気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く16 その10 「再びアリサの宿です!!」

2015年04月30日 | 大洗巡礼記

 宿のチェックイン時刻が近づきましたので、商店街巡りを切り上げました。温泉に浸かってゆっくりしたいな、という気分でした。朝からあちこち自在に回っていたので、軽い疲労感もありました。


 曲松商店街の信号交差点です。角にケイが居ます。


 宿の「小林楼」に入って、部屋に落ち着きました。前回泊まったのと同じ部屋でした。窓からは鹿島灘が見渡せる、気持ちの良い空間でした。
 机の上に置いてあった宿泊特典の包みを解くと、上図のような三つの品が出てきました。アリサの缶バッジは新デザインになり、サンダース校のポストカレンダーと名刺がつきました。カレンダーは自室のパソコンデスクに置けるサイズで、これが一番嬉しい品でした。


 この日、色々な形でいただいたガルパン公式缶バッジです。全部で15個、購入時の特典がほとんどでした。
 温泉にゆっくり浸かり、夜の鹿島灘の波音に耳を傾けつつ、買いそろえた夕食の品々をゆっくりと食べました。「ココストア」の角谷杏の酒、「加藤豆腐店」の冷奴、「カジマ」の海老カツやコロッケ、「鳥孝」の唐揚げ、でした。


 翌朝も快晴でした。海面より昇ってくる朝日を拝み、さざ波の寄せる鹿島灘の岸辺の景色を眺めて過ごしました。


 潮も満ちてきたようで、昨日は渡れた神磯の鳥居付近の岩場までのルートが水没しているのが見えました。


 神磯鳥居付近の岩礁を望遠モードで撮影しました。


 朝食の時間までまだ間があるので、朝風呂を楽しみ、次いで海岸の散歩に出かけました。朝もアリサは玄関口で元気に立っています。


 玄関口のたたずまいです。両側にアリサがいて、ガルパンファンにとってはなかなかに楽しい風景になっています。


 良い天気になりました。この日はいよいよメインの那珂湊行きを実行するので、ワクワクしていました。


 大洗磯前神社の二の鳥居に向かって一礼しました。


 海岸の堤防内歩道を散歩しました。


 途中で、同じ宿に泊まっている一般観光客の方と出会い、歩きながら少し話をしました。昨晩に温泉でも一緒になって色々話しましたので、その続きといった感じでした。先方はガルパンとは全く無縁の方で、水戸の偕楽園の観梅祭などを見てここに泊まり、今日は鹿島神宮にお詣りするのだと話してくれました。
 それで、昨夏の鹿島神宮参詣の体験などを話し、国宝の神剣の件など色々聞かれました。やっぱり鹿島の神剣はとても人気がありますね・・・。


 話しながら宿の前庭の席に落ち着き、ついでに記念写真を撮っていただきました。


 朝食を美味しくいただきました。この日、那珂湊では「ほのぼの作戦」にもチャレンジして食べ歩きをする予定でしたので、あらかじめ申し出て、御飯はお椀一杯だけで済ませました。


 部屋に戻って少し休み、那珂湊での行動計画を再チェックしました。昨日から借りている自転車でまる一日走り回ることになるので、地図などを丹念に見てコースに間違いが無いかを調べました。
 この日、いよいよ念願の虎塚古墳へ行くことになるのです。絶好のサイクリング日和であり、出発前からもう気分は最高でした。


 これも鹿島の海神の御加護でしょう。神磯の鳥居に向かって三度拝礼し、感謝を捧げました。


 穏やかに凪いでゆく大海原をしばらく眺めて過ごしました。このままずっと見ていたい景色でしたが、荷物を整えて出発することにしました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く16 その9 「ぶらぶら巡りです!!」

2015年04月29日 | 大洗巡礼記

 神磯の鳥居です。この日は海岸の岩礁が沢山見えていましたので、引き潮であることが分かりました。鳥居のある岩礁まで行けるかもしれない、と思いました。


 荷物を降ろして身軽になり、足元を慎重に確かめながら一歩一歩ゆっくりと岩の上を進みました。岩場はゴツゴツしているので、普通に立つのも難しく、少し腰をかがめてバランスをとりました。


 近づいてゆくと、鳥居の建つ岩礁との間に大きな亀裂の谷があるのが分かりました。これを飛び越えないと無理だと分かりました。西住みほのように跳躍出来れば問題ありませんが、足場が不安定な上に高さもあるので、これ以上の接近は諦めて、鳥居に一礼しました。


 潮が引くと、海岸の景色も起伏に富んだものになります。夕陽に染まる頃は綺麗でしょうね。


 海岸から車道に戻り、旅館「小林楼」の前を通りました。この日はここに泊まる予定でしたが、まだチェックインの時間になっていなかったので、散策を続けることにしました。
 前述の通り、今回の滞在期間は、大洗にて開催された全国小学生体操大会の期間と重なったため、町の中心街から南にかけての宿泊施設は全国からの小学生選手と関係者たちで軒並み満員となってしまい、北端の宮下エリアにおいてすら、少し空きが残っている程度でした。色々あたって、ようやく見つけた一ヵ所が「小林楼」でした。一度泊まったことがありますし、温泉付きなので、ラッキーでした。


 アリサの旧パネルです。玄関横の食事処の室内に置かれていました。


 こちらは新パネルです。玄関口の脇にあり、ドヤ顔で笑みをみせています。劇中のキャラクターがよく表れていて、こちらのほうが自然体であるように思います。


 神社鳥居前に停めてあった自転車に戻って、海岸沿いのバイパス線を走り、大洗漁港の方へ回りました。上図の「大洗町漁業組合」と「ダイカツ水産」の建物は、劇場版予習PVにも登場しています。これらの前の車道を、聖グロリアーナ女学院チームのクルセイダー隊が疾走していましたね。


 大洗港の埠頭には、巡視船「あかぎ」が停泊していました。定期的に担当海域をパトロールするそうですが、いつやっているのでしょうか。この日はずっと停泊していたように思います。


 この日の「小林楼」は翌日の朝食のみプランで予約していたので、夕食のおかずなどを「カジマ」で買うことにしました。


 ホシノの新パネルです。いいですね。


 旧パネルの置かれた店内の陳列ケースはほとんど空になっていて、惣菜のほとんどが売り切れ状態でした。しかし、注文すれば作るということなので、海老カツとコロッケとカニ御飯をオーダーしました。


 「カジマ」の本社社屋の前の交差点です。この場所も劇場版予習PVにも登場しています。水浜電車廃線跡のルートで、上図の左端からⅣ号戦車が進んで、右側からの砲撃をかわして交差点で左折していくのでした。


 「石福」に立ち寄ってフルーツの缶詰を購入し、店主の石井さんと少し雑談を楽しみました。


 そのあと「鳥孝」の前で店主稲石さんに出会い、そのまま店内へ導かれてしばらく雑談をして過ごしました。左奥には、缶バッジ展示ボードの三枚目が立ててあります。
 これは、私の自作ガルパン缶バッジ専用の陳列ボードですが、稲石さんは「全部揃ってるのは、ウチにしかない貴重品だからね、これはもう特別なんでね、こうやって店の営業許可証と一緒に並べてあるんだ」と笑っていました。大切にしていただき、有難うございます。



 店内の缶バッジ展示ボードの一枚目です。公式バッジのみを並べてあり、既に満杯になっています。


 店内の缶バッジ展示ボードの二枚目です。もとは同人系バッジだけを並べていましたが、少しずつ撤去して、最近出た公式バッジと入れ替えてあります。さらに、今回私が自作し寄贈させていただいた「鳥孝スペシャル8個セット」を追加してあります。
 右側の下の方に並んでいる水色と黄色の台紙の8個がそれで、お店のロゴや磯辺典子のフィギュア、私が作った八九式中戦車甲型、さらに稲石さんの顔写真などをバッジ化してあります。稲石さんは「こりゃいいねえ」と大喜びですぐにボードを整理してスペースを空け、そこに並べてくれました。


 「江口又進堂」では江口さんに虎塚古墳のことを色々と教えていただきました。虎塚古墳へは明日行きます、と言うと「埋蔵文化財センターの方にも貴重な珍しい埴輪が展示されてるから、是非見ておいてね」と言われました。
 どんな埴輪ですか、と訊ねたら、すぐに茨城県歴史館の過去の特別展の図録をもってきて、該当品の写真を示して下さいました。赤ん坊を抱く母親の埴輪でした。奈良を始めとする近畿地方でも見たことのない珍しい埴輪でした。翌日の楽しみがまた一つ増えました。


 「山戸呉服店」のアンチョビは新パネルでした。旧パネルの二枚も並んでいたので、賑やかな感じになっていました。前回の訪問時に、同行したナガシマさんが買おうとして果たせなかったガルパンのサイクルボトルのことを尋ねたら、すでに完売してあとは予約受付分のみだ、ということでした。
 以前に梅田や水戸のキャラポップストアへ行ったときには大量にありましたから、その時に買っておくべきでしたね・・・。

 周知のように、ガルパングッズというものはすぐに売れて無くなってしまうので、注意が必要です。最近には「年宝菓子店」のガル缶、笠間焼とのコラボ商品である「戦車型花器」や「マグカップ」や「フリーカップ」などが発売と同時に売り切れになっていますね・・・。私自身はいずれもあまり欲しくなかったので買っていませんが・・・。 (続く)
コメント (2)
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ガールズ&パンツァー 大阪ぼちぼち作戦です!

