気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その20 「朝の商店街です!!」

2014年01月31日 | 大洗巡礼記

 翌朝も天気は良かったのですが、空に拡がる鱗雲は、明日から下り坂になるとの天気予報を裏付けつつありました。まあ三日目までが大洗滞在のメインであるわけですから、この日一日晴れてくれれば良いわけです。起床は6時過ぎ、7時半の朝食までに少し外を散歩しました。
 この宿には賢い犬が居りまして、玄関でいつも店番をしています。昨日も宿に着いた時に、ワンワンと吠えて客の着到を知らせていましたし、今朝も玄関に居たのですが、私が散歩に出ようとすると、位置をずらして玄関スペースを開けてくれました。散歩から戻ると、それまで寝そべっていたのが、スッと前足を立ててお迎えポーズになりました。
 私が宿の主人と挨拶を交わして談笑している時は、玄関にて不動の姿勢で外を見張っているのでした。主人も「いつも店番で助けてくれるからねえ」と、愛犬の「勤務」ぶりにご満悦の様子でした。


 7時半より朝食をいただきました。私は少食なほうなので、これぐらいで満足でした。大洗の宿や食事処ではどこでも量が多めなので、食べてから空腹になるまでにものすごく時間がかかり、食べようと計画していたものが食べられなくて残念な思いをしたことが何度かあります。だから、こちらの宿の朝食が、いつもの私の食事量に近かったのは有難かったです。


 朝食後に挨拶をして宿代の支払いを済ませ、上画像の宿泊特典をいただきました。「大洗女子学園戦車道履修者冬季配給装備」と名付けられたガルパンオリジナル手袋です。赤、黄、青、黒の四色がありましたが、黒を選びました。スマホにも対応した手袋だそうですが、私はいまだにスマホを持っていない古い人間であります。

 ロビーに大洗町の空撮写真が展示されており、主人がかつての海岸線の位置を県道2号線のラインだと教えてくれました。「するとその頃はここの建物からすぐに海岸に行けたんですね」と言うと、「そうだよ、部屋で水着着て、ここでサンダルつっかけりゃ、もうそこが海やったからそのまま泳げたし、水着のまま帰ってきて着替えて風呂にも入れたわけだからさあ、今よりもずっと海水浴を気軽に楽しめたんだよね」と笑っていました。

 現在は海水浴客はどのように動いてるのですか、と聞くと、「多くは海浜公園やサンビーチや大洗公園の駐車場に車で来て、そこから海に行くってのが多いな。宿と海との距離が開いたもんでね、おまけに県道バイパスと港湾施設が整備されたんでね、ここらから海へ、っていう風情はすっかり無くなったねえ」と、昔を懐かしむようにしみじみと話してくれました。大洗にも、今は失われてしまった、古き良き風景というものが数多くあったのだなあ、と思いました。


 主人と犬に御礼を言って出発しました。自転車にまたがって県道2号線にいったん出て、そこから商店街の方へ回り込みました。


 曲がり松商店街へと進み、水産加工品販売の「坂本水産直販店」を見ました。まだ開店前でしたが、このお店の人気商品のひとつ「戦車でのばしたようなのしいか」は買いたいと思っていたので、後でまた立ち寄ろうと決めました。


 酒造店「月の井」の付近です。付近の商家群の中ではもっとも古式で風格ある建物なので、街並み景観の大きなアクセントになっているという感じがあります。


 割烹料理および寿司の「かま家」です。逸見エリカも早朝から頑張っています。黒森峰女学園チームにおいては、西住みほが卒業した後は逸見エリカが隊長になるのでしょうか。冷静沈着な西住みほに比べると、やや熱しやすく猪突気味のところがあるので、黒森峰チームの戦術やインフォメーションにも何らかの変化が出てくるのかもしれませんね・・・。
 その場合は、副隊長に赤星小梅あたりが居てやわらかくまとめてくれるのでしようね・・・・。「銀河英雄伝説」に例えると、ラインハルト・フォン・ローエングラムとジークフリード・キルヒアイスの関係に当てはまるかな・・・。


 「茨城県信用組合」の店先に小山柚子が居ました。大洗女子学園のメンバーの中では割と普通の真面目な子、という雰囲気がありますので、就職先が金融機関であってもあまり違和感がありません。


 「さんなや隠居」の店先の曲がり松です。周りが全てコンクリートおよび建物というのは、松にとっては過酷な状況だろうと思うのですが、めげずに幹を伸ばして松葉を日向にあててゆくその生命力には感嘆させられます。


 「年宝菓子店」の付近です。秋山優花里も出ています。この辺りにさしかかると、左から「いやっほうう、最高だぜええ」、右から「あいあーーい」と声がかかりそうな錯覚を覚えてしまうのは私だけでしょうか・・・。ハイ、私だけですよ。 (アホかお前は)


 「大久保酒店」の横から西福寺に向かいました。参道石段の下に自転車を停めておいて参拝しました。


 本堂です。近づくと読経の声がかすかに聞こえてきました。朝の勤行でした。西福寺は天台寺院ですので、朝の勤行は「朝課」と呼ばれて法華懺法を中心とする例時作法が常用されます。天台では「朝題目に夕念仏」といわれますが、その「朝題目」が唱えられているのでした。時間からみて「観音普門偈」や「般若心経」はもう終えているようで、「大師宝号」あたりかな、と少し耳を傾けて聴いてみましたが、どうも最終ステップの「回向文」のようでした。
 長く奈良に居て、古社寺の行事や儀式に色々親しんできましたので、南都六宗とくに華厳や法相などの読経などは東大寺や興福寺のそれを中心によく聴いていて一部を覚えてしまっていますが、天台宗のそれはまた違った旋律と抑揚をともなっており、早朝の冷気のなかに清浄として響いてきました。なにか新鮮な感動をおぼえてしまいました。


 朝の勤行中に境内をウロウロするのは不謹慎とされます。いったん本堂前から退いて、鎮守神の鎮座地へ回りました。小さな池の中央に祠があり、宇賀神だろうと察しがつきました。仏教では弁財天すなわち水神サラスヴァーティーにあたります。
 古代インドの伝説では、万物を造りたる全能の創造神ビシュヴァ・カルマンが、まず水を聖なる物体として崇めたといいますので、仏教寺院や神仏混淆の拠点には必ず池または水を湛える場所があります。一般的には、放生池、鏡池などと呼ばれますが、本来は儀式用の霊水を汲み上げる場所です。そこに水神を祀ることによって、堂塔伽藍の「霊水」を守護するという考え方です。これが日本では神社の形をとっているパターンが多いのです。神仏習合の一つの側面でもありますが、明治期の宗教政策でかなり変貌させられた部分もあります。


 祠の前から街並みを見下ろしました。マリンタワーも見えました。


 祠へは、商店街からも直接行けるように参道と鳥居が設けられています。


 境内の御堂の一つです。何のお堂だったかは忘れてしまいましたが、外回りなどを修復中でした。例の震災の際に建物がゆらいで基壇などに損傷が生じたもののようです。津波のことばかりが語られますが、その直前には地震もあったのですから、古社寺の建築においては地震の衝撃による何らかの影響も顧みられるべきですね。


 境内の一角にある鐘堂です。大きなものだと「鐘楼」という表現になりますが、こちらの鐘は可愛らしいです。突けば「ゴーン」ではなくて「カーン」の方で音が響きそうです。


 再度、本堂に近寄りました。勤行が既に終わっていたようで、堂内も静まり返っていました。その静寂を破るのもどうか、と思いましたので、朝の拝観のお願いをするのは止めにしました。内陣拝観については、次の機会を待つことにしよう、と考えました。


 再び商店街を進み、「江口又進堂」に至りました。店のマダムが出て来られたので挨拶し、それからしばらく歴史談話で盛り上がりました。ガルパンファンの中では「歴女マダム」と呼ばれ、「歴史の話になると長くなる」と恐れられている方ですが、それはマダムの得意分野である幕末および明治維新にかけての話題になった場合のことです。
 前回の訪問時に「祝町向洲台場跡」の由来や場所を質問した私を覚えていてくれて、関西地域の歴史ストーリーをまた教えてよ、と言われましたので、南北朝期の合戦やら、戦国期の畿内の混沌状態の歴史などを簡潔に話して、室町期の管領細川政元政権のドタバタを「おのれ憎っくきは香西元長 !! 」などと茶化して話しました。ものすごく興味を持ったらしく、面白がったり、真剣に聞いて下さいました。
「ほんとに面白いわねえ、やっぱり日本の歴史の主舞台は京都や奈良になるよねえ」と言っていました。


 左衛門佐についても少し話しました。モデルは大坂陣の露と消えた真田左衛門佐幸村ですので、その戦場譚もまた大阪や和歌山などに多く伝わります。そのうちの奈良五條に伝わるエピソードを簡単に紹介しました。「真田丸って今も残ってるの?」と聞かれ、遺構すら残ってません、と答えました。


 続いて「カワマタ」に回りました。サンタコスの武部沙織が朝から元気に頑張っていました。足元には砲弾も置いてありました。以前には無かったサインも描いてあるし、来るたびに何かが増えていきますね・・・。


 サインは、その声を演じた茅野愛衣さんが描かれたものです。茅野さんと言えば、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のメンマこと本間芽衣子、「名探偵コナン」の桃井恵子、などの印象がまだ強いのですが、ガルパンの武部沙織に関してはかなり地声に近い感じで演じていたように感じられます。
 サインの中に「やだもー」の言葉が入っていて、これはファンの間ではけっこう広まっている「さおりんフレーズ」らしいのですが、劇中では武部沙織は「やだもー」というセリフはただの一度も発していません。


 このお店のウインドーも色々貼られていて、何のお店なのか分かりにくくなっていますね。戦車カッティングシートもちゃんとカワマタ仕様になっていますし。
 この戦車カッティングシート、特注でオリジナルが作れるそうなので、機会があったらポルシェティーガーの型紙に「HOSHINO」と入れてもらおうかな、と考えてしまいました。なんてったって、ホシノさんですから。ウキーッ !!  (アホかお前は)


 特に目をひくのは、やっぱり上画像のあんこうチームの五人の声優の寄せ書きでしょうか。ファン垂涎の品でしょうね。中央にある「手作りカワマタさん」の語句が何気にポイント高いです。五人で立ち寄って「肉じゃが」などをいただいたのでしょうか。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その19 「夜の大洗と喫茶店です!!」

2014年01月30日 | 大洗巡礼記

 二日目の宿は、民宿の「足袋豊」でした。「ガールズ&パンツァー」応援宿泊プラン実施施設の一つで、今回は一泊朝食付のCプランを利用しました。公式サイトはこちら


 部屋に入って一休みしながら、五十鈴華誕生日イベントで貰った品々を整理しました。スタンプラリーのマップとカード、回収受付時に貰った缶バッジと抽選番号カードです。283番は、果たして当たりだったのかは分かりませんでした。当たればケーキが食べられるわけですが、私は甘いものはまったく駄目なのです。
 その後、布団を敷いて一時間ほど仮眠をとりました。


 まだ日没には間があったので、再び自転車に乗って商店街巡りに出ました。シラス丼は食べたけれど、仮眠を取ったらまたお腹が空いてきたので、どこかで軽く食べてゆこう、と考えました。


 各商店には明かりがともりはじめ、昼間とは違う雰囲気をともなって夜空の下に浮き上がりつつありました。上画像は永町商店街の「ヴィンテージクラブむらい」です。二階にある船は、店の御主人が若い頃に乗っておられたものと聞きました。


 玩具店の「タグチ」です。たまたま出て来られた店の御主人と少し立ち話をしまして、プラッツのガルパン公式キットの評判などに関する御高説を賜りました。組み立て易いプラモよりも、難しいプラモの方が味わいも奥行きも深いし、「楽しい」ということの質が断然に違うぞ、と笑っておられました。タミヤよりはドラゴン派、という感じのスタンスをお持ちのようでした。


 商店街からマリンタワーの方へ回りました。デジカメ画像では明るく映っていますが、実際には日没後の暗い景色だったのです。


 マリンタワーの周辺の木には電飾がほどこされ、マリンタワーの建物自体にもクリスマスツリーを表したイルミネーションが点滅していました。クリスマスまで二週間を切っていますから、商店街のキャラパネルと同じようにマリンタワーのエリアもクリスマスモードになっていました。


 リゾートアウトレットのまいわい市場へ立ち寄りました。


 ガルパングッズコーナーは、前回の訪問時と少し違っていました。新製品や商品の入れ替えがあったようです。


 鹿島臨海鉄道のオリジナル缶バッジセットも売っていました。前回訪問時に買ったバッジセットと違うデザインで、直径も大きくなっていました。大洗で目にする公式バッジは径32ミリばかりなので、違う寸法のバッジがあるとなにか新鮮に見えてしまいます。


