ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

悪習

2015-02-28 12:56:35 | 日記

「バスが来たり来なかったりするようだ」という市民からの通報で調べたところ。

委託を請け負っていた第三セクターではの運転手に事情をきいたところ、「見習いの時に教育係から『客がいなければ自己責任で(運行打ち切りを)判断して良い』と言われた」とのこと。

18年間におよぶという。

 

バス会社にと止めていたころ、バスの運行には、運行表に基づいて運行されていることをしった。

始発の時間と最寄りの停留所が書かれており、終点まで行って、次の路線を運行したりする。

30分以上遅れた場合は運行を止めてもいいと聞いたことがある。

 

始発の時間が大幅に遅れた場合は、打ち切る。

お客様がいないから運行を中止するという意味ではない。

 

こうした「客がいなければ云々・・・・・」が自己責任ということがなぜ18年も続いていたのか。

慣習になってしまっていたなら、それを是正するのは難しい。

 

会社の悪習も、社員の判断でメスをいれるのは、簡単なことではない。

 

時折、事件となる、様々な会社の体質。

腐敗が始まると、それを正そうとする力はほとんどなされない。

 

右へならえ。臭い物には蓋を。見ざる。聞かざる。言わざる。

 


2月の思い出

2015-02-27 11:19:00 | 合唱

2月が終わろうとしています。

私にとって、2月という月には特別な思い出があります。

 

ファイナルステージをしたのが2月26日

新しい団の初めての演奏会が2月22日でした。

 

どちらも、深い記憶となっています。

 

今までに様々な演奏会に参加してきました。

 

小さな演奏会からちょっと大きな演奏会にも、かかわってきました。

その数ある中でこのふたつの演奏会は、特別な思いがあります。

 

不思議な出会いのあった。記憶から消したくない出来事の合った、ふたつの演奏会。

月の記憶とともに、心に刻まれています。

 

幸せなことかもしれません。

 

 

 


言葉の暴力に判決

2015-02-26 19:14:26 | 日記

「最高裁「ことばのセクハラ」懲戒処分は妥当」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150226/t10015761701000.html

2月26日に最高裁で妥当との判決を出したそう。

 

言葉の暴力は、軽く見られる。

暴力という認識のない人も多い。

この判決で、「言葉の暴力」も認識されるようになることを期待したい。

 

こうしたニュースは、なかなか広まらない。

 

人の世界観、慣習に根強いことは、浸透しにくい。

少しづつでも良い方向に流れて行って欲しいと思う。

 

 

 


ナガサキ・ヒロシマ

2015-02-25 11:38:41 | 日記

8月6日になると広島の話題が目につく。

一時期は夕刊に、平和宣言の全文が載った。

8月9日になると長崎の話題になった。

そして15日には終戦記念日として、例年高校野球の大会中に、黙祷が行われている。

 

夏の恒例となんとなく思っていた。

最近は平和宣言も探さなければ目に入らない。

広島の原爆ドーム。平和公園などの話題に比べ、長崎の話題が薄い感じがしていた。

 

単に、広島が早く、長崎が後だったからというようなものではなかったよう。

 

今回、この文庫本を読んで、広島と長崎の違いの深さを知った。

浦上天主堂が壊されてしまってすでにないことも初めて知った。

 

原爆は戦争に、原子は平和に使用されると中学校だったかの授業で学んだ覚えがある。

 

悪魔の兵器と称された爆弾を落とされたふたつの都市。

戦後、ふたつの都市の対応の仕方はまるで異なった。

ドームとして残した広島。

取り壊してあたらしく立て直した長崎。

 

それぞれの思惑によって異なる道を選んだ。

日本人は、本当は、どう、向き合うのか。

どう対応するのが最善なのだろうか。

平和宣言が段々遠いものになっている。 

 

 

ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」

高瀬毅

文春文庫


白杖

2015-02-24 08:25:25 | 日記

白杖の持ち込み制限は差別だと申し入れたというニュースがあった。

 

某県議会の傍聴に投げ込まれる危険性があるとして傘や杖を持ち込みを禁止。

 

持ち込みには、議長の許可がいるという。

 

おりたたみの白杖を持参していた人がカバンにしまうよう促されたよう。

傘はともかく、杖や白杖は、身体の一部。

議長に承諾というのは、ある意味、やむを得ないとしても、カバンにしまえというのは、

問題ありと思う。

 

食堂や商店へ、盲導犬を連れて入れるようになったのは最近のこと。

聴導犬も、堂々と入れるようになっただろうか。

 

とかく、理不尽なことが多過ぎる。

網の目は、本当に必要なものはひっかかり、うまく潜り抜けようとする者には、抜け道を与えている。

弱者に厳しいといつも思う。

 

 


建物番号

2015-02-23 09:52:04 | 日記

建物番号というのがある。

以前、住所の番地が変わり、公的書類をじっくり見た。

住所の他に建物番号なるものがあった。

住所と多少違う番号。

 

ここへきて、もう、必要はないと思っていた、この建物番号を書く必要が出てきた。

もう何年も前に引っ越し、家を取り壊し、更地にして売却した物件。

 

