奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その135)

2017-01-06 09:41:30 | 奈良・不比等
伝統行事を催行(さいこう)することが困難となり廃止となるものが日本全国で年間60件に上るというニュースが流れている。年末年始になると各地の伝統行事がテレビで紹介されるのを当然のように観ていたが、地方の過疎化が留まるところを知らず伝統行事を支える人が居なくなってきたのが第一の理由であるようだ。------
地方の過疎化の原因は、田舎の人と云えども自給自足的な生活に甘んじて我慢してはいられなくなり、戦後の復興期には既に農林業以上の収入を求めて出稼ぎに出る人が頻出しやがて都市部に住み着いてしまい、地元に残る人は老人だけになって仕舞ったからだろう。一旦、出稼ぎに都市部に出てしまうと余程のことが無い限り、便利な都会から田舎に戻るなんて選択肢は有り得ないことになってしまうのであろう。------
歴史的に検証するならば、農林業では養える人数が限られており、開拓するにしても土地面積に比例した人口を常に一定に保っていた。増えた人員は江戸や京・大坂に出稼ぎに出るか、アウトローになるか、あるいは養子の口も無い者は長兄の下働きをして独り者で一生を過ごすしかなかったのである。-------
至近年で見ると太平洋戦争が終わって焼け野原の都市では食べられないので農林業に頼って田舎に多くの人が戦前は空襲を避けて戦後もそのまま疎開が続いていたので、田舎なのに日本中どこへ行っても当時は大変人が多いように思われていた。その印象が今も消えないために、江戸時代並みの人口に戻ると過疎化したように見えてしまうのではないか。元々農林業の土地生産性は高くは無いのだから、戦後の食糧難の時代は、田舎の収量の少ない痩せた土地も、疎開した人々が必死に耕していたのだろう。自給自足で暮らそうとすれば里山や竹林や果樹園・菜園が必要であり、疎開した人々が暫くの間だけ暮らすのと訳が違うのである。------
田舎にまで高度なインフラ(上下水道など)を整備することは、税金の使い方としては賢くないので、老齢化すれば地方の中核都市(コンパクトシティーにはインフラを集中整備すればよい。)に集住してくれないと税金が枯渇してしまうだろう。------
人類は狩猟漁労から農耕牧畜にシフトしたと云われているが、農耕社会の上に都市国家という文明を築(きず)き上げたのだから、飽(あ)くまでも、農耕社会は文明の主体ではなく付属しているに過ぎないのだから、今や農耕だけで暮らしていける訳ではないのである。アマゾンの奥地でも壊滅状態であるから、日本なら尚更のことであろう。-----
自己責任で田舎暮らしをする分には自由であるが、税の再配分的なインフラの整備や医療体制の充実、また生活必需品の配給は諦めねばならないということになる。
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