2015年04月28日 | ガールズ&パンツァー

 「World of Tanks Meets ガールズ&パンツァー 大阪ぼちぼち作戦です!」が4月25日から大阪にて開催されています。期間は5月6日まで。公式案内情報はこちら


 場所は、大阪難波の日本橋堺筋通でんでんタウン及びオタロード。範囲がそんなに広くないので、2時間もあれば全部回れるでしょう。最寄りの駅は、大阪地下鉄堺筋線の「恵美須町」駅です。JR大阪駅からのルートは二つあります。
 ① JR大阪駅御堂筋口→大阪地下鉄御堂筋線「梅田」→「動物園前」→堺筋線に乗り換え→「恵美須町」
 ② JR大阪駅御堂筋口→大阪地下鉄谷町線「東梅田」→「南森町」→堺筋線に乗り換え→「恵美須町」
 「恵美須町」駅は、コラボ店舗の分布エリアの南にあるので、A1出口から外に出て右へ進んで北進すれば良いです。右側に「ボークス大阪ショールーム」の高いビルが見えてきたら、それを目印にすれば良いでしょう。


 2015年4月26日、快晴のもとで朝から大阪日本橋堺筋に出かけてこの「ガールズ&パンツァー 大阪ぼちぼち作戦です!」を楽しんでまいりました。
 上図は、「恵美須町」駅付近で撮った、午前10時前の堺筋通です。日曜日の朝ですが、多くの店がまだ閉まっているので、閑散としていました。


 参加コラボ店舗は9ヶ所ありますが、そのうちの7ヶ所までが11時からの開店です。10時台から開いているのは上図の「メロンブックス大阪日本橋店」でした。オタロードのやや南寄りに位置しています。
 このお店では、商品をなんでもいいから購入し、大阪ぼちぼち作戦を楽しんでいる旨を申し出れば、缶バッジを貰えます。私は模型雑誌を一冊買いました。


 次に向かったのが、最も北に位置している「カシュカシュ日本橋3丁目店」でした。初めて聞く店名だったので、何の店だろうと行ってみたら、インターネットカフェでした。セブンイレブンの上の階にあり、利用すれば缶バッジが貰えるようですが、インターネットカフェを利用したことが無いので、ここはパスしました。


 近くの喫茶店で遅いモーニングを食べて時間をつぶし、11時になったので三ヶ所目の「ドスパラ大阪なんば店」へ行きました。パソコンなどの販売店です。その一階にWOTの試遊コーナーがあるので、そこで一度プレイを試みました。すると店員さんが缶バッジの沢山入った袋を持ってきて、お好きなのを一つどうぞ、と言ってきました。缶バッジはみんな銀色の包装袋に入っていますので、中身は分かりません。くじみたいな感覚で一個を取り出しました。


 四ヶ所目は「コトブキヤ日本橋店」でした。その3階でガルパン関連のグッズを何か購入すれば、缶バッジが貰えます。私はラバーマグネットを一つ購入しました。


 上図左が、五ヵ所目の「グッドウィル大阪日本橋店」です。このお店では500円以上の購入で缶バッジが貰えました。上図右が、六ヶ所目の「パソコン工房大阪日本橋店」です。一階にWOTの試遊コーナーがあるので、プレイしましたら、店員さんが缶バッジを下さいました。


 七ヵ所目は「いか玉焼きの店TAKU屋」でした。唯一の食べ物屋なので、作戦中のおやつ休憩にはうってつけでした。いか玉焼きは1枚150円でした。


 このお店では、300円以上の購入で缶バッジが貰えます。フランクフルトも150円ですので、いか玉と合わせて注文し、缶バッジもいただきました。


 八ヶ所目は「ボークス大阪ショールーム」でした。一階エントランスの中央にガルパングッズ特売コーナーがありました。缶バッジ特典がつく購入条件は四通りのパターンがあって、分かりにくかったので店員さんに質問して詳しく教えていただきました。下記の通りであるそうです。
 ① ボークスが販売しているキャラグミンのガルパン商品を一点購入すれば缶バッジ一個がつく。
 ② ボークスが販売しているキャラグミンのガルパン商品全部を一括で購入すれば缶バッジ10種類全てがつく。
 ③ ボークスが出しているガルパングッズを一点購入すれば缶バッジ一個がつく。
 ④ ボークス以外の他社の出しているガルパングッズ合計1000円以上の購入で缶バッジ一個がつく。

 私自身は、③のパターンで2点を買い、④のパターンで1000円余りを購入しましたので、缶バッジは合わせて三個をいただきました。
 それにしても、②のパターンは凄いですな・・・。キャラグミンのガルパン商品全部って、あんこうチームの1/7と1/16スケール、ダージリンやケイなどもありますから、あわせたら6、7万円ぐらいになるんじゃないでしょうか・・・。買う人がいるのか疑問ですが、10種類の缶バッジを一度にコンプリート出来る唯一の手段です。


 ラストの九ヵ所目は「マウスコンピューター大阪ダイレクトショップ」です。コースの起点および終点となる「恵美須町」駅に最も近いお店です。ここでもWOTの試遊コーナーがあり、プレイしましたら、店員さんが缶バッジを下さいました。


 以上で、合計10個の缶バッジを持ち帰りました。御覧のように、みんな銀色の包装袋に入っていますので、中身は開けるまで分かりません。もちろんお店の方でも何が入っているかは分からないので、一個を持ってきて手渡したり、箱や袋に沢山入った中から好きなのを一個選んだり、とお店によって渡し方が様々でした。

 なので、一回の作戦行動で10種類すべてを揃えるというのは、まず無理だろうと思います。二、三回は行かないと揃わないでしょう。お店の方でも、一日に配布する数を50個と決めているので、その日の在庫が無くなれば終わりです。だから早めに行った方が良いと考え、今回はほとんどのお店の開店時間より前に現地に着くようにしたわけです。
 が、関西地区はガルパンファンの数が絶対的に少ないので、日曜日であってもそれらしい人が見当たらず、私が二時間をかけて歩き回っている間にも、似たようなガルパンファンを見かけたのは三度ぐらいでした。おそらく、大多数は5月のGW期間に多く来店するのでしょう。


 銀色の包装袋を開いて中身を取り出してみました。御覧のように、対戦校チームの隊長バージョンは5種類が全て揃いました。ケイとカチューシャとノンナはダブり分が出ました。
あんこうチームバージョンの5種類のなかでは、冷泉麻子だけをゲットしました。私は冷泉麻子のファンですから、これで充分です。
 なお、サイズは65ミリで、私が知る限りでは、公式缶バッジにおいてはデカンバッチに次いで二番目の大きさです。大洗発の公式缶バッジの二倍以上の大きさです。

 以上、「ガールズ&パンツァー 大阪ぼちぼち作戦です!」のレポートでした。

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懐かしの倉吉へ (下)   500体のねんどろいど

2015年04月27日 | 倉吉巡礼記

 今回は、倉吉博物館の「フィギュア博覧会」の見学レポートです。
 倉吉博物館は、外装を古い街並みの赤瓦と城壁のイメージにまとめ、打吹山公園の東側に位置して落ち着いた空間を有します。以前は歴史民俗資料館を含む施設でしたが、統合後は展示室を美術部門と歴史部門とに分け、主に美術部門での展示に力を入れてきた実績があります。
 それで、今回のフィギュアやねんどろいどというカテゴリーも、いわゆる造形品の一種と捉えて美術カテゴリーの展覧会を実現したのでしょう。


 フィギュア博覧会の会場は無料でした。桜ミクの案内POPが良いです。
 公立博物館の特別展示がタダで見られるというのは、滅多に無いことです。展示品の出品者側が出資する場合に限られるはずなので、今回の展覧会はグッドスマイルカンパニーさん側の希望で成立、倉吉博物館が会場を提供した、という形なのかもしれません。


 会場は二階にあり、階段を登ってエントランスに向かうと、大きな看板の下の奥の展示空間に「ぐま子」とグッスマ星人が居ました。東京本社からはるばるやってきたのですね。ぐまー、と挨拶しておきました。
 この「ぐま子」は中に人が入ってイベントなどでマスコットとして活躍しているものです。アニメイベントやホビーショーなどで、主にミクダヨーとペアで出ていたのを御存知の方も多いと思います。身長が私とそんなに変わらないのですが、写真では大きさがあまり伝わってきませんね・・・。


 「ぐま子」のねんどろいどは私も持っていますが、こちらの「ぐま子」と全く同じ姿です。体型もねんどろいどタイプなので、ねんどろいど商品化を前提としてデザインされたのかもしれません。
 しかし、2008年に4月バカのイベント「ぐっすまうどん」に絡めて「ぐま子」が初登場した時は、またグッドスマイルカンパニーさんが遊びと冗談で楽しませてくれるな、という程度に見ていましたが、まさか正式キャラクターにおさまるとは予想もしませんでした。何がどうなるか分からないものです。


 入口のパネルも「ぐま子」メインです。これ欲しいなあ、ポスターとか売ってないかな、と思いましたが、販売コーナーにもポスター類はありませんでした。ぐまー。


 会場に入るやいなや、視界に入ってきた長大な展示ケースです。ずらりと並ぶ500体のねんどいどです。おーこれが500体か、500体って思ったよりも凄い数だ、展示して並べると壮観だなあ、と感動しました。


 初期の商品はほとんどが初めて見ましたね・・・。こんなのがあったのか、と眺めてしまう商品が多いのでした。順に見ていくと、だんだん知っている商品が出てまいりました。こなた、涼宮ハルヒ、びんちょうタン、コトナエレガンなど。


 初音ミク、鶴屋さん、鏡音リン、朝倉涼子、桂木弥子・・・、おおっ、ペンギンこと南極さくらがありますね・・・。知らなかった、ねんどろいど化されていたのか・・・。


 ああ、ざんげちゃんが居ますな・・・。ナギ、つかさ、ゆい・・・。ゆいって「こはるびより」のキャラだったかな・・・。・・・なんだこのクマみたいなのは・・・、レオナルド博士?知らんぞ・・・。・・・サイボーグみたいなウサギがおるな・・・、ウサコッツ?全然知らんぞ・・・。


 100番台前後から、知っているキャラクターが増えてきました。玩具店やフィギュア専門店などで現在も販売しているのを見かけることが多いですからね。「リリカルなのは」や「けいおん」などのキャラクターはみんな好きでしたが、商品を買うまでには至りませんでした。
 このなかで買ったことがあるのは96番の海上じえいたんです。ウェブコミック「魔法の海兵隊員ぴくせる☆まりたん」が結構好きだったので・・・。


 000番、001番のネコアルクです。ねんどろいどシリーズの最初のキャラクターはオリジナル品だったのだと、初めて知りました。000番があるというのも初耳でした。


 9番の涼宮ハルヒです。人気アニメキャラクターのねんどろいど商品化第一号だそうです。これが大ヒットしたことにより、現在に至るねんどろいどシリーズの基本方針が定まったということです。


 ねんどろいどシリーズにおいて最多のバリエーションを誇る初音ミクシリーズの第一号が、上図の33番の商品です。以後のミクは色々と変化があり、季節ごとのデザインバージョンもあるので、どれが本来の姿なのかよく分かりませんでしたが、これを見てやっと理解出来ました。私が持っているミクは、ファミリーマートのくじ商品だけなのですよ・・・。


 161番のストッキングです。以前はこれも持っていました。アニメ「Panty & Stocking」のキャラクターですが、けっこう気に入っていました。五年ほど前、模型サークルの知人にあげました。引き換えにコムクラフト社の「あきつ丸」をいただきましたが、今考えると、ちょっと惜しいですね。


 それから順に見てゆくと・・・。


 310番は、ガルパンの西住みほです。


 続けて見てゆくと・・・。


 412番は、ガルパンの秋山優花里です。


 さらに見てゆくと・・・。


 434番は、ガルパンの武部沙織です。現時点で商品化されているガルパンキャラクターは三人までです。あとは五十鈴華、冷泉麻子、ですが、商品化決定のアナウンスがあったのみで、いまだに具体化されていません。


