ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

目標を持って

2014-01-03 07:47:43 | 合唱

芸能は、ドラマがあり、ストーリーがあります。

 

歌舞伎、能、狂言、都都逸、落語、オペラ、バレー、民謡、踊り、合唱にも、ドラマがあります。

ドラマの現し方は、それぞれに特殊な方法や、独自性があることがわかりようになっています。

歌舞伎といえば、衣装、仕草、言い回し、すべてに関連を持って、一目でこういうジャンルとわかります。

 

ジャンル別に表現の仕方は多様です。

ルールに則って表現されるからです。

 

夫々のジャンルは、歴史を重ね、独自に創られてきました。

そのジャンルの約束事、に応じて、表現をしていくのは、当たり前のことです。

どの分野でも、道を究めた達人の表現は、観客を魅了します。

表現の中にあって、はじけていても、大きな約束事を踏まえている限りは、許容されます。

 

ジャンルにおいて、初心者、経験者、卓越者の存在は大きいものです。

初心者、未熟者がどれほど、熟達者に近づけたかが大きなカギになっています。

 

初心者は、先輩に追いつく。

熟練者は、如何に初心者を取り込んでいくかが重要なことと考えています。

 

初心者は、模倣から入るのをお勧めします。

指導者が指摘できることは限りがあります。

地道な努力を求められていると、考えて前向きに前進する気持ちで対応してください。

 

タカラジェンヌの修業時代のドキュメンタリー番組を見たことがあります。

ハードなスケジュール、ハードな練習の連続、長い歴史の中で育まれてきた、一人前になるための修業。

それは過酷と厳しさと、愛情の上に、成り立っていると感じました。

 

アマチュアだからという考えは忘れて、自身の成長のために、それが団員、そしてそれを支えている沢山の人々。

自身の喜びのお裾分けを分かち合うことを、願いつつ励んでほしいです。

 

 


アンチCM

2014-01-03 07:16:01 | 日記

「NCIS]という海外ドラマをよく見る。

 

ストーリー、展開、テンポ、演出、いずれも、群を抜いている。

とくに演出はすごい。

 

ドラマなのに、ドラマを一瞬忘れさせるほどにリアル。

 

爆発シーン、乱闘シーン、交通事故、追跡、事件、日常の会話など、いずれも、見ていると、錯覚するくらい。

通行人、背景に配置されている者、その他大勢の者さえ、ドラマに溶け込んでいて違和感がない。

 

爆発があれば、本当にけがをしたかのよう。

事故が起きれば、実際に事故ったかのよう。

殺人、喧嘩があれば、実際に起きているかのよう。

 

会話は、日常の会話から、緊迫したやりとりまで、芝居と言うことが、間違いのよう。

このドラマをみていると、日本のドラマがあまりにお粗末で、見るのが辛くさえなる。

ただ、それほどのドラマなのに、時折、ストーリーが、気にいらない時がある。

イライラさせられることがある。

 

それから、ドラマに直接関係がないけれども、CMの低レベルに辟易させられる。

10分おきくらいに流れるCMは、どれも、見るに堪えない、聞いていられないほど。

CMが始まると、音を消し、画面をちらみして、CMの終わるのを待つ。

CMが終わると、音を戻してまたドラマの世界に没頭する。

 

本当に、台無しにするCMの氾濫。

何とかならんものかと、思う。

一番の不満は、台詞。

 

まゆつばものの、台詞を何度でも人を変えシーンを変えては、連続して出てくる。

以前は、何度でも見たくなる、何回でも聞きたくCMがあったものだった。

最近は、一元のドラマばかり見ているのでCMも一元。

最近、台詞が少し変わったのだが、それでも、二度以上聞きたくはない。

 

CMの料金は高いと聞く。

CMに流すと、販売数が増えるという話を聞いたことがあるが、これらのCMもそうなのだろうか。

ユーザーをなめているとしか思えないCMの垂れ流し。

 

流されやすい、信用しやすい、ユーザーが、増えているということか。