気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

知波単学園の「鉄獅子」22輌

2016年08月31日 | ガールズ&パンツァー

 対大学選抜戦にて大洗女子学園に助太刀すべく駆けつけた、知波単学園の「鉄獅子」22輌です。その内訳は、九七式チハ旧砲塔が14輌、九七式チハ新砲塔が7輌、九五式軽戦車が1輌、です。

 実際の日本陸軍が大部分の戦線にて車輌不足に悩まされた歴史とは真逆の、豊富な物量が示されるあたりも面白いのですが、22輌というのがガルパンの高校戦車道チームの一度の登場数としては最多であるのが更に面白いです。

 そして、それだけの数であるのに車種は三つしかありません。一式中戦車も四式中戦車も出てきませんでした。この三種の車輌しか保有していないのかもしれません。特に九五式軽戦車は、福田の専用車のみであるような印象があります。

 一番面白いのは、この22輌をもってしても試合に勝つのは難しい、と思ってしまう点です。戦史を通じて日本戦車のポンコツぶり、脆弱さが知れ渡っているせいもありますが、そんなふうに自国の戦車のひ弱さを理解し諦め半分に「我が国の戦車はダメだ」と、むしろ威張っていう日本人の有様に、なんとなく笑いがこみあげてきてしまいます・・・。

 しかし、ガルパン劇場版の知波単学園チームは、そうした諦観を吹き飛ばす素晴らしい活躍をみせてくれました。最後の突撃こそあっけなく躱されて全滅に至りましたが、終盤近くまで戦い続けた日本戦車部隊の勇姿と闘志のさまは、大変に感動的でした。
 その活躍ぶりこそ、武運つたなく散った数多の日本陸軍戦車兵たちへ捧げる最美の献花もしくは鎮魂歌であった、と信じたいです。
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の7 「お銀ちゃんのパワースポット」

2016年08月30日 | 倉吉巡礼記

 明倫小学校の旧円形校舎から戻り、そのまま「Sマートめいりん」の駐車場に車を置いたまま、隣の満正寺へ立ち寄りました。


 満正寺は、鳥取藩池田家の城代家老として倉吉に陣屋を構えた荒尾志摩守家の菩提寺です。荒尾志摩家のルーツの荒尾氏はもとは尾張国知多郡の土豪で、鳥取藩主池田氏が美濃国池田郡の土豪で織田信長の家来だった頃に縁戚となっていた古い氏族です。

 鳥取藩池田氏の祖とされ、戦国期に織田信長に仕えた池田輝政は、のち徳川家康に仕えて娘婿となり、外様でありながらも徳川氏一門に準ずる待遇を受けました。その輝政の母、善応院は、織田信長の武将として三方ヶ原合戦で戦死した荒尾善次の娘にあたります。その関係で荒尾氏は池田氏の家臣となり、鳥取藩成立後は本家の荒尾但馬家が米子を治め、分家の荒尾志摩家が倉吉を治めました。

 その支配形態は、「自分手政治」と呼ばれ、他藩の城代家老のそれよりも格式が上でした。藩祖池田輝政の母方の縁戚である両荒尾家を、鳥取藩池田氏の代々の藩主は一門の重鎮として尊重、所領支配に関して全権を委任しました。それで、幕末に至るまでの200年以上の間にわたって、米子と倉吉は、荒尾家によって統治されたのです。ほとんど米子荒尾藩、倉吉荒尾藩といってもいいぐらいの歴史です。

 そして、これが重要なことなのですが、いまに伝わる倉吉の歴史的封土や町並み景観などの状況は、江戸期の荒尾志摩家の治世が長きにわたって温厚かつ安定的であったことに拠る部分が大きい、と思います。
 鳥取藩においては内政に長け、商業および農業の振興に努めた荒尾志摩家が治めたことにより、倉吉は江戸期の山陰地方では稀な繁栄を得て、長く商都として君臨しました。その歴史の最大の遺産が、今につたわる古い町並みであるわけです。


 満正寺の本堂に懸る偏額には「満正禅寺」とあります。宗派は曹洞宗、山号は透關山です。創建は元禄12年(1699)、開基は荒尾美作守秀就、開山は徳翁尊隆大和尚です。


 本堂の前庭には円形の白砂庭が構えられています。禅宗寺院によく見られる仏世界観の具象化例でしょう。有名な歴史的好例を挙げれば、京都の竜安寺の石庭でしょうか。


 案内板を見ると、やはり須弥山などを象っているそうです。ですが、下に萌えキャラが居るのが印象的で、そっちに視線がいってしまいます。禅寺らしからぬ柔らかさです。


 この寺を、倉吉でも有名なパワースポットに押し上げた、日本最大級の石造の巨大九曜星占盤です。直径は8メートルあり、生年月日から星を算出し、性格、恋愛、対人関係などを占います。これが若い女性の観光客の人気を集めているらしく、古い町並みはそっちのけで満正寺へ行って占いを楽しむ人が少なくないそうです。


 で、本堂前に立てられたパネルにも、さっきの萌えキャラクターが居ます。2011年に登場したそうなので、倉吉のアニメ要素のなかでも古い方に属します。住職さんがアニメに理解があるノリノリな方なのでしょうか・・・。


 ちゃんと「マスコットキャラクター お銀ちゃん」とあります。山伏みたいな恰好ですが、火の用心の提灯を持っていますので、火伏せの神様、秋葉権現がモデルであることが明らかです。耳と羽根としっぽがついているので、秋葉権現のキツネ形の神様であると分かります。

 これ、デザイン的にもなかなか良くできたキャラクターですね。なんで倉吉市のマスコットキャラクターに昇格させなかったんでしょうか・・・。


 倉吉市役所の駐車場に戻り、買ってきたお茶やアイスなどを食べつつ、琴桜口の町並みへ立ち寄りました。


 元帥酒造さんの山形まり花も、すっかり風景の一部になっています。


 向かいの東仲町公民館の「ひなビタ」ショップは、大半のグッズが完売してしまったようで、やってくる巡礼者も疎らになっていました。 (続く)