 そして真ん中あたりを見てみますと・・・。


 200番のぐま子とグッスマ星人です。同じのを私も持っています。独特の可愛らしさがあって良いです。ぐまー、と言いつつ、うどんを食べたくなります。


 最新の商品が500番の桜ミクです。グッドスマイルカンパニーさんが倉吉市の西倉吉工業団地内に国内初の生産拠点となる「楽月工場」を設置し、最初の国産商品として送り出したものです。記念品的な存在であるせいか、造形表現のクォリティも高く、髪に表される桜の意匠などはほとんど蒔絵に近い出来栄えです。日本のフィギュア造形技術が世界一であることを改めて示してくれます。

 日本美術工芸史を専攻し、仏教美術を中心とした造形美術の歴史を研究した私から見ると、日本のフィギュアは既に立派な造形芸術の域に達しつつあると思います。かつては仏像や彫刻の立体化に進んだ技術を示して多くの名品を生んだ日本ですが、現在の創作系立体造形のジャンルにおいては、どう考えてもアニメフィギュア関連の作品が質量ともに他を引き離していると思います。間違いなく、世界に誇るべきコンテンツであって、近い将来には日本美術史の一ページに加わると思います。冗談でなく、本気でそう考えています。


 とにかく、500体の展示は、博物館の特別展示の展示数としては桁外れです。普通の特別展示の出品数平均が多くて200点前後であることを考えますと、ねんどろいどだけで500体、他のフィギュアも合わせると600体を超えるというのは凄いと思います。
 展示が展示だけに、見学客も若い人が圧倒的に多かったです。女性が多く、ねんどろいどが女の子にも人気があることが改めてうかがえました。男性も10代や20代が大半でした。博物館に若者が集まってくるという事自体が珍しいので、こういう展覧会は今後も当たるだろう、と感じました。


 ねんどろいど以外のフィギュア商品も、100点ほどが出品されていました。上図はマックスファクトリーさんの「魔法少女まどか☆マギカ」のキャラクター群です。


 パネル展示で興味深かったのは、上図の「楽月工場」の解説コーナーでした。工場の精密な模型も展示され、商品の生産ラインの様子が分かるようになっていたのも面白かったです。地元住民にアピールし周知を図る、といった目的も付与されているのでしょう。
 グッドスマイルカンパニーさんは、世界的に有名な日本のフィギュアメーカーですので、その工場誘致に成功したことは、倉吉市にとっても非常に有意義な出来事だった筈です。市を挙げて歓迎したほか、県も全面的に後押ししたと聞いています。


 面白かったのは、上図のねんどろいどの着色作業手順を、桜ミクの実際のパーツごとに示してある展示パネルでした。ねんどろいどって、こんなに細かくパーツ割りされているのか、と驚きました。一つ一つ手作業で行われる部分も少なくないそうです。造形のクオリティの高さは、造形職人たちの高い技術のなせるわざなのですね。


 500番の桜ミクのパッケージサンプルです。何人かの女性見学客が「これ売ってないんですか?」と係員に問い合わせているのが聞こえました。会場内の販売ブースでも完売だったようで、既に入手が困難になってしまっているようです。
 ねんどろいどの初音ミクはいずれのバージョンでもすぐに売り切れるほどに人気があるそうなのですが、500番の桜ミクは国内生産第一号ということもあり、蒔絵のような仕上げの美しさなどもあって、発売前から話題沸騰、予約殺到だったということです。

 それよりも驚いたのは、付け替えパーツの中に団子が入っていて、どう見ても倉吉特産の「打吹団子」なのでした。倉吉の「楽月工場」の生産第一号ですから、地元倉吉のアピールもきっちりやってくれるわけですね。やるじゃないか、グッドスマイルカンパニーさん。


 会場出口にも「ぐま子」のパネルがありました。これマジで欲しいんですけど・・・。ぐまー。


 会場内の販売ブースで購入してきた、倉吉土産の「打吹公園だんご」です。昔からある特産物の一つで、私が見てきた限りでは、日本で一番小さな団子じゃないかと思います。鳥取に居た頃にも何度か倉吉で買いましたが、今回は博覧会記念の特別包装になっていて、桜ミクが打吹団子を手にする姿がデザインされています。商品パッケージの付け替えパーツの中に入っている打吹団子と皿をセットした姿ですね・・・。

 で、打吹公園の桜を背景にして撮ってみました。いい絵になりました。
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懐かしの倉吉へ (上)   思い出は新たな夢に

2015年04月26日 | 倉吉巡礼記

 2015年4月22日、長く続いた雨や曇りの日々が嘘のような、澄み渡った青空が広がりました。中国自動車道美作インターを降りて国道179号線に進み、人形峠を越えて鳥取県三朝町に入り、まずは三朝温泉街を抜けて三仏寺に登りました。境内の山桜は、芽吹く若葉の中にまだ無数の花びらをとどめていました。

 20年振りの参拝でしたが、寺の佇まいは全く変わっていませんでした。参道石段の手前に参詣受付があって入山料を徴収していたのが、唯一の変化でした。


 役行者の三枚の散華の一つが所縁と言い伝える三仏寺は、開闢を白鳳時代の慶雲三年(706)と伝える山陰屈指の古刹です。上図は寺務所の壁のポスターで、現在は宝物殿に安置される本尊の蔵王権現像の姿も出ています。最近の調査によって鎌倉初期の仏師のひとり康慶の作と判明しています。有名な運慶の父にあたります。

 他にも宝物殿には多くの仏像や什宝が展示されており、三徳山修験の長い歴史と実態を語りかけてくれます。それらの醸し出す神秘的な雰囲気に魅せられて、昔は何度も拝観に行きましたね・・・。


 今回は麓の境内地のみに進んだだけで、山上の断崖内におさまる国宝の投入堂は、谷川沿いの遥拝所付近から遠望するにとどめました。
 28歳の初夏に、一度だけあの投入堂の直下までの入峰修行登山にチャレンジしたことがあります。往復して二時間ぐらいでしたが、足の踏み場も限られるような急峻な岩峰や崖をたどり鎖につかまって必死に登った記憶があります。これが山岳修験の厳しさか、と愕然とする思いにかられたのを憶えています。
 三仏寺の公式サイトはこちら


 投入堂の模型です。細部まで忠実に再現してあります。驚くべきは、これが地元の女子高校生からの寄贈品であるという点です。卒業制作作品だと聞きましたが、すごいものです。
 前述の本尊蔵王権現像は、もとはこの投入堂に祀られていましたが、文化財保存の観点から防災設備の整った宝物殿に移されたわけです。


 三朝温泉街の中央を流れる三朝川です。源泉が開かれて以来、850年の歴史があると伝えられますが、それよりは世界屈指のラジウム温泉として有名です。国内でも稀なウラン鉱脈を埋蔵する人形峠の北麓に位置しますから、川の水にも高濃度のラドンが含まれています。
 私はこの温泉に何度か浸かりましたが、他の温泉と違って血の巡りが良くなって体がポカポカする効果がよく実感出来ました。


 三朝温泉の唯一の外湯「河原風呂」です。文字通り、三朝川の河原にあり、三朝橋のすぐ下なので、通行人や周囲の旅館街からはほとんど丸見え状態です。二方に簾の仕切りがありますが、そんなものは目隠しの役にも立っていません。それでも時々若い女性が堂々と入浴しているのを見かけました。

 私自身は、日中に行くのはとても恥ずかしくて、仕事帰りの夜中にこっそり入りに行ったものですが、そういう時に限って小さな露天風呂が混浴芋洗い状態だったので、余計に恥ずかしかったです。今は懐かしい思い出の一つになっていますが、その「河原風呂」が昔のままなので、感動してしまいました。
 私が鳥取に住んでいた時期に、両親も一度ここ三朝温泉に遊びに来ましたが、その時は温泉街の「斉木別館」という旅館に案内して泊まってもらいました。


 三朝温泉の街は昭和の香りがいまなおただようノスタルジックな空間です。夜には歓楽街のざわめきが遅くまで続き、浴衣姿の湯治客が行き来しています。街並み自体も、あんまり変わっていないので、少し驚きました。


 三朝橋の南にある公衆浴場の一つ、「たまわりの湯」です。私が三朝温泉に通っていた頃は「菩薩の湯」という名前だったのですが・・・。隣の観光案内所で問い合わせたところ、七年前にリニューアルオープンして施設名も変えたとのことでした。
 試しに入ってみたら、以前は狭くて岩風呂であったのが、広い檜風呂になっていました。湯は同じですが、浸かった際の安堵感がまるで違いました。
 「たまわりの湯」の案内情報はこちら。三朝温泉の案内情報はこちら


 倉吉市街に移動し、最初に打吹山公園内の倉吉博物館へ行って、今回のメインである「フィギュア博覧会」を一時間ほど見学しました。その見学詳細は下編にてレポートさせていただきます。


 博物館見学の後は、北側に広がる打吹玉川の古い街並みの散策を楽しみました。私が鳥取に居た頃は、普通の古びた街並みでしたが、平成10年に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されてからは、景観の修復および保全の整備が進められたようで、保存区域内は見違えるように綺麗になっていました。時代劇のセットのような感じでした。
 でも、その周辺の街並みは、上図のような感じで昔のままでした。私はどちらかというと、こういう生活感ただよう街並みの景色の方がいいと思います。
 倉吉打吹玉川重要伝統的建造物群保存地区の案内情報はこちら。同地区の観光案内情報はこちら


 街並みの一角にある曹洞宗寺院の大岳院です。昔、ここの住職さんに、正法眼蔵の歴史に関する解釈方法を教わったことがありますが、今は代が替わったようで、住職の名前は別人になっていました。もう20年も前のことなので、無理もありません。


 大岳院の境内には、安房里見氏の最後の当主だった里見忠義とその八人の家来たちの墓所があります。江戸期に書かれた「南総里見八犬伝」はフィクションですが、そのモデルとなったのが、里見忠義とその八人の家来たちです。

 史実によれば、慶長十九年(1614)に里見忠義は、妻の実家である小田原城主大久保義隣の謀反に連座したとの疑いを受けて領国の安房を没収され、伯耆倉吉3万石に転封されました。実質的には監視付きの蟄居に近い処遇であり、不遇のうちに忠義は元和八年(1622)に堀村(現在の倉吉市関金町堀)にて、29歳の若さで亡くなりました。後継ぎは無く、八幡太郎源義家の分流新田義重以来の名門であった里見氏は、伯耆大山の麓にて断絶しました。
 その三ヶ月後に、8人の忠臣が後を追って殉死し、彼らの戒名に「賢」の文字が共通して刻まれたため、倉吉では彼らを「八賢士」と呼んで忠義ぶりを称え語り継いだのです。「南総里見八犬伝」の作者曲亭馬琴は、この「八賢士」をヒントにして物語の「八犬士」を創作したのでしょう。