 京都に本社を置くボークスの「キャラグミン」シリーズも五人揃って展示されていました。大阪や京都のショールームでは全部が並んでいなかったので、あんこうチームの全員が揃っているのを見たのはこれが初めてでした。
 私自身、一時期はとても欲しいと思ったのですが、価格が高いうえに寸法が大きく、自室のスペースに入らないので諦めました。それで代わりにfigmaのシリーズに期待してこれを予約している次第です。


 魚や水産物のコーナーには、角谷杏も居ました。「大漁だぜ、やったああ」と叫んでるように見えます。


 商店街へ戻る途中で、ラーメンの「藤乃屋」の店先をのぞいてみました。軽くラーメン一杯食べようかな、と考えたのですが、お客さんで一杯でしたので、今回は諦めました。


 みつだんごの「たかはし」は夜でも営業していました。五十鈴華が昼間とは違って戸口の横に控えていました。ここのみつだんごは美味しいのですが、ボリュームがかなりありますので、前回の訪問時にこれを食べて、昼食を食べる予定が吹っ飛んだのでした。


 ぐるりと回って八百屋の「石福」の店先を通りました。隣の「国井屋」はもう閉店していましたが、照明類はまだ落としていませんでした。


 割烹料理および寿司の「かま家」も営業していました。逸見エリカも店先で頑張っています。黒森峰チームは、隊長の西住まほがいつも引っ込んだ位置にいるため、道路を進んでいると逸見エリカの方がすぐに視界に入ります。なので、商店街での存在感はエリカの方が上になっていると思います。


 喫茶店「ブロンズ」の前に至り、そうだここで食べよう、と思いつきました。まだ入ったことのないお店でしたので、この機会にガルパンメニューを経験してみようかと考えました。


 客は、私一人でした。五十鈴華誕生日イベントが終わるまでは多くのガルパンファンが出入りしていたそうですが、イベントが終わると大部分は帰ってしまったと聞きました。私のように、イベントの有無に関係なく長期的に滞在している客は、冬場では珍しいのだそうです。
 気さくな女将さんが、これはいかがですか、と上画像のメニューを示してきました。このお店の人気メニューである「生徒会セット」と「うさぎさんチームセット」でしたが、私はもう少し軽いのが食べたかったので、「サンドイッチとかはありませんか」と尋ねました。あるということなので、それを注文しました。


 飲み物はいかがですか、と聞かれたので、上画像の「ガルパンドリンクメニュー」の中から「パッションフルーツソーダ」をチョイスしました。


 これが「パッションフルーツソーダ」です。もちろん缶バッジもついていました。それとは別にブロンズのオリジナルマグネットバッジもいただきました。「新年ぐらいからもう一つオリジナルのバッジを出す予定なの、またおいで下さったらつけますよ」と笑っていたので、「たぶん来年早々にまたお邪魔すると思います。初詣は大洗磯前神社にお詣りするかもしれませんので」と答えました。


 壁には、ファンの方々から贈られた沢山の名刺が貼られてありました。それで話題がガルパン名刺のことに及び、転売屋による不当な売買の動きが発端となって、それまで商店街の各店にて実施されていた名刺配布に関してバンダイビジュアルよりNGが出され、それ以降は名刺配布が一切なくなった状況が簡潔に語られました。
 「ああいうことがあっちゃうと、それまてファンの皆さんが善意でしていたこともみんなみんなダメになっちゃうね。本当に残念だわねえ」と言うので、今後は名刺関係は完全にやらないわけですか、と問い返しました。すると「今度はちゃんと許可をいただいて公式で名刺出そう、という形になるみたいよ。いまのところ公式でちゃんと出してるの大洗ホテルさんだけだものね、ああいう感じできちんと商工会経由で話通して手続きとって、という流れになるよ」と教えてくれました。
 この件に関しては、翌日にエルヴィンの「和泉屋米穀店」にて、関係者の方から詳しい話をうかがうことになります。


 「ブロンズ」はガルパンファンの溜まり場として知られるだけあって、店内にはいろんなグッズがあります。模型やフィギュアも例外ではなく、他では全く見られない小山柚子のフィギュアもありました。戦車のキットも幾つかありましたが、ガルパンブームの初期に製作されているのか、いずれもがそのまま組み立てられており、いわゆる「ガルパン仕様」への工作はまったく施されていませんでした。

 ガルパンの戦車模型に関して、「ガルパン仕様」が意識されるようになったのは、公式ガイドの「アハトゥンク・ガールズ&パンツアー」が5月に刊行されて以降の傾向だということです。ガルパンの最初のTVシリーズ放送が2013年3月に終了するまでに、最初の戦車模型キットのピークがあって、それによって全国的に在庫切れ、品薄の状態になり、それが回復したところで5月以降の「ガルパン仕様」人気のピークが来た、という流れになるのですが、いま大洗の各商店街に寄贈されている戦車キットの大多数が、最初の戦車模型キットのピーク期に製作されているということです。そういえば、私が今までに「大勘荘」や「いそや」などで見てきたキットも、ほとんどストレート組みの作品が多かったように思います。

 私自身は、拙ブログで述べてきたように、夏の7月頃から準備を始め、8月頃から戦車キットの購入に取りかかり、第一作目の三式中戦車チヌを作り始めたのが10月中旬からでした。つまりは5月以降の「ガルパン仕様」人気のピーク期が過ぎてしばらくして、市場の在庫が回復基調に入り出した頃にキット作りを始めたわけです。
 なので、最初の戦車模型キットのピーク期に作った方々に比べると、はるかに情報類に恵まれており、公式ガイド類も充実してきているので、「ガルパン仕様」を目指すにしても、出来るだけランクアップしてゆきたい、ゆかねばならないだろう、と思って色々悪戦苦闘しているわけです。


 同人サークル「幻視工房」の製作したガルパンカッティングシートやメタルステッカーも五種類が並んでいました。缶バッジは、公式のものの他に、ファンが作ったオリジナルのウサギさんチームデザイン12種などがありました。大洗で配布された公式のバッジは、現時点で50種類以上を数えるそうですが、ファンが作っている非公式のものはもっと数があるそうです。
 そういえば、大阪のアニメイベントで限定販売されたガルパンオリジナルバッジが約100種類あったと聞いています。東京のイベント等ではそれ以上が出されたのではないかと想像しています。私自身が大阪のイベントで見たガルパンオリジナルバッジは、約20種ほどですが、全てが今では入手不可能と聞きました。


 入手不可能な缶バッジは、大洗発の公式品にも増えつつあるようです。上画像で「世界に8個しかナイ」と書かれるボコラレ熊のバッジなどは、2013年9月1日に大洗ホテルにて開催された「リアルエンカイウォー」の宴会芸4位向けの賞品として8個だけ生産されたものです。非常にレアなバッジですが、もっとレアな、たった1個しか無いバッジもあります。それは、バンダイビジュアルの杉山潔プロデューサーの大洗大使就任を記念して作られた「杉山P大洗大使バッジ」で、杉山氏本人のみが所持しているそうです。
 そんなレアなバッジがあるものだから、大洗発の公式バッジのコンプリートはまず不可能に近いわけですね。


 「ブロンズ」を夜7時過ぎに退出して宿に戻りました。缶バッジの話で色々盛り上がった後でしたので、私自身が今回貰った缶バッジは何個なんだろうと思い、机の上に並べてみました。いつの間にか、16種24個になっていました。
 前回の訪問時に、色んな缶バッジを貰って楽しかったので、今回は缶バッジ狙いで、各店舗や施設を計画的にリストアップしたうえで綿密なコース案を三つ作り、五十鈴華誕生日イベントの成り行き次第で臨機応変に見学順を変更できるように考えてあったのです。そのうえで、各店舗に挨拶して話をして、買い物もして、色々と交流を楽しんでいましたから、それに応じるかのように缶バッジも増えていったわけです。
 私はあまりお土産を買わないたちなので、大洗行きの一番の記念品というと、やはり缶バッジになるでしょうか。なので、これからも入手可能な缶バッジは、大洗巡礼を楽しみながら、大切な思い出の品として得ていこうと思いました。 (続く)

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カバさんチーム Ⅲ号突撃砲F型 完成です !!

2014年01月29日 | ガルパン模型制作記

 塗装が大体終わったので、デカール貼りと追加工作に取りかかりました。付属のデカールは、発見時、親善試合時、全国大会時の三シーンを再現出来ます。見ていて気が付いたのですが、カバさんチームの搭乗車は、車高が低いためか、車体にマークや番号などを描きこめるスペースが余り無いのですね・・・。


 私のキットは全国大会時の姿に仕上げていますので、使用するデカールは1番の大洗女子学園校章と、3番のカバさんマークでした。


 デカールを貼り終わった状態です。


 全国大会時の姿にすると、デカールは4枚だけですから、割合に楽でした。


 デカールがよく見えるのは、右側面のみです。左側面にはクリーニングロッドのA23を取り付けるので、大洗女子学園校章があまり見えなくなります。


 前部牽引ホールドのフックの追加に取りかかりました。適当なパーツが見つからないので、仕方なくキットのパーツB23をそのまま使用しました。B25の穴が小さくて入らないので、ピンバイスで少しずつ浚って穴を広げ、B23がなんとか差し込めるまでにしました。


 公式設定資料の図や劇中のシーンを見ると、内側に折れ曲がっている部分は小さいので、切り詰めて調整しました。


 続いて、クリーニングロッドのA23を取り付けました。キットの指示位置は劇中のよりも約8ミリほど前になっているため、公式設定資料の図を見ながら8ミリ後ろにずらして接着しました。キットの指示位置にそのままつけてしまうと、クリーニングロッドのブラシ部分がカバさんマークを隠してしまうのです。


 側面から見るとこんな感じです。カバさんマークは見えますが、大洗女子学園校章の方はクリーニングロッドにほとんど隠れてしまいます。こういう接着状態になりますから、あらかじめデカールを貼らないと、クリーニングロッドのA23が取り付けられないわけです。


 前部牽引ホールドのフックを塗装しました。細筆でチョイチョイと塗るだけで済みました。


 これで組み立てと塗装の全ての工程が完了しました。このキットではスミ入れをしないほうが仕上がりが綺麗にみえる気がしたので、スミ入れは省きました。車体色が暗いので、モールドを引き立たせてもあまり外見上の変化が無いし、劇中では常に綺麗な状態に保たれているので、車輪なども変にスミ入れで汚したりしないほうが良い、と判断しました。


 したがって、あとはつや消しクリアーを吹き付けるだけでした。全体に薄く吹きかける作業を三回繰り返しました。


 吹き付け後は、車体色に落ち着いた情感が加わりました。明るい色に塗り分けた車輪部分がより引き立って見えるので、車高の低さが余計に感じられました。


 以上で、カバさんチームの搭乗車が完成しました。製作日数は、1月5日から1月18日までの14日でした。つまり二週間で出来上がったわけで、プラッツのキットのなかでは作りやすく、手間もかからない方に属します。パーツの合いの悪さなどがありますが、仮組みして丁寧に調整すればなんとかなる程度ですので、難度もそんなに高くないです。プラッツのガルパン公式キットのなかでは、初心者クラスにもお薦め出来るレベルだろうと感じました。


 正面から見ました。車体色のジャーマングレーの沈んだような色感と、履帯の鈍く光る黒鉄色とが対照的です。ガルパン戦車は試合中以外は綺麗にメンテナンスされているようで、履帯も汚れが全くありません。戦車道のルールや心構えとして「戦車は常に清潔に」というのがあるのかもしれません。
 なので、私自身は、ガルパン仕様では履帯の汚しなどは不要と考えています。


 背面から見ました。今回のキットの制作においては、仮組みの段階でこの背面部分のディテールが破綻なく繋がるかどうかに注意しながら接着してゆくという工程が、思ったよりも重要でした。
 プラッツのキットでは、製作ガイドの指示通りにホイホイくっつけていくと、次の工程でパーツがずれたり段差が出来たりするケースが出てくるので、次の工程の分も仮組みしてチェックする作業が重要です。パーツの合いが悪い所もありますから、部品を削ったり穴を広げたりというような微調整も欠かせません。これらの出来具合如何によって、完成時の状態がかなり左右されるように感じました。


