母と最後に過ごした小学1年の夏休みの思い出は、
まるで一生涯を凝縮したような鮮明な記憶となって、
私の脳裏で半ば結晶化している。
それは、蚊帳の中の団扇の微風であり、
福岡のじいちゃんの家であったり
庭のダリアの花に舞う青金色のカナブンだったりするのだが、
母の勧めでアサガオを種から育て、定番の観察記録を日記にして作ったことが、とても大切な宝物の記憶である。
毎日、朝起きるとアサガオを母と一緒に眺めるのがとても愉しかった。
岩田屋デパートから買って貰った昆虫採集セットを駆使した標本も、
大切な夏休みのささやかな成果物であったのだが、
アサガオ観察日記は二学期に全校で金賞を貰ったことから、
それなりの出来栄えだったのであろう。
絵も文章も、そして自然科学的な要素もミックスされた観察日記は、
好奇心旺盛な子供の情操教育には、まさに持って来いの教材なんである。
今、しみじみと思い返せば、自然と私の好奇心をくすぐった母の、完全なる一本勝ちなのであった。
二年生の夏休みには、すでに母は他界していなかったので、
私は夏休みの課題に何を取り組んで良いのやら判らずに、
カマボコ板でつまらないゴム動力のボートを作ったように記憶しているが、
学校の夏休み課題展では展示もされない、選外駄作のていたらくであった。
一年生の時の担任だったS先生が、時折私のことを気遣ってくれていたのだが、
そのボートを見て、とてもホメてくれたことを嬉しく覚えている。
その先生だけが当時の私の幼いジレンマを理解してくれていた。
実はもう時効だから本当のことを言うと、
2年生の夏も、3年生になっても
「アサガオ日記」を書こうと思ったのだけど、
情けないことに母の手を借りずして、
アサガオの花を咲かせることができなかったのである。
そしてそれから半世紀50年も後になって・・・・、
我が家の片隅にアサガオは見事に咲いてくれたのである。
やがて、私はというと、
母の生きた年齢の倍を長らえようとしているのだから、
アサガオの一輪くらいは咲かせられるというものの、
あの夏の朝、母と一緒に眺めたアサガオの清楚な美しさは、
残念ながら再現しようもないのである。