坂口安吾『桜の森の満開の下』(岩波文庫)
桜の森の満開の下は怖ろしい。妖しいばかりに美しい残酷な女は掻き消えて花びらとなり、冷たい虚空がはりつめているばかり―。女性とは何者か。肉体と魂。男と女。安吾にとってそれを問い続けることは自分を凝視することに他ならなかった。淫蕩、可憐、遊び、退屈、…。すべてはただ「悲しみ」へと収斂していく。(「BOOK」データベースより)
◎敗戦とともに花咲いた坂口安吾
坂口安吾『明日天気になれ』(青空文庫)のなかに「桜の花ざかり」という掌編があります。
――戦争の真ッ最中にも桜の花が咲いていた。当たり前の話であるが、私はとても異様な気がしたことが忘れられないのである。
こんな文章で書きだされる「桜の花ざかり」は、本来にぎわいを見せる桜の木の下の「いま」を、つぎのように描写しています。
――三月十日の初の大空襲に十万ちかい人が死んで、その死者を一時上野の山に集めて焼いたりした。まもなくその上野の山にやっぱり桜の花がさいて、しかしそこには緋のモーセンも茶店もなければ、人通りもありゃしない。
坂口安吾が『桜の森の満開の下』(岩波文庫)でイメージしたのは、まさに「桜の花ざかり」に描いた原風景でした。本書は世界中で翻訳され、映画や演劇などにもなっています。日本の幻想文学の代表作として『日本幻想文学大全』(全3巻、ちくま文庫、東雅夫・編)の第1巻「幻妖の水脈」にも所収されています。
坂口安吾は太宰治とともに、「無頼派」としてくくられています。坂口安吾が頭角をあらわしたのは、戦後になってからです。
――坂口安吾という人は、世間の常識を越えた自由奔放の生活をし、作品の中でも、そういう人間のことを、さも面白そうに書く人であったが、戦争中はいろいろな統制がきびしくて書けなかったのに、敗戦とともに、取締まりがゆるんで、何を書いてもいい時代がきたのである。(杉森久夫『小説坂口安吾』河出文庫P102より)
杉森久夫の書いているとおり、坂口安吾は『堕落論』(新潮文庫)や『白痴』(岩波文庫『桜の森の満開の下』に併載)で、一躍文壇の寵児となっています。これらの作品は多くの読者に受けいれられました。特に瀬戸内寂聴(当時は晴美)は、「『堕落論』を読んで、目を打たれたように鮮烈な印象を得、これから生きてゆく上の大きな勇気を与えられた」(杉森久夫『小説坂口安吾』河出文庫)とのべています。
◎男のロマンの物語
――桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。
『桜の森の満開の下』は、こんな書き出しではじまります。鈴鹿峠は春になると、満開の桜で彩られます。桜が満開のときにここを通ると、気が狂うといういいつたえがありました。旅人はみな、桜の森を迂回しなければなりませんでした。
そこに1人の山賊が、住むようになります。
――この山に一人の山賊が住みはじめましたが、この山賊はずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ちましたが、こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖ろしくなって気が変になります。(本文P212より)
山賊には7人の妻がありました。山賊は8人目の妻として、若くて美しい女をさらってきます。この女はひどくわがままで横暴でした。女は1人を残して6人の女房を殺させ、新たな生首をもってくるように山賊に命じます。そのあたりについて、つぎのような文章があります。
――今は昔、山賊の女房が生首のコレクションに凝りだした。この女房が醜女では、単なるブスの逆上と復讐になってしまう。が、どうしてなかなか、彼女は満開の桜のように妖しく、美しく、その上わがままで冷酷無残ときている。山賊が愛しいワイフのために老若男女さまざまな首をちょん切って運んでくると、女は首相手に地獄のママゴトをして遊ぶ。(荻野アンナ『アイ・ラブ安吾』朝日文芸文庫P40より)
女はさらに、こんな山奥に住むのはいやだ、都に住みたいとゴネます。山賊は女のいうがままになり、都へと住まいを移します。やがて山賊は女の存在を、桜の森の木の下を通るときのように感じだします。
山賊は山へもどることで、その呪縛からのがれようとします。山賊は女を背負って、山への道をたどります。そして桜の森にはいったとき、背中の女が鬼であることを知ります。山賊は女を締め殺します。このあとの展開についてはふれません。『桜の森の満開の下』のエンディングは秀逸です。
斎藤孝は著作のなかで安吾の『恋愛論』(青空文庫)をもちだして、本書を「男のロマンの物語」と解説しています。
――こうした妖花のような女性像は、安吾自身が激しく焦がれた女性たちの投影でもあり、(中略)こんな女と出会いたいという男のロマンのあらわれでもある。それゆえ、『桜の森の満開の下』は血なまぐさい世界であるのに、不思議な透明感がただよっている。(斎藤孝『クライマックス名作案内2・男と女』亜紀書房より)
(山本藤光:2011.07.26初稿、2018.02.22改稿)
