ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

事件

2012-10-31 12:28:19 | 日記

埼玉県の鉄道線路上に鉄パイプ、消火器などがまかれていて、電車がぶつかった事件が続けて

2件もあったそうな。

京都では、偽札を使った親子が偽造通貨行使容疑で逮捕され。

 

横浜市の児相で2006年に、卵アレルギーの男児(当時3歳)が卵白を含んだ竹輪を食べた後に死亡。

それに対して、誤った一時保護が原因だとして、両親が同市や、児相に通告した独立行政法人国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)を相手取り、約9000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日にあったそうな。

自治体職員の3分の一は非正規雇用。

 

 

群馬で起きた83歳の父親を殴るけるして、傷害で逮捕された57歳の医師。

なんでこんな事件が起きるのかというくらい、様々で不可解な事件が最近多い。

世界中のあちらこちらでも、荒れている。

 

しかしながら、こんな、人間社会に、なんら、下されることはない。

人間同志が、モミクシャになるだけ。

 

人は死を、様々に表現する。

「天に召される」「お迎えが来る」「墓場へ行く」

「あの世へ行く」「成仏する」「死神が来る」

「先祖が迎えに来る」等々。

 

「意地悪な人は長生きする」

「惜しい人は早く亡くなる」

など、残った人は、勝手に解釈する。

ただ、これだけは言える。

「親より先に死ぬ子どもは、逆縁ではない」

「重い病や怪我をしても、それは前世のたたりなどではない」

と、思っている。


踊り

2012-10-27 07:21:17 | 日記

日舞を3曲ほど練習したことがある。

一度は親戚の民謡の発表会で、一曲披露した。

それと、近所のお祭りでも踊った。

師匠である母の新年会でも一度。

半年ほどの短い期間だったが、着物を着られるのが嬉しかった。

踊りの練習は、浴衣を着る。

本番は、お洒落できるも楽しみだった。

普段は、気にしない方なのだが、時折のおしゃれは楽しみだった。

その後、沖縄のエイサーを踊る機会を得た。

知人が、新宿へ行って踊ると聞き、翌年は、仲間に入れてもらった。

初めてのエイサーは、思ったほど激しい踊りではなくてほっとした。

パーランクを持って全身を使うエイサーは魅力だった。

練習は、Tシャツにズボン。

本番は、黒のTシャツに、紅型の打掛、エイサー用のズボン、地下足袋。

白の鉢巻だった。

打掛と鉢巻、白帯は、お揃い。

エイサー用のズボンは仲間から借用。

地下足袋は近所の、ユニフォーム専門店で、購入。

パーランクは、チームに50以上が、在庫されており、練習時から無料で貸与。

本番が終わると返却することになっていた。

本番が終わってまもなく、某デパートで沖縄展があり、三線やパーランクを販売

していて、そこで、購入。

マイパーランクを所有したものの、しばらくしてタンスの奥にはいったままになっている。

最近は、合唱のなかでの振り付けが主。

少し、動きのある振り付きが嬉しい。

 