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ガールズ&パンツァー 最終章 制作決定

2016年08月29日 | ガールズ&パンツァー

 去る8月28日に開催されたイベント「ガールズ&パンツァー 第2次ハートフル・タンク・カーニバル」にて、新作の「ガールズ&パンツァー 最終章」の制作決定が発表されました。

 乏しい情報をまとめると、時期は冬であり、大洗女子学園の制服も冬服になっているそうです。そんな大洗女子学園に一大事件が勃発した、という設定のようです。そして二学期までの任期を終えた生徒会(カメさんチーム)の指名によって新生徒会の面々が決定した、ということです。新生徒会は、会長が五十鈴華、副会長が秋山優花里、広報が武部沙織、となっています。他のキャラクターに関しては、テレビシリーズに登場していた王大河が出る、としか判っていません。

 しかもこの新作の形態は、TV版なのか、OVAなのか、劇場版であるのか、は不明です。公開予定時期についても不明なままだそうです。先行公開された映像には、何かの内部のような描写がありますが、何の内部なのかは明らかにされていません。

 いずれにせよ、劇場版のラストに「終」とか「完」の字が出てこなかった理由が、これではっきりした形です。「愛里寿・ウォー」とは別に、正式な続編が存在したわけですね・・・。
 したがって、まだまだガルパンで色々と楽しめますね。本当に有難いことです。公開を楽しみにしつつ、気長に待つとしましょう。

 個人的には、ガルパン戦車プラモデルのほうでまだ色々作る計画がありますので、何輌か作っているうちに「ガールズ&パンツァー 最終章」の公開時期を迎える、という感じになるかな、と思います。
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ガルパン劇場版の島田邸

2016年08月28日 | ガールズ&パンツァー

 ガルパン劇場版に登場した、島田邸です。島田流家元の島田千代が住んでおり、西住しほが訪れて対面するシーンもありました。ガルパンに登場する建物の例にもれず、これも実在の建築を参考にしてデザインされています。

 この建物のシーンを初めて見た瞬間、漫画「藍より青し」の桜庭館によく似てるなあ、と思いました。そこで桜庭館の画像を調べてみたところ、似ているどころか、細部意匠などはそっくりでした。それで元ネタの建物がすぐに分かりました。
 ただ、ガルパンの島田邸のほうは、屋根上にカニ眼鏡付きの望楼を追加したり、建物の形状をあちこち変更したりしているため、一見しただけでは元ネタの建物が分かりにくいかもしれません。

 元ネタの建物は、福岡県北九州市に所在する国重要文化財の「旧松本家住宅」です。現在は「西日本工業倶楽部」が管理運営にあたっており、その「倶楽部館」として利用されています。ガルパン劇場版にて西住しほと島田千代が対面していた部屋は、実際には式場として使用されています。毎年2回、春と秋に一日のみ一般公開(無料・要事前申込)されています。
 「西日本工業倶楽部」の公式サイトはこちら

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の6 「牛骨ラーメンと円形校舎」

2016年08月27日 | 倉吉巡礼記

 「ごっつお」でハーフサイズの牛骨ラーメンを頂いた後、次のお店「八兵衛」に行きました。倉吉の牛骨ラーメンの人気店は、だいたいJR倉吉駅の近辺に点在していて、「ごっつお」は南側、「八兵衛」は北側に位置します。いずれも「ひなビタ」巡礼エリアからは離れているため、聖地巡礼のついでに一杯、というわけにはゆかず、車でないとなかなか回れません。

 倉吉の牛骨ラーメン店は、街中にあるのが多いので駐車スペースも限られていたり、駐車場そのものが無かったりしますが、こちらの「八兵衛」は広い駐車場があるので、遠方から車でやってくる常連さんが多く、いつ行っても満席状態に近いです。でもお客の多くは、満席と分かるとすぐに他の店へ移動するようですので、行列が出来るということはあまり無いと聞きました。


 メニューです。牛骨ラーメンだけで勝負されておられます。こういうお店は、味をしっかり追及されて洗練度も高いと思うので、常連客で満席状態になるのも当然です。
 個人的には塩味よりも味噌味の方が好きなのですが、今回はメニューの一番目の「牛骨ラーメン」をチョイスしました。ハーフサイズで頼もうと予定していたのですが、「ごっつお」のハーフサイズが予想よりも少なかったため、普通サイズで注文しました。


 このお店の牛骨ラーメンも大変に美味しいです。店主さんは、倉吉でも有名な方で、他のラーメン店で修業された後、倉吉にやってきて、老舗店舗の方々に相談したうえでお店を開業されたそうです。


 因幡街道を引き返して旧市街に戻る途中、いつものように「石谷精華堂」本店に立ち寄り、職場の同僚たちへの土産を購入しました。
 倉吉の打吹団子は、関西ではよくスーパーやデパートなどで出張販売がなされているため、割合に知名度があって、味も好評です。現に職場の同僚の半数以上が、「ああ倉吉のや。これ旨いよねえ」といって喜んで下さいます。


 当然ながら、この「ひなビタ」バージョンのを買いました。特典ステッカーは、夏季限定の倉吉絣デザインになっていました。これも6種類があり、5本入りに1枚、10本入りに2枚がついてきます。私はいつも10本入りを買いますが、必ずこちらの本店にて頼んでいます。

 なぜかというと、白壁土蔵群の赤瓦一号館など、主な土産店では見本しか置いておらず、予約販売の形をとっているからです。現物がすぐに買えるのは、JR倉吉駅の駅ヨコプラザか、未来中心内の支店ぐらいのものです。そこへ行って買ってもいいのですが、どのステッカーが入っているかは開封するまで分かりませんから、6種全部をコンプリートしようと思ったら、揃うまで買い続ける必要があります。
 しかし、本店で買うと、パッケージの包装とステッカーの封入から始めて販売するため、例えば10本入りを3箱買うと、6種のステッカーを2枚ずつ順に入れてくれるのです。それでコンプリートになりますから、手っ取り早く、費用も最低限で済みます。
 しかも、職場の同僚は14人居ますので、2本ずつあげれば合計28本が必要になります。したがって毎回、10本入りを3箱買うのが習慣になっています。特典ステッカーもあっという間にたまります。


