ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

集中力

2014-02-28 12:19:53 | 合唱

演奏における必須条件に、「集中力」があると思っています。

練習時は、集中しにくいことが多くて、途切れがちになるので、練習もなかなか進まないことにもなります。

「本番に強い」というのは、集中力が頂点に達して、適度な緊張感に、いるということではないかと考えられます。

ホールの、スタッフからもらう雰囲気、ホールを埋め尽くしたお客様の姿、緊張に顔が輝く演奏者。

ステリハを経て、本番という気迫がみなぎり、集中力が高まって、普段以上の出来が実現する。

 

これは、集中力です。

本番にいかに集中力を発揮できるかは、経験が大きいでしょう。

場数を踏むという言葉があるように、体験はどんどん、その後の演奏にも生きてくるのです。

 

集中力を、普段の練習の時から、意識して、取り入れていきたいものです。

 

音取りのような、段階では、椅子にすわったままで発声することを日常にしている団は、結構あります。

 

椅子に座っていても、本番をイメージして構えている人は残念ながら少ないように見受けられます。

背もたれにどっぷりと持たれていたり、足を組んでいる人がいたのを見たこともあります。

 

椅子に座るときは、前のほうに、背もたれに寄り掛からないでと、注意する団もありますが、

注意さえれた時だけという人が大半です。

 

「発声の時から、歌う姿勢で」と、某ヴロイストレーナーから聞いたことがあります。

 

遅くとも練習会場に一歩足を入れたら、「合唱する」心構えになって、集中すれば、練習は、一回一回、実りの多いものになるのではないかと、思っています。

それは、集中力を、いかに、コントロールするかにもかかわっていると思います。

 

 


マイペースのこと。

2014-02-27 12:18:01 | 合唱

合奏・合唱では、ソリスト以外は、マーペースはできません。

 

たとえ、どれだけ、音がしっかり取れてても、どれだけ、リズムに乗っていても、独奏は独走、になります。

 

合奏、合唱では、揃えることが絶対です。

 

だいぶ以前のこと、テレビの情報で、某中学校(某高校だったかも)の生徒が、学内コンクールに、ある生徒を参加させなかったということがあったそうです。

 

その生徒は、他の人とは、違うものを持っていたそうで、担任の先生から、「降りるように」と言われたとかの問題が浮上して、「学校での参加をさせないのは、おかしい」との声があったようです。

 

アマチュアで、社会人合唱団でも、合唱に、なじまない人、個性が強いからと、排除させられることは、多分ないと、思います。

 

しかし、合唱の一員として参加するので、あれば、なじむ努力は、したほうがいいでしょう。

混ざる声を、意識して欲しいと、思います。

 

ソリ歌手が、合唱に入るときも、合唱に合わせているはずです。

アマチュアのなかでのソリストは、それなりに、目立ったりします。

 

それは、水と油のようななじまないものではなく、さりげない違いとして、違和感のない、その中でのあふれてしまう個性です。

 

混ざらないから、そのままでいいのではなく、混ざっているようで、違いがきらっと、輝いてしまうというのは、歓迎される個性です。

集団のなかでは、集団に合わせることは基本になります。

 

個性は個性、それはいいことです。

 

しかしながら、個性が「アク」にならないように、ご自分の声のかじ取りをお勧めします。

 

 

 


カタカナ発音はNG

2014-02-26 09:43:57 | 合唱

合唱の場合、日本語の発音は、ローマ字で、外国語は、できれば発音記号に則って、発音します。

発音記号では、という場合は、ローマ字で、それも無理という人は、カタカナで表記しましょ。

しかしながら、カタカナ表記で、カタカナ発音は、しないで、外国語の発音を心がけましょう。

 

例)

Gloria → http://ejje.weblio.jp/content/Gloria

グロリアと書いたとしても、「Gu lo ri a」でなく「Gloria」と発音しましょう。

 

ローマ字表記は、「G l o r i a」です。Gに「u」も「o」もありません。

Gだけです。

 

カタカナでは、「グ」は「gu」と発音したくなります。

「グ」だけど、「g」と発音します。

 

ためしに、「グ」「g」の違いを発音してみて、ください。

カタカナ表記してもカタカナ発音にしないことがコツです。

 