踊りの心

尾上松緑

毎日新聞社


年賀状

2012-10-26 16:19:57 | 日記

年賀状の受付がもう間もなくだそう。

年賀状を送らなくなって久しい。

個人で出す人も、企業で出す人も、年々減っているとか。

様々な理由があることだろう。

年賀状のお知らせをみていて、40年以上いや50年以上も前の

ことを思い出した。

年賀状に一円募金が付いたことがあった。

父が年賀状に、1円切手を貼っているのをみて、なんとなく

「寄附って書いてあるけどそうなの」と、不思議に思ったことがあった。

後日、おそらく、父の勘違いだろうと、思ったが、言えなくて黙っていた。

年賀状の歴史を教えてくれるサイトがあった。

何気なく、存在していた年賀はがき。

歴史や話題となって、関東大震災の時は、特別便扱いが停止されたそうな。

確かNHKだったか(民放さんだったらごめんなさい)「初めて物語」とかいう番組をやっていたことがあった。

毎回、感心したり、驚かされたりしたものだった。

どいう言う話題だったかは、記憶の彼方ではある。

年賀状に縁がなくなって、かれこれ、4年くらいになるか。

当分復活させる気にはならないものの、年賀状は気になる存在ではある。


いじめ

2012-10-25 16:54:11 | 日記

都内の公立校でいじめが6600件になったそう。

昨年の1,4倍らしい。

冷やかし、悪口、脅しが5176件

仲間外れ、無視が1253件

インターネットを使った中傷は178件とか。

被害者が6600人なら、加害者は、7000を超えているのかも。

差別をしたがる人間。

上をみずに下を見ろと言われたのは、徳川時代頃か。

差別をしたり人を貶めたりするのが好きな人は多い。

表面に出ない、隠れいじめは、どの程度にのぼるにか。

全人口からすれば、わずかかもしれないけれど、たくさんの被害者が日々苦悩を強いられていることは

確か。

人の弱さのあらわれなんて悠長なことを言っていられないことかもしれない。

面々と続く他人への、報復。

他人を仲間とみなさなくなった現れと思っている。

人間関係が薄くなれば、更にいじめも増える。

そして、エスカレートもする。

貧しい心の持ち主が増えていって、いつかは、淘汰されるのだろうか。


運転免許

2012-10-22 05:48:56 | 日記

運転免許の更新に、5年ぶりに府中試験場に行った。

5年ぶりだったからなのか、試験場の脇に10軒ほどあったはずの代書屋が影も形もなくなっていた。

リハビリテーション病院として、ガラス越しに、リハビリを思わせる、器具が並んでいるのが見えた。

「代書屋さんは、どこへ行った?」

あたりを見回すが、それらしき店は一軒も見当たらない。

仕方なく、試験場へ向かう。

朝一で出向くと、行列に並ばなければならない。

それを見越して少し、遅めに、来たので案の定、視力検査の列は、対して並んでない。

しかし、申請受付なるところは4列で4,50人は順番待ち。

ハガキと、免許証を用意してとあるので、カバンから取り出して並んだ。

流れは早く、程なくして、順番になった。

ハガキと、免許証を提示。

「裏の住所に変更はないですね?」

「ここに記入して2番へ行ってください」

記載台はほぼ満員。

選挙の投票所みたいな空間があって、そちらは一人もいない。

住所や名前などを記載、裏面の、確認項目を一読。

該当なしのところにチェックを入れて、2番窓口に並んだ。

こちらも流れ作業がスムーズ。

ほどなく、もう一度確認の言葉があり、3,100円を払って、

申請書を受け取る。

暗証番号の登録を済まして、次は3番へ。

今度は、写真の撮影。

「あごを引いて」と言われて、顎をいっぱい引く。

前々回の時は確か、目をつぶった免許証だった。

前回は、必死で目をあけていた。

今回は、優しく、顎を引いてと。

撮影も、事務的なものから少し変わったようだ。

撮影が終わると、「ここを出て右へ」とのこと。

申請書の半券をもらって、今度は、本館を出て、左の2号館での

講習会場へ。

80人ほどの、席はほぼ満員。

空席を、教えられて、すぐに着席。

あとから、4,5人ほども誘導されて、着席すると、「満席」との声があり、

出入り口の扉が閉まった。

講習開始。

昨年の交通事故の負傷者数、死亡者数などの話のあと、ビデオの放映。

息子を事故で亡くしたという母親のインタビューだった。

「走る凶器ということを忘れないで」との教官の言葉が耳に響く。

30分の講習が済むと、講習修了の判を押してもらって、交付会場へ。

「日曜日は混雑するので15分くらいかかります」との言葉があったので、じっくり待つ。

たくさんの人が新しい免許証を手にした。

20分くらい待って、新免許証が交付された。

ICのデータを、確認して、会場を出る。

会場についたのは11時頃、講習を受けて、交付を受けて、バスに乗って駅に着いたのは12時半に近かった。

免許の更新には半日がかり。

使ったお金は、3,100円+420円 =3,520円

5年後、また来ることになるのだろうか。

 