 全国大会出場時の姿は地味だとよく言われますが、むしろ戦闘用車両らしい渋さがあると思います。ドイツの方の話によれば、ジャーマングレーというのは欧州の風景の中で見ると割合に目立たない色で、日陰に居たらほとんど分からないそうです。Ⅲ号突撃砲のように建物の陰などで待ち伏せて迎撃する戦い方が多い車種には適した色だ、ということです。むしろダークイエローや連合軍のカーキの方がかえって目立つそうです。その理由は、欧州の人々が馴染んでいる樹木や植物の緑色と全く違うから、だそうです。日本人の感覚とは全く異なる、ヨーロッパ地域ならばでの色調や色彩感覚があるのでしょうね。


 このようなアングルから見ると、主砲の砲身の長さを約6ミリほど長くしてある点が大きな意味を持っていることが、あらためて実感出来ます。箱絵の完成見本図よりも明らかに長く感じられるので、実際のG型に近い劇中のF8型仕様の75mm StuK 40 L/48と、実際のF型の75mm StuK 40 L/43との違いがかなり目立つことが分かります。1/35スケールであっても、寸法をなるべく合わせれば、それなりの雰囲気というものが備わってきますね。

 軍艦模型を作っている時も似たようなケースがよくありました。例えば、駆逐艦秋月級の長10センチ主砲というのは、1/700スケールであっても寸法をきちんと再現すれば、実艦の雰囲気にぴたりと合うのです。アオシマの旧キットは甘くて変に短いものでしたが、ピットロードのパーツセットの長10センチ砲はピシリと決まっていて、これに換装すると艦全体のフォルムが全然違って見えるのでした。
 だから、最近の軍艦艦艇キットの精度の向上というのが、ナノパーツなどのヒットに象徴されるように、内容的には艦載砲や機銃などのパーツの精密化が多くを占めている、というのは当を得た指摘だと思います。

 これで、ガルパン戦車模型キットも三台が揃いましたが、まだまだ道のりは遠いです。ファインモールド、タミヤ、プラッツ、の順に作ってきましたが、このまま各メーカーのキットを一つずつ体験してゆくという流れであれば、続いてはアカデミーのキットをチョイスすることになりそうですね。

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サークルKサンクスのガールズ&パンツァーフェア第2弾 「ボルシチ」と「ティラミス」

2014年01月28日 | ガールズ&パンツァー
 きょう1月28日から、サークルKサンクスのガールズ&パンツァーフェア第2弾のキャラクターカード対象商品の第三弾が発売されましたね。「ボルシチ」と「ティラミス」です。


 で、今日の会社の帰りにサンクスへ立ち寄りまして、両方とも買ってまいりました。近所にサークルKおよびサンクスが計4軒あり、私がよくいく1軒目は、駅前のサンクスです。そのお店へ午後6時過ぎに行って「ボルシチ」が四個、「ティラミス」が三個ありました。「ポークカツバーガー」の時は売り切れが多かったけれど。


 「ティラミス」です。北イタリア生まれのチーズケーキの一種です。イタリア戦車を主力とするアンツィオ高校のアンチョビ安斎千代美がパッケージフィルムを飾っています。アンツィオ戦OVAが楽しみですね。
 「ティラミス」は、そのまま食べるよりは、パンやビスケットなどに載せて味わうのが良いそうです。明日の朝食のトーストにのせて食べましょうかね・・・。


 「ボルシチ」です。キャラクターフィルムは西住みほバージョンです。キャラクターシールはついていませんが、せっかくのボルシチなのですから、プラウダ高校のカチューシャやノンナを入れて欲しかったですね・・・。


 「ボルシチ」の容器には、一見して引換シールが貼られていないように見えがちですが、上画像のようにサイドに貼ってあります。キャラクターフィルムの端にはプラウダ高校のカチューシャも見えます。両方とも目立たない位置にあるのがちょっと残念ですね。


 購入時の「ボルシチ」は、やや固まったような状態で具が浮かんでいます。レンジで温めることを前提として加工された汁物なので、レンジでチンして始めて本来の状態になるわけです。
 なので、レンジで温めました。500Wで3分50秒、とありますが、4分ぐらいでもOKです。完全に沸騰して熱々のスープ状になりますが、汁が多めです。本格的にアレンジして美味しく食べるのであれば、鍋に移して野菜などの具を更に足しながらゆっくりと温めるのが良いと思います。クックパッドなどの記事が参考になるでしょう。


 「ボルシチ」を食べるのは初めてなので、色々ネットで調べていたら、こんな記事を見つけました。「ご飯にかけると美味しい意外なもの」としてボルシチが挙げられています。
 そこで私も御飯を炊いて、出来上がったものにレンジで温めた「ボルシチ」をそのままかけてみました。ハヤシライスのような感じで、食べてみると本当に美味しいものでした。汁が多いので、もう少し野菜とか肉とか入れてスパイスも効かせたらいい感じになるんじゃないかな、と思いました。肉は固めなので、取り出して薄くスライスしてフライパンで少し焼いてから食べました。
 夕食にもぴったりなので、フェア期間終了までに、二個ぐらいは買ってしまいそうですね・・・。
コメント (6)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その18 「大洗の蕎麦とシラス丼です!!」

2014年01月28日 | 大洗巡礼記

 五十鈴華誕生日イベントでの献花を終え、商店街に戻って蕎麦屋の「大進」に行きました。ここで昼食にしようと思ったからです。


 店先の園みどり子です。赤いリボンは良いのですが、頭のシカ角はどうしても奈良のあの馬鹿馬鹿しい坊主キャラを思い出させてしまいます。あの坊主キャラはまさに「校則違反」で「破廉恥」ですな・・・。風紀委員なんだから厳しく取り締まって下さいよ・・・。


 パネルの足元には、井澤詩織さんのサインもあります。最近にはガルパンと同じ水島努監督の「ウイッチクラフトワークス」にて「塔の魔女」のひとり倉石たんぽぽの声を演じております。私自身は、井澤さんって倉石たんぽぽにどこか似てるなー、と感じております。


 店内に入り、ざる蕎麦を注文しました。蕎麦が大好きな私としては、大洗で一日に一回は蕎麦を食べないと落ち着きません。このお店の蕎麦は今回初めていただきましたが、こちらも常陸秋蕎麦のさらりとした味わいにまとめられて美味しかったです。蕎麦の他に定食メニューも色々あるようなので、次の機会には刺身定食またはカツオ刺身定食を食べてみたいです。


 店内にはガルパン展示もありました。左上には、井澤さんが店を訪れた際の記念写真も貼ってありました。
 

 井澤さんのサイン色紙です。園みどり子の独特の雰囲気をよく描写しており、右上にはちゃんとカモさんチームのマークも描き入れてあります。このマークを見てると、模型キットの方でもカモさんチームのルノーB1bisを作りたい気になってきますね・・・。


 缶バッジの中には、園みどり子の横顔のデザインがありましたが、これは初めて見ました。お店の方の話では、ファンの方が作って寄贈してくれたものだということです。公式バッジのデザインの方は、風紀委員会チームの三人が揃った図でした。


 同人サークル「幻視工房」の製作したガルパンカッティングシートです。メタルステッカーもあり、イベントなどで限定的に販売されていたものと聞きました。大洗の各店舗でよく見かけるので、かなりの数がゆきわたっているようです。


 「大進」での食事を済ませた後、ふたたび「吉田屋」に行きました。ガルパンファンのほぼ全員が永町のイベント会場でケーキの抽選と試食に参加している頃なので、商店街は閑散としていて、「吉田屋」も今度は空いていて入れました。
 土産に「恋に恋するさおりんのスイート梅」と「常陸乃梅シロップ「Pure Sweet」」を買い、武部沙織の缶バッジもいただきました。その際にお店の方が「このバッジはもう無くなりましたので、これが最後ですよ」と言いました。
 それで、「武部沙織のデザインは、人気があるそうなので、これを欲しがるファンも多いと聞きます。無くなったら困る人も多いんじゃないですかね」と申し上げたところ、「まあそれはそうですよねえ、追加で作ってもらいたいのはこっちもそうなんだけどね、このバッジは曲がり松だけで作ってるし、あちらも忙しいのでね、いまのところは追加も難しいと思うんですよ、別に新しいのも計画してますしね」との御返事でした。

 この会話によって、大洗で配布される缶バッジには商工会だけでなく商店街単位で企画し製作しているものもある、ということを知りました。お話によれば、商店街単位で作ってるところは「曲がり松」と「大貫」の二エリアだそうです。そういえば、前回に大勘荘に泊まった際に若主人が「缶バッジにはここ大貫の商店街でやってるものもあるけど調達が追い付かない」という旨の話をしていました。
 ああそうか、それで前に立ち寄った「あいりす」の女店主さんが「大貫商店街の缶バッジはあんまり在庫が無いみたいですぐなくなっちゃう」と話していたのだなあ、と思い出しました。缶バッジを色々貰うのは楽しいですが、本気になって集めようとすると、色々大変なケースにも直面するようです。


 店の内外には、武部沙織の写真やイラストやグッズが数多く飾られています。お店の方が大ファンなのだそうです。それで主力商品の一つである「スイート梅」にも武部沙織バージョンを追加して、「恋に恋するさおりんのスイート梅」として売り出しているわけですね。これはまいわい市場でも扱っています。


 続いて、大洗町の役場へ行きました。朝に商工会館を訪ねて坂本事務局長さんに教えていただいた通り、教育委員会の担当者を訪ねたのです。事前に役場の観光課へ行ってパンフや資料を貰い、次いで役場の南に隣接する文化センターの図書室事務所に向かいました。

 実は、今回の大洗行きに際して、水戸の友人に頼まれた調べ事がありました。大洗磯前神社にかつて存在した神宮寺の仏像が存在しているという噂があるが確かな情報が無いので本当かどうか分からない、何か手がかりはないか、出来たら調べてくれないか、という内容でした。その依頼を電話にて聞いた時、私は「またその話か」と苦笑してしまいました。
「そのテーマは、とっくに諦めたんじゃなかったんかね・・・」
「諦めたけどな、あのときは諦めたけどさ、それは俺の取り組みでのことだ。俺は仏像に興味はあるけど星野みたいに専門家じゃないから方法も探し方もさっぱり分からん。本で調べて大洗町史で追っかけても分からなかったらお手上げじゃないかよ。でも星野なら、別のやり方で何か探し出してくれるかもしれん、と思うのよ。だから、君が大洗に行ってる今が、またとないチャンスだと思うんで、ひとつ頼まれてくれないか」

 水戸の友人は、かつて京都造形芸術大学に通っていた時期に、研究テーマとして水戸藩領における神仏習合の様相なるものを勉強していました。それでよく同期生の私に、奈良や京都の神仏混交の遺跡や現存文化財について質問し、私が応じてその社寺を色々案内して回るという日々がありました。
 その途上にて、大洗磯前神社の神宮寺の件が出て、その神宮寺が水戸藩の宗教政策によって強制移転させられたこと、及びその廃絶の情報が全く無いこと、神宮寺そのものが大洗磯前神社の創祀後まもなくの九世紀代に発する可能性が高いこと、などを友人は突き止め、その神宮寺の仏像がどこかに現存しているのではないか、という仮説を持つに至りました。その仮説を研究論文の主軸にしようとまで張り切ったのでしたが、結局は仏像の存在を確認出来なかったため、指導教官にテーマ内容の変更をすすめられて、水戸藩領における神仏習合の様相を社寺の変転によって述べてゆく、という形に変更した経緯がありました。
 その直後に、奈良新大宮の居酒屋「村さ来」で、私ともう一人の同期生とを相手に「本当に仏像が残ってたらなあ」と愚痴り、「残念だ」を連発して飲みまくっていたのでした。それに同情して、しきりに励ましていたもう一人の同期生というのが、いまの水戸の友人の奥さんなのです。水戸の友人夫婦とはそういう付き合いなので、今回の頼まれ事に関しては、奥さんからもお願いされていました。蕎麦を食べるならば「武山」をお勧めします、というような話題は、ほんのさわりでしかなかったのです。

「なあ、大洗明神の神宮寺を、水戸藩が強制移転させなかったとしたら、今頃は立派に残っていたんだろうなあ・・・」
「いや、それはどうやろうねえ、明治期の神仏分離の時に処分されてしまう可能性が高い」
「そうだな、しかし、その分離の嵐をも乗り越えたとしたら、仏像は残る可能性があるわけだろ?」
「まあ・・、ゼロとは言えないなあ・・・」
「もし残ったとしたらの話だが、もし残ったとしたら、大洗明神は斉衡三年(856)創建なわけだから神宮寺も九世紀代に遡る可能性があるわけだから、その仏像も九世紀代になるわけで、いまの茨城県じゃ最古クラスということになるよな?」
 それが、水戸の友人が大洗磯前神社の神宮寺の仏像にこだわった理由なのでした。奈良や京都にはたくさんある八、九世紀代の古代仏像彫刻が、地元の茨城県にも有って欲しい、という切実な希望が、彼にはあったのです。

