以前から、何度か書いていますが、
ある日突然、仕事から帰った深夜、
今でも忘れない、接待を終えて帰宅した、木曜日、
自宅に帰ったとき、
愛する子供も妻も居なかった。
いつ引っ越し屋さんを頼んだのか、
実家の家族が手伝ったのかわからないが、
必要なものは一日にして、撤去されていた。
私が一日仕事をして帰宅したら、
砂上の楼閣のように消えていた。
その翌日には、弁護士から調停の連絡。
今でもその悪夢を忘れることはない。
それから数カ月後には、茨城県から都内への調停へ通う生活。
あの10数年前の突然の木曜日の朝から娘の顔を見ていない。
初めての弁護士。
慣れないことに、ボロボロになった。
初調停後の上野駅で、記憶のない3時間。
どう彷徨ったのかも今でもわからない。絶望。
子供がまだ2歳になる前で、引っ越しもしたばかりで、
出産やら、なんやらと、貯金はほとんど使い果たしていた。
弁護士へのお金もないばかりか、
共稼ぎをベースに組んでいたからか、
家賃すら厳しい状態。それでも請求される十万越えの婚姻費用。
地獄のはじまり。
いろいろな日々の生活はこれまでも書いたが、
一番思い出すのは、深夜にTUTAYAへの徘徊。
興味のある本を買いまくった。
仕事で疲れているのに、深夜に彷徨う。
シリーズものの海外ドラマのDVDを大人買い。
家族との思い出の家に帰るのも、そこで寝るのも地獄だった。
家のお風呂に入ることはなかった。
あまりに、つらすぎて。
なぜなら、2歳前の娘との思い出が溢れるから。
今でも、鮮やかに思い出すことができる。
地獄のような絶望の日々で、
徘徊を続けた。
家に帰るときは、寝るときだけ。
帰ったら、安定剤と、ウイスキーを飲み、沈む。
今でも決して忘れないし、あの苦しみをなかったことにはしない。
それは、カウンセラーとなった今でも、
新しい道を歩む今でも、
変化した自分でも、
忘れることはない。
今日、別に私の過去の想いを伝えたいわけではない。
あなたに伝えたいことは、
多くの方が似たような、いやそれ以上の苦しみを経験したということ。
いや、経験している真っただ中かもしれない。
離婚は、それだけ辛いということ。
あなたが苦しんでいても、それに負けそうになってくじけていても、
生活も仕事も、何もかもがうまくいかない状況でも、
それでも恥ずかしいこともないし、みんなそうだったということ。
そして、ひとつだけ言えるのは、もがいて、苦しんでも、
私のように10年先の今につながっているということ。
焦らなない、ゆっくりと、もがいてもいい。
きっと未来の道につがなる。
毎日、あなたのことを応援しています。
ある日突然、仕事から帰った深夜、
今でも忘れない、接待を終えて帰宅した、木曜日、
自宅に帰ったとき、
愛する子供も妻も居なかった。
いつ引っ越し屋さんを頼んだのか、
実家の家族が手伝ったのかわからないが、
必要なものは一日にして、撤去されていた。
私が一日仕事をして帰宅したら、
砂上の楼閣のように消えていた。
その翌日には、弁護士から調停の連絡。
今でもその悪夢を忘れることはない。
それから数カ月後には、茨城県から都内への調停へ通う生活。
あの10数年前の突然の木曜日の朝から娘の顔を見ていない。
初めての弁護士。
慣れないことに、ボロボロになった。
初調停後の上野駅で、記憶のない3時間。
どう彷徨ったのかも今でもわからない。絶望。
子供がまだ2歳になる前で、引っ越しもしたばかりで、
出産やら、なんやらと、貯金はほとんど使い果たしていた。
弁護士へのお金もないばかりか、
共稼ぎをベースに組んでいたからか、
家賃すら厳しい状態。それでも請求される十万越えの婚姻費用。
地獄のはじまり。
いろいろな日々の生活はこれまでも書いたが、
一番思い出すのは、深夜にTUTAYAへの徘徊。
興味のある本を買いまくった。
仕事で疲れているのに、深夜に彷徨う。
