奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2045)

2022-03-30 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「コサックのロシア~戦う民族主義の先兵(植田樹著・中央公論新社2000刊)」を読んだ。植田樹(うえだしげる1940生れ)氏は、東京外大(ロシア語科)卒、NHK入局、1974~1979モスクワ特派員/1984~1987ニューデリー特派員/ワルシャワ特派員/テヘラン特派員/解説委員を務めた。-------

この本「コサックのロシア」の目次は次の通り。“コサックと日本”、“コサック誕生”、“帝国の先兵として”、“ステンカラージンとピョートル大帝”、“ツァーリのコサック軍団”、“ロシア革命とコサック”、“蘇るコサック”--------

この本「コサックのロシア」の内容紹介文は次の通り。強大な戦士集団コサック復活。それは何故か/ロシアの方向を決定付けるのか/日本の北方領土はどうなるのか/コサック誕生以来の歴史からチェチェン紛争/プーチン人気など現在の状況を報告。ロシアは何故ロシアなのか。コサックという特異な戦士集団の生成/転変/復興の道筋を辿(たど)り、巨大帝国ロシアの生成と発展の秘密から、今日の新生ロシアの現状まで、ロシアの実像を描き出す。-------

植田樹氏は、ご存命なのかどうか分からないが、現今のロシアのウクライナ侵攻をどのように考えられただろうかと、この本「コサックのロシア」を読んで思った。ロシアの歴史を遡ると、モンゴル帝国のキプチャク汗国に端を発する。世界帝国であったモンゴル帝国の覇権主義がロシア帝国/氾ロシア主義に繋がるもののようだ。また、モンゴルの騎馬戦士の伝統はコサック戦士に色濃く残っていたが、共産党のソ連時代にコサックは危険視され/冷遇された。今ではボリショイサーカスにその伝統文化を残すのみになって廃(すた)れてしまったのであると。征服を繰り返して成立した巨大帝国であったモンゴル帝国では、少数のモンゴル戦士だけでは占領地を支配できないので、現地人を巧妙に使役して広大な領土を国家として運営した。そのコツを速くに習得してモンゴルに仕えた人々がコサックの先祖であると云うのだ。

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