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家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「家(か)」の使い方、使われ方

2006年01月28日 | 家について思ったことなど
朝妻さんのエントリ「『・・・家』ってなんだ? とちょっと思った」にトラックバック。

朝妻さんは渡辺篤史さんの「建もの探訪家」という肩書について言及している。
>一つのことを、長く、まじめに続けていると
>その道の専門家と認められ、『家』の称号をもらえるようだ。
それでいいと思う。あれだけ長い間住宅を見続けた人なのだから、立派に「建もの探訪家」であると私は認めたい。「建物を見る」という分野において権威といっていいと思う。それは有数の切手のコレクションを作り上げた人が「切手収集家」と呼ぶ/呼ばれておかしくないのと同じだ。

私が「家(か)の問題」で言いたいことは、「建築家」という言葉が持つ尊大なニュアンスをなくしてしまえばいいということ。言葉は生き物なのでそのニュアンスを含めていかようにも変えられる。
渡辺さんも「建もの探訪家」という肩書をもってして「先生」などと呼ばせてイバっているわけではあるまい。「切手収集家」だって別にイバった存在ではあるまい。世に存在する「家(か)」が皆エラソーであるということではないはずだ。
ハウスメーカーの営業マンなどによるマイナスイメージ戦略が功を奏しているのか、「建築家」に会ったこともない人が、「建築家は施主に『先生』と呼ばせてイバっている存在」というような先入観を持って発言しているのを見かけると、お互い不幸なことだと思ってしまうのだ。(注1)
私は自分の家を建てるにあたって4人の建築家と会ったが、エラソーな人は一人もいなかった(注2)。
世間の誤解は解いた方がいい。

なお、自ら「建築家」であることを吹聴し、施主に「先生」と呼ばせてイバりたい「建築家」もきっと存在するのだろうが、そういうお方がどうボヤこうと私は知ったこっちゃない。

(注1)私は呼ばないし、呼ばないほうがいいと思っているが、建築家が人に「先生」と呼ばれているのを糾弾しようとまでは思わない。かかりつけの街医者を気軽に「先生」と呼ぶニュアンスと同等ならばコトを成すのに大きな障害にはならないと思うから。むしろ「先生」と呼ばれる建築家がイヤな人は、「先生」と呼ばれる街医者にかかるのもやめたらどうか、などとも思ってしまう。
(注2)もっとも先方がエラソーだったらこっちもエラソーにふるまうことで相手をへこましてみようかなどとたくらんでいたりもした。(建築家との接触編はいつか書いた方がいいのだろうなあ)