Kyrie eleison

発音は 「kir.i.e e'le.i.son」

カタカナで表記すると、「キリエエレイソン」となるでしょう。

これも発音記号をみると、kiに、rがついています。

「kir i e e le i son」のつもりで発音します。

「son」の「so」は「ソ」でなく、「so」意識しないと、発音しにくいので、意識してみましょう。

 

カタカナ発音を、しない心がけで、外国語の響きになります。

一言でいうならば、「外国語発音で」

平たく言えば、深い発音とアクセントです。

 

 

 

 

 

 


ニュース

2014-02-25 23:28:30 | 日記

毎日、ニュース的な、情報をいくつかのサイトでチェックすることにしている。

 

時折、「えっ?」と思うような記事にあう。

テレビドラマもよく視聴しているが、「小説より、云々」の記事が一年中、といえるくらいある。

ドラマでも、「こんなことが、〇〇」というくらいある。

 

それに負けぬくらいの。「こんなことが?本当にあったの?」と言うくらいあるのが、信じられない。

 

今朝は、JR駅、乗客ら30人が救出劇 腕挟まれた男性」という記事に、鼻がつんとなり、

線路にコンクリート電車接触」の記事に、心が落ち込み。

「金食い虫か? 五輪開催の損得」の記事に、長野オリンピックを思い出し、

「「アンネの日記」等305冊損壊、捜査本部設置」に「寒々しい人の心を思った。

 

コップ酒が、2杯目を超えてしまった。

 

 


同報メールのこと。

2014-02-25 08:06:12 | 合唱

今は、便利になりました。

 

24時間、自分の都合の良い時に、一度に、何十人の仲間にメールが送れるようになっています。

ネット時代の、恩恵をグループ、集合体が特に、感じているのではないかと思います。

 

以前、仲間への連絡媒体は、手紙、ハガキ、そして電話、電報でした。

 

緊急連絡網という、言葉に象徴されるように、世間話をするとか、他愛のない話をするとは、違って、

緊急の場合、例えば、急用ができた。急病になった。急に連絡しなければならないというような時、

電話をかけたり、電話のない家庭へは、電報を打ったりして、連絡をするものでした。

 

今は、急用で無くても、急ぎの用件で無くても、タイムラグは、あるものの、一応、何分かで発信できます。

それも多人数へ、送れるすぐれものです。

 

電話、電報、手紙、訪問には、エチケットというものがありました。

夜間の訪問、夜分の電話、緊急で無い限りは避けるというものです。

夜半の電話は、訃報というのが多かったのです。

 

今は、便利になって、携帯電話も普及して、ネットという媒体が、身近なものとなりました。

しかしながら、かつてのエチケット(ネットの世界は、ネチケットと称します)が育まれないままに網羅されてしまったように感じています。

便利なままに、ネケチットのない情報が、ネットの世界に氾濫しています。

 

一頃、話題となった「××」ネットへ流した情報は、一人歩きをし、良い人、悪意のある人へも届くということを

気にしていない人が多いことは問題です。

 

メールのルール、メールのネチケットを、伝える必要性を強く感じています。


 

この、文章を最後までお読みくださった、読者様。

拙い、とりとめのない、長い文章を最後までお付き合いくださいましたことを感謝いたします。

もし、ご賛同いただけましたら、どうか、あなた様の身近なことから、発信を始めていただけたら幸いです。

*メールのルールは、

http://support.eonet.jp/beginner/mail/rule.html

http://kakikata.dkrht.com/mail-contents1.html

http://www.costdown.co.jp/blog/2011/12/post_2191.html

などご参照ください。

 

 


G.P.(ゲネプロ)は模擬試験

2014-02-24 09:34:48 | 合唱

本番の前に当日、ステージリハーサルが組まれていることがほとんどでしょう。

 

本番前最後のステージの乗る人、楽器、音響、照明、そして、スタッフの行動など本番時に

かかわるすべての人とモノの調整、確認、の流れを滞りなく進めるための重要な時間です。

 

本番が午後2時頃の場合、午前9時頃に集合して、ピアノの調律、楽器の一回目の調整、合唱やソリストの場合は音だしして咽の調子を確認したり、準備運動をします。

 