 私の知る限り、茨城県における最古の仏像遺品は、七世紀代の小金銅仏があり、乾漆像では結城郡八千代町佛性寺の九世紀頃の如来形坐像があります。木彫では、桜川市楽法寺の観音菩薩立像が九世紀代に比定されて最古と推定されています。これに比肩し得るのが大洗磯前神社の神宮寺の仏像ではないか、というのが友人のこだわりであるのですが、実在すら確認出来ていませんから、現時点でははかない妄想にしか過ぎないわけです。

 でも、せっかく大洗にやって来ているのですから、妄想の類と片づけてしまわずに、私なりに試しに調べてみる価値はあると考えたのです。それで文化センターの図書室事務所に教育委員会の文化財担当係員の方を訪問し、色々と質問して教えていただきました。
 その結果、大洗町教育委員会では仏像関連の分布調査すら未実施であること、大洗磯前神社の文化財に関しては県当局の調査成果にほぼ沿った形で建築のみへのリサーチに終始していること、江戸期の水戸藩の宗教政策および明治期の神仏分離に関する認識は大洗町史に述べられる内容にとどまること、などが分かりました。
 要するに、現時点では大洗町教育委員会においても地元の美術工芸関連文化財をほとんど把握していない、ということです。なので、大洗磯前神社の神宮寺が移転させられたという「大里」という地名についても手がかりが全くありませんでした。そのような地名は大洗にはありません、という返事でした。
 結局、有力な手掛かりは得られずじまいでした。やっぱり仏像は歴史の彼方に消滅してしまったのかなあ、と思いつつ、携帯電話を取り出して水戸の友人に報告しました。経緯を話すと、案の定、ガッカリした様子でした。

「そうか、やっぱり手がかりは無かったか」
「申し訳ないです・・・。私も未熟だから・・・」
「いや星野が謝ることはない、頼んだ俺が悪かったんだ、18日は御馳走を準備しておくから早めに来てくれよ」
「じゃあ、そうしますよ・・・、18日はどうも天気予報じゃアカンような事を言うてるし・・・」
「らしいな、大洗の薬師菩薩の効験も、時には薄れるのかね」
「ちょっと待って、なんやねん、その大洗の薬師菩薩ってのは・・・」
「あれ、星野は知らなかったのか、大洗磯前神社は、創建の頃はもろに仏教色が濃くて薬師菩薩を名乗ってたんだよ」
「何だって・・・ !! 」
 その瞬間でした。私の脳裏に、何かが確かな記憶への道を照らし示すようにピカッと光ったのでした。教育委員会の担当係員が「大洗にはそういう地名はございませんねえ」と答えていた「大里」の名が、急に大きく浮かび上がりました。
 大里・・・、薬師菩薩・・・・、そうか、そういうことか・・・、と薄れてしまった頼りない記憶を必死でたぐりながら、私は建物の隙間に見え隠れする鹿島灘の海原を凝視しました。

 水戸藩が奨励した稲荷信仰の、その思想的中核の一つがインド伝来の鬼女神荼枳尼天であり、それが古来神道との習合によって狐を介して稲荷神と結びついた経緯はよく知られますが、医術神としての側面を持ったためか、薬師信仰との接点もあったようで、薬師稲荷神社や稲荷薬師神、といった信仰形態が派生しています。
 そうした傾向を考えますと、水戸藩の一種の宗教弾圧のなかで、なぜ大洗磯前神社の神宮寺が処分されずに移転という形になったかが見えてきます。大洗磯前神社が古代に薬師菩薩と呼ばれたのであれば、その神宮寺の本地仏像は薬師であった可能性が高くなります。稲荷信仰とも密接な関連があったらしい薬師であれば、水戸藩がこれを強制移転させたとしても、廃絶までには追い込まなかった事情が察せられてきます。明治の神仏分離期の動向さえ分かれば、その神宮寺の行く末を突き止められるかもしれないのです。
 さらに、「大里」と「薬師菩薩」という二つのキーワードの並びを、私は以前にどこかで読んだか、見聞きした記憶があります。それを、どうしてもはっきりと思い出せなかったので、続きは帰宅してから資料類を調べて進めよう、と決めました。


 久しぶりの歴史の謎の追求調査にちょっと疲労を覚えたので、気晴らしに大洗漁港の方へ出かけてみました。漁港エリアはまだ回ったことが無く、地元では有名なグルメスポットも多いと聞いていたからです。


 疲労感とともに、ちょっと空腹を感じたので、軽食程度に何か食べてみることにしました。大洗漁港へ通じる街路に面した「大洗海鮮市場」に多くのお客さんが集まっていたので、つられて立ち寄ってみました。


 「大洗海鮮市場」には、上画像のように浜焼きサービスもあって、新鮮な魚介類の焼き立てが食べられます。イイダコ焼いてもらって、カニ汁飲んだら美味しそうだなあ、などと考えていたら、店の人に「ここではシラスもあるよ、いきのいいシラスの丼はどうだかね」と勧められました。あっ、シラス丼いいですね、と応じたら、「隣へどうぞ」と言われました。


 隣と言われましたが、食事スペースは「大洗海鮮市場」の建物内に「海鮮どんぶり亭」の名で運営されていました。早速入ってみました。


 大洗に来たら、一度はシラス丼を食べてみたいと考えていましたから、迷わずシラス丼を注文しました。数分もたたないうちに膳が運ばれてきて、さすがは海鮮市場直営だなと感心しました。


 おお、新鮮なシラスが御飯の上に山盛りですよ・・・。半熟卵もトッピングされていて、割って混ぜるとシラスの味がさらに引き立って参りました。酢醤油を少し振りかけて、マグロを乗せて食べました。カニ汁もついていましたが、これを最後の段階で御飯にかけて食べるのが通のシメ方だ、と教えていただきましたので、その通りにしました。ものすごく美味しかったです。


 この日の宿は、一泊朝食付きのプランにて予約していましたから、シラス丼を食べたことでいちおう夕食は早めに完了した形でした。あとお茶とおやつも欲しいな、と思って「大洗海鮮市場」の隣のファミリーマートで買い物をしました。
 その後、向かいのガソリンスタンドをふと見て、巨大なガルパン看板があるのに気付きました。


 近づいてみると、これまでに見たこともない大きさでした。持参した資料にこのガソリンスタンドの情報が無かったので、事務所の方に挨拶して教えていただきました。なんでもオーナーの方がガルパンの大ファンでいらっしゃるそうで、こちらの看板は大洗町内では最大のガルパン看板である、ということでした。
 ガソリンスタンドの正式名称は、丸紅エネルギー大洗サービスステーション、といいます。


 この看板では、あんこうチームの五人の並びがちょっと変わっていますね。たいていは、西住みほの左右に五十鈴華と武部沙織が居るのですが、この二人が西住みほの右側に並んでいるので、いつもは端にいる冷泉麻子が、西住みほの左に立っています。こういうバージョンもあるわけですね。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その17 「五十鈴華さん誕生日イベントです!!」

2014年01月27日 | 大洗巡礼記

 五十鈴華誕生日イベントは、永町商店街の駐車場を借り切って会場とし、11時30分から受付を開始しました。会場に着いたのは11時20分でしたが、既に200人ほどが長い行列を作っており、この日のイベントのスタンプラリーカードの配布を待っていました。私も臨時駐輪場に自転車を停め、列の最後尾に並びましたが、数分とたたないうちに私の後ろにも100人近い人々が並びました。平日だというのに全国各地から集まってくるガルパンファンの、とても熱心な有様です。


 並んで待っていると、整理券が配られました。私の番号は263でしたので、私で263人目だと分かりました。スタンプラリーカードの配布は先着300名、ということでしたが、300人以上が集まっていて、後から後から続いてくるようなので、追加での配布も決まったようでした。「肴屋本店」の大里さんが進行役を務め、イベントの案内とスタンプラリーカードの配布追加を知らせていました。


 しばらく待ったのち、スタンプラリーカードの配布が始まりました。上画像のように、スタンプラリーのマップとスタンプラリーカードを貰いました。スタンプラリーは、永町商店街の22店舗のうちの5店舗のスタンプを押してもらう、というもので、買い物とか食事とかの条件はありませんでした。店に挨拶して声をかけるだけで、スタンプを押してもらえる、ということでした。
 ただし、各店舗のスタンプのなかには、以前のスタンプラリーにて使用された、五十鈴華のスタンプがあるということで、何人かのファンはそれを目当てにしていたようです。私自身は、こうしたガルパンイベントに参加すること自体が初めてでしたから、こういうものなのかと見て聞いて、ただ感心していました。


 参加者がめいめいに各店舗へ向かって行きました。私は特に目当てが無かったので、付近の店を適当に選んで、挨拶し、スタンプを押してもらいました。


 5ヶ所目は、なんとなくオレンジペコの居る「ヴィンテージクラブむらい」に行きました。とにかくスタンプラリーカードはスタンプで埋まりました。


 とりあえず会場へ戻ってみると、スタンプラリーカードの配布はいちおう終わったという雰囲気でした。カード回収の受付は13時からなので、それまでとこかで少し食べて、幾つかの店を回って見学しておこうと考えました。会場の臨時駐輪場から自転車を引っ張り出して移動に移ることにしました。


 移動前に、ちょっと会場のテント内をのぞいてみました。五十鈴華へのプレゼントや花束やグッズなどが飾られていました。五十鈴華はアニメのキャラクターであってリアルでは存在しませんから、これらの品物は誰が受け取って、最終的にはどうなるんだろうか、どこへ行き着くんだろうか、と疑問に思ってしまいました。


 会場には、五十鈴華デザインの痛車もありました。版権料もラッピング料金もかなりかかっているはずですね。でもドアミラーにはガルパンとは別のアニメキャラクターが貼ってありました。あまり見た事のないキャラクターでした。
 私は自分の車にはラッピングは施したことがありませんが、20代の頃は車のリアウインドーにプラモデルのウォーターラインシリーズのエンブレムマークと旧帝国海軍の旭日旗と旧舞鶴鎮守府の旗印をつけていました。そのせいか、後続の車が常に大きく車間距離をとっていたのを思い出します。


 とりあえず「鳥孝」さんに立ち寄って磯辺典子を見て、コロッケと唐揚げのおやつを買いました。店の方は「ああ、先月の有賀祭りの時にいらっしゃったですよね」と私を覚えていてくれました。そして「新しいバッジが出来ましたよー」と磯辺キャプテンのバッジを示しました。これは500円以上買い物をすれば貰えるもので、ちょうど私の買ったコロッケと唐揚げの合計が500円でしたので、バッジも貰いました。
 この磯辺キャプテンのバッジのように、特定の店でしか入手出来ないバッジもあり、今後はその数が増えてゆくだろうということです。商店街巡りの楽しみがまた一つ加わったように思います。磯辺典子の背後のウインドーにも数種類のバッジが貼り並べてありましたが、幾つかのお店でも似たような感じになってきています。
 店の方が「最初はファンの皆さんが寄贈して下さるのを並べてたんだけどね、売り切れたらもう手に入らないのが増えていくんで、ちょっと私たちもなんか集めないといけないかな、って感じでどこも集め出してるよ」と笑っていました。


 キャプテンのパネルにあるサインは、その声を演じた菊池美香さんのものだそうです。「根性!!」のフレーズがいい味を出しています。


 それから漬物製造販売業の「吉田屋」に行きました。ガルパングッズの人気アイテムの「恋に恋するさおりんのスイート梅」や「常陸乃梅シロップ「Pure Sweet」」などを製造販売していることで知られます。今回はその二つともお土産に買おうと考えていたので、とりあえず下見に入ってみようと考えました。ところが、既に店内は数人のガルパンファンで一杯になっていたので、イベント終了後に再び立ち寄ることにしました。


 続いて醸造元の「月の井」に行きました。蝶野亜美が居ますが、店内に入るのは初めてでした。挨拶して、いろいろと話を伺いました。建物も古く立派なもので、幕末から明治期にかけての構えをそのまま保っているそうです。


 奥には土蔵風の醸造工場もあります。この日は一般公開されていなかったので、生産工程の見学は出来ませんでした。


 このお店の人気商品である「酒粕アイス」も買いました。店内のベンチで一休みさせていただき、アイスも食べました。まったりとしていてさっぱりとした独特の味で、意外に酒くささが全く無くて美味しかったです。


