21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

第一外国語としての「古典」

2006年09月01日 08時35分51秒 | Weblog
 全ての言語/文法/表現技法には、その国の文化が反影されている。国民の視野を広げると言う意味で、他言語学習は必要だ。(独裁を好む政治家には嫌われるが)
 そしてその「言語」だが、「第一外国語」より「第二/第三外国語」、「他語族」より「同語族」の方が習得しやすいことになっている。その点、「英語」を第一外国語として選定しているのは間違いだ。早期教育を実施しても結果は出ない。
 日本語の古典/漢文教育にもっと重点を置くべきだ。悠久の時を経て、文化/表現の違う言語となっている日本古典を学ぶことにより、多文化/言語への感受性ももっと伸びることだろう。
 残念ながら、今の日本の一般的な義務教育制度では「英語」教育が「古典」教育よりも先に始まるようになっている。これはおかしいでしょう。学校行事として「百人一首」を取り入れている教育現場での生徒の英語力調査にもっと力を入れてみるべきだ。面白い結果が出るだろう。(「百人一首」は古典教育として最低だが、何も無いよりかはましだ。)