裏方さんにとっても、様々な仕事があって、緊張する時間でもあります。

本番がスムーズに、進めるために、全神経を集中させて行うこともあり、本番より疲れることもあります。

丁寧な、G.P.は、本番のアクシデントへの対応にも、かかわります。

*G.P.→ ttp://www.dik.co.jp/seken/ingo/geino.htm

 

某演奏会の時に、いくつか本番のトラブルがあって、ひやっとさせられたことがあります。

すべて、滞ることなく、無事に乗り越えられたのも、皆がそれぞれ、演奏の体験者が多かったこと、リハーサルをきちんとしていたことによる賜物だろうと、思っています。

 

某指導者が、練習時に、たとえば、練習の参加者が極端に少なかったとしても、「本番に、全員が揃うとは限らないので、今、ある状況にあわせて、練習しましょう」とおっしゃったことがありました。

 

電車が止まった。飛行機が中止になった。家族に急用ができた。火事や地震が起きた。

本人が、急病になった。等々。何が起きるかは予測つかないこともあり得ます。

 

すべてに、パニクルことなく、対応できるのには、度胸と皆の気持ちが、本番の成功への心がけにかかることでしょう。

そのための、ひとつがG.P.でしょう。

本番をイメージして、対応することで、柔軟な対応ができるものと考えています。

 

しっかり、臨んで、本番は、しっかり楽しみましょう。

 

 

 

 

 


演奏会の存在

2014-02-23 06:32:22 | 合唱

本番の存在は、携わる者にとって、様々な意味や役割があるようです。

 

アマチュアの団員にとっての演奏会は、生活の節目となっていることでしょう。

合唱の他に、誰にも私生活の状況があります。

 

仕事をもっていたり、介護に携わっていたり、家族やペットがいたり、家族との、関わりもかかすことのできない要因となっているでしょう。

 

その中のひとつに演奏会が、あるのですから、節目とならざるを得ません。

 

演奏会に、集中する時期が一段落すると、日常の生活に戻るのは自然なことになります。

そこで、団を休むとか、退団するとか、別に集中したいことがあれば、そちらを優先するのは、当然のことではないか、と思います。

 

某指導者が、このようなことを言っていました。

「演奏会が終わると(団を)辞めてしまう人が多い。それなら演奏会をしないほうがいい」

 

教えをいただく側からすれば、演奏会を区切りに、日々の生活があり、演奏会を目標に、生活をやりくり

します。

 

集中しなければ、ならない演奏会は、励みにもなり、生活のめりはりになり、糧といえます。

演奏会に向けて物事がすすむので、演奏会が終わったら、自身の生活に少し戻して、リフレッシュをパターンとしています。

 

団に、所属して、演奏会の節目に関係なく、活動を続けられるということは、恵まれていると、思います。

一人ひとりに与えらた一日24時間を、どう使うか、どう使えるのかは、多様です。

優先順位をつけなければ、うまくこなすことはできないでしょう。

演奏会を節目というのは、演奏会から、逆算して、日々の生活のなかで優先順位を移動させなければ

ならないという、ことが出てくるということです。

 

やりくりを、上手にしたいと考えても、自身だけの問題以外に、様々な事柄を持っているでしょうから、思い通りにはいかないことが、多いことでしょう。

練習になかなか来れないという某団員は、寸暇を惜しんで様々な努力をしていました。

分刻みのやりくりを、日常の中で展開しているのです。

それでも、そういう使い方を可能にしてくれる、周りの協力、本人の努力する気持ち、それらが揃わないと可能性がなくなります。

 

努力を常にできる人は幸せです。

支えてくれる環境があってこそのことだからです。

 

練習に参加し、教えを得る者としては、演奏会は大きな存在として育んでいきたいと思います。

 


本番前

2014-02-22 00:20:20 | 合唱

本番前の緊張感は、あまり好きではありません。

 

練習が満足できなかった状態の時、思うようにはかどらなかった時、受かりそうもない学校に受験に行った時の時のように、キャンセルして、かえってしまいたいと、思ってしまいます。

 

振り返ってみると、本番に準備万端で臨んだことがほんの数えるくらいだったことに気がつきました。

 

