昨年の夏に受けた手術は、特に大きな問題もなく、今も元気に暮らしているので、「成功」と言ってよいのではないかと思う。
ただ、私には少しショックなことがあって、それは、手術前の体と今の体の形が、少し変わってしまったことだ。
元気ならいいではないかとも思うけれど、体の形が変わって戻らないというのは、それはそれでさみしいことだ。
これはきっと、大きな病気や手術をした人が感じている思いと、共通するところがあるのではないかと思う。
例えば、ストーマを作るとか、シャントを作るとか、
それで元気になれればいいと、周りの人は考えがちだけれど、
体の形が変わってしまい、元には戻らない。
形や機能が少しずつ失われて、元とは違う状態になったとき、
そこには乗り越えなければならない心理的な壁がある。
それはその人が、一人で向き合わなければいけない壁だ。
(話は逸れるけれど、よく少年漫画で、
主人公が戦いでボコボコになり、回復して前より強くなる・・・というエピソードがあるけれど、
それはあくまでフィクションであり人が抱きたいロマンであって、
実際にはボコボコになるたびに機能が失われて弱くなると思う。
炭治郎は蝶屋敷に入院するたびに弱くなっているはずだ。心はともかく体は。
未来のある少年たちにはなるべく怪我や病気をせずに過ごしてもらいたい)
私はここ数年、病気のほかにも、目が見えにくくなったり、
手が動かしにくくなったりして、
体の機能が少しずつ衰えていくのを感じている。
いずれも、元には戻らない衰えだ。
小さな衰えが少しずつ積み重なっていって、形や機能が失われていって、
私という個体が外界と繋がれなくなったときに、
「死」を迎えるのだと思う。
思い通りにならないことも増えて、やり場のない怒りと悲しみで、
イライラしてしまいそう。
若い人に対するやっかみも出てくるかもしれない!
私はできれば明るく、伸びやかなお年寄りになりたいけれど、
なれるかな。
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