 それから「さかなや隠居」の店先にある老松を見学しました。現地の曲松商店街の「曲松」の名前の由来となった「曲がり松」がこれなのですが、いつも自転車で通り過ぎるだけだったので、今回は立ち止まってゆっくりと幹の張り出しを見上げました。


 この松の木の由緒は、上画像の案内板のとおりです。江戸期に制札場があったことからも、商店街のメインルートが近世からの街道筋であったことがうかがえます。かつては似たような松が他にもあったといいますから、江戸初期には街道の松並木が整備され維持されてきたものと思われます。一里塚もどこかにあったのかな、と思いました。


 それから洋品店の「みとや」に行きました。ガルパン校章や大洗女子学園ソックスなどを販売していることで知られます。


 最近には、大洗女子学園の校章を衣類や帽子などにアイロンプリントするサービスも始めていて、今回はこれを利用して私なりのガルパンファッションを作ってもらおうと考えました。
 店内に入って店の方に挨拶し、帽子を一つ買って、これに大洗女子学園の校章をプリントして下さいと依頼しました。時間がかかるとの話だったので、料金だけ先に支払って「夕方取りに来ます」と言いました。宿泊滞在中でないとなかなかこういう買い物は出来ませんね。
 このとき作ってもらった私だけのガルパンオリジナルキャップ、今も外出時にはたいてい被っております。でも、奈良や京都や大阪ではガルパンそのものの知名度が低いようですから、「どこのチームの帽子なの」などと聞かれることが何度かありました。どうも大リーガーのキャップか何かに見えるらしいです。ただ、デザインがなんかカッコイイ、とは言われました。


 そろそろ13時が近づいてきたので、永町駐車場のイベント会場へ引き返しました。途中で「肴屋本店」の前を通った際に、向かいの駐車場脇のパネルが一つ増えているのに気付きました。あんこうチームの横に、劇中でも登場した「肴屋本店」店主が追加されているのでした。
 そのモデルは、当然ながら「肴屋本店」店主の大里明さんなのですが、御本人はもっとお若い方なので、パネルの方が年配っぽく見えてしまいます。


 会場に戻ってテント内の花束やグッズ類を見ましたが、若干追加されているようでした。会場には、五十鈴家の奉公人の新三郎に扮したファンの方も居られました。なんでも山形県からわざわざ来られたそうで、その後のイベントにてリヤカーに五十鈴華のパネルを乗せて登場し、劇中で人力車で五十鈴華たちを乗せていたシーンを再現して下さいました。会場は大いに盛り上がりまして、多くのファンが拍手を送っていました。
 その後、五十鈴華パネルに向かって「お嬢!!」と絶叫するなど、劇中の新三郎になりきって笑いを誘っていました。ほんまに、よくやりますなあ・・・。


 誕生日記念の寄せ書きの色紙類です。これはイベント受付時の行列内でも手渡しで回覧されてめいめいに書き込んでいました。私にも回ってきたので、成り行きで書き込みました。これらの色紙類は、五十鈴華の声を演じた尾崎真実さんに贈られるとのことでした。それを聞いて、ああそうか、リアル五十鈴華とは声優さんのことか、と納得しました。


 テントの支柱に貼られていたイベントの内容案内です。13時からスタンプラリーカードを受け付けに見せて「回収」し、その際に缶バッジと花と番号カードをもらい、14時より誕生日ケーキの披露と抽選試食が行われる、という順でした。
 私自身は、他に用事も沢山あったので、イベントはとりあえず13時の「回収」までとし、14時からのケーキの披露と抽選試食はパスすることにしました。


 13時前から、再び行列を作って「回収」受付開始を待ちました。前の方に、帽子一杯に缶バッジをつけている方が居て、けっこう目立っておりました。また、カバンにびっしりと缶バッジを付けている方も見かけました。缶バッジをコレクションしているガルパンファンが少なくないことを知りました。
 でも、これまで出されている50種類以上の缶バッジの全部をコンプリートされた方、というのは稀であるそうです。だいたいは地元商店街の各店の方であることが多いと聞きました。そういえば「いそや」や「丸五水産」辺りが結構集めておられますね。


 カードを「回収」して、その際に缶バッジと花と番号カードをもらい、会場の一角に設置された献花台に順番に生けてゆきました。パネルは、五十鈴華を中心にして左右に五十鈴百合と新三郎、その両側にあんこうチームの四人が並びました。このうちのあんこうチーム五人は、朝に商工会館の玄関口にて見たあれでした。


 献花後に私はイベント会場を離脱したため、14時からのケーキは見ていません。ですが、夕方に再び永町商店街を走った際に、一度会場に立ち寄りまして、上画像のパネル群と花束およびプレゼント類のディスプレーを見ました。脇にはお米の袋まで置いてありましたが、これは五十鈴華の大食い振りをシンボライズしたギャグなのだろうな、と思いました。
 とにかく、こういう内容でガルパンキャラの誕生日イベントが実施されたわけです。その過半を体験出来たのは、よい思い出になりました。


 近くのみつだんご屋「たかはし」の店先にも五十鈴華が居ます。こちらが公式の設置パネルで、春からずっと立てられているわりには余り汚れも目立ちません。お店の方が大切に取り扱っておられることが分かります。


 しかもこちらのパネルには、五十鈴華の声を演じた尾崎真実さんのサインも入っています。ものすごく貴重なパネルですし、お店の看板娘ですから動かすわけにもいかないのでしょう。それで、商工会館にて準備されたもう一人の五十鈴華がイベント会場に出向いたのでしようか。 (続く)

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あんこうチームが表紙に登場  まっぷる茨城 水戸・つくば14-15

2014年01月26日 | ガールズ&パンツァー

 昨日、会社の帰りに堂島アバンサの淳久堂書店本店へ立ち寄りました。ガルパン関連本はもちろん、どんな本でも買えるので、時々利用しています。梅田エリアでは北にもMARUZEN&ジュンク堂があって、規模的にはそちらの方が大きいですが、大阪駅からちょっと遠いのです。堂島なら、大阪駅桜橋口から地下街でほぼ一直線で歩いていけるので楽です。


 で、今回買ったのはコレです。有名な都道府県別の観光ガイドブック「まっぷる」の茨城県版の最新号、「茨城 水戸・つくば14-15」です。ガルパンのあんこうチームが表紙を飾っているほか、ガルパン聖地巡礼ツアーの特集記事が6ページにわたって掲載されています。


 来る2月13日には、もう一つの都道府県別の観光ガイドブック「るるぶ」の茨城県版の最新号、「茨城 大洗 水戸 笠間14-15」も発売されますが、紹介エリアに大洗が含まれますので、そちらでもガルパン関連の特集記事が織り込まれるのかもしれませんね。
 「まっぷる」の「茨城 水戸・つくば14-15」の案内情報はこちら。「るるぶ」の「茨城 大洗 水戸 笠間14-15」の案内情報はこちら

 こういった一般向けの有名な観光ガイドブックに、特定のアニメが大きく取り上げられて、表紙まで飾るというのは、実はガルパンが初めてだそうです。これまでの大洗への観光経済効果の大きさ、アニメ人気のほどを考えれば当然の結果かもしれませんが、前人未踏の領域にガルパン人気がじわじわと広がりつつある状況が実感出来ます。

 私はもともと旅行が好きで、一人でブラブラ気ままに歴史探訪するというスタイルなので、この種の本やガイドブックを読む機会は多いです。ガルパンファンとして大洗への旅を楽しんでいますが、茨城県のガイドブックをまだ読んだことが無かったので、この機会に買ってみました。
 既にガルパン巡礼も三回となり、今後も定期的に行くだろうなと思います。暖かくなったら、また三泊四日とかの長期滞在を試みて大洗の周辺にも足を延ばしてみたいと考えていますので、いずれはこうしたガイドブックが必要になります。水戸市の友人が「今度は石岡や笠間へ行こうぜ、案内するよ」と言ってきているので、常陸国の古代や中世の息吹に触れてみる機会もありそうです。
 春が待ち遠しいですね・・・。

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カバさんチーム Ⅲ号突撃砲F型 作ります !!  その8

2014年01月26日 | ガルパン模型制作記

 本塗装に入りました。公式設定資料の図より、車体色はジャーマングレーであると判断しましたので、Mrカラーの40番のジャーマングレーを使用して吹き付けました。
 大洗の各所で見かけるⅢ号突撃砲F型の完成品は、ほとんど親善試合時の派手な色彩にて仕上げられ、旗もつけられています。それらに比べて全国大会出場時の姿は地味なので、あんまり人気がないのでしょうか。でも、Ⅲ号突撃砲F型は実際のドイツ軍の車輌でもジャーマングレーの車体色が多かったそうですし、私にとってはこの色のほうがしっくりきます。


 車輪類を塗装しました。起動輪と誘導輪はMrカラーの「ガルパンカラーセットあんこうチームVer」の「大洗グレーⅡ」で塗りました。転輪は大小ともまずMrカラーの137番のタイヤブラックを吹きました。履帯は28番の黒鉄色を使用しました。


 続いて、上下転輪のキャップ部分を「大洗グレーⅡ」で塗り直しました。タイヤ部分は実際にはもっと薄いのですが、モールドが全く無いので塗り分けるのが難しく、下手に塗り分けて失敗するよりはパーツの段差にて分けることにし、結果的にタイヤ部分が大きめになりました。


 OVM類の塗装を進めました。木製部分は43番のウッドブラウン、金属部分は28番の黒鉄色を使用しました。ガルパン公式設定資料の色彩に従いましたが、プラッツのキットの指示する色も同じです。
 ただ、アニメ画像の色調では、一般的にメタリック系の色が明るめになる傾向があるので、ガルパン公式設定資料の図だと黒鉄色は銀色っぽく見えます。車体色のジャーマングレーの暗さのせいで余計に浮き上がって見えますが、同じドイツ戦車であるⅣ号戦車D型のOVM類と同じ色であることは当然なので、アニメ画像の色調に惑わされることなく、28番の黒鉄色をそのまま使えば良いです。


 塗ってみると、車体とOVM類が一見して同じような色に見えてしまいますが、つや消しクリアーを吹き付ければ、違いがきちんと出てきます。黒鉄色の部分はちゃんと鈍い輝きをともなってきます。


 OVM類の塗装が完了しました。まだ接着していない、クリーニングロッドのA23も塗装しておきました。


 次は上下転輪の取り付けでした。ゲートから切り離して、その跡を再び137番のタイヤブラックで塗りました。


 車輪類を車体に取り付けました。ここでもプラッツのキット特有のパーツの合いの悪さに悩まされました。上部転輪はストレートに付けられましたが、下部転輪の方は軸の大きさと転輪の穴が合わないので、普通にはめこむことが出来ませんでした。
 アーマーモデリング2013年4月号の記事では、軸部の方を調整するように奨めていますが、削り方などがいまひとつ分からないため、ここでは転輪の穴をピンバイス等で拡げるという方法を採りました。少しずつ浚っては、軸部にはまるかチェックし、はまらなければまた少し浚ってゆく、という手順で進めました。


 取り付け時にも、下部転輪の全てがぴったりと並ぶ形にはならないので、調整が必要でした。起動輪と誘導輪に合わせて最前列と最後列の転輪をセットし、それらの軸線が真っ直ぐになるように残りの転輪を順番につけていきました。接着剤が乾くまでに定規を当てて微調整し、変に歪んだりしないように注意しました。


 最後に、履帯をはめました。とりあえず、キットに付属しているベルト式履帯を使用しました。厳密には、この履帯もガルパン仕様とは違います。劇中ではシェブロン(滑り止め)がついていないのですが、プラッツのキットの履帯にはついています。劇中の履帯は、Ⅲ号突撃砲の前期タイプに属するB型やC型のそれなので、厳密には履帯も交換しないといけないわけです。


 もし履帯を劇中のタイプにて再現するのであれば、タミヤのⅢ号突撃砲B型の履帯と交換するといった方法が考えられます。それで、今後タミヤのⅢ号突撃砲B型のキットを買う機会があるならば、その時に履帯を取り換えることになるかもしれません。
 なので、今回の制作においては、履帯は仮装着ということにして、いつでも交換可能なように接着はしないでおきました。誘導輪も接着していませんので、誘導輪ごと履帯を外せるようになっています。


