家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

共感――それぞれの「いい家」

2006年12月11日 | 家について思ったことなど
asahi.comの「住まい」欄に大平一枝さんという方が「小さな家の生活日記」というコラムを連載している。
その12月11日号は「古屋の寒さに思うこと」というタイトルだった。
古屋持ち」の私は興味深く読ませてもらった。

「古屋は寒い」と始まっている冒頭から共感したのだが、さらに共感が深まったのが以下の部分。
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今は情報があふれているようにみえるが、じつは一面的だったり、画一的だったりする。ほとんどの情報は、安全で安くて、耐久性、機能性の高い建材や建具をいいとしているが、「いい」の基準は人それぞれで、物差しは違ってよいのだ。私は、木だからこそのメリット、デメリットをてんびんにかけて、それでも、と今の家を借りた。
 結果から言うと、たしかに寒いし、木枠の窓のそばは寒いけれど、それ以上にたくさんの喜びを家族にもたらしてくれているので、とても満足している。
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我が古屋はかつて「サッシ」が出回りはじめた数十年前、危機を迎えた。「木の建具は機能は劣るし時代遅れ」というトレンドが押し寄せてきたのだ。しかし、「サッシにしたら」という勧誘に私の父は頑として応じなかった。「木だからいいんだ」とそのままにこだわった。
おかげで木の建具は現在、そのとき以上の風格をかもし出しプライスレスな価値を高めている。

住宅に関する情報を集めているときから、画一的に「いい」「悪い」を決め付けるような物言いが多いことに辟易としている。
住宅の供給者側が、「ウチに任せればこんなに『いい家』が建てられます」っていうアピールを発するのはいいけれど、それにあわせて「こういう家以外は『いい家』ではありません」って言うのには抵抗がある。
そして、プロである供給者側ならまだしも、先輩施主が「いい」「悪い」を一般論的に語るのはいかがなものかと思う。施主が語れるのは「自分にとって」の「いい・悪い」であるはずだ。

また、特定のスペックが劣っているからといって、「悪い家」扱いされたら、古い家はみんな悪い家になってしまう。
その風潮は「新品志向」を増幅して、日本の住宅寿命をいつまでたっても短命なままにさせかねない。

メリットとデメリットが表裏の関係にあるとき、メリットのためならデメリットを覚悟して住む、そういう人がいた方が面白い。そして、そういう生活や価値観を率直に認める(推奨するという意味ではない)社会のほうが健全だと思う。
画一的な行動しかできない種(生物でも、人種でも、国でも、組織でも)は、想定どおりに動いているときは強いが、何かが起きたときに総体としてもろいし、バリエーションの少なさが突然変異的な種の進化をもたらしにくくするからだ。

「いい」以外は「悪い」。
ひとつひとつのスペックに限定して言うならまだしも、家の総体をそんな単純な構図で説明するのは間違いの元だと思っている。