 鳥取に住んでいた頃に大岳寺を初めて訪ねた折、当時の住職さんに里見氏の哀しい末路の物語をうかがい、里見忠義の遺言によって寺に寄進された遺品などを見せていただいたことがあります。それらのなかで有名なのは中国北宋期の作とされる「三彩稜花刻花文盤」ですが、私には、念持仏であったという小さな十一面観音像の方が印象に残りました。


 大岳院から玉川沿いの道に回って、重要伝統的建造物群保存地区に入りました。上図の場所からは打吹山が整った山容を見せ、赤茶色の瓦屋根が連なる歴史的景観に彩りをそえています。

 この打吹山は、中世戦国期を通じて伯耆国の守護所が置かれたことで知られ、山陰の覇者として知られた山名氏が伯耆国守護職を担って山頂に城郭を構えていました。現在はあまり大した遺構は残っていませんが、郭などの平坦面などがみられます。
 二度ほど登って、山頂の櫓を模した展望台にも上がったことがありますが、ハチがやたらに飛び交っていて、怖い思いをしたことを憶えています。


 観光ガイドなどで必ず紹介される、白壁土蔵群のエリアです。その脇を流れる玉川は、かつての打吹山城の外堀として整備され、江戸期に改修されて流路を変更し現在に至っています。

 私がよく遊びに行っていた頃は、川にも水草が繁り、水も少し濁っていたのですが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのちに環境浄化事業が行われ、川もすっかり綺麗になりました。白壁土蔵群も、昔は薄汚れてくすんだ感じだったのですが、文化財保存の修理を受けたようで、壁の白土も下見板も綺麗な色を取り戻していました。


 街並みの西側にある大蓮寺の境内には、新田義貞の弟として南朝を支えた脇屋義助の墓所があります。南朝より中国・四国方面の総大将に任命されて四国で活躍しましたが、伊予国にて病没しています。

 その脇屋義助の墓がなぜ倉吉にあるのか、その背景事情を少し調べたことがあります。伯耆国守護職の山名氏は新田氏一族であり、それ以前に倉吉は脇屋義助の直轄地の一つであったらしいことが分かりました。倉吉には面白い歴史があるんだなあ、と感心し、それがこの街に魅せられて何度も遊びに行った一因ともなりました。


 景観保全事業を完了した範囲の街並みです。外観は江戸末期から昭和前期までの伝統的建造物のそれに復されており、江戸期に商業都市として栄えた倉吉のたたずまいを伝えています。平成10年の選定時に、伝統的建造物は約100棟を数え、多くは赤茶色の石州瓦を屋根に並べ、いまでは一部の建物が店舗などを営んで「赤瓦○号館」の通称で親しまれています。


 重要伝統的建造物群保存地区の少し北には、かつての国鉄倉吉線打吹駅の跡地があります。現在は倉吉鉄道記念館の施設が置かれ、施設内には貨車移動用ディーゼル機関車、屋外には上図のC11型蒸気機関車の75号機が展示されています。

 この鉄道記念館にも二回ぐらい行きましたが、その頃は倉吉線の廃線跡にレールがまだ残っていたりしていて、それをたどる廃線跡探索ウォークにも一度参加した思い出があります。開館当初から管理職員を置かず、見学者は自由に入って自分で室内の電燈を点けるシステムでしたが、今回もそのままでした。


 快晴だったので日中はちょっと暑いぐらいに気温が上がりました。倉吉駅の物産品販売コーナーへ移動して知人に送る土産物などを購入しましたが、駅の建物がすっかり新しくなっているのにびっくりしたうえ、付属施設がNPO法人の運営になっているのに驚かされました。

 上図の「くらよし駅ヨコプラザ」では、漫画やアニメにも縁が深い鳥取県ならばでの、アニメキャラクターグッズ販売コーナーがあり、「ゲゲゲの鬼太郎」や「名探偵コナン」はもちろん、鳥取発のアニメ系コンテンツ「きみわた」などのグッズも扱っていました。倉吉博物館の博覧会のグッズも販売していました。近々、グッドスマイルカンパニーの商品も扱うかもしれない、という噂を聞きましたが、漫画王国を公言する鳥取県でのことですから、本当にやりかねませんね・・・。
 「くらよし駅ヨコプラザ」の案内情報はこちら


 ついでに買ってきた、「伯耆大山のおいしい牛乳モナカ」です。写真を撮り忘れましたが、モナカは牛乳瓶の形をしていて、中には蒜山高原牛乳をたっぷり使った濃厚なバニラアイスがつまっています。鳥取県の方なら誰でも親しんでいるという、大山乳業農業協同組合のアイスシリーズの定番です。

 大山乳業農業協同組合の製品といえば、全国的に流通してコンビニでも買える「白バラコーヒー」が有名です。私自身は「白バラコーヒー」も好きですが、もっと好きなのは「白バラバニラ」ですね・・・。それも買おうとしたのですが、人気商品だけあってどこでも売り切れでした。
 大山乳業農業協同組合のの公式サイトはこちら


 倉吉の街並み散策は正午過ぎに切り上げて、午後からは古代の遺跡巡りを楽しみました。上図は、最初に訪れた伯耆国分寺跡の塔跡の復元基壇です。礎石の幾つかは本物のままですが、七重塔もしくは五重塔のそれにしては規模が小さいので、三重塔であった可能性も否定出来ません。

 鳥取に居た頃の私は、山陰の古代史や古代仏教史に関心が高く、気高郡鹿野町(現在の鳥取市鹿野町)に本部があった歴史同好団体「因伯古代寺院研究会」なるものに参加して、二年余りの在住時期中は月一度の会合に欠かさず出席していました。奈良で古代仏教の歴史を勉強していた経歴を重宝がられて、鳥取県の古代寺院の見学勉強会の講師を務めたこともありました。

 その頃は、伯耆国分寺跡が、鳥取県内では整備され公園化されていた唯一の古代寺院遺跡でしたので、三回ほど見学会もやりました。西伯郡淀江町(現在の米子市淀江町)の上淀廃寺で壁画断片が発見されて話題になった後でしたから、一般の歴史ファンもかなり古代寺院ブームに熱中していました。鳥取県は他県に比べて割合に古代寺院遺跡が多い方なので、あちこち見学に出かけるのも楽しかったです。
 伯耆国分寺跡の案内情報はこちら


 伯耆国分寺跡の遺跡公園の西側の竹林内には、苔むした中世の五輪塔がずらりと並びます。もとは近隣に散らばって分布していたのを、昭和61年頃に遺跡調査や圃場整理などの関係で伯耆国分寺跡の遺跡公園の一画に集めたものです。

 総数は450基余り、中世期にも当地が伯耆国の中心エリアとして様々に機能してきた歴史を物語るものと言えますが、私が感動したのは、地元の社地区の住民が供養をかかさず、夏には「やしろ五輪まつり」と称する地域住民交流と慰霊行事を兼ねたイベントをやっているという点でした。
 五輪塔の無縁仏を手厚く供養し、地域の子供たちの守り本尊になって見守って下さるように祈る、というのですから、初めて聞いた時は胸が熱くなりました。それで一度だけ、その「やしろ五輪まつり」に「因伯古代寺院研究会」の仲間と参加して、地元の方々や子供たちと一緒に盆踊りを楽しんだのでした。


 伯耆国分寺跡の北に広大な範囲を占める「法華寺畑遺跡」の復元整備エリアです。当初は国分尼寺の跡ではないかとされていましたが、寺院の特徴の一つである基壇建物の遺構がまったく検出されなかったため、寺院ではなくて国府関連の政庁またはそれに準じた施設ではないかとする推定に落ち着いています。
 遺跡の発掘調査は昭和46年に実施されましたが、現在のような遺跡公園となったのは平成になってからなので、私が鳥取に居た時期には公園の復元柱もまだピカピカでした。

 それから20年、復元柱の色は褪せて灰色っぽくなり、上図手前の遺跡推定復元模型も白っぽく変色してしまいましたが、公園の行き届いた整備状況は、そのままでした。鳥取県の文化財行政がしっかりと機能していることが如実にうかがえますが、この遺跡公園が、日本の歴史公園100選に選ばれていることは余り知られていないと思います。


 古代の伯耆国には色々な伝説や伝承があり、それらをたどるのも楽しかったです。伯耆国の貧しい人々を天空にいざなった白い鷹の物語などは、今でもよく覚えています。その白い鷹は、国分寺の御本尊の化身とも噂され、満月の夜にのみ、伯耆国府の空に美しい翼を広げたということです。
 その白い鷹になりきってみました。全くバカなホシノです。背後に見える建物は、「法華寺畑遺跡」の西門を当時の建築様式で復元したもので、古代の四脚門としては最大級の規模を有しています。

 一般的に古代の政庁などの施設は、南を正面としますので、南の門を正門として建物も大きめに造ります。しかし「法華寺畑遺跡」においては東西南北の四つの門が同じ大きさです。これは他に類例が見られない珍しい事例であり、この遺跡の性格を分かりにくくしています。
 周辺に墓石が多く、発掘調査でもかなりの人骨が出土したことから、古代の葬送地もしくは処刑場だったのではないかとする意見も出されましたが、不浄や死穢を忌み嫌う国分寺のすぐ隣にそんな施設を配するのも不自然なので、これといった仮説はなかなか出てきていないようです。
 法華寺畑遺跡の案内情報はこちら


 国分寺跡遺跡公園と「法華寺畑遺跡」の間の農道を西に進んで少し戻った山林内に、国庁裏神社が鎮座しています。国庁跡の南側に位置して、国庁に背後をみせる形になっていることから付けられた社名でしょうか。由緒も歴史もよく分かっていませんが、社伝では伯耆国国造が大国主命を崇敬し、大国主命に協力した少毘古那命をもあわせて祀ったのが国庁裏神社の初めであるとしています。

 大国主命といえば、出雲大社の祭神として知られますので、同じ神を祀る国庁裏神社の社殿が、出雲大社本殿と同じ大社造りであるのも頷けます。伯耆国は、歴史的にも文化的にも隣の出雲国と関係が深いので、出雲神の信仰においても同じ環境にあったようです。
 国庁裏神社の案内情報はこちら


 国庁裏神社を囲む山林の外へ出ると、広々とした農地および更地が広がります。この一帯が伯耆国国府の国庁の所在地です。今でいうと県庁所在地にあたります。国指定史跡として主な範囲は国有地になっていますので、遺跡が開発などで破壊されることは全く有り得ません。景色も古代以来のそれがある程度は残されているのでしょうか。
 伯耆国府国庁跡の案内情報はこちら