シリーズものの海外ドラマのDVDを大人買い。
家族との思い出の家に帰るのも、そこで寝るのも地獄だった。
家のお風呂に入ることはなかった。
あまりに、つらすぎて。
なぜなら、2歳前の娘との思い出が溢れるから。
今でも、鮮やかに思い出すことができる。
地獄のような絶望の日々で、
徘徊を続けた。
家に帰るときは、寝るときだけ。
帰ったら、安定剤と、ウイスキーを飲み、沈む。
今でも決して忘れないし、あの苦しみをなかったことにはしない。
それは、カウンセラーとなった今でも、
新しい道を歩む今でも、
変化した自分でも、
忘れることはない。
今日、別に私の過去の想いを伝えたいわけではない。
あなたに伝えたいことは、
多くの方が似たような、いやそれ以上の苦しみを経験したということ。
いや、経験している真っただ中かもしれない。
離婚は、それだけ辛いということ。
あなたが苦しんでいても、それに負けそうになってくじけていても、
生活も仕事も、何もかもがうまくいかない状況でも、
それでも恥ずかしいこともないし、みんなそうだったということ。
そして、ひとつだけ言えるのは、もがいて、苦しんでも、
私のように10年先の今につながっているということ。
焦らなない、ゆっくりと、もがいてもいい。
きっと未来の道につがなる。
毎日、あなたのことを応援しています。
著者様にはいつも大変勇気付けられております。
私には子供はおりませんが、我が子と突然会えなくなるとはどれほどお辛い事でしょう。まして2歳前後とは、おそらく一番毎日会いたいと思うのではないかなと思います。姪っ子を見ていて思いました。
自分も一年の家庭内別居を経て、これから新しい世界へ旅立つ訳ですが、いつも著者様の温かい言葉に勇気付けられ毎日を過ごしています。
人格が変わってしまった妻に突然離婚を切り出され、毎日毎晩自問自答を繰り返してようやく旅立つ決意が固まった感じです。
しかしある日突然また気持ちが落ち込むこともありますが。
みなさんと共に明るい未来を信じて少しずつ進めるように頑張りたいです。
差し支えなければまた著者様の昔の話を投稿頂ければ励みになります。
http://sf.ladsp.com/clickRedirect?s=L&url=https%3A%2F%2Fdoihouritu.blog.so-net.ne.jp%2F2018-08-02
ありがとうございます。
過去を手放せない。
でも、遅かれ早かれ、離婚したのかなぁ、たぶん。
こんな自分じゃ、誰と居ても、何をしても、ダメだったような気がする。
やっぱり、ひとりでも大丈夫だと、胸を張って立てるぐらいに強くならないといけない。
警察官からは逆に慰められ。
本当に犯罪者扱い、ここまで元嫁が変貌するとは思わなかった。
私ももう46歳になる。
離婚後半年はボロボロの生活、何とか会社に這っていった。
今は子供の成長が見れず心臓を締め付けられる感覚に苦しみ、会社では無理にでも笑顔を出し誰もいない自宅に帰る生活。
休日がまだ怖い、一言も話さない日もある。
本当に乗り越えられるのかな…
もう3年以上経ちますが…未だにストンと落ち込むことがあります。
情けないなと…
前日、一緒に遊びに出かけ夫の職場での愚痴を聞いたり冗談を言い合って笑いあったり、いつも通りの日常。青天の霹靂でした。
がらんとした部屋を見たり、洗濯物を干していて夫の衣類がないこと。。。ちょっとしたことで胸がギュッと締め付けられます。
夫の方が先に出勤するので、いってらっしゃい、と玄関で送ったあの最終日。
第六感でしょうか、その時夫の動きはなぜかスローモーションのように感じられました。
朝日がやけに眩しく感じ、夫の薬指に指輪があることを確認していました。その時は私はなぜそんなことを確認しているんだろう?と不思議に思いました。
私の第六感は何か異変を感じ取ったものの、内容までは読み取れませんでしたね。
その姿が最後の瞬間になりました。