奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その132)

2017-01-03 08:53:23 | 奈良・不比等
奈良県北部の住宅地を街角ハイキングすると当地の昨今のお正月の様子が見て取れる。特に平常に比して目に付くお正月の「門松(かどまつ)」や「注連飾り(しめかざり)」について考えた。駅に近い住宅地のお屋敷(200坪を超える敷地)では、注連縄も大きな橙(だいだい)の付いた立派なものが多い。近鉄電車の駅から徒歩30分程度の住宅地では、100坪位のお家では普通の注連縄が見られる。それより遠くなると玄関に付いていても少貧(しょうびん)な注連飾りであるのが平均的に見える。更に駅から遠くなると若い年齢層の方のお家が多くなり、注連飾りは姿を消してしまう。これは日本の古き良き伝統が壊滅して行く様子を目の当たりにしているかのようにも思える。-------
注連飾りにしても伝統産業の一部であり、人々が注連飾りをしなくなればその産業は滅んでしまう宿命にある。あらゆる伝統産業はそのような状況に置かれていることだろう。-------
では、伝統文化とは一体何で誰が継承し守っていくものだろう。これまで歴史的に誰が守ってきたのだろうかと考えてみると、単に無駄だとか意味が無い、あるいは意義が今ではさっぱり分からない。誰も説明できない。それでもそれこそが日本のお正月の風習であったりする。少し飛躍するが、伝統芸能(芸能全般も含めて)を支えてきたのは富裕層であり、ある種の経済的なトリクルダウンのシステムとして機能し、其れに係わる人々の生活を支えてきたのだろう。税金で文楽という芸能を継承して行くのは可笑しいと云った首長が居たが理屈としては間違ってはいない。-------
しかし、観光立国(観光立県)に伝統芸能を観光資源としてこれからも利用しようとするならば各地方の税金を投入することもやむを得ない処もあるだろう。------
門松を設(しつら)えるお屋敷は殆(ほとん)ど見掛けないが注連飾りをする家はまだ多数派である。しかし、お住まいの家人の年齢層は70歳以上であり、団塊世代の家になると駅からは徒歩30分以上で敷地面積も60坪以下であり、注連飾りをするような門構えの家は土台無理と云うものである。若い世代の家は敷地面積が40坪程度であり、紙の飾りがドアに張り付けてあるのを良く見る。クリスマスの飾りと区別の付かない、どちらにでも使えるような代物もあるようだ。まあ、庶民のレベルに於ける伝統文化とは所詮そのように消え去るものかも知れません。
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