 国庁跡遺跡の広大な敷地から西には、はるかに伯耆大山の連峰が残雪を頂いて望まれました。私が大好きな山の一つです。
 鳥取に居た二年余りの時期に、大山にもよく遊びに行きました。山に登ったのは一度だけですが、中腹に歴史を刻む大山寺や大神山神社奥宮などへは何度も参拝しています。
 今回、倉吉に20年ぶりに来たので、次の機会には大山にも行ってみたいものです。懐かしい景色の数々に、また会えるでしょうか。


 今回は日帰りだったのであまりゆっくりもしていられなかったのですが、遠路はるばると折角来たのですから、関金温泉にも立ち寄りました。この温泉にも何度か行きましたが、20年前と違って温泉街はどこか寂れた雰囲気がただよっていました。
 歩いてみて、旅館が4軒ほど廃業していることを知りました。表通りに日帰り温泉施設「湯命館」が出来て、観光客も日帰りでそちらへ行くようになったのが大きかったのでしょう。
 関金温泉の案内情報はこちら


 ですが、温泉街の一番奥にある共同温泉「関の湯」は健在でした。この温泉の源泉にあたり、かけ流しなので人気がありますが、湯船が一つしかなく、二、三人も入れば一杯になってしまう狭さです。駐車場もありませんから、近くの足湯の駐車スペースに停めていくしかありません。
 ここへも20年ぶりに入りました。幸運なことに私だけでしたので、貸し切り状態で湯に浸かることが出来ました。ここも世界有数のラドン温泉ですので、三朝温泉と同じ効能があります。


 入浴してさっぱりした後、向かいの地蔵院という寺に参拝しました。本尊の地蔵菩薩半跏像は、古くから関金温泉の守り本尊としてまつられてきたもので、地元では「関の地蔵さん」と呼ばれています。本堂以下の建物は江戸期の再建ですが、柱の修理銘文には寺が建久三年(1192)の創建である旨が記されているそうです。


 いまはコンクリート造のお堂に安置されている本尊の地蔵菩薩半跏像です。建久三年頃の造立とみても違和感のない作風を示し、現存する数少ない丈六の巨像遺品として国重要文化財に指定されています。

 関金温泉が開かれた時期については、奈良時代説、平安時代説、室町時代説など様々に言われていますが、源泉のある場所に鎌倉初期の地蔵菩薩像が祀られることから、鎌倉時代には既に知られていたことがうかがえます。
 日本における地蔵信仰は、地蔵の名に示されるように、鉱山や温泉などの「地の恵み」が得られる場所のみほとけとして祀られた面が大きいので、温泉地に地蔵菩薩が祀られているケースは全国的にみられます。ただ、丈六クラスの大きさの仏像というのは、ここだけなので、必見の文化財と言えましょう。

 仏前にて合掌して20年ぶりに来られたことに感謝し、帰りの道中安全をもお祈りして、長い帰路に着きました。全てか懐かしくて楽しかった倉吉での半日でしたが、やはり色々と変化がありますから、以前には無かった魅力も沢山加わっています。
 なので、昔のように頻繁に遊びに行く、というわけにはいきませんが、機会があれば、新たな夢やロマンを追いかけて訪ねてみよう、と思いました。 (下編に続く)
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あんこうチーム Ⅳ号戦車D型改(F2型仕様) 作ります !!  その1

2015年04月25日 | ガルパン模型制作記

 私のガルパン戦車模型の第十一作目は、あんこうチームのⅣ号戦車D型改(F2型仕様)にしました。
 あんこうチームのⅣ号戦車は、チーム発足時から対アンツィオ戦時までのD型、対プラウダ戦時のF2型仕様、対黒森峰戦時のH型仕様の三つの時期を経ましたが、私のキット制作ではまだD型だけなので、そろそろF2型仕様を作ろうか、という気分がありました。
 3月の大洗行きの際、マリンタワー内の喫茶「Panzer vor(パンツァー・フォー)」にて見た壁の大きな側面図および砲身レプリカが、いずれもF2型仕様のそれでしたので、よしこれでいこう、と決めました。思えば、これまで制作してきたキットの幾つかは、大洗行きの際に候補を決めたものが多いです。

 上図は、既に購入して積んであった、プラッツの公式キットです。D型キットの方はネット上でも様々な意見や評価が飛び交っていましたが、こちらのF2型仕様のキットは、あまりそうした声を聞きません。これを作った人が少ないのでしょうか。大洗の各店舗に寄贈展示されているⅣ号戦車も、D型かH型仕様のどちらかで、F2型仕様はあまり見かけた記憶がありませんね・・・。


 左は、公式キットの組み立てガイドです。才谷屋龍一さんのガイドコミック付きです。
 プラッツの公式キットは、ドラゴンのスマートキット「ドイツIV号戦車 Ausf.F2(G)」が元キットであり、そのなかのエッチングパーツとクリアーパーツを省き、履帯がベルト式へと変更されています。
 そのため、公式キットの組み立てにおいては不要となるパーツも多いのですが、砲塔内パーツなど、再現した方が楽しい部分も含まれます。その部分の組み立て手順は公式キットの組み立てガイドにはありませんので、元キットの紹介記事より組み立てガイドの一部をプリントアウトし、今回の制作の参考に使うことにしました。それが右の図面です。
 元キット「ドイツIV号戦車 Ausf.F2(G)」の情報はこちら


 ドラゴンの製品ですので、とりあえず全て洗浄して離型剤を落とし、一日置いて乾燥させました。大きな箱にギッシリ詰まっていますが、半分近くが不要パーツになるうえ、私の制作においてはガルパン仕様を目指して他キットのパーツも転用しますので、使うパーツの総数は三分の二にも達しません。


 ステップ1です。冷泉麻子の忠告にしたがってひとつひとつ組み立てていけば問題ないのですが、ガルパン仕様への取り組みもここからスタートします。AからEまでの各パーツを組み立てますが、そのうちAはガルパン仕様へ改造し、Cは他キットのパーツと交換します。


 まず、作りやすいBとDの転輪から取り掛かりました。Bの転輪は18個作りますが、そのうちの2個は予備品なので、この段階では、足回りに装着する16個を揃えました。
 Dの上部転輪は組み立てガイドの指示通りに8個作りました。小さいので塗装の段階までランナーにつけたままにしました。


 Bの転輪の制作において、私なりには、予備品の2個を作る際にキットのパーツA1を使用せず、ジャンクパーツから似たようなパーツを流用することにしました。そうすることでA1が4個余りますが、これが後に黒森峰女学園チームのラングV70を制作するときに必要になりますので、それまで保管しておきます。
 そのため、まず16個を組み立てたわけです。


 Eは吊り下げ用フックのパーツです。組み立てガイドの指示通りに4個作りました。非常に小さなパーツなので、無くさないように細心の注意をはらいました。


 Cは起動輪のパーツです。公式キットのパーツA6は初期型のタイプですが、劇中車は起動輪が通常型ですので、タミヤのⅣ号戦車H型のキットからパーツA8およびA11を転用しました。上図のダークイエローのパーツです。


 残るはAの誘導輪ですが、そのパーツA34およびA35は、ガルパン仕様へ改造します。


 御覧のように、劇中車は誘導輪のスポークが6本ですが、キットのパーツは7本です。それで、7本のスポークを6本に減らすことになります。


 改造の手順は、「ガールズ&パンツァーモデリングブック2」の82、83ページでも紹介されていますが、一つだけ補足点を述べます。7本のスポークのうちの6本を上図のように切り離すわけですが、残す1本は、真ん中の軸穴の内部にあるダボの位置に一致することが条件です。それが改造時の基準線ともなりますので、A34もA35も軸穴の内部にあるダボの位置に一致するスポークを残します。
 上図は改造中のA34です。アートナイフで少しずつ左右表裏から切り込みを入れてゆくだけで、綺麗に切り離せました。


 切り離したスポークのうちの5本を再び接着して6本スポークの輪に仕上げました。さきにCパーツの不要となったA6が同じ6本スポークなので、その上に改造パーツを乗せれば、スポークの合わせ位置の目安になります。ぴったり合うように繋ぎましたが、それでも微妙にずれていたりするので、さらに微調整を重ねました。


 続いてA35も同じ要領で改造しました。


 改造を終えたA34およびA35です。


 両者を嵌め合わせて、劇中車と同じ誘導輪が完成しました。毎度のことながら、雑な仕上がりです。その後、研磨スポンジシートで軽くヤスりました。サーフェイサーを吹けば、改造箇所もより目立たなくなると思います。 (続く)

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ガルパン劇場版 予習PVからの情報 その三 ストーリー予想

2015年04月24日 | ガールズ&パンツァー

 2015年11月21日に全国公開されることが決まったガルパン劇場版です。そのストーリーの大体の流れを、予習PVからどの程度読み取れるか、試しに検証してみましょう。


 既に前回までの記事でも述べたように、大洗女子学園および知波単学園の連合チームと、聖グロリアーナ女学院チームとが大洗にて対戦する、という骨格はほぼ間違いないようです。その対戦試合がどのような理由で実現したのか、までは分かりません。
 親善試合なのか、何らかの公式試合なのか、という点も不明ですが、テレビシリーズの延長であるならば、第4話の親善試合の再戦、ということになるでしょうか。

 上図では大洗女子学園および知波単学園の連合チームが連携して砲撃しています。ポルシェティーガーと九七式中戦車(新砲塔型)とルノーB1bisが共に行動している、ある意味珍しいシーンですが、興味深いのはいずれも砲を下に向けて撃っていることです。相手より高い位置を占めて撃ち下ろしているわけですが、これが試合の序盤か終盤かで、ストーリーのイメージも変わってくるでしょう。


 聖グロリアーナ女学院チームは、複数のクルセイダーを投入しており、その快速を生かした機動戦を展開しているようです。大洗の市街地における登場シーンも、大貫商店街の北、エコス横の磯浜新道、大洗漁港横、マリンタワー広場横、と広範囲にわたっており、水浜鉄道の廃線跡ルートの一部も含まれています。テレビシリーズ第4話の行動範囲よりも広がっている感じがします。

 面白いのは、クルセイダーに追撃されるシーンでのⅣ号戦車がフラッグ車であり、しかも単独で動いている点です。カジマ横の交差点でも正面から撃たれたのをかわして左に逃げていますが、フラッグ車を捕捉し追撃しているというのは、聖グロリアーナ女学院チームの周到な作戦展開ぶりをうかがわせます。それを可能にしたのがクルセイダーの俊足ぶりなのでしょうか。