 ローアングルで斜め前から見ました。特有の低い車高が独特の雰囲気を示しています。ジャーマングレーの車体色もドイツ車輌らしい色調を感じさせます。


 背面です。制作時に懸念されたリアパネルと誘導輪軸部との合わせは、ほぼ問題なくクリア出来ました。ゲートからの切り出しに苦労したルーパーのパーツA7も、完成してみるとほとんど目立ちませんでした。あの苦労は何だったんだ、と思ってしまいました。


 斜め後ろから見ました。ガルパン仕様への改造工作のヤマ場であった後部エンジンフード上の出来映えもまずまずでした。改造といっても、ひたすらモールドを削っただけで、あとは部品の取り付け位置を変えるだけで済みましたから、思ったよりも難しくはなかったというのが、正直な感想です。


 とりあえず塗装が完了したのですが、ここで前部牽引ホールドのフックをまだ追加していなかったことを思い出しました。それで、デカールの貼り付けの次に続けてフック追加の工程を入れることにしました。 (続く)

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カバさんチーム Ⅲ号突撃砲F型 作ります !!  その7

2014年01月25日 | ガルパン模型制作記

 ステップ16、17です。ステップ16では、車体右側のフェンダーを組み立て、次のステップ17にてOVMを取り付けます。これらの段階では、ガルパン仕様への変更点および追加工作が二ヶ所、注意箇所が一ヶ所あります。また、OVMのうちのハンマーI6は不要です。


 公式設定資料の図にて再確認してみましょう。ここでは変更点が一ヶ所、注意箇所が一ヶ所あります。変更点は白の円内に示した予備転輪固定用フックのB10で、キットでの指示では先端を前に向けますが、ガルパン仕様では右側に向けます。
 注意箇所は、黄色の円内に示した左右フェンダー尾部の穴です。アーマーモデリング2013年4月号の記事では、両方ともプラ板で塞ぐように述べていますが、ガルパン仕様では開いたままなので、そのままでOKです。


 さらに追加工作が一ヶ所あります。上の側面図および直上図にて黄色の枠内に示した、道具箱のパーツA26、A27、B19です。キットのパーツでは脚部のB19が長いのですが、ガルパン仕様では半分以下の寸法になっていますので、切り詰める必要があります。また取り付け位置もやや後ろにずれています。最初はそのことに気付かずに、キットの指示位置にそのままくっつけてしまい、後に気付いて接着し直しました。ガルパン仕様では、フェンダーステーのB3にほぼ接する位置になります。


 ステップ18では、車体右側のアンテナホルダーおよび後部パネルの牽引ホルダーなどを組み立てます。ですが、アンテナホルダーの組み付けが大変なので、ステップ16で組み立てたフェンダーを車体に取り付けた後、アンテナホルダーの方を先に組み立てて、その後にOVMを取り付けることにしました。

 ところで、カエサルが何か言ってますが、セリフの部分は省いています。実際には「おめでとう、完成だ。旗を取り付ける場合は・・・・」とのセリフなのですが、私の制作では全国試合出場時の姿にするので、旗は不要となりました。だからカエサルのセリフも不要でしたし、工程そのものはまだ完了していないのです・・・。


 車体右側のフェンダーを取り付け、アンテナホルダーを組み立て終わった状態です。組み立て説明書の指示では、一番前の支柱パーツがMB4、MB5となっていますがこれは間違いで、正しくはMB2、MB3を取り付けます。
 ここでの、エッチングパーツを各所の接着位置に合わせて折り曲げる作業は、本当に大変でした。このキットで最も骨の折れる工程だったと思います。


 OVMを取り付け終わった状態です。この時点ではまだ道具箱のパーツをキットの指示位置にそのままくっつけてしまっていたので、上写真でもガルパン仕様より前に位置しています。位置を修正したのは、サーフェイサーを吹きつける前でした。


 予備転輪固定用フックのB10は、ちゃんと右側に向けました。反対側の左側のB10は前に向けてOKなので、この右側のB10だけをドイツ軍仕様とも異なる右に向けるわけです。なんでこのような目立たない細かいところを、ガルパン仕様ではわざわざ変更してあるのでしょうか。ちゃんと元ネタが存在するのでしょうか・・・。


 ステップ18までの工程が一通り完了しました。このキットではOVM類のパーツがそのまま使えるので、その点はタミヤのⅣ号戦車D型よりは楽でした。Ⅳ号戦車D型ではOVM類の取り付け位置もほとんど異なっていたので苦労しましたが、こちらのⅢ号突撃砲F型のキットでは、取り付け位置が違うのは道具箱のA26、A27、B19と、クリーニングロッドの変更パーツA23の二つだけなので、かなり楽です。


 続いて、ステップ14で取り付けないままにしていた主砲を接着しました。前述のように普通に取り付けると、可動部がガタガタ揺れるうえに砲身がだらしなく下がってしまうので、上下方向の可動部は完全に固定することにしました。
 そこで、約5度ほど上向きに調整しておいた基部へ、接着剤を流し込んで固定して取り付けました。タイラーを支持材代わりにかませて一日置いておきました。なので、私のキットでは主砲は上下方向に動きません。左右への指向のみが出来るだけです。


 主砲がつくと、俄然それらしい姿と雰囲気が備わってきますね。前述のように、砲身をキットの指示位置より約6ミリ伸ばしてくっつけていますので、箱絵の完成見本写真よりも主砲が明らかに長く見えました。長砲身というのはカッコイイですね。
 翌日、支持材を外して、主砲のガタツキがないことを確認したのち、道具箱のA26、A27、B19の取り付け位置を修正し、その後にサーフェイサーを吹きつけて塗装の下地を整えました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その16 「ガルパンTシャツとバンダナです!!」

2014年01月24日 | 大洗巡礼記

 西行院を後にして、大貫商店街のほぼ中央を折り返し、39番の海産物店「カネハチ海藻」に行きました。


 店内に入って挨拶し、土産にわかめセットを買い、それから店先のパネルを撮りました。アリクイさんチームの三式中戦車チヌで、発見時の姿でした。


 続いて38番の民宿「江戸栄」に行きましたが、お留守のようでした。


 ですが、パネルは外からよく見える窓のところにセットしてありました。有難い御配慮に感謝しつつ撮影しました。サンダース大付属高校チームのM4シャーマンで、75ミリ砲搭載のタイプでした。隊長のケイの搭乗車です。


 道を進むうちに、右方向にマリンタワーが見えてきました。大貫地区のかなりの範囲からも見えるのだということが分かりました。


 37番の民宿「セイラーズ」に行きました。海辺の宿といった雰囲気の、真っ白な外観が特徴です。


 玄関口に、カモさんチームのルノーB1bisが全国大会出場時の姿で置いてありました。


 玄関にて声を掛けると、女将さんが出て来たので挨拶しました。この秋に奈良県の高校の部活動チームの合宿があったという話を聞かされ、盛り上がってしまいました。お茶とミカンをすすめられ、有難く頂戴しました。お礼にと、販売していた缶バッジを三個ほど買いました。かなりの種類と数があり、驚いたことに「ガールズ&パンツァー」応援宿泊プラン実施施設の特典のバッジも売っていました。聞けば、大貫地区の旅館や民宿では宿泊特典のバッジを販売する場合も多いのだそうです。
 休憩スペースには、井澤詩織さんのサイン入りのポストカードも飾ってありました。「井澤さんって綺麗な方だったよお」と女将さんもべた褒めでした。この声優さんは、とにかく人気がありますね。


 次いで36番の民宿「ニューさかえや」に行きましたが、こちらもお留守のようでした。


 ですが、パネルは外からよく見える窓のところにセットしてありました。プラウダ高校チームのIS2で、降雪地域以外でのグリーン塗装の姿です。前年の全国大会で、黒森峰女学園との決勝戦にのぞんだプラウダ高校の戦車部隊が、この姿でした。


 続いて35番の民宿「浜野屋」に行きました。今回の三泊四日の旅において、三日目に泊まる予定の宿でしたので、挨拶してゆこうと思いましたが、こちらもお留守のようでした。どうもこのあたりの民宿は、午前中は留守の所が多いようです。


 玄関口の横には、黒森峰女学園チームのパンターD型が吊るされていました。今までにも何度か述べているように、私がドイツ戦車の中で最も好きな戦車です。いつか模型キットも作ってみたいのですが、現時点では大洗女子学園チームの各車輌を作るのに精一杯です。


 大貫商店街のメインルートに戻り、北へ進みました。


 26番の宿泊施設「舞凛館」です。「まりんかん」と読みます。ここもお留守のようで、メインルート側にある玄関口の付近に戦車パネルが見当たりませんでした。


 それで奥の建物を見て行くと、その室内にパネルが見えました。扉口の内側にあるので、留守でなければ外に出してあるのかもしれません。


 サンダース大付属高校チームのM4シャーマンで、76ミリ砲搭載のタイプでした。副隊長のアリサの搭乗車です。


 次に27番の食事処「さくらい食堂」へ行きました。カバさんチームが決勝戦前夜に食べていたカツ丼を再現したメニューが人気で、大貫地区におけるガルパンファンの溜まり場にもなっているそうです。


 店先には、カバさんチームのⅢ号突撃砲F型がありました。親善試合時の派手な塗装が遠くからでも目を引きます。
 五十鈴華誕生日イベントの時間が近づいてきたので、戦車パネル巡りはいったんここで打ち切り、永町商店街へと向かうことにしました。


 途中で18番の「梅原屋」に再び立ち寄りました。朝に購入した商品券にて、ガルパン長袖シャツを買いました。店の飼い犬が盛んに吠えていました。シャツは、カーキとネイビーの二色がありましたが、両方とも購入し、ついでにガルパンバンダナも買いました。暖かくなったら、このシャツを着て大洗にまた行こう、と決めました。
 ちなみにバンダナは、店先の広告では「バンダナ」とありますが、店内の手書きPOPは「ハンカチ」となっていました。どっちでも通用するんでしょうね。


 お店の方は、秋山優花里が大変お気に入りのようで、店内に飾ってあるサインを嬉しそうに示しつつ、「ああいう元気な娘にアルバイトに来てもらいたいわねえ」と笑っていました。五十鈴華誕生日イベントへ参加することを話すと、「この娘の誕生日イベントもやってくれたら楽しいんだけどねえ」と話していました。
 えっ、秋山優花里の誕生日イベントはまだやってないのですか、などと質問していたら、居合わせたガルパンファンの方が「確か去年の6月6日は、ラッピング列車とパネルの展示だけでイベントだった筈ですよ」と話していました。今日みたいに自由参加でスタンプラリー形式でやるイベントは、6月22日の武部沙織の時から始まった、ということも教えてくれました。これらのイベントに参加してきた方のようでした。

 それでしばらく話し込んでいたら、店の方が「そろそろ時間じゃないの?」と言ってきたので、あっそうでした、すいません、と御礼を言って二人で店を出ました。では、と会釈を交わしてそれぞれに道を急ぎました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その15 「大貫の大師さんです!!」

2014年01月23日 | 大洗巡礼記

 「タヤマ石油」から大貫商店街のコースに進んで、「ガルパン街なか戦車せいぞろい」の戦車パネル巡りを再開しました。29番の豆腐店の「日野屋商店」に行きました。


 戦車パネルは、もとはウインドー内にあったのですが、お店の方に挨拶すると、わざわざ外に出して下さいました。御礼を述べて撮影させていただきました。プラウダ高校チームのソ連製戦車IS-2です。全国大会の準決勝戦にて、副隊長のノンナが途中でこれに乗り換えて、大洗女子学園チームの戦車2輌を撃破しています。


 次に、向の30番の精肉店「松澤精肉店」に移りました。創業から100年近い老舗で、建物も創業以来変わっていないそうです。古民家建築としても立派なもので、文化財級の価値があるでしょう。


 店先には、ウサギさんチームのM3中戦車リーがありました。親善試合時のピンク色の車体色が目立っています。


 店内には、井澤詩織さんのサインが飾ってありました。カモさんチーム関連のキャラや戦車のパネル設置店だけでなく、どこでもよく見かけるサインなので、御本人がかなり街なかを楽しんで回っていたのでしょうか。


 「松澤精肉店」の横に設置されているガルパン自販機です。前回の訪問時に通りかかって見つけました。


 この自販機は、あんこうチームとⅣ号戦車D型の組み合わせです。今回の7基目です。残る1基はどこにあるのか分かりませんでしたが、北端のアクアワールドまで行って見当たらなかったのですから、たぶん南側の大貫商店街のどこかにあるのではと推測しました。大貫商店街の全域をまだ踏破していなかったからです。


