学院校章の大きなサイズの4枚は、砲塔左右および左右アーマープレート前方に使いました。右の一番小さなサイズ1枚を車体背面に、二番目に小さなサイズを車体前面に使いました。
 車番05のほうは、大きな1枚を砲塔後面、小さな2枚を左右アーマープレート後方に使いました。


 側面の3枚を貼り終わった状態です。左右アーマープレート前方に校章デカールを貼る際、リベットの上になるのでマークセッターと並行してマークソフターも使用しました。ゆっくりと塗って馴染ませ、デカールが軟化して貼りつくのを待ち、やや乾燥してから、薄くマークセッターを塗っておきました。


 車体前面のデカールです。


 砲塔後面の車番05です。やや右寄りにセットしました。


 車体背面のデカールです。


 デカールの貼りつけが終わった後、一日置いて乾燥させ、つや消しクリアーを薄く吹きつけました。


 正面観です。テレビシリーズ版のマチルダⅡも、砲塔左右の校章が対称位置にありませんので、上図のように右側のデカールがやや前に位置します。ガルパン戦車においては校章などのマークが左右非対称の位置にあるケースが少なくありませんので、公式設定資料の図を慎重にチェックする作業が欠かせません。


 今回のキットは発売時期が古い旧キットのためか、パーツの一部に歪みがありました。是正してもなかなか歪みが取れないため、その辺りは瞬間接着剤で強引に貼り合わせて調整しています。


 今回のキットも色々と修正や改造が必要でしたが、中でも手間がかかったのは、後部の排気管の形状修正でした。劇中車の排気管はキットの形状では無理な角度でついているため、パーツをカットしたり削ったりヤスったりして出来る限りの調整を試みましたが、完全に再現するには至らず、角度が2度ほどズレています。


 既に述べたように、左右のアーマープレートは劇中車の形状に合わせるには無理があるため、キットパーツのまま使用しました。劇中車のはサイズ的にはやや小さいので、上図では隠れている転輪がもう少し露わになります。この点は新キットのパーツの方が近いです。


 以上で、聖グロリアーナ女学院チームのマチルダⅡ(ルクリリ車)がテレビシリーズ版仕様にて完成しました。製作日数は、2016年3月11日から5月10日までの二ヶ月で、組み立てに約27日、塗装に2日、塗装後の組み立てに1日、デカール貼り付けに1日かかりました。途中で大洗や倉吉へ行ったりしていたのと、修正および改造箇所が多くて手間取ったことが大きかったです。
 ですが、マチルダⅡのテレビシリーズ版を再現する場合は、今回のように旧キットを使用した方が制作の手間がかなり省けることも実感出来ました。新キットを使ったならば、修正および改造箇所がさらに増えるからです。

 したがいまして、今回の製作は、初心者レベルにはちょっとキツイかな、と思います。従来、模型雑誌などで新キットがズバリだ、というように紹介されてきましたが、実態としてはズバリではなく、ズバリに近い、というのが正しいです。
 いずれ劇場版仕様のマチルダⅡも新キットにて製作してみたいと思います。その際には、新旧それぞれのキットの特徴や制作ポイントの比較検証も、再度試みる積りです。

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン1の4 「エキサイティング!!も・ちゃ・ちゃ☆」

2016年05月17日 | 倉吉巡礼記
「エキサイティング!!も・ちゃ・ちゃ☆」(日向美ビタースイーツ) 
  ボーカル 芽兎めう(CV:五十嵐裕美)
  収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」「GITADORA」等に隠し曲として収録
         ソロシングル「Five Drops 03 -strawberry milk- 芽兎めう」 曲はこちら


 打吹地区の重伝建エリアの西側は、西町の範囲に相当します。この辺りにも古い民家が並びますが、幾つかの建物は耐震対策を施してありました。いずれ外観の修景事業に着手すれば、こうした耐震装置は外からは見えなくなるものとみられます。


 西町にて内部が公開される古商家建築の「豊田家住宅」です。江戸期の呉服商の店舗建築で、建物の配列などに山陰地方独特の要素が見られるとされています。平成18年に国登録有形文化財に指定されました。


 中に入るとまず土間があり、観光案内所のようなスペースとなっています。観光パンフレットや資料などを配布しています。この建物を本拠とする「倉吉談語の会」の講釈師の方が、倉吉の歴史や文化財についての解説を色々行っています。