記憶をたどり、おぼろげな番号を思い出す。

正確な番号ではなかった。

自宅に、以前の戸籍謄本があった。

ページをめくっていくと建物番号があった。

久しぶりの登記所。

なんと昨年、駅の北へ移転していた。

駅から20分ほどの南に着いたのが、午後1時30分頃。

がっくりしながら北へ向かう。

町名をたよりに進むが、らしい建物が見当たらない。

税務署を発見。

この近くだろうと税務署の敷地へ。

表には合同庁舎、税務署とあるだけ。

とりあえず、建物の中へ。

建物の案内板をみると、7階にあることが判明。

7階へ。7階についたら受け付けは6階との表示。

止むをえず、6階へ降りる。

 

6階に到着、ATMの小型の操作パネルがいくつもあった。

操作を始めるが、建物番号がはじかれてしまう。

地図をみようとしたが、どうも意図した操作ができない。

もう一度小型機の操作に。

何回か試すがことごとくはじかれる。

 

色々、変えて入力してみて、ようやく次に進んだ。

 

出てきたチケットを印紙の窓口へ。料金を払ったら、すぐ番号を呼ばれた。

操作に費やした時間の何分の一かで終了だった。

 

どうにか、必要な書類が手に入った。

家についたのは、午後4時近くだった。

朝の11時にでかけて、およそ5時間かかったことになる。

隣町でよかった。

 

最近、以前のデータが必要になることがあった。

7年近く前に亡くなった父の死亡年月日。本籍。

4年前になくなった身内の死亡年月日。死亡診断書。

 

手元の記録が役に立った。

もし、自分もすでにいなくなってたら、身内の者たちは、この書類をそろえられたろうか。

 

新しく手に入れたこれらの書類をコピーした。

もしもの時の書類の一部として保管することにした。

 

 


特別練習

2015-02-22 19:46:07 | 合唱

特別練習がありました。

田三郎/高野喜久雄 の「水のいのち」と

リチーニオ・レフィーチェ の「Stabat Mater」

 

何十回練習したでしょう。

まだまだ、直されたり、歌い直しになったり。

まだまだ仕上げになりません。

指導者から何回、いえ何十回となく、言われてきたこと。新しく、言われたこと。

 

たゆみない、決して途中で投げ出すことのない、指導が続きます。

 

指導者は人一倍タフです。

3時間の練習が終わると、「練習した!」という気分になります。

メニューが終えて、連絡事項があり、解散となりました。

 

次の練習には、一歩も2歩も前進した中で望みたいものです。

 

 

 

 

 


ひと言

2015-02-21 08:08:46 | 日記

自主性に訴えるという手段は、有効と思える。

相手を好ましく思う人からは、命令でも、威圧的でも受け入れられやすい。

けれども、好ましく思っていない相手だと、命令だったら、拒否したくなるだろう。

だいたい、人に上手に仕事を伝える上司は、物腰がやわらかで、お願い口調が多い気がする。

 

自分は、人にものを頼みたいときは、どう言えば伝わるのか、どう切り出しと聞いてもらえるのかを

良く考えたことがある。

相手の受け入れ方を観察しておいて、相手がすんなり受け止めるだろう、物言いを探ってみる。

それで、たいていうまくいく。

そんなことを思い出した。

 

人は、どちらかといえば、命令されるのは嫌なのだということが良くわかった。

人間関係を上手にするには、相手をかんさつしつつ、己の口のききよう、および態度に神経を使う必要がある。

相手の心理を見抜くというのも有効。

 

お互いが不愉快にならずに気持ちよく過ごすために、少しは、人のふりを見て欲しいもの。

 

人を動かす「ひと言」心理学

渋谷昌三

中経の文庫

ISBN-978-8061-3278-3


うつ(鬱)・ウツ

2015-02-20 09:41:48 | 日記

 その人にとって人生の移行期、過渡期、自分の依って立つところが不安定なときに、うつは忍び寄ってくる。35ページ

 

日本人は全員「うつ」予備軍

「うつ」は人災

いたわりとねぎらい

 

結構、マイペースを信条とし、自分の好きに生きているはずなのに、それでも、ままならないことは、ある。

 

それでも、どうにもできないことがある。

そんな時は軽い「うつ」が心に巣くう。

 

腹がたったときは、あれこれ考えをめぐらして、良い思考に至ると、心がすっきりする。

うつの時は、あおれこれ考えられなくなる。

ひとつの方向ばかりに堂々巡りをする。

 

仕方がないので、別のことを考えるとか、美術展に行く。

人ごみに行くこともある。

つまり、思考を別の所へ持っていくということ。

それで、何とか乗り越える。

 

内面に向かう人。外面に出す人といるそう。

自分は内面型のよう。

相談できる相手がいる時は、相手頼みする。

相手がいない時は、先の方法で誤魔化す。

 

人によって対処法は違うだろう。自分なりの対処法を持てれば、上手に乗り越えられるかもしれない。

 

 

「軽うつ」かな?と感じたとき読む本

菅野泰蔵

講談社α文庫

ISBN4-06-256976-0