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パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』(河出文庫、佐宗鈴夫訳)

2018-03-05 | 書評「ハ行」の海外著者
パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』(河出文庫、佐宗鈴夫訳)

イタリアに行ったまま帰らない息子ディッキーを連れ戻してほしいと富豪に頼まれ、トム・リプリーは旅立つ。その地でディッキーは、絵を描きながら女友達マージとともに自由な生活をおくっていた。ディッキーに心惹かれたトムは、そのすべてを手に入れることを求め、殺人を犯す…巨匠ハイスミスの代表作。(「BOOK」データベースより)

◎巧みな登場人物の心理描写

 最初にパトリシア・ハイスミスについて触れておきたいと思います。ハイスミスは1921年生まれのアメリカの女性作家です。彼女のデビュー作は交換殺人事件を扱った『見知らぬ乗客』(初出1950年)です。これがヒッチコック監督により映画化されて大ヒットし、ハイスミスを一躍有名作家にしました。本書は最近、河出文庫(白石朗訳)から復刊されています。

今回紹介させていただく『太陽がいっぱい』(河出文庫、佐宗鈴夫訳)の紹介の前に、パトリシア・ハイスミスについて事典で確認しておきます。

――ハイスミスは「小説と推理物語との総合を行って成功した完全な作家」であり、登場人物の心理描写にかけては、文学の世界を見渡しても、おそらく彼女の右に出る者はいない。ハイスミスの作品に充満している密度の高いサスペンスは、登場人物たちが抱く追い詰められた心理状態から生まれるものであり、それが読者をいわれなき不安感へと陥れるのである。(『海外ミステリー事典』新潮社)

ハイスミスの「巧みな心理描写」を映像で表現するのは至難の業になります。のちに触れますが、原作と映画はまったく別物になっています。

◎映画とはまったく別物

パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』(河出文庫、佐宗鈴夫訳)は、アラン・ドロン主演映画で話題になりました。映画を観た人が、本書を読むと間の抜けたものになります。私は本書を読んだあとに、ビデオを観ました。この順序が逆でなかったことに、安堵しました。本と映画とは、まったく別物だったのです。そのことについて、丸谷才一は怒りのタッチで次のように書いています。

――映画と長編小説とでは登場人物名も違ふ。筋も違ふ。殊にエンディングが大きく違ふ。仕方がないから『才能あるリプリー氏』と書くことにしよう。以下、もう映画のことには触れない。(丸谷才一『快楽としてのミステリー』ちくま文庫P159)

丸谷才一が突き放したとおり、本書では完全犯罪が成就されます。しかし映画の方は、それが露見されてしまうのです。本書の原題「才能ある」とは、悪事の才能があるリプリー氏という意味です。それゆえ、映画のような終わり方になってはならないわけです。
小説の邦題は、映画の大ヒットにあやかってつけられたものです。小説の方には海面に輝く、まぶしい太陽は登場しません。

◎綱渡りの末に

 本書の三分の一までは、犯罪に関係のないやや間延びした展開です。ところが、そこから一気にスリリングなストーリーに変貌します。主人公のトム・リプリーは25歳の盗人です。
 ある日、トムの前に一人の紳士が現れます。彼は2年前に家を出た息子(ディック・グリンリーフ)を、ヨーロッパから連れ戻してもらいたいと依頼します。トムはその依頼を引き受けます。
 たくさんの資金をもらい、トムはディックの住んでいるモンジベロへと向かいます。モンジベロは、ナポリの南に位置する海辺の村です。

 その村でトムは、ディックと再会します。彼は稚拙な絵を描き、女ともだちのマージと遊びふけっていました。マージはディックに夢中でしたが、ディックの態度はつれないものです。
 やがてトムはディックと親交を深め、彼の豪邸に居候させてもらうことになります。

 マージはトムが同性愛者であるとの疑惑をもちます。ディックを奪われてしまう、と不安になります。ディッキーとトムは、同道を拒んだマージを残して、二人でサンレモへ行きます。
 トムはディッキーの優雅な生活をうらやましく思っていました。しかしその羨望は、しだいに憎しみに変化していきます。

二人はモーターボートを借りて、沖へと出ます。そしてトムはディッキーを殺害します。死骸は重しをつけて、海底に沈めます。そして血痕のついたボートも沈めます。

 その後トムは、ディッキーになりすまし、アリバイ工作をします。このあたりから読者はトムに寄り添い、ハラハラドキドキさせられることになります。

倉橋由美子は著作のなかで、エンディングをこんな具合に紹介しています。
――トムは息詰まるような綱渡りの末に、何とか逃げ切って、その犯罪を成功させてしまうのです。トムはディッキーの遺書を偽造してその財産の一部を頂戴し、それまでのうだつのあがらない生活におさらばするのです。(倉橋由美子『偏愛文学館』講談社文庫P153)

◎自らを開放する

主人公トム・リブリーについて書かれた文章があります。紹介させていただきます。

――リブリーは犯罪という手段を用いて、一般人の世界から逸脱することで自らを開放することに成功したコズモポリタンである。しかし同時に、元いた場所には決して戻ることができない故郷喪失者としての悲しみも背負っている。(杉江松恋『読み出したら止まらない!海外ミステリー』日経文芸文庫P75)

私には故郷喪失者とは読みませんでした。むしろ一般社会からの落伍者として位置づけました。

その後、トム・リブリーを主人公とした作品がシリーズ化されています。『贋作』『アメリカの友人』(いずれも河出文庫)などです。タイトルと原作とのギャップは別にして、引きずりこまれる傑作でした。
山本藤光2017.12.15初稿、2018.03.05改稿

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