 暑い中を回っているため、喉が渇いてきました。町並みの西側の南にあるスーパー「Sマートめいりん店」に移動して買い物をしました。その隣には、上図の円形の建物がありますので、車を駐車場に置いたままにして、少し見学しました。


 日本でも珍しい、この円形の建物は、1971年まで明倫小学校の校舎として使われていたものです。円形校舎は教室数を多く確保できるため、1950年代に全国各地に建てられましたが、現存するものはこちらの建物だけになっています。
 昭和30年(1955)の建設なので、既に60年を経ています。明倫小学校が隣の余戸谷町に移転した後は公民館などに利用されましたが、老朽化を理由に平成18年に閉鎖されています。現存唯一の円形校舎建築ですので、いまでは文化財的価値も非常に高いはずですが、いまだに指定登録の案すら出ていないようです。それどころか、解体取り壊しの要望もあるということです。老朽化が進んで危険だ、という声が少なくないのでしょう。


 ガラス越しに内部を覗いてみました。学校だった頃の雰囲気がそのまま保たれている感じで、扇形の平面をもつ教室の状態などがよく分かります。大学の講義室みたいな構造です。

 最近は、この円形校舎を保存しつつ、マンガやアニメなどのフィギュア博物館として再生し、観光資源に育てようとの案が地元有志によって提案されています。その件については以前にも商店街の方にチラッと聞きましたが、実際にはどうなるのかは、まだ決まっていないようです。
 保存するにしても、文化財指定や耐震改修の問題などがあるため、実現へのハードルは低くありません。費用もかなりの額になりますから、行政当局が消極的になるのも頷けます。マンガやアニメなどのフィギュア博物館に、というのであれば、もっと別な形で模索したほうが良いのではないかと思います。


 円形校舎の南側には、校門の古い門柱も残されています。背面の刻銘によって、明治45年(1912)の建設と分かります。開校はその三年前だそうです。


 平成元年の追刻銘によって、明倫小学校がここから現在地へ移転したのが昭和51年(1976)であることが分かります。当時の私は小学生でした。 (続く)

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ガルパンツァーシャツ

2016年08月26日 | ガールズ&パンツァー

 ガルパン関連のキャラクターアパレルは、これまでに複数のメーカーから様々な商品が発売されていますが、その最新の商品が、上図の「ガルパンツァーシャツ」シリーズです。
 これは、「二次元のキャラクターをもっと身近に感じる」をコンセプトにハイクオリティなキャラクターアパレルを手掛けている「AnotherAngle」さんと、二次元コンテンツの企画・製作・監修等を行っている「もえーしょんわーくす」さんとの共同開発によるもので、この8月19日より「AnotherAngle」さんの公式サイト通販およびアニメイト各店舗(アニメイトオンラインショップ含む)にて予約受付が始まっています。
 商品の発送時期は2016年11月上旬頃を予定しているそうです。11月13日(日)開催の「大洗あんこう祭」に合わせてのタイミングかと思われます。
 「AnotherAngle」さんの公式サイトはこちら。「もえーしょんわーくす」さんの公式サイトはこちら

 私自身は、ガルパン関連のキャラクターアパレルはあんまり買わないほうなので、最近に「しまむら」が販売しているガルパンシャツシリーズにも興味が湧きませんでしたが、今回の商品はマジで欲しい、と思いました。それで、すぐに予約しました。もちろん、ドイツ機甲師団・・・いや、黒森峰デザインの「TYPE:黒森峰女学院」をです。
 この「ガルパンツァーシャツ」、ガルパンブームの初期に限定で販売されていたエースさんのガルパン特製キャップに合いそうなんですね・・・。大洗のは色彩的にもデザイン的にもちょっと違和感がありますが、黒森峰のは、黒の色調がまず合いますし、デザイン的にも断絶がありません。合わせて着用すれば、ドイツSS戦車兵に近い感じになりますので、間違いなくカッコいいだろう、と思っています。
 エースさんのガルパン特製キャップ(大洗、黒森峰)を紹介した過去記事はこちら

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の5 「まり花と牛骨ラーメン」

2016年08月25日 | 倉吉巡礼記

 「くら用心」の土蔵ギャラリーから裏に出て玉川沿いにブラブラ進んでゆくと、「あじくらや」の店先に霜月凛のパネルが出されているのが見えました。おお、外に出ているとは珍しい、と近寄って撮影しました。


 やっぱりキャラクターパネルは外に出ている状態が良い、と思ってしまうのは、ガルパンの大洗で同様の状況に慣れきってしまっているからでしょう。


 りんりん先生が外に出ているということは、他にも出ているパネルがあるのかな、と思ってあたりを見回しました。すぐに向かいの「久楽」の店先にもパネルがあるのを見つけました。


 これは山形まり花です。これで、新たに加わった5枚の全てを見ることが出来ました。元イラストでは猫が数匹ついてきていた筈ですが、パネルではカットされています。確か「くら用心」に元イラストのパネルが展示されていたな、と思い出して引き返しました。


 「くら用心」に展示されていた元イラストのパネル群です。山形まり花の新パネルの元イラストには、猫が三匹描かれてありました。やっぱりな、と思いました。


 元イラストのパネル群は、新パネルだけでなく、従来のパネルのものも並んでいました。


 「くら用心」の向かいの東仲町公民館は、打吹まつりの二日間は「ひなビタ」ショップとして運営され、倉吉でしか買えない限定の記念グッズなどを販売していました。この日も朝から多くのファンが来て買い物していたようで、昼過ぎには多くの品が完売となっていました。