 霜月凛のパネルも置かれています。りんりん先生ですねー。これで8枚目となりました。


 江戸期の倉吉打吹地区の古地図の模写です。全ての町名および当時の住人の氏名が列挙されています。講釈師の方の説明によれば、現在の町割とは異なっている部分もあるそうです。陣屋の周囲と町の東西には武家屋敷が並んでいたそうですが、そちらの現存する建築遺構は一つも無いそうです。
 私が毎週のように通っていた20年前には、まだ成徳小学校前の通りに面して数軒の武家屋敷が残っていたように思うのですが・・・。


 母屋の内部です。幾度の改装を経たらしく、もとは住居部分の床が少し高かったのですが、後に店舗と床面を揃えています。なので、現在では天井が高く感じます。柱にも敷居の痕跡が見られます。


 江戸期の外観の復元イラストです。御覧のように、二階建ての母屋、中庭、二階建ての離れ、坪庭、土蔵、の順に配列されています。間口は四間半、奥行きは二十間の敷地に建ち、典型的な町屋建築のスタイルを示します。外観の意匠は京風に則っていたようです。


 母屋の床の間と丸窓です。


 中庭です。五層石塔が置かれ、母屋から離れへの通路が太鼓橋の仕様に造られています。小さいながらも庭園の構えを意識した贅沢な庭です。


 離れの二階から見た、土蔵の建物です。棟札によって明和八年(1771)の建立と知られます。その二十年前の寛延三年(1750)には、当時の倉吉22ケ町700軒の家が殆んど焼失した「鉄屋の火事」がありました。それで17世紀代に遡る古建築が倉吉には無いわけです。また同時に、古文献や記録史料の殆どが失われてしまっているので、江戸初期の17世紀代の倉吉の様相はあまり分かっていません。

 この「鉄屋の火事」の教訓によって、それまでは単なる掘割に過ぎなかった玉川を整備し、川沿いに燃えにくい土蔵を配置して、火の出た鍛治町を境に上下の広小路を造りました。これらを防火区画帯としたわけですが、これらの対策が功を奏して、以後は大火に見舞われることがありませんでした。いま、古くからの町並みが伝わっているのはそのためです。


 「豊田家住宅」の前の辻に建つ、明治時代の道標です。当時の倉吉が「駅(宿駅)」として久米郡に属していたことが分かります。久米郡は古代の伯耆国の六郡の一つで、郡名そのものは明治29年まで行政区として継承されましたが、その後は東伯郡となって現在に至っています。


 打吹地区の重伝建エリアの西端に位置する玩具店の「たいら商店」です。驚くべきことに、私が毎週のように通っていた20年前そのままの外見を保っています。懐かしいです。
 昔、このお店で何度もウォーターラインシリーズのキットを買いました。記録によれば、手元にある連合艦隊400隻余のうちの42隻が「湖山工廠」建造、とあります。当時は、鳥取市湖山町に住んでいたからです。


 「たいら商店」の向かいには、昔には無かったもう一つの店舗スペースがあって現在は駄菓子屋として営業しています。


 その戸口のウインドー内に、この日の9枚目となった芽兎めうのパネルがありました。冒頭の楽曲「エキサイティング!!も・ちゃ・ちゃ☆」を含むシングル「Five Drops 03 -strawberry milk- 芽兎めう」のジャケットのデザインです。

「も・ちゃ・ちゃ」とは、この芽兎めうが乗ってる自転車の名前です。歌詞にも「相棒はも・ちゃ・ちゃ」とあり「とってもばわふるな機能的びゅーてぃましん」とあり、その性能は「弾丸的」であるそうです。
 どう見ても普通の子供用自転車なのですが、気になるのは「自爆ボタン」までついていることです。何の為についているんでしょうか・・・。もしかして、「ちくわ軍」の必殺戦術として自爆特攻があるのか、と思ったりするわけですが、芽兎めうの歌詞には「3年7ヶ月の歳月をかけて完成させたちょーぜつぎこーはいぱーとりっく」というのが出てきます。何なんだそれは・・・。


 店内はこんな感じでした。この時は気付かなかったのですが、店内の奥にもう一枚のキャラクターパネルがありました。しかもそれが、一番難易度が高くて皆が探し回っているパネルでした。その存在に私がやっと気付いたのは、次の訪問時のことでした。 (続く)
コメント (2)
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