 また、上掲のシーンで初めて登場した聖グロリアーナ女学院チーム側の新キャラクターは、クルセイダー隊の指揮官なのか、クルセイダーの車長なのかは分かりませんが、自信に満ちた表情で紅茶をこぼさずにマイクを握っているあたりは、ダージリンに通じるものがあります。今まで全く存在すら分からなかった、聖グロリアーナ女学院チームの副隊長なのかもしれません。

 既に知られているダージリン以下のノーブルシスターズは、各シーンを振り返ってみますと、隊長ダージリンの搭乗車チャーチルのクルーであることが分かります。アッサムが砲手、オレンジペコが装填手を務めていることが明らかですが、この二人が副隊長だとは一度も触れられていません。
 他の対戦校チームにおいても、隊長と副隊長は別々の車輛に搭乗していますから、聖グロリアーナ女学院チームにおいても副隊長は、ダージリンとは別の車輛に乗っていると考えるべきです。ただ、テレビシリーズ第4話においては、4輌のマチルダにもそれらしき人物が見当たらなかったので、その時点では副隊長は参戦せず、隊長のダージリンが5輌を直率していたと仮定されます。

 これをふまえると、今回の予習PVで新たに登場したキャラクターは、クルセイダーの一隊を率いている雰囲気からしても、副隊長である可能性が考えられます。そうであれば、隊長ダージリンの率いるチャーチルとマチルダのチームとは別に動いていても不思議はありません。
 もし副隊長であれば、クルセイダーの活発なイメージとあわせ、積極的に果敢な作戦を仕掛けるタイプのように感じられます。どこかアンツィオ高校チームのベパロニを思わせつつも、それよりは冷静かつ理論的に正攻法で堂々と攻める、といった人物像が想起されますが・・・。


 対する大洗女子学園チームは、上図からも分かるように、これまでの八チームのメンバーで全員のようです。新キャラクターや新車輛を出すという選択肢は、知波単学園チームの方で実現されているようなので、大洗女子学園チームに変化は無いのかもしれません。

 この全員揃ったシーンが、どのような場面なのかが不明ですが、面白いのは秋山優花里が嬉しそうに笑っていること、エルヴィンこと松本里子が珍しく帽子を脱いで胸前に捧げ持って何か敬意を表しているようにみえること、左衛門佐こと杉山清美が目を閉じて祈るかのように合掌していることです。
 とくにカバさんチームの二人のは、あまり見られない仕草ですので、大洗女子学園チームの全員にとって何か大きな意味を秘めた場面であることは間違いないでしょう。

 笑えるのは、ねこにゃーとももがーが共に両手を挙げて何かを念じており、ぴよたんが「何やってんの?」というように見ている点です。あと、河嶋桃のポーズも珍しいですね。
 そして、この場に及んでも丸山紗希が別の方向を見ています。大勘荘の方角ですかね・・・。

 以上の諸点から導き出される、劇場版のストーリー予想は下記のようになります。
 まず、聖グロリアーナ女学院チームとの再戦であること。これはテレビシリーズ第4話においてダージリンがティーカップのプレゼントに添えて約束していることですので、この二度目の試合は、聖グロリアーナ側からの申し出によって成立した可能性があります。
 そしてダージリンは、副隊長以下のクルセイダー隊も参加させることを条件として、おそらくは15輌同士での試合形式を提案したのでしょう。大洗女子学園側は全部で8輌しかないのですが、再試合に臨みたい方針で規則の15輌を満たすべく奔走し、その結果、知波単学園の西絹代率いる7輌の全面協力を得ることが出来たのでしょう。
 西絹代らが参戦した理由としては、全国大会で優勝した大洗女子学園チームや西住みほの戦車道に敬意または共感を抱き、個人的にも好意的であったからでしょう。ダージリンに15輌での試合を申し込まれて困っている大洗女子学園の様子を見かねて、知波単学園のほうから連合チームでの参加を提案してきた可能性も考えられます。西絹代の帝国軍人調のスタンスから考えると、その可能性のほうが大きいように思えます。

 なので、劇場版のストーリーの流れの大きなポイントは、西絹代の存在だろうと思います。日本のアニメで日本人の観客をメインにしていますから、やっぱり日本軍テイストのチームとキャラクターというのは、必須の要素だろうと思います。
 テレビシリーズやアンツィオ戦OVAにて、第二次大戦中の主要参戦国テイストのチームの戦車グループが出揃った中にあって、唯一登場していなかったのが、日本軍戦車グループだったので、これはひょっとすると劇場版のためのネタだったのかもしれません。

 西絹代は、周知のように西竹一陸軍大佐と女優田中絹代が元ネタですが、そのキャラクターはどちらかというと日本陸軍の人物というより日本海軍陸戦隊の士官のような味わいをたたせよわせています。公式設定では、人の言うことを聞かない、ということになっていますが、それは史実では陸軍よりも海軍の軍人の方に多かったようですので。
 いずれにせよ、西絹代の戦車道というのは、たぶん日本古来の武士道精神に則った独自の世界観に裏打ちされているものと思われます。予習PVでの、振り向いて敬礼してくるシーンからも、それが感じられます。
 彼女たちの活躍によって、ガルパン戦車道の精神世界にさらなる深みが付加されて、私たちにも新たな感動とともに大きな余韻を残してくれるのではないか、と期待してしまいます。
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ぐま子と500体のねんどろいどに会ってきました

2015年04月23日 | 観聞日記

 4月2日より開かれている上記の博覧会は、グッドスマイルカンパニーさんが鳥取県倉吉市に初の国内工場を設置して第一作目の「桜ミク」を送り出したのを記念して、倉吉博物館にて5月10日まで開催されています。
 倉吉博物館の案内情報はこちら。グッドスマイルカンパニーさんの案内情報はこちら


 さらにはグッドスマイルカンパニーさんのマスコットキャラ「ぐま子」も東京本社からはるばる倉吉にやってきているとか。「ぐま子」が居るのならば、これはもう絶対行かなければならない、と決心しました。何故ならば、私が初めて気に入って購入したねんどろいどが「ぐま子」だからです。今でも自室の棚上に健在です。
 この「ぐま子」、もとは4月バカの冗談から始まった仮想のキャラクターだったのですが、予想外の人気を集めていつしか正式マスコットキャラに昇格してしまい、本家の「グッスマ星人」を押しのけてセンターにおさまってしまいました。これが、東日本大震災復興支援のチャリティー商品として特別にねんどろいど化された折に買いました。その後にスマートな「Cheerful」バージョンも出ましたが、そちらは買っていません。

 その「ぐま子」に「倉吉へいつ行くのかぐま?」と聞かれ続け、やっときのう4月22日に行ってまいりました。これまでの天候不順続きが嘘のような、素晴らしい快晴に恵まれました。

 倉吉といえば、伯耆国の中心地で古代には国府が置かれた歴史ある地です。遺跡や文化財も多く、山陰を代表する三朝温泉や関金温泉などの温泉も豊富で、自然は伯耆大山の周囲に広々と連なる高原地帯の美しさに象徴されます。私の思い出が沢山つまっている地域の一つです。

 実は、20代後半に職場の異動および長期出向で鳥取県に二年余り住んでいたことがあります。その時期において、休みによく遊びに行っていたのが倉吉や大山でした。倉吉は、小京都としての古い街並みの雰囲気が気に入っていて、30回以上は行っていると思います。古代から中世までの遺跡を訪ね、倉吉の古い街並みを歩いて団子や蕎麦を食べ、打吹公園で読書や昼寝を楽しんだり、三朝温泉の外湯巡りに熱中したり、三仏寺投入堂までの参拝登山修行にチャレンジしたり・・・、とにかく楽しい日々でした。

 その懐かしい倉吉へ、「ぐま子」の声に押されて20年ぶりに行ってきたのでした。日帰りだったので、メインは上掲の博覧会見物でしたが、せっかくなので、歴史散策も目いっぱい楽しんできました。レポートは後日、歴史散策編と博覧会編の二回に分けて綴りたいと思います・・・ぐま。

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く16 その8 「絵馬と鳥居と海岸です!!」

2015年04月22日 | 大洗巡礼記

 今回も境内の絵馬奉納架の絵馬を色々見ました。一年を経て整理された分もあるらしく、全体数が以前より減っていました。お焚き上げしたのでしょうか。
 上図はガルパン作画監督の杉本功さんの絵馬です。


 才谷屋龍一さんの絵馬です。この方はコミック版やアンソロジーで有名です。


 久彦さんの絵馬です。「サークル甲冑娘」の公式サイトに色々な漫画を寄せておられますが、絵馬の方は今回初めて見ました。


 高永浩平さんの絵馬です。相変わらずのバリボーマンシリーズで数も著しく増えています。他にも3枚ぐらい見かけました。


 私の絵馬もまだありました。何枚か重なっている一番奥にあるので、褐色化もあまり進んでいませんでした。


 境内の一角にあるガルパン大絵馬です。劇場版の公開時期が夏ではなくなったし、迎春の文字が季節に合わなくなりかけているし、そろそろ修正とかが必要になるのでは・・・。


 しかしながら、この大洗女子学園戦車道チーム全員の記念撮影ふうの絵柄は、なかなか良いものです。


 神社境内地の北へ進み、かつての水浜電車大洗駅からの参道として使われた裏参道を歩きました。松林のなかの散策は楽しいものです。


 裏参道入り口の鳥居は、あの震災の際に上の笠木および島木が崩落し、貫も中央部分が外れて落下破損してしまいましたが、いまもそのままの状態です。5月の神社落成式典までには修理されるはずですが・・・。


 落ちた笠木および島木は参道脇に仮置きされてありました。明神鳥居の典型的な形式ですが、大きなものだと笠木および島木を分割式にして組み合わせるので、地震の横揺れなどで額束からずれると簡単に崩落してしまいます。内側に衝撃痕がみられましたので、鳥居の真ん中から崩れ落ちる形で下に落ちたことが分かります。


 この状態で貫だけを元通りにすると、冠木門に近い形になりますね・・・。


 鳥居の手前右脇に建つ社号標石です。社格は国幣中社であったので、明治期の太政官布告による制定制度においては地方官が祀る神社だったことが分かります。


 次に境内地の東麓にある大洗観光協会に立ち寄りました。幾つかの観光資料と地図をいただき、室内に展示されているガルパン生け花を見ました。以前はアクアワールドにて展示されていたもので、劇中で五十鈴華がこしらえた新境地の生花作品をそのまま再現しています。写真には写っていませんが、花器も戦車の形をしており、その周囲には数個の戦車キットが並べてありました。


 アヒルさんチームの八九式中戦車甲型を、レオポンさんチームのポルシェティーガーが至近距離にて捕捉しています。撃ったら間違いなく八九式中戦車甲型はオシャカになりますね。