 私自身は、「ひなビタ」グッズよりも、こちらの夏限定バージョンの倉野川市住民票が欲しかったので、観光案内所で手続きをして発行してもらいました。今回も鍛治町ですか・・・。鉄砲鍛冶にでもなろうかな・・・。(アホかお前は)


 正午に近づきましたので、今回も牛骨ラーメンを楽しむべく、車で移動して有名店の一つ「ごっつおラーメン」に行きました。駐車場が狭くて入れない場合が多いので、早めに行きましたが、それで正解でした。


 今回は、牛骨ラーメンの二ヶ所のお店を回る、という初の試みに挑戦してみました。お店によってはハーフサイズを提供してくれる場合がありますので、二軒ともハーフサイズで楽しめば、食べ過ぎには至りません。


 メインの牛骨ラーメンです。お店では「ごっつおラーメン」と銘打っています。650円ですが、ハーフサイズで注文しましたので、400円となりました。ハーフと言っても少ないのは麺だけで、スープや具などは普通サイズのと同じであるようです。
 「ごっつおラーメン」の案内情報はこちら。 (続く)

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残るはマジノ女学院・・・?

2016年08月24日 | ガールズ&パンツァー

 上掲の画像は、テレビシリーズのBDおよびDVDの第3巻に収録される映像特典OVA第3話「スクールシップ・ウォー!」の一コマです。御覧のように、大洗女子学園の学園艦の内部の一角に他校の校章プレートが8つ並んでいます。全国大会に出場したチームの全てではありませんので、おそらくは過去に大洗女子学園と対戦したことがあるか、何らかの形で交流があるチームなのかもしれません。

 そして、この場面こそが、アニメ本編において他校チームの存在が明確に描写されるシーンの一つであるだけでなく、重要な意味を内包しています。
 と言うのは、ここにプレートの形で並んでいる他校チームが、アニメ本編のストーリーにおいて順番に登場しているからです。そしてアンツィオ戦OVA、劇場版を経て、7つのチームが出揃いました。

 残るは、右端に懸けられるプレートのマジノ女学院だけとなりました。これは一応、コミックスシリーズでの対戦試合が描かれていて、公式の二次創作ストーリーの一つに位置付けられていますが、アニメ本編での描写はこの上掲シーンだけです。
 このシーンに出た他校チームが全て登場する、というファンの間での噂が本当なのであれば、次期作としてマジノ女学院を登場させるOVAが制作される可能性が否定出来ません。と言うか、それを期待したいところです。

 果たして、次があるのでしょうか。マジノ女学院が本編に登場する日がくるのでしょうか・・・。
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の4 「ここなつの二人とイブとギャラリー」

2016年08月23日 | 倉吉巡礼記

 淀屋から回って西町の駄菓子店に立ち寄りました。店舗のウインドー内に芽兎めう、裏口前に霜月凛のパネルが置いてあるのは以前と同じでした。
 それで撮影していたら、向かいの人形店から出てきた店主の平さんに声を掛けられました。

「やあ、いらっしゃい」
「こちらのパネルは二枚ともあるんですね」
「そうよ。二枚置いてるってえのはウチだけ。ほんとは一枚だけだったんけど、こっち(霜月凛)はね、最初は淀屋さんに行ったんだよ。そしたらさ、あっちの人がね、このパネルはちょっとエロい感じがして淀屋の中に置くには相応しくない、って断ってさ。それでこっちに回ってきたんだよね」
「これがエロいんですか?」
「そう思わない?やっぱりなあ、そんなにエロくないよねえ」
「芽兎めうが「りんりん先生のおみ足」とか言ってる場面のイラスト化ですもんね」
「あっ、そうなの?そういう物語になってるの?」
「そのはずですよ。ですから最初はその再現ということで芽兎めうとセットになってるのかな、って思ったんですよ」
「セットで置いたんじゃないからね。後からこれ(霜月凛)が来たんだ。でも、そういうことなら、いいんじゃないか」
「置く期間は決まってるんですか?」
「一応は秋まで、ってなってるけど、こっちは延長してずっと置きたいなあ、と思ってるですよ」

 どうやら、ひなビタのキャラクターパネルにも、愛着を抱き始めている方々が少なくないようです。


 陣屋前通りの北の公園の脇に、ここなつの二人のパネルが並んでいました。新たに加わった5枚のうちの2、3枚目でした。


 公式設定では双子ですが、性格が逆なので、あんまり双子という雰囲気ではありません。それよりも気になって仕方がないのは、この二人の髪飾りがボルトとナットを象っていることです。何か曰くがあるのでしょうか・・・。


 続いて「くら用心」の土蔵ギャラリーに行きました。チアガール姿の和泉一舞が居ました。前日の神輿イベントで「イブ山車っ」にセットされていたパネルです。これで、新たに加わった5枚のうちの4枚までを確認しました。


 これはシーズン4のエピソード2の公式イラストを用いています。イブ自身が作った曲「激アツ☆マジヤバ☆チアガール」のイメージ画像として、シングルCDシリーズのファイブドロップ02のパッケージを飾っていたと記憶しています。


 打吹まつりの二日間のみ公開された、ひなビタギャラリーの看板です。


 ファン垂涎の、直筆イラスト&サインです。イラストはCUTEGさん、サインは原作者のTOMOSUKEさんのものです。イラストの、柔らかい線がまったりと引かれる独特のタッチが、個人的にはけっこう好みだったりします。


 4月の桜まつりのポスターですが、これには声優さんたちのサインが入っています。一枚しかない貴重なものだそうです。


 キャラクターの相関図です。ファンの基礎知識の一つですが、ガルパンキャラクターの相関図よりはちょっと複雑ですので、私も全体像を把握するまでに時間がかかりました。


 これが例の姉妹都市提携の協定書ですか・・・。冗談じゃなく本気でやったんですね・・・。倉吉市長の石田耕太郎さんは実在の方ですからサインも本物ですが、倉野川市長の貴船元佐さんは架空の存在なので、そのサインは誰が書いたんだろう、と思ってしまいます。
 

 そして、日向美ビタースイーツの5人を、倉吉市の観光大使に委嘱した際の正式な委嘱状です。石田市長さんもノリノリですね・・・。よくやるなあ、と感心してしまいます。
 観光大使になったことにより、今後は倉吉市の観光名所やスポットなどをひなビタの五人が紹介したりするコンテンツが構築されることになるのだろうな、と思いました。


 ギャラリーを出て、パネルと土蔵を撮影しました。 (続く)
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サンダース大学付属高校 M4A1シャーマン76mm砲搭載型(劇場版仕様) 完成です!!

