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アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』(上下巻、創元推理文庫、山田蘭訳)

2019-01-20 | 書評「ハ行」の海外著者
アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』(上下巻、創元推理文庫、山田蘭訳)

1955年7月、サマセット州にあるパイ屋敷の家政婦の葬儀が、しめやかに執りおこなわれた。鍵のかかった屋敷の階段の下で倒れていた彼女は、掃除機のコードに足を引っかけたのか、あるいは…。その死は、小さな村の人間関係に少しずつひびを入れていく。余命わずかな名探偵アティカス・ピュントの推理は―。アガサ・クリスティへの愛に満ちた完璧なるオマージュ・ミステリ! (「BOOK」データベースより)

◎「愕然、絶句、感動」

アンソニー・ホロヴィッツという作家は、知りませんでした。評判がいいので買ってみようか、というノリで『カササギ殺人事件』(上下巻、創元推理文庫、山田蘭訳)をレジに持っていきました。上下巻とも初版ですので、その後の勢いはまだ知るよしもありません。

上巻を読み始めたころに、雑誌や新聞の書評欄に好意的な書評があるのを知りました。上巻を読み終えた私は、「すごい!」という外野の声の意味がわかりません。第一印象はアガサ・クリスティを尊敬している若手作家の、平凡なミステリーくらいにしか思えませんでした。

ところが下巻を読み始めて、いきなりガツンとやられました。『カササギ殺人事件』の出版を目指す出版社の物語が展開されているのです。上巻はアラン・コンウェイという作家が書いた『カササギ殺人事件』が描かれています。それゆえ、下巻での突然の展開には驚かされました。

年末恒例のミステリ小説ランキングが発表になりました。そして下巻を読み終え「愕然、絶句、感動」の嵐が体内を吹き抜けたとき、次のようなコピーに触れました。半信半疑で読み始めた本書には、輝く4つのメダルが授与されていたのです。

【年末ミステリランキングを全制覇して4冠達成! ミステリを愛するすべての人々に捧げる驚異の傑作】
『このミステリーがすごい! 2019年版』第1位
『週刊文春ミステリーベスト10 2018』第1位
『ミステリが読みたい! 2019年版』第1位
『2019本格ミステリ・ベスト10』第1位

これだけでも、本書のすごさは理解いただけると思います。本書の解説で川出正樹は「一読唖然、二読感嘆。精緻かつ隙のないダブル・フーダニット」との見出しを躍らせています。
それに習うなら私の読後感は、前記のように「愕然、絶句、感動」と書かざるをえません。

文句なしに、これまで読んできたミステリのなかでは最高峰の作品でした。訳者の山田蘭は次のように書いています。訳文はすばらしかったので、敬意をこめて紹介させていただきます。

――ミステリに対するまっすぐな賛歌というだけではなく、読む側、そして書く側の、けっして交わることのない一方通行の苦い恋情のようなものさえ描かれている、この特異な作品をよんだときの胸の震えを、できるだけそのままの形で日本語の読者のかたに届けなくてはと、いつにない重圧をひしひしと感じもしました。(「ミステリマガジン」2019年1月号)

◎終わったところから始まる

上巻を開くと、アンソニー・ホロヴィッツからの献辞があります。そこには『カササギ殺人事件』の簡単な概要がしめされ、次のように結ばれています。

――病を得て、余命幾許(いくばく)もない名探偵アティカス・ピュントの推理は――。現代ミステリのトップ・ランナーによる巨匠クリスティへの愛に満ちた完璧なオマージュ・ミステリ!

著者自身が書いているんですから、本書に対する手応えは大いにあったようです。さらに扉のこの文章以外にも、クリスティにたいする愛は作品のいたるところで認められます。

この献辞のあとに「ロンドン、クラウチ・エンド」という章になります。読者はここを熟読してください。「わたし」ことスーザン・ライラントという編集者の語り場面は、下巻の最終ページにつながっています。ここを読み落とすと、アンソニー・ホロヴィッツの仕掛けた大胆な構造を見失うことになります。「わたし」は『カササギ殺人事件』を出版するために、編集の仕事をしています。しかしこの章は、下巻の結末につながっているのです。

――わたしはこの作品を読みはじめた。さて、読者であるあなたも、これからこの作品を読むことになる。でも、その前にひとつだけ、あなたに忠告をしておこう。この本は、わたしの人生を変えた。(本文より)

この章が終わって初めて、『カササギ殺人事件』(著者)アラン・コンウェイのページになります。つまり本書は「作中作」のスタイルをとっています。アラン・コンウェイについて「わたし」は、「虫の好かない男」とばっさりと切り捨てています。前述したとおり本書はメビウスの輪のように、終わったところから始まっています。

本書をしっかりと理解するために、絶対に抑えておきたいのが以上のポイントです。さらにホロヴィッツは、いたるところにクルスティへの敬愛をちりばめています。『カササギ殺人事件』の名探偵アティカス・ピュントはエルキュール・ポアロと酷似していますし。クリスティに似た物語も展開しています。またこんな指摘もあります。

――クリスティは嘘つきの証人を複数登場させることで、物語の道行きを不透明にさせる技法が得意だったが、ホロヴィッツもそれを見事に継承している。(杉江松恋、朝日新聞2019年1月12日)

◎作中作・メビウスの輪・クルスティ

『カササギ殺人事件』の本稿(上巻)は、奇をてらうことのないオーソドックスなミステリーです。1955年、イギリスの片田舎のパイ邸の家政婦が階段から転落死します。物語はその葬儀場面から始まります。家政婦の死は小さな村にさまざまの憶測を呼び、その息子にも疑惑の目を向けられます。
家政婦の息子の婚約者は渦巻く噂に困って、名探偵アティカス・ピュントに相談します。ピュントは医師から余命数ヶ月との宣告を受けたばかりで、依頼には応じません
 その後、今度はパイ邸の当主が惨殺されます。重い腰を上げてピュントが村へ行くと……。上巻は二つの殺人事件を追うピュントと村人とのやりとりが、延々と展開されています。

そして下巻を開くと、上巻とまったく同じタイトル(「ロンドン、クラウチ・エンド」)の章から始まります。ところ『カササギ殺人事件』の原稿を受け取る場面から、始まっているのです。しかもその原稿は、結末部分が欠けています。「わたし」はその原稿を求めて、著者アラン・コンウェイに迫ります。

これ以上、物語には触れません。こんなにすごい作品に巡りあって、読書人として最高の幸せを感じています。上巻から下巻への切り替え。上巻と下巻が寄り添うように走り出すストーリー。そして下巻の結末が上巻の冒頭につながる構成。みごととしか言いようがありません。自信を持って、あなたにお勧めさせていただきます。
 本書は、「山本藤光の文庫で読む500+α」のランキング(海外文学ジャンル)では、アガサ・クリスティ『ABC殺人事件』(創元推理文庫)の真下におくことにしました。
山本藤光2019.01.20


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