やろうと思ったこと、以前は、一つひとつつぶしていった感覚があって、本番に臨むのが、冒険のようでした。

最近は、どうもそのような感覚になれないことに気づきました。

 

以前は練習の手ごたえ、練習の進歩が、しっかりと感じられたからです。

 

なぜ、最近にはこういう感覚がないのか、考えています。

 

初めて本番の迎える時、じっとしていられなくて、舞台の裏でうろうろしていたような記憶があります。

 

練習すればしただけ、手ごたえがあって、出来なかったところができるようになっていくのが、嬉しくて、

練習せればしただけ、曲が確実に自分のものになっていくのが感じられて、達成感を得られることが喜び

でした。

 

そうです。

達成感をなぜか、感じにくくなってきているようなのです。

 

これっていったいなんなのでしょうか。

練習量に匹敵した満足感が得られなくなっているのです。

 

初めての感覚です。

 

とりあえず、明日、いえ、今日の本番を「無事」ではなく、満足のいく形にしなくてはなりません。

なので、ひとまず、後退思考を中断することにします。

 

 

 

 


ゆる○○

2014-02-21 09:07:12 | 日記

解説に、『「ゆるい」文章』という言葉があった。

ゆるきゃら、ゆる○○、最近はやりの言葉かと思っていたが、2001年に、出版の解説にこの言葉が

使用されていた。

高度経済と言われた頃は、豊かさを求めて、仕事仕事に精を出していたのだろう。

バブルがはじけてからは、ゆとり教育とか、マーペースとか、一歩づつ進もうというような気配を

感じたものだった。

最近では、なにやら、「ゆったり」系になったよう。

 

心にゆとりを持つのはいいことだと思う。

一時期流行った、「自己チュウ」というマイナスへの加速でなければ、思う。

 

木山捷平ユーモア小説選

鳴るは風鈴

木山捷平

講談社文芸文庫

 

 


義務の放棄

2014-02-20 17:31:57 | 日記

育児放棄をしたとして、10歳の子どもが訴えたそうな。

 

育児放棄、介護放棄、保護義務違反、様々な放棄があって、「愛情がないのか」と、批判されることがある。

 

家族に対する、義務が、ある。

 

大人は、こどもを衣食住で養い、精神面で、力になることを求められる。

 

老いた親へは、こどもに義務が生じる。

家族は助け合っていくものと誰もが思う。

助け合うのは、愛情とも言われる。

 

愛情だけで、乗り越えられないことも起きるもの。

育児放棄は一方的に、保護義務者が非難される。

放棄されて、餓死したり、放棄されたための病死とか事故死とかになる場合もある。

 

もう一方で、「過保護」ということも問題になったことがあった。

一見すると、親の愛情たっぷりでいいようなものではあるが、屈折してしまった愛情は、汚点になる。

 

こどもの成長は、環境に左右される。

適度な刺激と、適度な栄養と、適度な環境が望ましい。

こどもも老人も、人の助けが必要なときは、必ずある。

 

そしてそれを担うのは、家族と、そして行政や地域だと、思っている。

地域や行政が手助け、後押し、支えになっているならば、ダメ親、ダメ介護者がいても悲劇は起こらない。

 

親を訴えるなんてこともなくなる。

親や子どもが放棄して、の悲劇も、起こらずにすむはず。

助け合おう。

 


「pppp」の発声

2014-02-20 06:57:06 | 合唱

「pp」「ppp」「pppp」は、苦手な人が多いようです。

合唱曲では、「p」「mp」「f」「ff」「mf」は、頻繁に出てきます。

 

そのほかに、「p」の役割は、重きが多いといえます。

「f」以上に、繊細さが要求されると、考えられます。

美しい「pppp」は、それこそ、全神経を集中させなければならないからです。

 

某、指導者が、「ppp」は、大人の合唱団ならではと、仰ったことがありました。

イメージとしては、隣の人に聞こえるくらいになります。

 

神経を、集中して、美しく発声するには、外へ向かって発するというよりは、一本の糸に乗せる感覚

と言えるでしょうか。

「pppp」の声をイメージしながら、息をすうっと吐いていきます。

 

某、指導者は、「内緒話をするときの発声」と例えていました。

 

この発声を自分の物にできると、合唱に一段と磨きがかかることになるでしょう。

 

