最近、テレビを見ていて思います。
なんか物事を恣意的な角度からとらえて
番組の構成に合わせて、センセーショナルにする。
事実の一部だけを一方向から説明する。
事実だけなら良いのに、感情的な内容が盛り込まれる。
感染の件だったり、台風、災害で、事実と番組の意見が入り交ざる。
台風について、衛星写真や気象学に基づいて
予報士が説明するのはありがたいですが、
過去の災害のあった映像を連続して流したり、
素人のコメンテーターがあーでもない、こうでもないと言ってみたり、
本土だとか関東地方だとか、あいまいで広い範囲で言う。
今日の感染者は何人で、先週よりも多いとか、
数学的、科学的には無意味な比較のグラフを出してみたり、
不安になってしまう人、他人の情報を自分で整理して考えることをしない人は
あたふたしてしまう。これだけ映像を見せられたら、さも真実で、必ず発生するように思えてしまう。
気象の知識がないと、台風の予報円の意味を知らず、なんだか広範囲に見えてくる。
予報円は70%でその中のどこかを通るというだけの円。10回に3回は外れる程度なのだ。
世の中のわずかな出来事を、さも多くの人がそうであるかのように言う。
SNSで流行っていることが、さも全国的な大多数のように言う。
これからの時代は、情報が溢れているからこそ、
自分で選択して、自分で考えないといけない。
離婚はこういうものだ、離婚は〇〇だというステレオタイプに縛られると
少なくとも世の中はまだ結婚が良い、離婚が悪い という感覚が残るから
どうにも肩身が狭くなる。
家族割りがあっても、カップル割があっても、独身にはない。
自分の目でみて聞いて、調べて、考えて、自分の軸で動く。
ますますそんな時代になっているように感じます。
どうして、一見すると、離婚や悲しみに関係ない話をしているのかというと、
悲しみに沈んでいると、周囲も自分のこともどうでもよくなってしまい、
とらえる内容が少なくなる。さらに考え方も固定的になりやすい。
だけれども、こんなときだからこそ、物事を本質的にとらえていくことで、
自分にとって本当に大切なものだけが残る。
いままで必要だと思っていた、縛れていたものが削られて、どうしても必要なものだけ残る。
悲しみ、苦しみに関連することしか頭になくなる、それで一杯になる。
そこに無理やり新しい考えや価値観を押し込む。すぐには反応できないし、拒否もある。
だけど、繰り返していくうちに、
もしかすると・・・という感じで受け入れられることが出てくる。
これまでの自分を変えていくとは簡単なはずがない。30年以上、40年以上かけて築いたものだから。
これまでの人生は役に立ったが、これから先は役に立たないものは、今置いてしまおう。
自分の荷物をここで入れ替えて、役立つものを蓄えて、また進めばいい。
なんか物事を恣意的な角度からとらえて
番組の構成に合わせて、センセーショナルにする。
事実の一部だけを一方向から説明する。
事実だけなら良いのに、感情的な内容が盛り込まれる。
感染の件だったり、台風、災害で、事実と番組の意見が入り交ざる。
台風について、衛星写真や気象学に基づいて
予報士が説明するのはありがたいですが、
過去の災害のあった映像を連続して流したり、
素人のコメンテーターがあーでもない、こうでもないと言ってみたり、
本土だとか関東地方だとか、あいまいで広い範囲で言う。
今日の感染者は何人で、先週よりも多いとか、
数学的、科学的には無意味な比較のグラフを出してみたり、
不安になってしまう人、他人の情報を自分で整理して考えることをしない人は
あたふたしてしまう。これだけ映像を見せられたら、さも真実で、必ず発生するように思えてしまう。
気象の知識がないと、台風の予報円の意味を知らず、なんだか広範囲に見えてくる。
予報円は70%でその中のどこかを通るというだけの円。10回に3回は外れる程度なのだ。
世の中のわずかな出来事を、さも多くの人がそうであるかのように言う。
SNSで流行っていることが、さも全国的な大多数のように言う。
これからの時代は、情報が溢れているからこそ、
自分で選択して、自分で考えないといけない。
離婚はこういうものだ、離婚は〇〇だというステレオタイプに縛られると
少なくとも世の中はまだ結婚が良い、離婚が悪い という感覚が残るから
どうにも肩身が狭くなる。
家族割りがあっても、カップル割があっても、独身にはない。
自分の目でみて聞いて、調べて、考えて、自分の軸で動く。
ますますそんな時代になっているように感じます。
どうして、一見すると、離婚や悲しみに関係ない話をしているのかというと、
悲しみに沈んでいると、周囲も自分のこともどうでもよくなってしまい、
とらえる内容が少なくなる。さらに考え方も固定的になりやすい。
だけれども、こんなときだからこそ、物事を本質的にとらえていくことで、
自分にとって本当に大切なものだけが残る。
いままで必要だと思っていた、縛れていたものが削られて、どうしても必要なものだけ残る。
悲しみ、苦しみに関連することしか頭になくなる、それで一杯になる。
そこに無理やり新しい考えや価値観を押し込む。すぐには反応できないし、拒否もある。
だけど、繰り返していくうちに、
もしかすると・・・という感じで受け入れられることが出てくる。
これまでの自分を変えていくとは簡単なはずがない。30年以上、40年以上かけて築いたものだから。
これまでの人生は役に立ったが、これから先は役に立たないものは、今置いてしまおう。
自分の荷物をここで入れ替えて、役立つものを蓄えて、また進めばいい。
今日は本当に酷い日だった。 出会ってからの全てを思い出し、今この瞬間の現実と苦しさを思い知る。 もう限界だよ死んで消えたいこれ以上苦しみたくない 離婚したら妻は別人の様に冷酷な人になった。 あんなに優しくて愛がある人だと思ってたのに、そこまで変化出来るなんて。
でも自分のせいだよね自分を責める事しか出来ない
大切な家族も守る事も出来なかった、不甲斐ないダメなクズな男だと思う。 もう底かと思ってもまだ底があって、更に底がある。もう何もわからん。 死にたい!俺はダメな人間だよ
なんとか生きるために、今私の環境でできる小さな幸せを考える。無理矢理。
そして、次の日にはまた、うまくいっている知人を思い、自分の人生を悲観する。
小さな幸せ、理想とは全く違うけど、いまの私が幸せになれる事を積み重ねるしか、自分を保つことはできない。
娘が父親から引き離されないように、私は離婚を選んだ。でも、娘の父親は、面会もしようとしない。私に文句を言うだけ。娘が幸せに健やかに育ってほしい。
私ができることをするだけ。
私は2人分の仕事をこなすことに。
その同僚の奥さんは臨月でもう直ぐ子供が生まれる。
生まれたらきっとまた休みをとるだろう。
私も休んでいいですか。
私も危篤なんです。
私の心が危篤なんです。
私も家族を失ったのです。
欲しかった子供も授かれなかった。
職場に離婚沙汰を知る人もおらず、笑顔を作って毎日出勤してはいるが生きた心地がしない。
子供に接する仕事。
やりがいはあるが、幸せな家族を見ては羨ましく、嫉妬に駆られる意地汚い心の奥底の私。
死んだ方がマシ。
こんな人生なかったことにしたい。
こんな私が大嫌い。
今でも夢にうなされます。過去には戻れない、苦しすぎて
死も考えた、だけど離れていても、父親には変わりはない
自死した父にだけは絶対にならない、せめて見守ってやりたいから。