2016年08月22日 | ガルパン模型制作記

 ラストのステップ9では、車体背面のラックに載せる備品やガソリン缶を作りますが、劇中車には装備されていませんので、これらは不要です。砲塔をつければ、完成です。


 下部車体に、起動輪、VVSS、誘導輪を取り付けました。いずれもアスカモデルのパーツですが、イタレリのキットにも違和感なくおさまりました。


 最後の追加作業として、フェンダー前部の形状をプラ板の貼り増しにて修正しました。キットのパーツは丸くまとまりますが、劇中車では外に広がる形です。ファイアフライの同部分とほぼ同じ形状なので、これも3Dデータを共用しているものと思われます。
 イタレリのキットの車輪部は、そのまま組むと全体的やや前に寄った状態になります。劇中車は誘導輪がもっと後ろに位置しますが、イタレリのキットでは5ミリほど前に位置するので、上下車体のかみ合わせ調整の際に下部車体の後端を3ミリほど削ってバランスを取りましたが、それでも車輪部が前のめりになる印象が払拭出来ませんでした。
 それが、フェンダー前部の形状を修正して前端を3ミリほど出すことで、少しバランスがよくなってきた感じでした。


 修正が完了しましたので、砲塔を仮組みしてみました。


 とりあえず、塗装前の組み立てと修正の全てが終わりました。


 塗装に進みました。サーフェイサーを薄く吹きつけて下地をこしらえました。


 車体色は、前回のケイ搭乗車と同じタミヤのエアモデルスプレーAS14を使用して吹き付けました。


 履帯は、ミスターカラーの28番黒鉄色で吹き付け塗装し、乾燥した後にゴム部分をポスカの黒で塗りました。


 転輪も、ポスカの黒で塗りました。ペン先を当てて固定しておき、転輪を指で回して塗りました。


 履帯を装着しました。上部車体と組み合わせると、履帯の上半分はサンドスカートに隠れてしまいますので、車体を組み合わせる前に塗装と装着を済ませておく必要がありました。


 車体の上下を組み合わせて、砲塔もセットしました。アリサ搭乗車独特の鋳造車体の曲面ラインが印象的です。


 車外装備品を塗りました。木製部分は43番のウッドブラウン、金属部分は28番の黒鉄色としました。劇中のワンシーンを参考にして塗りました。


 予備履帯ラックは28番の黒鉄色、予備履帯はポスカの黒で塗りました。後部ライトは8番のシルバー、左ライトの上側のみ47番のクリアレッドで塗りました。


 後部の装備品類の塗装が終わりました。


 車体前部においては、ライトを8番のシルバー、前部機銃を28番の黒鉄色で塗りました。


 デカールは、モデルカステンのガルパンデカールセットVol.1にあるものを使いました。


 サンダースのマーク群のうち、最上段に並ぶのが今回の車輌に使う分です。M4Aとあります。大きいサイズ2枚は砲塔左右に、小さいサイズ1枚は車体前面に貼ります。


 デカールを貼りました。


 砲塔の左右のデカールは、左右対称の位置にはありませんので注意して下さい。左側のマークがやや前に位置しています。


 左側面観です。


 右側面観です。


 正面観です。砲塔を右に向けてみました。76ミリの長砲身がカッコいいです。


 背面観です。背面左右にセットされた予備履帯ラックが、外観にメリハリを与えています。テレビ版仕様では予備履帯ラックがありませんので、外見の面では劇場版仕様のほうが変化に富みます。


 今回の製作ではVVSSをアスカモデルのパーツに交換し、サスペンションを可動にしていましたが、履帯を仮に付けてみると、その張力によって第一転輪と第六転輪が上に持ち上がって浮いてしまうのでした。実際には有り得ない状態なので違和感がありました。
 そこで、第一、第二転輪と第五、第六転輪は左右ともあらかじめサスペンション部を接着固定し、転輪だけが回るようにしました。その状態で履帯を付けたのが、上図の状態です。


 かくして、サンダース大学付属高校チームのM4シャーマン76mm砲搭載型が劇場版仕様にて完成しました。製作日数は、2016年7月21日から7月29日までの9日でした。組み立てに6日、塗装に1日、塗装後の組み立てとデカール貼り付けに1日かかりました。
 キットはイタレリの製品を使いましたが、スカート前端の形状と、砲塔の幾つかの細部が異なる程度でしたので、修正作業も比較的少なくて済みました。VVSSのパーツは劇中車の初期型と違って後期型であるため、こだわるならばアスカのパーツセットに交換するか、ドラゴン等の他キットのパーツを転用する必要があります。

 従来、ガルパンのM4A1シャーマン76mm砲搭載型の元ネタは、今回のイタレリのキットであるとされてきましたが、全体的にはその通りであることが実感出来ました。ただ、3Dデータ化の際のアレンジが各所に施されているようで、キットでは曲面になっている部分がアニメ劇中車では平面的になっていたり、砲塔側面の傾斜面が垂直面に変更されていたりと、多少の変化が見られたのも事実です。
 なので、制作自体は割合に楽なキットですが、劇中車に完全に合わせようとすると、車体側面部や砲塔部分を中心に大幅な整形作業が必要になります。再現度は九割で、と割り切っておくのも手でしょう。

 今年の6月から、今回のキットの再生産再販分が「WORLD OF TANKS アメリカ 中戦車 M4」として販売されていますので、現時点では入手も容易なほうでしょう。古いキットですが、出来は良く、パーツ数も少なく組み立て易いので、初心者にもおすすめだと思います。