この発声は「ff」にも通じていると、最近感じました。

 


ミステリー

2014-02-20 00:19:21 | 日記

ペンネームにまず驚く。

霧崎 は「切り裂き」

遼樹 は猟奇を連想させる。

小説も、予想通り、単純ではない。

推理物は好きでテレビドラマは、毎日のようにみている。

見ごたえのあるドラマが多いので、楽しみにしている。

合間のCMには、うんざりではあるが。

CMのせいで、見たくなくなることもある。

 

ま、基本的には、サスペンス、スリラー物は、興味深い。

ただ、おどろおどろしいもの。

あまりの猟奇ものも、チャンネルを変えることが多い。

 

わくわくどきどき、それでいて、推理が目のさめるようなものが好み。

最近のは、ある意味画期的。

ある意味、驚きの連続。

そして、良く練られている。

単純なものは、段々、姿を消す定め、か。

 

 

書下ろし 警視庁死番係 「虚ろなる冤罪」

霧崎遼樹

徳間文庫


一人ひとりの波

2014-02-19 10:43:50 | 合唱

練習録音を聴いていて、以前の録音のほうが良かったりすることがあります。

 

なぜなのか。考えてみました。

 

過去の練習では、楽譜をみながらでした。

 

最近の録音は、暗譜を試みていました。

 

暗譜が不十分だと、声も乗っていない。

 

他のパートを聴いていて、他パートが落ちたり、一部、間違ったりすると、余波を受ける。

一度で身に着くこと。何度か反復練習してようやく身につくこととがあります。

 

うろ覚えの状態だと、間違いがより多くなっていきます。

うろ覚えが多いと、あちらこちらで、ほころびが出ることになる。

全体的には、以前より下手になったという後退現象になります。

 

自分ひとりくらいという考えの人が一人でもいると、海水が、わずかな風を受けて波がたっていくように、合唱のあらぬ波が全体に及ぶことにもなりかねません。

 

ご自分の練習はご本人のためだけのものではありません。

 

団員、すべての人が、如何に、どれだけ一つになれるかに懸かっていることを認識しましょう。

 

 


演奏記号+演奏家

2014-02-18 08:28:10 | 合唱

演奏は、喜怒哀楽をはっきり表すことを求められます。

 

演奏記号は、多岐にわたって、います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E5%A5%8F%E8%A8%98%E5%8F%B7

しかしながら、これでも実は、最小限度な指示なのです。

 

自ら歌唱する某作曲家が、「10人の歌手が歌うとき、10の色が出なければなりません」とのべておられました。

演奏は「演奏記号+演奏家」による生き物なのです。

同じ演奏家であっても演奏の都度、変わることがあたりまえになっているのです。

 

通常の日本語は、抑揚をあまり重視されていません。

喜怒哀楽を、なるべく出さない、話し方になりがちです。

親しい間柄、知己の間柄にあって、初めて迸る表情になるように思います。

赤の他人へは、無表情を装うことを、自然体にしているような気がします。

他人をじろじろ見る、指を指す、じっと見つめる。

 

そのような行為は、良くないことと、教えられました。

知人以外へは、無表情にいることを、普通のこととして身についているということになります。

 

本番を終え、画像や写真で、演奏中の表情を見て、驚くのは、しっかり喜怒哀楽を表現していたつもりだったのに、

無表情に近かったなんてことがありました。

 

カメラをむけられて、笑顔で待つ間に、顔が引きつってきたり、口元と、目元が、一致していない感覚になったことも

ありました。

 

無理やりの笑顔をしていると、撮影を待つ間に、ひくひくとなってくるのです。

発声練習に、顔の筋肉をほぐすのを取り入れられることがあります。

 

無表情での演奏では、声も無表情になってしまいます。

曲を伝えることができなくなります。

 

口をどう開けているか、口はどう動いているのかを、鏡で確認させる団は多いと思います。

 

表情について指摘をする団もあるでしょうが、沢山の記号をすべて、チェックして、演奏家に伝えるのでは、限度がありますし、

指揮者にそこまで、見てほしいというのは、甘え過ぎと思って、対応しましょう。

 

演奏者一人ひとりが、より良い演奏を目指しましょう。