阿蘇山を眺めて暮らす自由人!

四季の移ろいを肌で感じ、阿蘇で暮らす自由人が見たもの・聞いたこと・感じたこと

ピレウス、アテネ(ギリシャ)

2019年05月15日 | アドリア海、エーゲ海クルーズ

 ”ピレウス港”に7時着岸、ピレウスは地中海で一番大きな港の一つ、古代からアテネの港…ピレウス港から公共のバス(約30分)でアテネの”アクロポリス”に着く



 アクロポリスの丘に登るには”プロピュライア(入り口)”の横を通る。建築家ムネシクルスによって設計され、建設はBC437年に始まりBC432年に中断し未完成…入口には清浄ではない人々が聖域に近付くことはで出来ない



 ”アテーナー像”が台座の上に建っていた…現在残っているのは基礎の大理石であるが、この上に”アテナ・プロマコスの像”(BC475~450年) 守護女神アテーナーの青銅像があった。彫刻家ペイディアスの作、マラトンの戦いでペルシア軍から奪った戦利品を用いて作られた、記録によれば像の高さは9m程、左手に盾、右手に槍を持っていた。又、槍の先端や兜の紋章の部分が遠くスニオン岬(アテネの45㎞南東)からも見えたという




 パルテノン神殿の特徴・歴史概要…まじかに見て!古代ギリシャが築いてきた建築物や芸術文化の力強さを実感した



 ①パルテノン神殿は古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年に完工。ギリシア古代建築の最も重要ドーリア式建造物の最高峰、装飾彫刻もギリシア美術の傑作。この神殿は古代ギリシアと民主政アテナイの象徴であり、世界遺産に認定されている


 ②この地には古パルテノンと呼ばれるアテーナーの神殿があったが、BC480年のペルシア戦争にて破壊された後に再建された。デロス同盟やアテナイ帝国の国庫に使われた


 ③6世紀にはキリスト教の生神女マリヤ聖堂、オスマン帝国の占領後モスクや火薬庫として使われ、その後、ヴェネツィア共和国の攻撃によって神殿建築や彫刻は甚大な損傷を受けた。1806年、オスマン帝国の了承を得てエルギン伯トマス・ブルースは神殿から焼け残った彫刻類を持ち去り、1816年にロンドンの大英博物館に売却。ギリシア政府はこれら彫刻の返却を求めている


 構造概要…パルテノン神殿はドーリア式建造物でペンティ山の白い大理石が使われた。短辺30.86m(8本の柱)、長辺69.51m(17本の柱)、高さ15m。内部の列柱には6本の柱が在り、寺院の内部は4つの聖域(pronaos, sekos, opisthodomos, opisthonaos)に分けられている



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