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の3 「遊郭と医院と淀屋」

2016年08月21日 | 倉吉巡礼記

 倉吉新地にあたる越殿町の街路は、一ヵ所で長方形に回っていて、かつて遊郭街であったことを示しています。ですが、軒を並べた妓楼の大部分は廃絶して民家に転じ、いまでは普通の住宅街になっています。


 2016年8月現在、旧位置に建物をとどめているのは2棟となっています。20年前に訪ねた時は3棟でしたが、そのうちの一番大きな建物が取り壊されて駐車場および更地になっています。
 上図は、長方形の街路の東隅に位置する建物です。20年前に見たそのままの姿だと思うので、あれからずっと手入れや修理がなされないままに今に至っているようです。遊郭が栄えていた頃の状態や雰囲気を色濃くとどめているとみて良いでしょう。
 表札もかかっておらず、空き家か廃屋のような未使用感がただよっていました。このままいくと、いずれは取り壊されてしまうのかもしれません。


 裏口の並ぶさまにも、規模の大きさが見てとれます。当時の建築としては上級の、しっかりした部類に属しており、柱や板に良質の材がふんだんに使われているのが分かります。


 もう1棟は、長方形の街路の北側の真ん中あたりに位置しています。こちらは建物自体を建て替えているような感じがあり、とくに二階階部分はサッシが全面に施されて全体的にリフォームされています。表札があるので、現在は民家となっているようです。隅部を斜めに構えて玄関口にしている点は、辻に建つ古い町屋建築と共通する要素です。


 そして、長方形の街路の西側には医院らしき雰囲気の建物があります。なんでそれが分かるかというと、私の祖父が父方も母方も医者で、その構えた医院が似たような雰囲気の建物であったからです。


 特に、上図の建物が、いかにも昭和の古い街中の医院のそれらしい雰囲気をただよわせています。


 玄関口の横には、上図のように「健康保険醫」と記された青い表札がありました。「医」が旧字体の「醫」であるのが時代を感じさせます。「険」も旧字体のようです。昭和30年代に当用漢字が制定される以前のものだと分かります。
 そして、この表札は、健康保険制度が昭和初期から導入されていたことを示しています。ただ、現在のように強制加入ではなく任意加入であったため、一般にはほとんど普及しなかったそうです。しかし、遊郭では病気も頻繁に発生するため、遊郭の区域内に医院があるのはむしろ一般的であったようです。そして遊郭で働く女性たちは殆どが健康保険に加入していたそうです。
 いずれにせよ、街中の埋もれた歴史の一コマを示してくれる、興味深い表札でした。


 医院の斜め向かいに広がる駐車場および更地一帯が、かつて存在したもう一棟の遊郭建築の跡地です。


 この遊郭跡の脇の道を進んで信号交差点を渡った向こうが、越中町の街区です。八橋往還とも接する道なので、遊郭エリアへの道が繋がっているのはむしろ当然です。街道筋の歓楽街として賑わった様子がなんとなくしのばれます。


 町並みを東へ進み、倉吉淀屋に着きました。


 まだ公開時間帯まで5分ありましたので、外観を眺めて過ごしました。時間になると玄関口の撥戸が引き上げられて上に固定され、公開が始まりました。この日の一番乗りの見学客となりました。


 私のすぐ後に続いて入ってきた、スーツケースやカバンを持った学生らしき七人のグループが、建物の中を素通りして裏庭へまっすぐ出ていきました。全員が「ひなビタ」巡礼の倉野川市民であるようで、裏庭に立つ和泉一舞のパネルに歓声をあげ、スマホを向けて撮影したりしていました。


 その横から、施設のガイドを務めるおばさんが、「この娘には、これからもここで働いてもらうんですから、大事にしてゆきますよ」といった意味の事を話していました。
 このパネルはどうやら倉吉淀屋にほぼ固定して置かれるもののようです。そういえば、打吹まつりの期間中であるにもかかわらず、従来のパネルの大半が、それまでの設置位置から動いていないようなのでした。 (続く)

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ガルパンの操縦手たち

2016年08月20日 | ガールズ&パンツァー
 ガルパンには数多くの戦車が登場します。いずれも史実の実車には有り得ないような華麗かつ躍動的な動きを見せ、数々の名シーンを構成しています。それぞれの戦車の操縦手が、いずれも劣らぬ練度に達してきていることが伺えます。
 ですが、操縦手の活躍シーンというのは、テレビシリーズからアンツィオ戦、劇場版までを通してみても少ないです。その稀な、同時に印象的な操縦の場面を振り返ってみましょう。


 大洗女子学園チームにおいては、所属の八輌の戦車の操縦手のシーンが少ないながらもしっかりと描かれています。
 あんこうチームのⅣ号戦車においては、冷泉麻子がマニュアルを一通り読んで習得し、天才的な操縦ぶりをみせています。


 あんこうチームのⅣ号戦車の操縦手は、最初は五十鈴華が担当していました。西住みほのアドバイスを受けながら初めての機械操作にあたりました。戦車道ガレージからの発進の際に間違えて後進してぶつかりかけた他は、難なく操縦をこなしました。


 カバさんチームのⅢ号突撃砲F型においては、おりょうが操縦手を務めています。初めての操縦もそつなくマスターしており、練習試合で所定の位置に到達した視点で、満足げなドヤ顔になっていました。


 アヒルさんチームの八九式中戦車甲型においては、河西忍が操縦の任にあたっています。対アンツィオ戦での併走戦を経て練度を上げ、対プラウダ戦での追撃戦にも耐え抜いたあたりはさすがです。


 カメさんチームでは、小山柚子が38(t)戦車の独特の操縦装置を操っています。その修練の技が効果を発揮し始めたのは、対プラウダ戦での単騎突撃による攪乱作戦においてでしょう。