桜の森の満開の下は怖ろしい。妖しいばかりに美しい残酷な女は掻き消えて花びらとなり、冷たい虚空がはりつめているばかり―。女性とは何者か。肉体と魂。男と女。安吾にとってそれを問い続けることは自分を凝視することに他ならなかった。淫蕩、可憐、遊び、退屈、…。すべてはただ「悲しみ」へと収斂していく。(「BOOK」データベースより)
◎敗戦とともに花咲いた坂口安吾
坂口安吾『明日天気になれ』(青空文庫)のなかに「桜の花ざかり」という掌編があります。
――戦争の真ッ最中にも桜の花が咲いていた。当たり前の話であるが、私はとても異様な気がしたことが忘れられないのである。
こんな文章で書きだされる「桜の花ざかり」は、本来にぎわいを見せる桜の木の下の「いま」を、つぎのように描写しています。
――三月十日の初の大空襲に十万ちかい人が死んで、その死者を一時上野の山に集めて焼いたりした。まもなくその上野の山にやっぱり桜の花がさいて、しかしそこには緋のモーセンも茶店もなければ、人通りもありゃしない。
坂口安吾が『桜の森の満開の下』(岩波文庫)でイメージしたのは、まさに「桜の花ざかり」に描いた原風景でした。本書は世界中で翻訳され、映画や演劇などにもなっています。日本の幻想文学の代表作として『日本幻想文学大全』(全3巻、ちくま文庫、東雅夫・編)の第1巻「幻妖の水脈」にも所収されています。
坂口安吾は太宰治とともに、「無頼派」としてくくられています。坂口安吾が頭角をあらわしたのは、戦後になってからです。
――坂口安吾という人は、世間の常識を越えた自由奔放の生活をし、作品の中でも、そういう人間のことを、さも面白そうに書く人であったが、戦争中はいろいろな統制がきびしくて書けなかったのに、敗戦とともに、取締まりがゆるんで、何を書いてもいい時代がきたのである。(杉森久夫『小説坂口安吾』河出文庫P102より)
杉森久夫の書いているとおり、坂口安吾は『堕落論』(新潮文庫)や『白痴』(岩波文庫『桜の森の満開の下』に併載)で、一躍文壇の寵児となっています。これらの作品は多くの読者に受けいれられました。特に瀬戸内寂聴(当時は晴美)は、「『堕落論』を読んで、目を打たれたように鮮烈な印象を得、これから生きてゆく上の大きな勇気を与えられた」(杉森久夫『小説坂口安吾』河出文庫)とのべています。
◎男のロマンの物語
――桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。
『桜の森の満開の下』は、こんな書き出しではじまります。鈴鹿峠は春になると、満開の桜で彩られます。桜が満開のときにここを通ると、気が狂うといういいつたえがありました。旅人はみな、桜の森を迂回しなければなりませんでした。
そこに1人の山賊が、住むようになります。
――この山に一人の山賊が住みはじめましたが、この山賊はずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ちましたが、こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖ろしくなって気が変になります。(本文P212より)
山賊には7人の妻がありました。山賊は8人目の妻として、若くて美しい女をさらってきます。この女はひどくわがままで横暴でした。女は1人を残して6人の女房を殺させ、新たな生首をもってくるように山賊に命じます。そのあたりについて、つぎのような文章があります。
――今は昔、山賊の女房が生首のコレクションに凝りだした。この女房が醜女では、単なるブスの逆上と復讐になってしまう。が、どうしてなかなか、彼女は満開の桜のように妖しく、美しく、その上わがままで冷酷無残ときている。山賊が愛しいワイフのために老若男女さまざまな首をちょん切って運んでくると、女は首相手に地獄のママゴトをして遊ぶ。(荻野アンナ『アイ・ラブ安吾』朝日文芸文庫P40より)
女はさらに、こんな山奥に住むのはいやだ、都に住みたいとゴネます。山賊は女のいうがままになり、都へと住まいを移します。やがて山賊は女の存在を、桜の森の木の下を通るときのように感じだします。
山賊は山へもどることで、その呪縛からのがれようとします。山賊は女を背負って、山への道をたどります。そして桜の森にはいったとき、背中の女が鬼であることを知ります。山賊は女を締め殺します。このあとの展開についてはふれません。『桜の森の満開の下』のエンディングは秀逸です。
斎藤孝は著作のなかで安吾の『恋愛論』(青空文庫)をもちだして、本書を「男のロマンの物語」と解説しています。
――こうした妖花のような女性像は、安吾自身が激しく焦がれた女性たちの投影でもあり、(中略)こんな女と出会いたいという男のロマンのあらわれでもある。それゆえ、『桜の森の満開の下』は血なまぐさい世界であるのに、不思議な透明感がただよっている。(斎藤孝『クライマックス名作案内2・男と女』亜紀書房より)
(山本藤光:2011.07.26初稿、2018.02.22改稿)
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