今までは物を捨てることに違和感や強い抵抗感があり、ほとんど
使わないような物でも捨てることなく長い間保管していたが、コロナの
問題が発生した頃から娘がこの先の管理や処分のことを心配し、
私の妻の体調のことも含め、今後もっと身軽になって楽々と長生き
するためには今のうちに少しずつ処分してはどうか・・・と私や妻に
時々話しかけていた。
まだ使える物や道具類、思い出の品など廃棄することに後ろ向き
だった私も度重なる娘の説得に応じる形でかなり前から自分で
クリーンセンターへ持ち込んだり、業者に依頼したりして処分し続けた
結果、自分の部屋に限らず、家全体が広くなったような気がする。
特に『空中ベッド』と呼ばれている私のベッドの下には相当数の物を
保管し、ベッドを高くすることによってスペースの有効活用をして
いたのだがやはり少なくなってみると整理整頓も掃除もしやすくなり
良い効果に繋がった思う。
物の減少に伴い、ベッドも少し低くしたが、それでもシーツなどの交換は
妻には危険だということで今までどおり私の役目なのである。
とはいうもののまだまだ・・・
10年ほど前から「断捨離」と言う言葉が取り上げられ、その功罪も
問われているが私は本来の意味である「断行」「捨行」「離行」を応用した
入ってくる要らない物を断って家にある要らない物を捨て、物への
執着から離れる・・・と言うことにはやはりいささかの抵抗感があり、
素直には認められない。(自分ではあまり頑固者だとは思わないが・・)
以前にも同じような記事を書いた記憶があるが、殊に「ミニマリスト」と
呼ばれる一部の人たちの言動は悲しすぎるのではないかとも・・・。
断捨離と言われるものは『断捨離ができる人』『断捨離ができない人』
という能力ではなく『するか』『しないか』という個人の意思で決めること
であると思う。
確かに私の場合も物を廃棄などによって処分したことですっきり
した気分になったことも事実・・・という面もあるが断捨離礼賛という
気持ちにはなれない。(決して強がりではなくて・・・)
特に私が集めた本や参考書をはじめとし数多くの本を処分したことには
罪悪感のようなものも・・・
(自分ではそうは思わないがやはり古い人間なのだろうか)
断捨離の効果を認めつつ日々の生活の中で考える必要があるのでは?・・・と
思うことができたのは少し進歩したといえるのかな?・・・
仰せのように、『断捨離ができる人』『断捨離ができない人』という能力ではなく、『するか』『しないか』という個人の意思の問題なのですが、どうも意志薄弱で困ります。
やはり古い人間なのか、「物を大切に・・・」という気持ちがどこかにあるようです。「ミニマリス」を見習わなくってはいけませんね。
かなり整理しました。
母はしぶりましたが、私が赤ちゃんの時、使用していた布オムツ、ベビー布団など、衣類を中心に処分しました。
捨てられないものは、日記、アルバム、ノートなど、金銭では買えない、思い出の品です。
これらは今も保管しています。
著書も従妹に昔、あげたもの以外は自宅にありますよ~
今日もコメントありがとうございます。
お母さんはやはりそうでしたか。
我が家は私が捨てることに抵抗がありますが妻は割り切りがいいというのか、ある程度は思い切って捨てますね。ただ二人とも息子や娘の思い出の物は大切に保管し、」いつでも取り出せるようにしています。
「へその緒」や「母子手帳」をはじめ「小学校からの通知表」」作文」や「絵」「賞状」なども・・・
今まで頑なに捨てることを拒否していた私が最近潔く(?)捨てるようになったのですから変化することは年齢には関係なさそうですね。