家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「鉛筆削り道」とオブジェ

2005年09月03日 | その他
中学生のころ、鉛筆削りにハマった。
グルグル回して削るソレではなく、刃物で鉛筆を削る方。

父に「肥後の守(ひごのかみ)」という昔からある簡易ナイフの存在を教えてもらって購入したのがきっかけだ。
当時、鉛筆削り器は当然のように所有していた(電動ではなく手回しのヤツだが)。刃物で鉛筆を削るなどという行為が合理的でないことはあきらかだった。
そこで自分では美しさの追求のようなテーマを後付けして鉛筆を削る意義を見出した。

鉛筆というものは六角柱であり、先端部分を六角錐(すい)の形状にすることができる。そこで、きれいな六角錐状(角を削るので正確には六角錘ではない)にすることに執念を燃やした。電動でも手動でも鉛筆削り器では六角錐にはできず、円錐になってしまう。刃物を手で動かしてこそできる形状にひそかな(自己)満足感を得ていた。

そのうち、削り終わるまでの速さも追求し始めた。
六角錐という形状は、理論上最低6回、刃を動かすことで完成させることができる。それまでは木軸の方を六角錐状に整えたあと、あらためて芯を削っていたが、木軸と芯を一気に削ってしまえば6回のアクションでできあがるはず。極めたら、鉛筆削り器より速く削れるのではないかと考えるに至り、自己満足の追求はディープな世界に突入していったのだった。
現実は木にはクセがあり、そんなに素直に刃は進まない。また、木から芯に刃を進める段階で微妙な力加減の調整も必要になる。6回の切削できれいに仕上げるのはかなり困難。中学時代、千回程度削る機会はあったと思うが、6回でほぼ満足できる仕上がりになったのは10回に満たなかったろう。この道も奥が深いのである(求道者が他にいるかは知らないが・・・)。

自分で削るようになると、おかしなものでなかなか鉛筆を捨てにくくなる。長さが短くなると「鉛筆補助軸」を使って極限まで使った。あまり短くなるときれいに削れないこともあって、極限まで削った鉛筆は捨てていたが、最後のころにはそれをとっておくようになった。それをビンにつめたのが写真のブツである。
自分の鉛筆削りへのコダワリを説明するのが面倒なとき、コレを「貧乏性が作り上げたオブジェ」と説明するようにしている。


ちなみに、ネットをやり始めてから鉛筆芸術とでも呼べるような世界もあることを知った。
http://www.infofreako.com/jad/enpitsu.html
「六重螺旋」「有芯長方形斜方交差透かし彫り」なんて作品名も実物もスゴイ。貧乏性の人間からたまたま発生したブツと違ってまさに芸術で必見。