風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

アサガオ観察日記

2010年08月10日 23時59分59秒 | 花の日記帳

母と最後に過ごした小学1年の夏休みの思い出は、

まるで一生涯を凝縮したような鮮明な記憶となって、

私の脳裏で半ば結晶化している。

それは、蚊帳の中の団扇の微風であり、

福岡のじいちゃんの家であったり

庭のダリアの花に舞う青金色のカナブンだったりするのだが、

母の勧めでアサガオを種から育て、定番の観察記録を日記にして作ったことが、とても大切な宝物の記憶である。

毎日、朝起きるとアサガオを母と一緒に眺めるのがとても愉しかった。

  

岩田屋デパートから買って貰った昆虫採集セットを駆使した標本も、

大切な夏休みのささやかな成果物であったのだが、

アサガオ観察日記は二学期に全校で金賞を貰ったことから、

それなりの出来栄えだったのであろう。

絵も文章も、そして自然科学的な要素もミックスされた観察日記は、

好奇心旺盛な子供の情操教育には、まさに持って来いの教材なんである。

         

今、しみじみと思い返せば、自然と私の好奇心をくすぐった母の、完全なる一本勝ちなのであった。

 

二年生の夏休みには、すでに母は他界していなかったので、

私は夏休みの課題に何を取り組んで良いのやら判らずに、

カマボコ板でつまらないゴム動力のボートを作ったように記憶しているが、

学校の夏休み課題展では展示もされない、選外駄作のていたらくであった。

一年生の時の担任だったS先生が、時折私のことを気遣ってくれていたのだが、

そのボートを見て、とてもホメてくれたことを嬉しく覚えている。

その先生だけが当時の私の幼いジレンマを理解してくれていた。

       

実はもう時効だから本当のことを言うと、

2年生の夏も、3年生になっても

「アサガオ日記」を書こうと思ったのだけど、

情けないことに母の手を借りずして、

アサガオの花を咲かせることができなかったのである。

     

 

そしてそれから半世紀50年も後になって・・・・、

我が家の片隅にアサガオは見事に咲いてくれたのである。

やがて、私はというと、

母の生きた年齢の倍を長らえようとしているのだから、

アサガオの一輪くらいは咲かせられるというものの、

あの夏の朝、母と一緒に眺めたアサガオの清楚な美しさは、

残念ながら再現しようもないのである。