 大洗海岸を見ながら歩きました。神磯の鳥居が見えてきました。


 空も海も蒼くて美しい、この日の鹿島灘でした。


 海岸歩道に降りて歩きました。神磯の鳥居をバックに記念写真を撮っていただきました。


 神磯の鳥居の近くまで来ました。ここの景色が私にとっての大洗の景色ナンバーワンです。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く16 その7 「大洗磯前神社です!!」

2015年04月21日 | 大洗巡礼記

 「ウスヤ精肉店」の前を通りました。常連ファンならぱ、そのまま店内に進んでいくのでしょうが、時間帯によっては店主さん夫婦が仕事で忙しい場合もあるので、店内の状況を見て判断したほうが良いですね。


 ももがーは新パネルでした。見たことのある図柄ですが、アリクイさんチームの他の二人が旧パネルのままでしたので、新鮮な雰囲気に満ちています。


 「さまた接骨院」の西住しほは新パネルでした。表情も穏やかになっていて親しみやすくなっています。店主さんは柔道着姿ですが、接骨院で柔道教室を開いているのでしょうか。実は私も小学校の頃に柔道を習っていたのですが、その道場は接骨院の建物と繋がっていて、先生が接骨院の院長でした。


 「新屋酒店」の前を通りました。山郷あゆみの新旧のパネルが店内に並んでいました。


 ウインドードア越しに見た、新パネルの方です。茨城空港イベントの設置パネルと同じ図柄です。


 「さかげん」は定休日でしたので、そのまま大鳥居へと向かいました。


 「大洗ホテル」に立ち寄りましたが、冷泉麻子は旧パネルのままでした。このホテルではあまりガルパン要素を増やさずに控えめにしている傾向がみられますので、パネルも従来のままだろうと予想しましたが、その通りでした。


 ガルパン作画監督の杉本功さんの直筆イラストはこちらにも展示されています。この冷泉麻子はいい雰囲気に描かれています。こういう感じで新パネルにしていただければ、と思います。


 民宿「いそや」に行きました。二度泊まったことがありますので、馴染みの施設です。


 玄関口に立つ澤梓は新パネルでした。これも茨城空港イベントの設置パネルと同じ図柄です。ウサギさんチームの場合は大洗以外でもパネルが幾つか出ていましたから、その図柄を転用しているのでしょう。


 無料休憩所のガルパンミュージアム内には旧パネルもありました。


 当然のように劇場版の最初の案内ポスターも貼られてありますが、公開予定時期が2015年夏となっています。海楽フェスタの際に11月21日に後送りされましたが、そうだろうなあ、と違和感も感じませんでした。


 大洗磯前神社に参拝しました。随神門の修理工事は完了したようで、屋根の銅板が貼り替えられていました。


 身舎の方にはあまり手が入っていないようですので、修理は屋根のみであったようです。


 拝殿の屋根も貼り替えられて綺麗になっていました。銅板特有のあかがね色が青空に照り映えて綺麗でした。建物の身舎の細部にも修理のあとが幾つか見えました。


 本殿の屋根の藁も葺き替えたのか、以前と比べてすっきりした流麗な甍の輪郭にまとめられていました。


 軒下を見ると、葺きあげた藁の層が5層になっているのが分かります。綺麗に重なっているので、葺き替えの直後に剪定も丹念に施したことが分かります。文化財指定を受けている建物ですので、専門の技術者が事にあたったのでしょう。


 拝殿を正面から見ました。屋根の銅板だけでなく、正面破風や妻部分の飾り金具も新調されたようで、金色に輝いてみえました。この姿で落成記念の式典を迎えるわけですね。 (続く)

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ガールズ&パンツァー リボンの武者 九七式軽装甲車「テケ」

2015年04月20日 | ガールズ&パンツァー

 月刊コミックフラッパーで連載中のガルパンスピンオフ作品「ガールズ&パンツァー リボンの武者」に登場する、楯無高校「ムカデさんチーム」の九七式軽装甲車「テケ」の公式キットが去る4月18日に発売されました。ファインモールドさんの案内記事はこちら
 元のキットをガルパン仕様に変更し、2000個限定でリリースされました。限定品なのでこれも瞬殺だろうと予想し、アマゾンで予約して購入、発売日の18日に手元に届きました。アマゾンの商品記事はこちら。元キットの案内記事はこちら


 手元に届いたパッケージです。元キットの価格が3500円、このキットの希望小売価格は3800円でしたが受領時に3249円に値下がりしましたので、元キットより安くなったわけです。


 パッケージの中身です。キットそのものは元キットのままなので、ランナーの色が変わっただけのようです。元キットの説明文では、機関銃型と戦車砲型の二種類選択式、車体内部も再現、とありますので、小さな車体の割にはパーツ数が多めです。エッチングパーツが入っている点も変わりません。
 これらの点からすると、この車輛に関しては、ガルパン仕様も元キットと変わらないのかもしれません。差異があるかどうかは、コミック版とつきあわせて検証しなければなりませんが、アニメではないので、さほどの違いは無いものと思われます。

 販売元のファインモールドさんはガルパンのスポンサーに連なっていますので、その製品の中にガルパンの戦車があれば、公式キットへの模様替えも簡単に出来ます。最近には、既に出ている公式キットの八九式中戦車甲型および三式中戦車チヌを、それぞれの搭乗チームのフィギュア付き、劇中仕様パーツ追加で、この7月以降に出すと聞きましたので、積極的に頑張っておられるようです。


 履帯が接着連結式であるのも、元キットのままです。これの制作はちょっと大変ですね・・・。


 組み立てガイドは、元キットのものと同じのようです。これに野上武志さん描き下ろしのイラスト付き解説シートが添えられています。コミック版では分からなかった、車内の具体的な様子が初めて分かりました。なかなか楽しいです。

 あとは、いつ作るか、ですね・・・。

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美作の柵原と湯郷

2015年04月19日 | 観聞日記

 去る4月11日、桜がまだ見られるようなので、岡山県の美作エリアへ出かけてみました。最近は近現代史の遺産史跡や廃線跡がちょっとしたブームになっているようなので、この機会に昭和の歴史を支えた鉱山と鉄道の遺跡を訪ねました。
 まずは岡山県久米郡美咲町の柵原(やなはら)という場所へ行きました。吉井川沿いの小さな町のあちこちに、桜がまだ咲いていました。


 現地には、「柵原ふれあい鉱山公園」という観光スポットがあり、柵原鉱山とその鉱山鉄道に関する遺物や遺品が色々と展示されています。「柵原ふれあい鉱山公園」の紹介はこちら
 上図はかつての柵原鉱山の竪坑櫓のレプリカです。上に据え付けられている櫓上滑車が本物で、その保存と展示のために公園内に移されています。


 柵原鉱山資料館です。かつて東洋一の硫化鉄鉱山として栄えた柵原鉱山の歴史や文化を色々なテーマの展示によって分かりやすく紹介しています。紹介情報はこちら


 これが柵原鉱山にて産出された、硫化鉄の鉱石です。


 資料館の一階には、かつての鉱山町の商店や住宅などが実物大のセットで再現されています。映画「フラガール」の世界と変わりませんね・・・。昭和の街並みの一つの姿に触れることが出来ます。


 セットの一角にあった自転車店です。鉱山町の主な交通手段が自転車でしたので、自転車店はとても忙しかったということです。展示されている工具類も昭和期のもので、現在のものとはちょっと違うとの説明がありました。


 資料館の地階には坑道内のセットもありました。全盛期には地下500メートルの深さまで坑道が展開していたそうで、坑道全体の精密な模型にてそのスケールに驚かされました。


 公園内にある、かつての坑道トロッコ列車の電気牽引車です。似たような牽引車が資料館内にも保管展示されています。


 柵原鉱山は、江戸期には既に掘削されていた日本有数の歴史ある鉱山の一つです。江戸期から明治期にかけては、上図の高瀬舟が産出された鉱石を吉井川下りにて瀬戸内海に面した片上港まで運んでいたということです。


 高瀬舟での鉱石運搬は、やがて鉱山鉄道の開通にともなって鉄道輸送に移りました。その鉄道は片上鉄道と呼ばれて平成3年の廃止まで運営されていました。その33キロ余りの区間は現在も廃線跡が車道などに使用されて残存、幾つかの駅のホームや遺跡なども沢山残ります。
 全部で17の駅があり、そのなかの吉ケ原駅は今の公園エリアに含まれてほぼ営業当時の状態で保存されています。建物は昭和6年2月の開業当時の建築で、平成18年に登録有形文化財に指定されています。


 点検整備中の旧片上鉄道の気動車キハ303です。現在も動態保存されており、毎月第一日曜に公園内の線路上を展示運転します。昭和9年、川崎車輌製で、動態で保存されている気動車の中では日本最古です。
 驚くべきことに、車両の保守管理や軌道および保安設備などの整備は、専門の技術者ではなく、片上鉄道保存会という、有志や鉄道マニアたちの集まりによって続けられているそうです。本物の鉄道遺産の維持管理にあたる、というのは、鉄道マニアにとっては最高のボランティアでしょうね・・・。


 旧吉ケ原駅の構内には、全部で11両の車輛が静態または動態にて展示されています。旧片上鉄道の車輛の大半を占めるそうです。紹介情報はこちら


 鉱山と鉄道の遺産に触れて昭和史の一コマを学んだ後、美作三湯の一として名高い湯郷温泉へ行きました。私は温泉巡りも大好きなので、歴史散策のなかに大抵は温泉を組み入れたりします。
 上図は、湯郷温泉の源泉に祀られる湯の神様です。現地では「塩湯社」と呼ばれ、温泉館の駐車場の一角に鎮座しています。泉質は、ナトリウム-カルシウム- 塩化物泉(低張性弱アルカリ泉)で、しょっぱい味がするので、古くは「塩湯」と呼ばれたわけです。開湯は九世紀の平安時代にさかのぼる、日本屈指の古い温泉です。湯郷温泉の観光情報はこちら


 温泉街の街並みは、昭和の雰囲気をよくとどめていることで知られ、街並み散策に訪れる観光客も少なくありません。


 街並みの中には幾つかの見学施設もあります。今回は上図の「昭和館」に入りました。旅館だった建物を改装して昭和グッズの博物館として運営されています。紹介サイトはこちら


 玄関先に置かれている古い乗用車です。私は車に疎いのですが、古い年代物であることだけは分かります。


 展示室の一つはこんな感じです。昭和30年代ぐらいの状態を再現してあるということです。


 玩具およひ駄菓子の展示室は、御覧のようにかなりのボリュームでした。各方面からの寄贈品が今でも時々入ってくるそうです。子供の頃に見たことのある品も幾つかありました。懐かしいですなあ・・・。