メガネ

2012-10-21 08:57:36 | 日記

5年ぶりにメガネを新調した。

フレーム代 35,700円

レンズ代 39,900円

合計 75,600円

給料のおよそ半分。

これでも、フレームを選ぶときに、店員は1万円高いのをすすめ、

レンズも前回の同等より一ランク落としてもらった。

前回同様ので、新調していたら、10万円ほどになったはず。

ショーケースに並んでいたフレームは、すべて10万円以上。

レンズは5万円が高ランク。

それで、作ったら給料1ヶ月分になったわけで。

メガネなしであったなら、使う必要のない出費。

なんとも、恨めしい。

5年ごとの、運転免許更新。

次回は、メガネを新調するのは、止めよう。

運転免許も、年齢のこともあるので、返上しよう。

生活に、影響はない。


誤認逮捕

2012-10-20 12:57:21 | 日記

誤認逮捕の被害者に、警察が謝罪をするというニュースがあった。

7月に逮捕され、10月の日に、事情聴取をされたところ、誤認ということが

発覚。

早ければ21日に謝罪をということになったそうな。

3ヶ月の間、犯罪者という烙印を押された大学生。

すぎた3ヶ月は、元に戻らない。

人々の記憶にも、残るし、一部の人は、犯罪者として、記憶し続ける。

3ヶ月の間に、イヤがらせをした人がいるかも知れない。

たったの3ヶ月かもしれないが、今後にも何かしら背負って行くことにはなる。

白紙には決して戻らないから。

 


字幕

2012-10-19 07:29:13 | 日記

日本語にも自身のない自分には、字幕あるいは、吹き替えはありがたい。

吹き替えの声を聞いては、俳優の口との違和感のあまりないのに、出会うと

声優さんはすごいなと、感心する。

吹替用と、字幕用とでは、訳が異なるということを始めて知った。

何より、何気なく見ていた字幕の制約や苦労を始めて知った。

時折、にやりとしたり、「プッ」としたりして、大いに楽しんだ。

 

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ

太田直子

光文社新書


優雅

2012-10-18 07:04:32 | 日記

加藤和彦という人物については、何もなしに、本の題名に興味を持った。

面白く読んだ。

彼のこだわり、彼の世界観など、面白かった。

優雅な生き方には、興味がある。

なかなか、優雅にといかないのが、凡人の悲しさ。

自分にもできることがあるだろうか。

 

優雅の条件

加藤和彦

ワニブックス新書


聖職

2012-10-17 12:13:14 | 日記

聖職者と呼ばれる人がいる。

本来は、宗教関係の言葉らしい。

教職者などにも使われることがあるが、今は、使用しないかも。

小学生の頃、

「先生は、えこひいきなどしない」と親に言われたことがあった。

先生だって人の子。苦手な生徒。うまが合わないという生徒。

好みだってあるだろう。

先生だった、聖職者でなくてもいいのではないかと、高校生頃には思うようになっていた。

けれども、一応、大学を出て、社会人となっているわけだから、そこそこ、大人になっていてほしいとは思う。

「聖職者たちの犯罪」を取り上げたブログを見たことがある。

週に一回くらいは、犯罪や、不祥事がニュースに出る。

先生とかは、一般人よりニュースに取り上げられやすいから、実際に事件を起こす先生はパーセント的には、一般人よりは少ないかもしれない。

けれども、平均的には、教養があるはずなので、それなりの人物にはなってもらいたいものだと、期待する。

自分の高級車に体操着がふってきたからといって、顔をたたいたり、体操着をゴミ箱に捨てるなんて、お粗末すぎるのではないか。

しつけと称して、こどもを虐待する保護者よりは、ましだろうけれど。

これも、日本の教育、学校であれ、親、近所の人、すべての教育力の低下と言えるだろう。

負の再生産は、歯止めがかからない。


芸能

2012-10-13 20:57:49 | 日記

能や狂言の魅力ってなんだろう。

計画され研ぎ澄まされた、声や楽器の音色。

演者の技術。

洗練された、物語。

日本人の好みにあった、集大成。

惜しむらくは、庶民には高額なチケット料。

ヨーロッパのクラシック鑑賞は、安価で気軽に行けるそうな。

日本の芸能。

能・狂言・歌舞伎・落語・日舞などは、庶民には、高嶺の花。

 

30年以上前に、ある日思い立って、出かけたことがあった。

2,000円くらいで見られる気がして、ほとんど、カラに近い財布を握りしめて、

電車に乗って劇場に行ったことがあった。

 

チケットの高さに泣く泣く帰宅しようかと諦めようとしていたとき、

二人連れのお客に声をかけられ一緒に入場した。

昼食付きの、ご招待券が一人分余ったのでというなんとも幸運に恵まれた。

 

しっかりと鑑賞。

坂東玉三郎の「楊貴妃」をしっかり堪能させてもらった。

そのあと。5年ほど前に、チケットが割引で帰る幸運に、恵まれて、狂言を鑑賞した。

高校生の時に、授業として鑑賞した、能がいまだに心に残っている。

高校生のお小遣い程度でも鑑賞できるようになれば、嬉しい。

本物の能や歌舞伎をまた観たいよ。

 