 「松澤精肉店」と空き地を隔てた隣に、31番の金物屋の「釜屋金物店」があります。建材、工具、金属製品などを取り扱っており、ホームセンター並みの品揃えを誇っています。模型用工具もあるのかな、と思い、店の御主人に挨拶して入らせていただきました。模型用工具自体は見当たりませんでしたが、工作用の精密工具の中には模型用にも使えそうなのが沢山ありました。


 店先には、プラウダ高校チームのソ連製戦車KV-2がありました。劇中では、大洗女子学園チームにあっけなく撃破されています。


 続いて32番の石材店「小野瀬石材店」に行きました。石材を加工する作業所で、従業員の方が忙しそうに動き回っていたので、道路から遠目に見るだけにとどめました。このお店が製作されている「ガルパン校章文鎮」を見たかったのですが、諦めました。


 作業所の道路側に吊るしてあるパネルは、黒森峰女学院チームのティーガーⅡです。副隊長の逸見エリカの搭乗車で、全国大会の決勝戦にて大洗女子学園チームを追撃中に車輪と履帯が故障し外れるなど、実際の機動力の低さが劇中でも再現されています。


 33番の米穀店「島屋米穀店」です。クリーニング店も併設しています。お店の方が大貫商店街の歴史に詳しい方だったので、後に訪ねる予定の西光院のことなどを教えてもらいました。西光院の名を出したとき、「ああ、お大師さんね」と応じてこられたので、この寺が真言宗で高野山の直系末寺であることが理解出来ました。地元では「大貫のお大師さん」と呼ばれているそうです。

 それで、大洗には真言宗の寺もあるんだなあ、と思いました。なぜそう思ったのかというと、江戸期の元禄期に水戸藩が支配地域内の真言宗寺院を集中的に神道化するという極端な宗教政策をとったことが知られるからです。さらに明治期の廃仏毀釈においても真言宗寺院が多く処分されているため、その後の再興箇所を合わせても現存する寺院が少ないのです。


 店先には、アヒルさんチームの八九式中戦車甲型がありました。発見から練習試合までの時期の姿です。


 パネルの左上には、声優の中村桜さんのサインもありました。八九式中戦車甲型の愛称となっている「はっきゅん」は、アヒルさんチームによって命名されたことになっているようですが、実際には中村さん辺りの発案ではないか、という噂を聞いたことがあります。
 八九式が「はっきゅん」なら、九七式中戦車の愛称は「きゅんな」になるのでしょうか・・・。


 34番のコンビニ「セイコマート島忠」です。北海道札幌市に本社を置き、北海道全域に店舗を展開していますが、埼玉県と茨城県にも店舗がたくさんあります。大洗町ではこのお店が唯一となります。


 出入口の左側のウインドー内に、黒森峰女学院チームのⅢ号戦車J型のパネルがセットされていました。劇中では「戦車道入門」の案内映画に登場したほか、前年の全国大会でのプラウダ高校との対戦時に川に転落する事故を起こし、大洗女子学園チームとの決勝戦ではマウスの護衛支援任務につきながらも序盤で撃破されています。けっこう登場回数が多いのは、実際の戦史でも電撃戦やアフリカ作戦に活躍して多くの戦績を残しているからでしょう。


 「セイコマート島忠」の隣は、諏訪神社の境内地となっています。諏訪神を祀っていますから、もとは大洗磯前神社内の寄木神社と関連があったのだろうと考えましたが、後で調べてみたらその通りでした。


 この諏訪神社は、江戸期までは大洗磯前神社の末社に列していたそうです。その後、水戸藩政下における近世の一村一鎮守制度によって大貫村の鎮守に改められ、大洗磯前神社との関連が無くなりました。明治期までは、すぐ裏にある真言宗の西行院とは神仏混交の関係にあったもののようです。上画像は拝殿で、その奥に本殿があります。


 境内には多くの石祠が並んでいますが、いまでは祭神も定かではありません。近畿地方ではこの種の石祠はほとんど見かけないので、こういうのを見ますと、別の歴史文化圏にいるのだなという実感がわいてきます。石祠だけでなく瓦製の円柱状の祠もあり、仏教の木造塔婆を陶製にて造る「瓦塔」の実例が多い関東地方ならばでの遺品だなあ、と興味深く見ました。


 本殿(右側)と摂社です。摂社の社殿には何も表示が無く、祭神も分かりませんでした。位置的には別当寺院の堂宇が置かれる場所なので、神仏分離以前には本地堂のような施設があったのかもしれません。


 諏訪神社の横の交差点から西へ曲がって登っていくと、真言宗西行院の寺号標があります。山号が「古内山」であると分かります。


 参道を進むと、近年に建てられた楼門形式の山門があります。


 門の左右を守護する金剛力士立像の吽形です。近年の作ながらも藤末鎌初期のような作風を基調にしてまとめられ、穏やかな雰囲気の憤怒像に仕上げられています。参考例は高野山金剛峰寺大門の像あたりではないかな、と思いました。


 広い境内地の一角に、昭和37年に県指定の天然記念物となっているお葉付イチョウがそびえ立ちます。案内板によれば、樹高24メートル、幹囲り4.4メートル、樹齢は約400年ということです。寺の創建が室町期の応永年間(1394〜1428)とされるので、寺が成立してから境内地に植栽されて成長した木であるようです。


 境内の諸堂はすべて近年までに建て直されたらしく、真新しく立派なものです。ゆったりとした配置にも、結界空間の重要性を尊ぶ高野山真言宗の気風がよく示されています。金剛峰寺の壇場伽藍の壮大さには及びませんが、大洗町の社寺のなかでは際立った面積を有していて、とにかくその広さに驚かされました。


 奥にあるコンクリート造りの大きな建物が、本堂のようです。地元の方が三人ほど参拝に来られ、この建物に向かって拝礼していました。その横に弘法大師の銅像がありましたので、お大師さんだなあ、と納得しました。

 今回は「ガルパン街なか戦車せいぞろい」の戦車パネル巡りの最中であり、昼前には五十鈴華誕生日イベントも覗いてみる予定でしたので、ゆっくりと見学する余裕がありませんでした。寺務所の方にも行ってみましたが、お留守のようでした。いずれ機会をみて、改めて参拝に行きたいと思います。 (続く)

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カバさんチーム Ⅲ号突撃砲F型 作ります !!  その6

2014年01月22日 | ガルパン模型制作記

 ステップ12と13です。ステップ12では、車体左側のフェンダーを組み立て、次のステップ13にてOVMを取り付けます。これらの段階は、キットの組み立て説明の指示通りで良いと思います。


 OVMの取り付けにあたっては、公式設定資料の図が参考になります。プラッツの公式キットのパーツの配置も、劇中のそれと全く同じです。


 OVMのパーツを全て取り付けた状態です。このキットのパーツは精度も良く、そのまま使えます。フェンダーを車体に接着するのは、キットではステップ13においてですが、私の作業では、OVMのパーツの取り付け位置をチェックする必要があったので、先にフェンダーを車体に接着してから、OVMパーツを取り付けました。


 ステップ14では、クリーニングロッドのパーツとしてI19とI20を使うことになっていますが、ガルパン仕様と異なります。I19とI20の代わりに、A23を使います。
 ただし、この段階ではA23を接着せず、塗装とデカール貼り付けが終わってから取り付けることになります。なぜかと言うと、A23のすぐ裏にデカールの貼り付け位置があるからです。
 なお、組み立て説明書の図ではフェンダー最後部に予備転輪がつけられていますが、これはガルパン仕様ではありませんから無視して良いです。主砲はこの段階ではまだ取り付けませんでした。

 ステップ15では、I4をガルパン仕様に合わせて縦に並べます。またI5のパーツは後ろが開口していますが、劇中では閉じられていますので、内側にプラ材などを詰めて開口部を内側から閉じておきました。
 I10はアンテナ基部のパーツで、アンテナを展開する状態にするならば、約45度前後の角度をつけます。私の製作キットでは、アンテナはアンテナトレイに収納した状態とし、アンテナ線自体は省略することにしましたので、I10の角度は水平にしました。

 ここまでくると、エルヴィンの「三突の姿がみえてきた、完成までもうすぐね」の言葉が実感をともないます。あと少しで完成なのです。全体的にはタミヤのⅣ号戦車D型よりも作業数が少ないので、その意味では楽なキットに属するでしょう。


 公式設定資料の図にて、I5のパーツの開口部が無いことを確認しました。この開口部はエンジン熱の放射口であるので、実際には無いと困るのですが、アニメ特有の省略表現が施されて開口部そのものが省かれたようです。
 そういえば、ベンチレーターもぴたりと閉じられていましたが、本来は主砲射撃時の硝煙を逃がすために開けられるものなので、現実には閉じていると言うのは有り得ないわけです。でも劇中では、ベンチレーターから白旗が揚がっていたので、硝煙を排出する機能自体が無くなっているみたいです。アニメ独自の謎設定がいろいろあるものですね・・・。


 I5は、公式設定資料の図を参考にしながら並べました。I5を並べた後に、その右側にある二ヶ所のレバーをプラ板で再現しました。これらの作業によって、F8型の特徴でもある後部エンジンパネル部の形状をなんとか再現することが出来ました。
 なお、フックのパーツB21は、組み立て説明書の図では右側だけに取り付け指示がありますが、左側にもありますので忘れずに取り付けました。


 後ろから見るとこんな感じです。他のモデラーさんのレポートで、I5のパーツが小さい、という旨の指摘があったのですが、車体寸法のなかでの割合を計測してみると、ほとんど差がなかったので、I5のパーツをそのまま使いました。


 ステップ15の作業が完了した状態です。横に置いてあるのは、クリーニングロッドのパーツA23です。前述のように、塗装とデカール貼り付けが終わってから取り付ける予定ですが、仮組みの際にスコップのパーツA25と少し干渉し合って斜めについてしまうことが分かりました。そこでA25とぶつかる部分を少し削って、干渉し合わないように調整しました。

 続いて、前回の記事にて読者の方に指摘いただいた前部牽引フックの追加工作を試みました。が、まずB23のパーツをそのまま組みつけようとしたところ、牽引ホールドB25の穴に全く入らないことが判明しました。穴の大きさが合っていないものと思われますが、プラッツのキットにはこの手のアクシデントはつきもののようです。
 別のパーツを使おうにも、手頃なものが見つからず、この追加作業は保留にして後送りすることにしました。 (続く)

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サークルKサンクスのガールズ&パンツァーフェア第2弾 「ポークカツバーガー」と「ハムカツドーナツ」

2014年01月21日 | ガールズ&パンツァー
 きょう1月21日から、サークルKサンクスのガールズ&パンツァーフェア第2弾のキャラクターカード対象商品の第二弾が発売されました。「ポークカツバーガー」と「ハムカツドーナツ」ですね。

 で、今日の会社の帰りにサークルKへ立ち寄りまして、両方とも買ってまいりました。今日の夜食とおやつをこれにしようと思いついたからです。ちなみに第一弾商品の「ロースかつ丼」と「お芋のワッフル」も継続販売中で、陳列棚には数個が並んでいました。「おーいお茶」もピンバッジ付きで順調に補充陳列されており、いずれも買い放題な状態でした。

 なお、キャラクターカード第一弾の「五十鈴華」と「冷泉麻子」は既に数日前に交換して貰ったのですが、レジカウンターでの交換時に未開封のカードパックが出てきたので、私が最初の引換客であったようです。
 店員さんとは顔なじみであったため、事情を尋ねたところ、ガルパンそのものを知らない客が大部分なので、「ロースかつ丼」も「お芋のワッフル」もコンビニの新メニューと受け止めて買っていく方が大多数であり、引換シールを集めてカードに交換、という客は今まで一人も居なかった、とのことです。
 つまり、ガルパンファンが買わなかったら、ただの新商品に過ぎないわけです。何のためのガールズ&パンツァーフェアなのか分かりませんね・・・。


 きょう購入してきた「ポークカツバーガー」と「ハムカツドーナツ」です。グリーンサラダも併せて買いました。


 キャラクターフィルムは、「ロースかつ丼」のそれとは違います。あんこう踊りのスタイルのあんこうチーム五人のうちの西住みほバージョンです。中に入っているキャラクターシールは秋山優花里でした。


 パッケージ内の包装紙のデザイン、どこかで見たような・・・・。


 やっぱり、劇中の第10話にてカモさんチーム風紀委員会の三人が食べていたアレでした。そのまま再現してあるわけですね。


 すると、「ハムカツドーナツ」の方も、劇中の第10話にてウサギさんチームが食べていたアレを再現してあるわけですか・・・。


 このシーンですね。阪口桂利奈が持っている袋には「ハムカツ」の字が見えます。「ドーナツ」の部分は手に隠れてしまっていますが・・・。


 この拡大シーンで「ツ」の一部が見えるわけです。なので、ウサギさんチームが食べていたアレはまさしく「ハムカツドーナツ」だったのでした。
 なかなかやるじゃないか、サークルKサンクス。