 他の見学客が最も興味を持って色々語らいながら見ていたのが、上図のモデルガン展示コーナーでした。戦時中の疑似銃なども多くあるそうで、タニオ・コバも真っ青のレア物ばかりだ、という説明でした。


 最後は湯郷温泉の立ち寄り入浴施設「湯郷鷺温泉館」にてまったりと湯煙に包まれて過ごしました。日本では唯一の塩化物泉であるそうですが、浸透圧は低張性なので、じっくりと浸かってものぼせたりしません。古来より長時間温い湯に浸かって湯治するタイプの薬湯として知られています。
 いやー、温泉って本当に気持ちが良いものですね。「湯郷鷺温泉館」の公式サイトはこちら
コメント (5)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く16 その6 「東町エリアへ行きます!!」

2015年04月18日 | 大洗巡礼記

 曲り松の信号交差点の角にある「スルガヤ薬局」です。「飯岡屋水産」旧店舗施設と向かい合っています。


 店先の後藤モヨ子は新パネルになっていました。ほぼ直立姿勢の旧パネルと異なって躍動感あふれる姿になっています。園みどり子とは違った風紀委員のスタンスが出ていて楽しいです。


 「坂本文具店」の西住みほは新パネルと旧パネルが店内に並んでいました。新パネルの方は、「シーサイドホテル」の旧パネルと同じ図柄です。


 「山戸呉服店」で「ガルパン大洗観光記念スタンプ」の四つめを押し、「大久保酒店」の前に行きました。店主さんと阪口桂利奈です。


 阪口桂利奈は新パネルでした。茨城空港イベントの設置パネルと同じ図柄です。ウサギさんチームの面々は全てが既知の図柄で新パネル化されているようです。


 「年宝菓子店」の秋山優花里は新パネルですが、旧パネルと同じ図柄です。五十鈴華や武部沙織もそうでしたから、あんこうチームの面々は図柄を変えないのが多いですね。


 「かま家」の逸見エリカも、描き下ろしと思われるデザインで新パネルとなっていました。


 しかも、珍しく微笑をたたえています。逸見エリカの本来の人間味を垣間見た気がします。店主関野さんのにこやかな雰囲気に通じるものがあります。今回の滞在中に一度はここでお昼をいただこう、と決めました。


 「浜野屋商店」の篠川香音は新パネルでした。戦車道試合の主審らしいジャッジの動きが決まっています。旧パネルも店内にありました。


 「飯岡屋水産」の店先の、ケイの新パネルです。「ハーイ、そこのお兄さん、お店に寄っていってねー」って雰囲気が楽しいです。


 ケイの抱えてるポップコーンの大盛りがいいですね。奈良に住んでいた頃、近所に「あやめ池遊園地」というのがありまして、そこの売店のポップコーンがちょうどこんな感じの大盛りだったのです。200円ぐらいだったと記憶しています。


 「月の井」の蝶野亜美は新パネルでした。初めて見る絵柄ですので、これも新規描き下ろしかもしれません。店内に入って撮影しようかと思いましたが、扉が閉まっていたので、留守のようでした。


 この日の昼食は「しゅんさい」でいただきました。私にとってはお馴染みの食事処になりつつあります。メニューも洋食系なので、海鮮料理や一品おやつが多い大洗においては貴重な存在です。


 このお店は、ガルパン要素が少ない普通の室内空間を維持しておられるので、落ち着いて過ごせます。


 今回も「アンツィオ鉄板ナポリセット」をいただきました。パスタが大好物なので・・・。


 食後は東町エリアへと移動しました。「森屋菓子店」の前を通りました。


 店先の河西忍は新パネルでした。海門橋の北端のパネルと同じ図柄です。その横には旧パネルもありました。


 「丸五水産」に行きました。


 角谷杏は新パネルでした。お決まりのVサインポーズです。このキャラクターは、脇役なのにいつの間にか主役級の存在感をただよわせていて、大洗におけるガルパン公式缶バッジの数も他を遥かにしのいでいます。主役の西住みほと変わらないぐらいの種類があるようですが、生徒会長の肩書が大きくものを言っていますね・・・。 (続く)

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ガルパン劇場版 予習PVからの情報 その二 登場する場所

2015年04月17日 | ガールズ&パンツァー

 2015年11月21日に全国公開されることが決まったガルパン劇場版です。その予習PVをみると、大洗が舞台になっていることが分かります。テレビシリーズやアンツィオ戦OVAにて登場したのとは違う場所ばかりなので、大洗における聖地巡礼スポットが増えることになります。
 それらの場所は、3月下旬の大洗行きの際にだいたい見て回りました。


 上のシーンの場所は、水浜鉄道の大貫停車場跡より少し北にいったところの交差点より、洋食「おか亭」へと通じる細い道です。途中に「オーデリック」の看板がある路地で、戦車が通れるような幅ではありませんが、予習PVではクルセイダーが堂々と通っています。

 私が訪ねた時は、「オーデリック」の看板がある敷地の建物が解体中でしたので、予習PVにみられる景色が変わりつつあります。この道は、大貫商店街の「お好み焼き道」さんの横から大洗駅方面へ行く一番の近道なので、私もよく利用しています。それで、すぐに分かったのでした。


 続いてのシーンの場所も、一見してすぐに分かりました。水浜鉄道の廃線跡の一部なので、以前に廃線跡を踏破した経験が役立ちました。
 右端にみえる建物が「カジマ」さんの本社社屋で、Ⅳ号戦車はこのあと交差点を左折して永町商店街の信号交差点へと向かいます。その先は、テレビシリーズの第四話で通ったコースに交わりますので、再度同じコースをとる可能性もありますね。

 なお、時系列的にはこのシーンの前にあたると思われるシーンでは、Ⅳ号戦車が「スガマ食品」さんと「キムラ床屋」さんの間の道を、2輌のクルセイダーに追撃されつつ東進しています。そのまま若見屋の信号交差点を直進し、ゆっくら健康館北の信号交差点で左折すれば、前述の「カジマ」さんの横の道に入ります。


 三つ目のシーンは、大洗漁港の魚市場の向かいにある大洗漁協の建物が写っていますので、場所の特定は容易でした。そのあと「ダイカツ水産」さんの建物もみえるので、クルセイダーの一隊4輌が漁港横の道を南下しているのだと分かります。

 別のシーンでは、マリンタワー広場の東側の道で、クルセイダーの4輌が方向転換して来た方向へと引き返しています。そのルートと、漁港横の道とは同じライン上にあるので、クルセイダーは漁港横からマリンタワー横まで走り抜けてきたような感じになっていますが、実際には漁港横とマリンタワー横の間にはトラックヤードがありますので、一直線に走り抜けるのは不可能です。

 あと、大洗ゴルフ場とみられる広い場所で大洗女子学園および知波単学園の戦車がさかんに砲撃しているシーンがあり、別シーンではバンカーとみられる砂地の窪地にチャーチルとマチルダが固まっています。
 大洗ゴルフ場へは行ったことが無いのでよく分かりませんが、これを機に大洗ゴルフ場でも聖地の特別公開などが行なわれるかもしれませんね。

 また、あんこうチームの面々と聖グロリアーナ女学院ノーブルシスターズの入浴シーンがありますが、両者が共に入浴しながら語らっているようにも見えます。あんこうチームの面々が出ているシーンでは、背景の様子などから露天風呂であることが分かります。
 この露天風呂が大洗に実在するとすれば、どこになるでしょうか。大洗は温泉街ではないので、特定の宿泊施設においても露天形式は無いと聞いています。テレビシリーズで登場した大きな温浴施設のモデルが「ゆっくら健康館」であったことをふまえると、劇場版の温浴施設も、おそらく公共の施設だろうと思われます。
 私がこれまでに入った大洗の公共施設で露天風呂があったのは「潮騒の湯」だけでしたので、あんこうチームの面々が温まっている露天風呂は、「潮騒の湯」がモデルかもしれません。覆屋の柱の造りが同じなので、「潮騒の湯」内の「親潮の湯」かな・・・。公式サイトはこちら

 以上、予習PVに登場する場所について簡潔に述べてみました。劇場版公開後は、大洗での巡礼コースも確実に広がってゆきますね。

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く16 その5 「曲り松エリアです!!」

2015年04月16日 | 大洗巡礼記

 「鳥孝」に立ち寄りました。いつものように店主さんたちは大忙しでしたので、声はかけないでおきました。また後で行けば良いのです。


 パネルは三つ並んでいました。店主さんと、磯辺典子の新旧でした。三つ並ぶとかなり目立ちます。


 磯辺典子の新パネルです。ガルパンキャラクターパネルではおそらく唯一の、背中をみせて首をひねるポーズをとっています。お店のオリジナルグッズのマグカップのデザイン画と同じ絵柄です。


 「カジマ」に行きました。早くも空腹感を感じてきましたので、おやつとして海老コロッケとメンチカツを買いました。


 ホシノは新パネルでした。ウインクしているので、可愛らしい雰囲気になっています。この絵柄も以前から知られているものです。


 「肴屋本店」の前を通りました。店主さんとダージリンが出迎えてくれます。


 ダージリンは新パネルでした。笑顔も素敵なダー様です。表情が以前より柔らかくなっている気がします。初めて見る絵柄なので、描き下ろしなのでしょうか。


 「江口又進堂」の左衛門佐も新パネルでした。有名な片腕挙げのポーズです。


 店内には旧パネルもありました。一度、戦国城砦遺跡の登城跡にも立ったことがありましたね・・・。


 「黒沢米穀店」の宇津木優季は新パネルでした。旧パネルも店内にありましたが、こちらの方がより親しみやすい雰囲気になっています。茨城空港イベントの設置パネルと同じ絵柄だそうです。


 続いて「カワマタ」に行きました。


 店主さんと並ぶ武部沙織は、新パネルも旧パネルと同一の絵柄でした。愛着があるからこのままでいいんだ、とのことでした。


 「国井屋」に立ち寄りました。今回もしいたけ茶と海苔を購入しました。


 アッサムは新パネルでした。劇場版ではセリフをしゃべっているシーンがありますので、いずれその声を聴けるでしょう。声優は誰が起用されるのか、楽しみなところです。


 「石福青果店」の店先のパネル群です。店主さんのパネルの存在感が他を圧倒しているのは相変わらずです。


 河嶋桃の新パネルは、旧パネルと並んで置かれています。イラスト画特有の綺麗な描線と色彩がキャラクターの雰囲気に深みを与えています。姿勢はあまり変わりませんが、奥行き感が追加されています。


 曲がり松の信号交差点に引き返し、角の「飯岡屋水産」の旧店舗施設を見ました。


 そのウインドー内には、ケイの旧パネルがありました。そうすると、現店舗の店先には新パネルが置かれていることになりますね。 (続く)

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