 ウサギさんチームのM3中戦車リーは、阪口桂利奈が操っています。もっとも未熟な一年生の拙い捌きも、試合を重ねるごとに上達しており、対黒森峰戦では見事な立ち回りを見せています。


 カモさんチームのB1bisの操縦手は、後藤モヨ子です。対プラウダ戦では雪山の斜面を登れずに冷泉麻子のアドバイスを受けたりしました。その後の腕の向上ぶりは、劇場版での活躍にみる通りです。


 レオポンさんチームのポルシェティーガーの操縦手はツチヤです。元々自動車部ですから、操縦の腕は大洗チームではトップクラスの筈です。重戦車を余裕で軽々と動かすあたりはさすがです。


 アリクイさんチームの三式中戦車チヌは、ももがーが操縦にあたっています。初陣の対黒森峰戦では操縦レバーの硬さに苦労しましたが、劇場版では筋力を鍛えて操縦の質を上げました。と言うか、上げ過ぎました。


 他校チームの戦車での操縦シーンは、観てきた限りではアンツィオ戦OVAに一部がチラッと描かれましたが、操縦装置の動きも明確に描写された場面は、劇場版の知波単学園チームの西絹代搭乗車の操縦手のシーンが最初だと思います。その後の同車輌の活躍ぶりから、その練度が並々ならぬものであることが分かります。


 劇場版では、アンツィオ高校チームのCV33をペパロニが操っていました。かなりの腕前であることは、対大学選抜戦でのジェットコースターのレール上を走り回ったりしているシーンからも伺えますが、終盤にて水面上を跳躍して渡り切ったところも見事なものでした。


 そして、劇場版で最も印象的な操縦ぶりを示したのが、継続高校チームのミッコでした。BT-42にてギアを入れてアクセルを思いっきりふかしてクラッチを繋ぎ、熊笹の群生を突き切って段差より跳躍するという、車やバイクのアニメでもやらないような並外れた急発進ぶりで、多くのファンを魅了しました。
 その後の片輪走行などの見事な操縦ぶりをみれば、ミッコが劇場版における戦車操縦手のMVPであることは間違いないでしょう。
コメント (4)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の2 「ウェディングりんりん先生」

2016年08月19日 | 倉吉巡礼記

 銀座通りをしばらく進むと、左手に以前は無かった新しい店舗の建物が見えてきました。そのショーウインドー内にパネルらしきものが見えました。あっ、あれか、と足早に近づきました。


 間違いなく、公式のツイッターで予告されていた画像のそれでした。


 これは、霜月凛ですね。しかもウェディング姿です。店舗自体がウェディング専門店「とさき」の建物ですから、こういうパネルがあっても違和感がありません。


 しかし何ですな、霜月凛のこういう表情はあんまり見かけません。ウェディングりんりん先生、なかなかいいじゃありませんか。ウキーーッ。(アホかお前は)


 これで新パネルの一枚を確認したわけですが、次の交差点まで行くともう、その先にはパネルが無さそうな感じがしました。とりあえず引き返すか、と思って付近の景色を見回したとき、角の上図の店舗建物が目に入ってきました。かつてはレコード店だったようで、廃業して久しい雰囲気でしたが、どうみても「ひなビタ」の元ネタの建物の一つじゃないか、と思いました。
 つまり、山形まり花の実家のレコード屋「サウダージ」によく似ているのです。


 街区の南へ回り、路地などを通ってパネルのありそうな場所を探しましたが、なかなか見当たりませんでした。今回のパネル探しは、もしかして難易度が高いのではないか、と思ったりしました。


 途中で見かけた、「わたなべ」という看板のある店舗です。前回来た時は工事中でしたが、それはこの外装のリフォーム工事であったようです。
 この建物は、以前から和泉一舞の実家の「いずみ洋裁店」の元ネタではないか、とされています。


 パネルが見つからないまま、打吹公園通りの明治町交差点まで回ってきてしまいました。時刻を見るとまだ9時を回ったばかりで、町並みの店や施設の大半が開く10時までにはまだ間がありました。そこで、倉吉新地の遊郭エリアに久しぶりに行ってみることにしました。20年前に訪ねた時は数軒の古い遊郭建築を見ましたが、幾つかは取り壊されて消滅してしまった、と聞いたからです。

 そこで、銀座通りをもう一度西へ進んで福吉町の福祉会館の西へ行き、JA鳥取の大きな施設を見ました。かつては倉吉新地と呼ばれた遊郭街区の東側にあたっていた場所ですが、その面影は微塵も残されていませんでした。


 付近の民家も多くは近年に建て直されています。普通の地方都市の市街地の景色です。


 越殿町への路地を通って北に抜けると、道路脇に稲荷社がありました。20年前に訪れた時とあまり変わっていないように思いました。
 かつて各地に栄えた遊郭には、たいてい稲荷神社がお祀りされています。稲荷神社のある所に遊郭を作ったケース、遊郭に稲荷神社を勧請したケースの双方があるとされます。そして遊郭において稲荷神は梅毒予防に御利益があるとして崇められました。多くの芸妓や遊女が稲荷社にお詣りして、無病息災を願ったということです。 (続く)

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サンダース大学付属高校 M4A1シャーマン76mm砲搭載型(劇場版仕様) 作ります!! その6

2016年08月18日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8では、砲塔部分を組み立てます。今回のキットにおいて、最もガルパン仕様への工作箇所が多いのが砲塔部分です。


 ワンシーンにて劇中車の状態を確認してみますと、今回のイタレリキットとの相違点は、上図に示した4ヶ所か挙げられます。左側面にある排莢口の位置と形状、両後側面のフックの位置、背面の銃身ラックが右側のみであること、アンテナの形状、です。


 砲塔の本体は御覧のように82と85の上下分割になっています。左側面にある排莢口81とその蓋83が別パーツになっています。これは閉状態にしますので、支柱84は不要となります。