能・狂言の基礎知識

石井倫子

角川選書


銀行

2012-10-10 16:06:06 | 日記

源泉税の納付に銀行に行った。

m1銀行では、窓口相談になるからと、番号札を渡され、窓口へ。

「納付書は、あるが、電車ですぐなので、たくさんほしければ電車で行ってほしい」

とのこと。

 

午後にはm2銀行へ。

「国税の振込用紙で対応できる」とのこと。

税務署名と事業所名、金額などを窓口で記入。

代金を払った。

ほどなく、完了。

気が付いたが両銀行とも、頭文字は「m」

今回は足をむけなかったが、もう一つを「m3」とする。

 

同じ「m」でも、

「m2」は、さすが大銀行と思わせる対応で、有難かった。

「m2」は、いいところもあるが、「ちょっと」と思わせるところがある。

一番ひどいなと思わせるのが「m3」

 

今回、最初から、聞きに行く気にもなれず、パス。

銀行内部では小口の客は、「ゴミ」と称すると聞いたことがあった。

大銀行でも、気持ちはお粗末。

それでも大銀行になれるんだから、わからないものだ。

 


熟成

2012-10-09 12:33:01 | 日記

「カネミ油症」が、初めて新聞で紹介されたとき、

「正体不明の病気」としてだったそうな。

「森永ヒ素」

「グリコ・森永事件」

「コーラ事件」

など食物に関する事件が、話題になった時代があった。

どの事件も衝撃的だった。

中でも「カネミ油症」は、怒りさえ、覚えた。

口にする物への、生産者、製造者の、人間性をも疑うほどの事件だった。

こんなに、あるのに、いまだに、食に関する事件は一掃されない。

つい先日も「豚レバー」のニュースがあった。

生産者も製造者も同じ人間のはずなのに、蚊帳の外になっているのは、昔も今も

かわりないようだ。

人間関係が希薄になっているということか。

人間なんて、そもそも、社会性は育まれていくもので、社会性を育てる努力を惜しんでいると

社会性の乏しいものばかりになってしまうということか。

五感は、成長とともに、研ぎ澄ますことはできるし、欠点や弱いところは、補っていく作用が

働くらしいが、人間性とか、社会性とかは、ほっておいて育つものではない。

少し前まで教育が大事と、大人はすぐ口にしたものだったが、今は、一部にしか、影響していないような気がする。

 

教育も知や体のことばかりで、親の関心も心を育てるなんて、ことは考えてくれないのが哀しい。

先日、「自分の子どもは、自分で育てたい」という人にあった。

自分にとってのよい子を目指すのはいいけれど、社会にとっても必要とされる。

 

総合的な熟成した大人を目指して欲しいなぁと思う。

 


2012-10-08 08:20:41 | 日記

祈りと歌は深く結びついている。

色々な曲を練習し、演奏するが、何度でも聴きたくなる。

何度も歌いたくなる曲というのがある。

年齢を重ねていくと好きなジャンルが変わっていくこともある。

DNAに刻まれた、リズム感。

人が、共感する曲というものは、民族によっても違うそうな。

音楽に国境はないらしい。

国境はないけれど、日本の歌は、日本人向けになり、

ヨーロッパの歌はヨーロッパ向けになる。

日本の歌を日本人が歌うこと。

例えば、ヨーロッパ人日本の歌を歌いことは、どうしても、お国柄のようなものが

入る。

それは、水がアルファを含むと、味が変わるように、同じ曲でも、演奏者の様々な

要素が反映するのは、違った味付けになって、当たり前のことにはなる。

けれども、

作曲者の意図や曲の背景、環境は、譜面上に現れないこともあるので、それを知る

努力は、必要。

合唱を始めた頃は、指導者の言うままに、演奏記号などをただ、表すことだけしかしなかった。

合唱歴を重ねていくうちに、作曲者の意図、背景、作曲された年代、作曲者の状況なども、

演奏する上で、知っておく必要が、知らなければならないのだということを、指導されるようにも

なったし、考えるようにもなった。

基本を身につけつつ、一歩一歩、重ねていこうと思う。

 

キリシタンと西洋音楽

横田庄一郎

朔北社


季節

2012-10-06 06:53:55 | 日記

湯沢市で、山吹が開花し、クジャクソウなどの秋の花と共演しているとか。

近所では、よく夏のたんぽぽとか、を目にすることはよくある。

季節はずれの花の開花の話題も時折目にする。

四季折々の花を楽しめる日本ならではの、また違った楽しみかも。