 さあ、お待たせ致しました・・・。今回も「ホシノ流食事法」のレポートを、「ポークカツバーガー」にてお送りしたいと思います。上画像は、パッケージ内の包装紙から取り出しました「ポークカツバーガー」です。案の定、ポークカツの衣が油や水分でベトベトになっております。ストレートで食べたら間違いなく胃にもたれますね・・・。
 折角買ったのですから、もっとヘルシーにして美味しく頂きたいものです。普通は電子レンジに入れてチン、となるわけですが、今回のチャレンジでは電子レンジに入れる必要もなくなります。


 最初に「ポークカツバーガー」を解体しまして、上下のパンとカツとキャベツとに分けました。上部パンの内にはマスタードが塗ってありますが、それはこのままにしておきました。


 ポークカツの衣を全て剥がし取りました。縁に脂が黒く固まっている部分も、なるべく切り落としました。


 フライパンを熱しておき、下部のパンとポークを弱火であたためる感じでゆっくりと焼きました。


 ポークから脂分が飛び始めたら裏返し、同時にパンを上部パンに入れ替えました。このようにして上下のパンの内側についている水分を飛ばしておきます。パンの内側が、少しカリッとした感じになるとOKです。


 ポークからは、どんどん脂分が出てまいります。こういうのが、太る原因になるわけですね。


 ポークを取り出して、クッキングシートで何度か包みこんで脂分をふき取りました。


 フライパンに残った脂分の量は、ゾッとするようなものでした。ストレートに食べるとこれらが全て、無駄な脂肪になってゆくのですよ・・・・。分かりますか、タカダさん・・・。


 次に、フライパンを綺麗に拭き直して再び熱し、上下のパンを一緒に入れてそれぞれの内側をゆっくりと焼きます。トーストと同じような感じで焼き色がついたらOKです。


 パンが熱いうちに、「とろけるチーズ」とポークを乗せます。「とろけるチーズ」は剥がし取った衣の代わりです。


 続いて、キャベツを元通りに乗せます。


 上部パンを元通りに乗せます。熱した内側にはマスタードもちゃんとありますから、味は変わらないです。


 以上で、「ポークカツバーガー」を「ポークチーズバーガー」に作り替えてみました。食べてみると、これが結構旨いので自分でもぴっくりしました。脂分を可能な限り減らしているうえにチーズを加えたので、さっぱりとした食感になっていました。レタスをトッピングすればさらにグッドですね。
 これ、マジで美味しいですよ。もう一個食べたくなってきたので、これから近くのサンクスへ買いに行ってきます。

 それでは、バイバーイ、サンキュ !!

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その14 「朝のイベントグッズ販売です!!」

2014年01月21日 | 大洗巡礼記

 商工会館を後にして、北側の広い車道を西へ進み、ゆっくら健康館北の信号交差点に出ました。マリンタワーが見えました。この建物が見える度に、「ここは大洗だなー」と実感します。


 交差点の北方向を見ました。ソーラーみたいなのがありますが、何の装置なんでしょうか。


 若見屋の交差点まで移動し、左折して大貫商店街に進みました。


 この日の最初の戦車パネルは、15番の草花店「マスヤガーデン」で見ました。朝早くから営業されていました。


 店のガーデニングコーナーの傍らに、三式中戦車チヌがありました。全国大会出場時の姿で、私が製作した模型キットもこの状態に仕上げています。


 三式中戦車チヌの横に立っている手書きのキャラクターは、もしかして西住みほ? それともオリジナルキャラ?


 再び商店街の中を進みました。どのお店もまだシャッターを閉めたままでした。


 多くのお店が10時より開店するそうなので、それまでは人通りも少なくて閑散としていました。


 16番のガソリンスタンドの「なかや燃料」は営業していました。ですが、戦車パネルがどこにも見当たりませんでした。


 事務所の方へ近づいていくと、中に居たおばさんが、戸口の外側を指さしてパネルの場所を教えてくれました。事務所の玄関口の横の壁際に、Ⅲ号突撃砲F型がありました。発見時の姿です。


 さらに西へ進んで、お好み焼き「道」の横を過ぎました。最近は店名が「戦車道」になっているのですが、冗談でなく本気で改名しているのかもしれません。


 「みむら時計」の店先の金春希美もサンタコスに身を包んでいました。足元には声優の井澤詩織さんのサインも入っています。


 県道106号線との交差点に出ました。向こうに20番のガソリンスタンド「タヤマ石油」があります。劇中の最終回のラストにて「ANEOS」として登場しています。


 施設内には幾つかの戦車パネルが掲げてあります。事務所の東側の上壁には、ウサギさんチームのM3中戦車リーのパネルがあります。


 洗車機にも、あんこうチームのⅣ号戦車D型のパネルが貼られています。戦車も洗車します、と洒落を交えた案内文もありました。実際に各国の軍隊で戦車も洗車機にかけて洗うのでしょうか・・・?


 事務所のウインドーにセットしてあるⅣ号戦車D型が、公式パネルです。全国大会出場時の姿で、私が製作した模型キットもこの状態に仕上げています。


 この日、「タヤマ石油」では劇中に登場した記念としてイベントグッズの販売を行ないました。オリジナルカレンダー、戦車洗車機無料券、ANEOSカードなどのセットが1000円でした。販売開始が9時半からなので、それに間に合うようにしてやって来たわけですが、15分ほど早く着きました。


 県道106号線は、劇中の最終回のラストにて、大洗女子学園チームの戦車部隊の優勝凱旋パレードのコースになりました。深紅の優勝旗を掲げて先頭を進むあんこうチーム以下の面々のシーンが、鮮やかに思い出されます。


 9時20分頃から、イベントグッズ販売の準備が始まりました。既に十数人のガルパンファンが待機していて、大貫商店街の方から次々と人が集まりつつありました。


 それで、イベントグッズ販売もちょっと早めて9時25分ぐらいからスタートしました。私は列の四番目に居て、商工会館で購入したばかりの商品券でグッズを買いました。
 五十鈴華誕生日イベントは11時30分からなので、まだ二時間の余裕がありました。その貴重なタイムを、「ガルパン街なか戦車せいぞろい」の戦車パネル巡りの続きにあてることにしました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その13 「がんばっぺ大洗の商品券です!!」

2014年01月20日 | 大洗巡礼記

 翌朝は6時過ぎに起きました。天気予報では冷え込むと述べていましたが、奈良の底冷えの厳しさに比べたらまだマシなほうでした。朝食は7時30分からだったので、それまで付近の散歩を楽しむことにしました。


 朝から頑張っている澤梓です。赤いサンタコスが暖かそうな感じです。


 鹿島灘の日の出から少し経過していました。海面上に雲が靡いていて、日の出そのものを拝めなかったのは残念でした。岩場には早くから撮影にいそしんでいる人の姿も見られました。


 今日も静かに朝を迎えた鹿島灘です。打ち寄せるさざ波の音もやわらかく、砂浜に吸い込まれていました。


 朝日が次第に登ってきましたが、まだ雲が多くて輝きも淡いままでした。


 神磯の鳥居まで歩きました。


 鳥居の横を通り過ぎて、振り返りました。


 鳥居を、望遠モードで撮影しました。


 この日も快晴の予報でした。五十鈴華誕生日イベントもありますが、それ以上に回ってみたい所、見てみたい所がいっぱいありましたので、快晴で寒さもやわらぐという予想には元気づけられました。


 海岸から上がって、大洗磯前神社への路地道を進みました。


 大洗磯前神社の二ノ鳥居です。立派なものですね。


 鳥居の額は、有栖川宮熾仁親王の書です。


 鳥居前付近の景色です。早朝なのでまだ町も静まりかえっていました。


 大洗磯前神社本社へ参拝しようかと考えましたが、時計がもう7時を回っていたので、摂社清良神社への参拝だけにとどめておきました。「いそや」のすぐ裏手に鎮座していて、私の泊まった部屋からも見えるのでした。


 朝食をいただきました。さすがは「いそや」、朝食もボリュームがありますね・・・。普段が小食かつ粗食の私には、贅沢に感じられる質と量でした。たまにはこういう朝食を楽しむのもいいですし、それも大洗行きの魅力の一つだと思います。


 食堂には大洗の各種の酒の瓶も並べて飾ってあります。ガルパン系のもありますが、酒が飲めない私はなかなか買えません。私の知人友人にも酒飲みが少ないので、土産に買ってゆくのも難しいです。


 8時頃に出発し、自転車に乗って走り出しました。大洗磯前神社本社への参拝は、スケジュールの関係でとりあえず見送りました。また来る機会もあるでしょう。


 参道石段が陽光に照らされて明るく浮かびあがっていたので、一枚撮りました。


 劇中ではお馴染みの、あの坂道です。快晴日の朝に見ると、こんな感じなんですね。


 一ノ鳥居の信号交差点です。この時間帯になると交通量も増えていて、行き交う車の大部分が県道2号線へ左折していました。県道2号線が町内のバイパスとして機能していることがよく分かりました。


 私の方は交差点を直進して、商店街への旧街道筋を走りました。まだ静まりかえっていましたが、時折歩いている人影を見かけました。全てがガルパンファンと分かる服装または缶バッジなどの表示をしていました。みんな五十鈴華誕生日イベントに参加するのでしょう。


 私は、この日は五十鈴華誕生日イベントにも参加する積りでしたが、メインの目的は戦車パネル巡りと買い物のほうでした。それで最初に大洗町の役場を訪れました。駐輪場がどこにあるか分からなかったので、そのまま隣へと回りました。


 役場の隣の商工会館です。この日の最初の訪問予定地でした。上画面に写っている自転車が、今回の旅で利用したエノキザワのレンタサイクルです。


 商工会館の入口前の左側の壁には、例の震災時の津波の到達水位が示されていました。会館の一階の床面は割合に高い位置にあるのですが、これも床上浸水となった状況がうかがえます。


 ここを最初に訪れた理由は、この「がんばっぺ大洗 プレミアム付商品券」を購入するためでした。以前の記事で紹介したように、去る12月7日の永町商店街での即売会で売れ残った場合は、ここ大洗町商工会で販売するということでした。在庫がまだあるかは確認していなかったのですが、コースの途中にあるので、とりあえず立ち寄ってみたわけです。
 案内ポスターの下には、これまで商工会が作成した缶バッジが並べて展示してありました。ここまでアニメ関連のバッジを作ってる商工会は、おそらく大洗町だけでしょうね。


 玄関を入ると、あんこうチームの五人のパネルが迎えてくれました。商工会館にキャラパネルが設置されているとは聞いたことが無かったので、本当にびっくりしました。よく見ると、これらのパネルは真新しい感じがしたので、どこかにあるパネルを持ってきた、というのではなさそうです。


 出勤で通りかかった職員の方に挨拶して尋ねると、マリンタワーや街なかに設置されているパネルとは別のもので、今日の五十鈴華誕生日イベントに使用するために準備したものだ、という返事でした。
 普段は仕舞われているそうなので、これらが商工会館の玄関口にあるという事自体が、稀なシーンでした。朝からこのシーンに出会っているガルパンファンの人は、そんなに居ないのではないでしょうか・・・。


 会館内に進むと、私を認めて奥の席から立ち上がりカウンターまでやってきた方がいました。その方が、商工会事務局長の坂本博さんであられました。坂本文具店の店主で、大洗の内外では知られた有名人です。挨拶して来意を告げると、笑顔になって「まだまだ在庫がありますよ」と商品券を出して下さいました。私もホッとしました。
 かくして12000円分の商品券を10000円で購入することが叶いました。

 続いて、今回の大洗行きのもう一つの目的を話しました。すると「そしたら、午後ぐらいに教育委員会の方に行かれるといいでしょうな、ホラ、向こうに見える建物があるでしょう、あれ文化センターなんですが、その二階の図書室の事務所に担当の人が居りますからね、声をかけてみて下さい」と教えて頂きました。続いて、五十鈴華誕生日イベントには行かれるのですか、と聞かれましたので、それにも参加します、と答えましたら、どうぞ楽しんでいって下さい、と言われました。
 この気さくで親切な方が、たくさんの缶バッジを作り続けておられるわけです。敬意を表して「缶バッジがとてもよい思い出の品になっています」と申し上げましたら、「それは何よりです」とニコニコしておられました。御礼の意味も込めて、カウンターで販売していた缶バッジを、二種類買いました。 (続く) 

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