 砲塔の上下を貼り合わせる前に、排莢口のパーツ81を組み付けることになります。蓋の83はサイズがやや小さいので、ドラゴンのM4シャーマンノルマンディの不要パーツのB16に交換しました。上図の下のグレーのパーツがB16です。そのヒンジ部の軸も、同じ不要パーツのB52を使用して調整し組み付けます。


 排莢口のパーツ81を、キットガイドの指示通りにつけると、上図のような状態になります。これに蓋の83を付けると、蓋そのものは車体表面と同じレベルにおさまります。劇中車では蓋だけが外に出っ張る感じですので、パーツ81をそのまま貼り付けることは出来ません。


 そこで、パーツ81を、裏向きに取り付けました。周囲を削って車体表面に合わせて均せば、あとは蓋を貼り付けるだけで劇中車の状態に近くなります。


 砲塔の上下を貼り合わせました。同時に砲身もセットしています。接着剤が完全に乾いてパーツ同士が固定された後に、パーツ81の周りを削って滑らかに仕上げることにしました。
 なお、上図では、砲塔側面後方にフック92を取り付ける位置が薄くモールドされていますが、劇中車の位置とは少しずれるので、モールドは後で削り取りました。


 続いて、背面の銃身ラックが左右二本あるのを、劇中車に合わせて右側の一本のみにします。上図にて黄枠で示したラックはカットします。赤枠で囲んだ右側ラックは、位置が異なるため、いったんカットして付け直します。キットでは砲塔背面上端についていますが、劇中車ではやや下についているからです。


 さらに、砲塔上面では四ヶ所の修正工作ポイントがあります。前方左側にある二つの突起をカットし、リベット付きの円蓋の位置を修正します。左後部にある円板にリベットを追加し、右後部のアンテナ基部のリベット付きの方形モールドを削り取ります。これらの工作によって、ほぼ劇中車の状態になります。


 工作途中の状態です。


 左側面の排莢口81のパーツの出っ張り部分も削って車体表面に合わせ、ヤスって均しました。


 砲塔上面に取り付けるパーツ類です。キットの指示では機銃も取り付けますが、劇中車は機銃をつけてませんので、その関連パーツ93、94、95、96、97は不要です。


 砲塔上面に各パーツを取り付けました。左側面の排莢口にも、ドラゴンキットからの転用パーツを取り付けました。両後側面のフック92の取り付け位置も、劇中車に合わせました。


 二ヶ所のハッチ部分のモールド表現は、厳密には劇中車と異なりますが、蓋や旋回式ペリスコープ等の可動部分であるので拘らないことにしました。
 また、アンテナの90も形状を修正して取り付けています。キットパーツではラッパ状の部分がありますが、劇中車には無いので、それに合わせて棒状に修正しています。


 また、砲塔パーツの貼り合わせ部分に僅かな段差や隙間が残るため、接着剤を盛って乾燥させたのちにヤスって埋める、という方法で均してゆきました。


 上面前方左側にあるリベット付きの円蓋の位置を修正したのにともない、その原位置の出っ張りも削って無くしました。このキットのプラスチックは硬くて削りにくく、ヤスると無数の傷がついてしまいます。それで、流し込み接着剤を薄く塗って、傷を溶かして目立たないように仕上げました。


 背面の、右側のみの銃身ラックは、上図のように位置を劇中車に合わせました。


 以上で、砲塔部分が完成しました。劇中車との相違点が最も多い部分ですが、これはイタレリのキットに限らず、ドラゴンのオペレーションコブラのキットを使用した場合でも似たような状況になります。したがいまして、ガルパンのM4A1の砲塔部分に関しては、劇中車独自の形や要素がかなり入っているものと思われます。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の1 「早朝のイブ山車っ」

2016年08月17日 | 倉吉巡礼記

 2016年8月7日、打吹まつりの二日目に倉吉入りしました。琴桜口の観光駐車場に車を入れて気付いたのは、遠方からやってきた方がことのほか多かった事でした。車のナンバーをみると、千葉、水戸、とちぎ、品川、練馬、湘南、富山、松本などがありました。西日本のナンバーは、地元鳥取以外はほとんど見当たりませんでした。
 着いたのが朝の8時前でしたので、街中はまだ静まり返っていました。


 玉川沿いの白壁土蔵群のエリアを歩いてみました。


 昨晩の「遥かなまち夢回廊」で使用されたかがり火の台が玉川に並べて据えられてありました。前日の6日はどうしても休みが取れませんでしたから、この台からゆらめいたかがり火の焔を見ることがかないませんでした。


 赤瓦一号館の駐車場にて、前日の神輿パレードにて曳かれた「イブ山車っ」を見つけました。チアガール姿の和泉一舞のパネルがセットされていたそうですが、既に外されていました。おそらく今日は街中のどこかに設置されるのだろう、と考えました。

 情報によれば、この打吹まつりにて「ひなビタ」のキャラクターパネルが新たに5枚加わった、ということでした。そのうちの一枚が、この「イブ山車っ」にセットされていたのでしょう。
 ちなみにこの「イブ山車っ」は、その後すぐに解体されて姿を消してしまいましたから、その姿を見て写真におさめられたのはラッキーでした。


 街中を歩いてみましたが、見事に人影が見当たりませんでした。前日から滞在中の「倉野川市民・ちくわ軍兵士」の面々はまだ宿にてまったりしていたのでしょうか。


 誰もいませんね・・・。


 朝の静寂に包まれる白壁土蔵群の風情もまた格別でした。


 打吹公園通りを南下して、旧福神館のウインドーに春日咲子のパネルが変わらずセットされているのを確かめました。これは秋までずっと固定されているのかもしれません。


 打吹まつりのポスターです。この日は夜に天神川河原にて花火大会がありますが、これを見物すると帰宅が深夜になってしまうので諦めました。


 とりあえず、銀座通りを西へ進みました。新たに加わった「ひなビタ」のキャラクターパネル5枚のうちの1枚が、この通りのどこかにあると推定していたからです。公式のツイッター等で予告された画像などを見ると、映っている道路が銀座通りのそれであったからです。 (続く)

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